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女性化する社会

ドトールという小さな世界においても癖のない男がモテる

尻舐め妖怪ピグラン

相変わらず好きです すきいい

でも セックスでてこないので not.enough

しまるこ

ピグランさん、いつもありがとうございます。まったく同じ時間に互いの感想をして、とても恥ずかしいですね。

尻舐め妖怪ピグラン

やーん 恥ずかしいい 小生シリーズ大好きです

尻舐め妖怪ピグラン

観察眼がユニークだね

しまるこ

私としては、通常運転のつもりだったのでしたが、何人かの人に、「なんじゃこりゃ!」と言われたので、いつもとそんなに何か違うかな?と思って、こちらのサイトに人に伺ってみたくなりました。←執筆の狙いに書いておくべきでした。 

自分の良さというものは、自分では気づけないものですから、他人の視点というものが必要になってきますね。

黒ずんだカリフラワー

どうも済みません。

あまり鍛練の足しになるようなことは書けないのに、いろいろな方のとこにお邪魔して、いろいろお騒がせしてしまって……。

>ただ当たり前のことに気づいて、当たり前のことをこなす男は非常に少ない。だから女は普通の人がいいというのだろう。女のいう普通とは、腕毛男のような男を指す。

ほんとにそうなのでしょうね。

それなのに妙に力んだ挙句、「結局顔なんでしょ」、とか、「結局金なんでしょ」、とか言ってしまう男が多そうですね。私は……。

宮本武蔵も宝蔵院を訪ねたとき、ただ畑を耕していただけの老人の鍬の動きを妙に意識してしまって、その老人の傍を通る瞬間パッと跳んで一瞬で通り過ぎるというようなことをやってしまって、あとでその老人にそれじゃ駄目だ、みたいなことを言われていたような記憶があります(私が観たのは年始の大型時代劇で、映画のほうはあまり観ていないし、小説も読んではいないのですが……。そういえばあの方の作品は句点が矢鱈多いです。『私本太平記』だったでしょうか……。最終巻までいかなかったのですが……)。

>剣のクセを捨て去ることで、人生のありとあらゆるクセをすべて取り払った宮本武蔵は、モテないだろう。腕毛男に負けてしまうだろう。宮本武蔵が……!

その大型時代劇での宮本武蔵は芸者さんにも、それじゃ力み過ぎ、みたいなことを言われていました。

とはいえその時代劇は結構気に入っていて、VHS三倍録画でしたがなん度も見直していました。

へんな楽しみ方かもしれませんが、それとの相乗効果でこの作品も楽しかったです。

失礼しました。

しまるこ

おはようございます。カリフラワーさんは、コメントも独特ですね。

宮本武蔵が力みから始まって、だんだん静かになっていくというストーリーは、バガボンドという漫画にも見られますね。

じっさいの、宮本武蔵の素振りを、その時代に見たという人の感想が伝わってもいるのですが、その感想としては、「私は剣というものは全くわからないが、とにかく静かだったことに驚いた」というものでした。村人か何かの目撃談だと思われますが、私の方も、文献は忘れてしまいました。

徹底的に静かになることは、絶対的な意味ではクセがないことを意味すると思いますが、相対的な意味においては、とても強いクセになってしまうのでしょうね。

感想、ありがとうございました。

だいだいいろ

拝見させていただきました。

モテる男性がテーマになっていますが、僕のイメージとは少し違うかなと思いました。

僕の意見としてはやはり顔がいいとモテているイメージがあります。

容姿が優れていると自然と女性との関わりが増えている気がします。

そして容姿が優れている人は振る舞いなどが洗練されているようなイメージがあります。

しまるこ

だいだいいろさん、こんにちは。

容姿がいいからモテるというのは真実だと思います。

今回はある一つの角度をとがらせていって、それをテーマにして創作したというところですかね。しかし、直球に思うところでもあります。マッチングアプリとかでも、変人かそうでないかをふるいにかけていき、会社の面接のような、パーソナリティの上塗りのような会話をする中で、「私は変人ではないですよ」と証明するための儀式のように思われます。

