りょういちんこZの朝は早い。いつも朝5時ごろ、太陽の日の出と共に目覚める。そしていちばんにすることは、浴室に行ってシャワーを浴びることだ。りょういちんこZは冷水シャワーを浴びる。ガスなど元より契約していない。寝ぼけた頭に一発かますためにやるのだが、皮膚の壮健、神経反射の向上、温冷感覚受容体の促進のためでもある。これが彼の日課である。これを終えたら一日のすべての役目は終わり! これを終えたらとくにその日はもうやることはない。
しかし、38歳にして、すでに認知症の兆しが見えるのか、霊的修行のやりすぎか、「無為」にこだわりすぎたか、はたして、肘は洗ったか、足の裏は洗ったか、洗い終わった後に、洗い忘れた箇所があったような気がしてならないのである。あれ? ちんこは洗ったっけか。りょういちんこZはゾッとした。朝のリビングの一室、全裸の姿のまま途方に暮れた。ちょうど窓からは太陽が昇ってきていて、日光が股間を照射し、漫画でいうクローズアップの演出を施しているように見えた。
翌朝から、りょういちんこZは、浴室内で、「ちんちん洗ったよー!」と声に出してみる習慣を取り入れてみた。
くわしくいうと、頭、胸、背中、臀部、と移行していく中で、ちんこの番にさしかかったら、「ちんちん洗ったよー!」と叫ぶというものである。音が耳に残る確かさ、言葉が舌に置かれる確かさ、老人の杖と足どりの関係のように、作家が思索の際にペンに頼るように、老いの兆しのあらわれであるが、これはとても功を奏した。
例えば、主婦などがニンジンを買おうと頭の中に刻み込んでいても、スーパーに行ってレジで会計する頃には忘れていることがある。しかし「ニンジンを買う」と声に出すことによって、頭ではなく身体にインプットさせることにより記憶の定着が見込める。私はニンジンを買う、ニンジンを買う! と、三回も唱えれば十分だろう。何度も口に出しすぎると今度は「新鮮さ」が失われてしまう。または、よく鉄道の運転手がやる、右ヨーシ、左ヨーシのそれだ。声に出して確認することによって、やれ25%の事故防止上昇効果が望めたとか、読んだことはないが論文にはどうせそんなことが書かれていることは予想がつく。
しかし、慣れ、というものは恐ろしいものである。
りょういちんこZは、新しいおもちゃを得た子供のように、口癖のように、「ちんちん洗ったよー!」と言っていたのだが、毎回、欠かさず、浴室に入り、頭にシャワーをぶっかけ、背中を洗い、腰を洗い、「ちんちん洗ったよー!」と言っていたら、ある日、浴室から出た時にちんちんを洗ってないことに気づいた。声に出したことは覚えている。確かに口に出して言った。その響きが今も耳に、舌の上に感触として残っているのだが、ちんちんを洗ったかどうかは覚えていない、ということがあるのだ。