しかし顔が良くて動きが洗練されていることの方がもっと大事なことだと思います。

一つは、とある友人の女性が、「結局、マッチングアプリは、変人か、変人でないかを確かめるためにやっている」と、ポツリとつぶやいた一言が気になったこと。

もう一つは、マッチングアプリで出会った女性と、居酒屋でごはんを食べた後に、外の飲食店街を歩いていたのですが、そのとき、酔っ払った浮浪者らしき男がフラフラと歩いており、 それはだいぶ離れていた距離にもかかわらず(30メートルくらい?)彼女がとても怖がって、私の陰に隠れたことです。こんなものは、私たち男としては、まぁ一切怖くないものですが、女性からすると、これほど身の危険を感じるものなのかと、私の人生経験に衝撃をあたえたできごとでした。

おそらくは、女性たちは、どんな男に対しても、身の危険というものを感じるのではないでしょうか? すべての男に暴力と不潔さを異分子として嗅ぎとっている。そしてこの身の危険からくる恐怖が、「変」とつながっているように思われます。

女性の場合、「変」が「嫌い」になっている印象がありますね。「嫌い」は「好き」みたいなものでしょう。「変」と思われてしまったら、もう終わりかもしれません。好きであるうちはどんなに変でも変に思われないものです。

女性の気持ちがコースアウトしてしまうと、嫌い、大嫌い、むかつく、というよりかは、「変」「あの人変」に、行き着くところがあるような気がします。だいたいにおいて、女性に本当に嫌われた男は、ただの変人にされてしまいます。

なぜだろうと考えたとき、これは自分の調和を守るためなのかなと思いました。自己愛からきている。結局これから彼と恋愛するにしても、その先を見ているのは、自分の時間や人格を侵害されないか、ということであり、彼と恋愛するというより、自分と恋愛するためといった方が適当でしょう。それはちょうど先ほど会社の人事部を例に出した通り、組織もまた変人の台頭を恐れており、変人によって調和を侵害されないかということをいちばんの懸念点としていて、彼らにあって共通するのは、攻めよりも守りの思考というやつですな。

女性は離婚する段になると、まるで相手のことを一度でも大切に思った過去などなかったかのように、いわば、ゴミを見るかのように、 Hunter × Hunterのヒソカやキルアに見られる変化系念能力者のような、「大事なものがあっという間にゴミに変わる♠️」という性質を持っているように思います。女性はみんな変化系念能力者なのです。

 

今日は尊敬の眼差しで見ていても、明日には「変」という目で見られる可能性があり、油断なりません。

そして、勘がいい男というものは、いつも女性のそういった目線に怯えて過ごしているものです。

Mr.Childrenの桜井氏の楽曲の歌詞に、この心情はうかがえます。

生まれたての僕らの前にはただ

果てしない未来があって

それを信じていれば 何も恐れずにいられた

そして今僕の目の前に横たわる

先の知れた未来を

信じたくなくて 目を閉じて過ごしている

出会った日の僕らの前にはただ

美しい予感があって

それを信じたまま 甘い恋をしていられた

そして今音もたてず忍び寄る

この別れの予感を

信じたくなくて 光を探している

「愛してる」って女が言ってきたって

誰かと取っ替えのきく代用品でしかないんだ

ホック外してる途中で気付いていたって

ただ腰を振り続けるよ

また、桑田佳祐氏の『本当は怖い愛とロマンス』という楽曲の歌詞に現れているものであります。

今まで何をしたって

許してくれたじゃない

積もり積もった想いが

君の中で今、燃え上がる

男の些細な仕草が

女は我慢出来ない

出逢った頃と違うよ

裁くチャンスを狙い澄ましてる

本当は怖い愛とロマンス

突然「ハイ、それまでヨ!!」

こんなに弱い駄目な僕を

苦しめる 鬼のように

そう、本当は怖いのです。音もたてず忍び寄る、女性の女性的嗅覚による何かで、男性の男性的弱さを見抜き、私たちは、彼女たちの特殊な感覚によってそれを暴かれるのを恐れています。しかし、このような怖いものを見たさで愛に彷徨う彼がいて、はたしてもう性欲はどこ吹く風といった調子で、いったい自分でも何を求めているのか、こんなに女性について懇願し離そうとしないのは、詩人の心というものはわからないものですが、それはおよそ単なる心情にとどまらず、普遍性の問題があります。男が女の目を気にするのは、彼女たちが男を直道に戻してくれるからでしょう。また、この恐怖や、直道に戻してくれそうにない女性においては、勘のいい男は、彼女に近づいたりはしません。女は男を完成させるための天才でなければならず、それゆえ、男は女を必要としています。ニーチェの次の言葉は、それを指しています。

『偉大になろうとする者たちは、女性がそばにいることによって、彼ら自身が欲していた偉大なる道筋をはっきりとつかまえることができるようになる。というのも、女性がその全存在をもってして何か本能的なモラルのようなものを男たちに示唆してくれるからだ。』ニーチェ

遺伝子的に女性は性染色体がXXで、男はXYであるようですが、

”好き”という魔法が溶けてしまうと、この性染色体の差が、悪い形でふたたび現れ始めるのではないでしょうか。

男は、いったん女に嫌われだすと、男性的男性特徴を外に出すことを怖がりだすようになります。家庭内において不穏な空気を持ち込まれている夫婦において、この部分を女性に咎められてしまうために(例えば、便座カバーにおしっこをひっかけて、今度からは座ってするように躾けられるなど)、中性的な存在にならなざるを得なくなります。男は小さくならざるを得なくなり、その小さくなるというのは、女性に対して、自分の男の部分を明け渡すという女性化という現象を意味します。

私が以前、勤めていた印刷工場で、女性十数人に対して男一人という、なんとも凄まじい、精神力が求められる環境で働いている男が一人いたのですが、その男が、とても女性的になってしまったことに驚かされました。私がいた部門では、印刷部と加工部に分かれており、印刷部では男がオペレーターとなって機械を回して印刷物を刷るので、男しかいないのですが、加工部の方は、女性だけで成り立っており、まるで縄文時代を思わせるような、洞窟内の女性集落において、土器の中に胡桃を詰めるような、男たちが刈ってきたマンモスの毛皮を織るような、できあがってきた印刷物を紐で縛るという作業をやっておりました。

そこにひょっこり、一人、迷い込んだような、40代の男がいたのですが。私は女性陣の中で一人仕事している彼を、自分の仕事そっちのけで、いつも見ておりました(そのためによく仕事のミスをしました(^^;))。二年くらい、ずっと毎日見ていたのですが、恐ろしいことに、二年で、彼はほとんどオカマになってしまったのです! そのことを友人に話してみると、友人もまったくおなじ感想を持っていて、「それはそうだ、そうに違いない」と、「俺もそういうところで働いている男を見たことがあるけど、全員オカマぽかった」と、激しく同意しました。「ああいったところで働いていると、人はオカマにならなざるをえなくなるのだろう」「そうじゃないと立ちいかなくなる」と実感をこめて話していました。

私たちはひょっとすると、このままいくと、女性に吸収されてしまうのでないか……?

むろん、男たちの中には、この問題に危機感を覚えているものは少数はいるけれども、女の方はというと、たった数人も、自分たちが男を吸収している……、ということに、まさに日本中のあちこちで、卑弥呼による君主政治が誕生しているということを、執行している本人たちですら、たった一人も、気づいているものはおりますまい。

今、マッチングアプリでも、職場でも、街中でも、女性が女性に出会っているだけです。

女性が力をつけて、社会進出して、発言権を得て、経済的に自立して、男性と肩を並べられるようになっていくにつれて、男はその立場を追いやられています。女性たちは、まるで裏で示し合わせているように、それは女子トイレに集まってひそひそと会議している様子もなく、潜在的に結託しているようであり、時が満ちた……というように、 今、女性たちの推進力は、言い表せないものを持ち、顔にみなぎる力は汗を置き去りにし、私の姉も、これから狩りに出かけるライオンのような顔をしながら仕事に向かいます。

こういった現象は、一家庭に起こっているにとどまらず、時代の大きなうねりをもって現れています。昔のような破天荒だったり、工事現場で働くガテン系ともいうような男たちは姿を消し、街中でも、ヤンキーや不良といった中高生もほとんど見なくなりました。一説では、食べ物に入っている女性ホルモン剤が影響して、男性の精子量が50年前と比べて約2分の1に減っていることも関係しているようですが、

少しだけ紹介するなら、こういうことになりますが、

環境ホルモンとは、内分泌撹乱科学物質と呼ばれて、我々の生態系を著しく乱す。

ダイオキシンなどを代表とする環境ホルモンは、日常生活の中に深く溶け込んでいて、食器や洗剤などに70種類が指摘されている。

内分泌を撹乱し、女性に対しては子宮内膜症、男性に対しては精子の減少などを引き起こす。

環境ホルモンの中でもよく見られるのが、合成洗剤の中に含まれているノニルフェノール。

ノニルフェノールは女性ホルモンのような働きをしており、家庭用合成洗剤で汚染された川の中で死んでいるメダカにノニルフェノールが検出され、このメダカには精巣と卵巣の両方が存在していた。

海外ではデンマークのスカッケベック博士らが、この半世紀の間に青壮年男子の精子が約半分にまで減ってきているというショッキングな論文を発表した。

1938年には平均11300万の精子があったのに1990年には6600万になっている。

日本でも同様な実験が行われており、「精子の数、形、および運動機能」を調べたところ、WHOが定めた数値の基準値をクリアしたものは34人でたった1人であった。

原因として考えられるのは、農薬のDDT。

DDTは第二次世界大戦以来、人体には無害だと言われて日本でたくさん使われてきた。一旦人体内に入ると脂肪組織に沈着して5年も10年も排泄されないらしい。その間に女性ホルモンのような作用をするDDEに体内で変わってしまう。これが環境ホルモンと呼ばれる。

我々が食べている肉も、肉質を柔らかくして食べやすくする為に、女性ホルモン剤DESが使われている。

アメリカのフロリダにあるアポプカ湖に生息しているワニの大半が子供を産まなくなっている。雄のペニスは1/2以下の短小化をしており男性ホルモンも1/4に減ってしまっている。

おそらくは、最近みられる、女性のホルモンバランス異常、子宮頸ガンの罹患率、また妊娠しにくくなっている女性の現状は、女性の女性ホルモン過多によるものと、男性の女性ホルモン化による精子量減少からきているものだと、私は推測しております。

まぁ、ここではこれ以上、生化学的な問題に触れることはやめておきます。

私が言いたいのは、こうです。

女性がクセのない男を求めて、男はその希望通りにクセのない男になる。しかし、満足する男女はどこにもいない、結果的に、全てが悪い方向へ向かっていっている、ということです。

女性は男をお望みどおり取り入れることに成功して、満足してよさそうなものですが、満足している女性はたった一人もいないということです。印刷工場で働いている十数人の女性は、一人の男を同胞として吸収したにもかかわらず、イライラしていたということがいちばん恐ろしいことです。彼を消滅させておいて、それでも彼に対して腹を立てることをやめることはない。これはとても恐ろしいことだと思いました。いったいどうしたら満足するのだろうと思いました。男の方も、もはやどうしていいかわからなくなっており、気が動転して、もう本当に女になってしまおうか、性転換の手術をしてしまおうか、というところまで問題は深刻化していたように思いますが、まぁこれは冗談ですが。これは小さな家庭においても、夫が妻に服従したとしても、一向に解決につながらないことを、広義の形で意味しております。そのためトルストイは『復活』という小説を書かずにはいられなかったと、ロダンは話しております。

彼女たちは自分で男を取り込んでおきながら、彼の男性の男性的弱さを見抜いていて、その弱さに納得がいっていないのです。落合博満氏は妻である信子さんと結婚してまだ間もないとき、ソープ通いを毎日のように続けており、信子さんがいい加減に怒ったところ、「いいじゃねぇか、こんなのはただの性処理なんだから」と言い放ち、信子さんは、「この人はひょっとしたら、すごい大物かもしれない」と思ったといいます。そんな時代が、たかだが40年くらい前のものですからなぁ。じっさい、今、不倫や浮気に対してピーピー吠えている若い女性たちの中にさえ、こういった気持ちが隠されています。彼女たちはじっさいは浮気や不倫に耐えうるだけの頑丈な精神を持っているのです。ではなぜ彼女たちがあんなにピーピー騒ぐかというと、人間が集団的な生物のためです。彼女たちは単にまわりに共鳴しているだけです。もし浮気万歳という文化がつらぬかれていたら、彼女たちも、男の人はしょうがないものねと、大和なでしこ風にほほを染めて、男の不貞を尊敬して見上げたりもします。それは単にこの社会が女性化しているために過ぎないのです。 国もまた病気にかかるのです。社会は女性化という病気にかかっています。この病気にかかった社会では、女性と女性が結婚するようなものであり、治療薬は、おそらく二つしかありますまい。

この前、たまたま実家に帰った時、母がなんの脈絡もなく、ふと、「一夫多妻制だったらいいのにね」と、ポツリとこぼしました。いったいなんなのだろう、と思いました。とある夕食時、テレビにはぜんぜん関係のないテーマのニュース番組をやっていた折でした。世に憐れむ少子化問題や、結婚できない女性に向けてか、経済力のない私に対しての言葉であれば、とどめをさすだけの意味しか持ちません。だから、なぜそんなことを呟いたかは、真意は分かりません。でも、それゆえに、”核”となる言葉に思えたのです。もう62歳の女性です。結婚生活も一通り終えて、酸いも甘いも舐め尽くして、何もかもを知っている、女性としてのものさしが完全になる年頃ではないでしょうか。まさか、女性から、母から、そんな言葉が聞けるとは思いませんでした。これもまた私の人生経験に大きな衝撃をもたらしました。 

私もじっさいのところ、この混乱に混乱を極めた男女市場においては、神を見出すか、一夫多妻制か、二つに一つだと思っております。キリスト教的愛の主義とは外れますが、こんなふうに経済的な理由から、恋愛の形骸化から、男性性の尊厳が失われていくのであれば、ひとまずは一夫多妻制という形をとって、現状回復をねらった方が有効だと思います。それからまたキリスト教的結婚?(なんで変な外国人の牧師に永遠の愛を誓わなきゃいけないのかよくわからねーけど)、それからまた、今の結婚にしたかったから戻ってくればいいと思います。しかし、これはむしろ、女性のことを思ってのことであります。彼女たちを救うためには、私たちのような経済的弱者の男性層はいったん目を瞑り、金持ちのスパイダーマンみたいな男たちに、託さなければならないと思いました。なぜなら、私たちのような男が、女性と結婚し、子供を作るとなると、いっそう、世の中が悪くなるからです! キックボクシングの武尊氏は、中学校時代、彼とキスをするために、30人くらいの女性の長蛇の列が作られていたとのことで有名ですが、そういった景観を目にするのは、下々の男にとっても、発泡酒のつまみに打ち上げ花火を見るように、痛快であります! もし結婚が個人のためではなく、全体のためにされるのであれば、大谷翔平は200人の女性と結婚しなければならないのではないでしょうか? ハーレムどうこうではなく、その責任があるような気がします。彼女たちのために使うべき金を余らせておくから、変な通訳の男に使われるのです。むろん、これとて、レインボーコースでコースアウトしたカートを、ジュゲムが糸を垂らして引っ張りあげるような、救済策として言っているのですが。

ヨガナンダ

人生の唯一の目的は、神を見つけることです。もし、あなたがすでに結婚しているなら、夫婦そろって神を見つけなさい。しかし、まだ独身なら、今すぐキリストの 「まず神の国を求めよ」という教えに従いなさい。神を見つければ、神があなたの取るべき道を教えてくださいます。さもないと、結婚生活にどのような運命が待ち受けているかしれません。想像もできないような悲劇の話がいろいろと私の耳に入って来ます。それは、ほとんど人間関係の不和から生じる悲劇です。人は若いうちに、自分の感情を制御することを教えられるべきです。だれでも、自分の衝動的感情を抑えることを学ばずに結婚すべきではないと私は考えています。自分の感情が抑えられないうちは、家庭を持つ資格はありません。まず自己制御を身につけることが何よりも大切です。そのうえで結婚を考えれば、あなたにとって最良の伴侶が自然にあなたの前に引き寄せられて来るでしょう。

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