霊的修行 友達との電話シリーズ

ゲームを40時間やった後、悟りが開けることがある

しまるこ「さいきん、ドラクエ4、5、6、7って連続でやったんだけどさ、ほとんど20時間くらいぶっ通しでやって、それぞれ一作ごとクリアして」

友達「昔のゲームばっかやってんね。もう何回もクリアしたやつなんでしょ?」

しまるこ「うん」

ヨガナンダ「過去生を思い出しても、ほとんどの人には、助けにならないでしょう。かけがえのない今生においてさえ、多くの人が、どれほど習慣の奴隷と化しているのかを見てください。私はそれを心理的骨董化と呼んでいます。彼らのすることはすべて予見可能です。口笛や歌う曲目さえ、来る年も来る年も同じです。年をとればとるほど、ますます自分の考え方、感じ方、ふるまい方がワンパターンになってしまうのです。そうした人びとには、今まで自分のしてきたことや自分がどうだったかを忘れ、出直す機会が必要です。自分自身を善くできるという希望は、もう再出発することにしか残されていないのです」

しまるこ「昔のゲームをプレイしているとき、ヨガナンダ先生のこの言葉を思い出しながらプレイしてるわ」

友達「それはきついね」

しまるこ「だから、新作RPGをやってみようかなとは思ったんだけど」

友達「ヨガナンダ先生は、新作のゲームをやりなさいって意味で言ったわけじゃないと思うけどね。ヨガナンダ先生が何なのか知らないけど」

友達「今、ゲーム機高いよね、PS5とか、六、七万円くらいするよね?」

しまるこ「するね。でも、売るとき、買値に近い値で売れるから、最悪、やりたいゲームをあらかたやったら本体ごと売ってしまったらいい。そうすれば、大した損額にはならないんだけど」

友達「じゃあそうすればいいじゃん」

しまるこ「ただね、ハードもなければディスプレイもない、テーブルもなければ椅子もない、ないないないのないない尽くしで、HDMIケーブルやら何やら、そんなのも必要になってくるでしょう? ひとつ据え置きゲームをやろうと思ったら、10万円ぐらいかかるわけ。椅子やテーブルも後で売ってしまえばいいかもしれないけど、ちょっと面倒くさすぎるね」

しまるこ「ゲームをやってる間、ずっと思ってたんだけど、ゲームをやってると、頭良くなるんじゃないかと思って」

しまるこ「何も考えていない時の方が知能は発達するんじゃないかって」

しまるこ「発達というより、元に還る。ノーマルの、クリアな状態に引き戻されて、本来の脳の機能を働かせられるようになる、と思った」

しまるこ「小説投稿サイトの友達が、ゲームは費用対効果が悪すぎるって言ってて、読書に比べると、ゲームはあまりにも時間を取られすぎるんだってさ」

友達「俺もそれは思うわ。オンラインゲームとかずっとやってる人を見てると、時間をドブに捨ててんなぁって思っちゃうわ」

友達「まぁ、他人がゲームやってるのはいいんだけどね。自分に置き換えてみた時の話ね。ああはなりたくないなって思っちゃう。じゃあ、ゲームやらないでその時間何をするかって言われると、俺も大したことには使ってないんだけどね」

しまるこ「俺もね、アクションゲームやってる時はそういう気分になる。マリオとかデビルメイクライとか、テニスゲームとか、スマブラとかね。普通に外でスポーツしろよって思う。普通にスポーツした方がいろんな知覚が働いて楽しいじゃんって思うし、何だこの無駄な時間はって思うんだけど、RPGだとそうは思わない」

友達「へぇそうなんだぁ。俺は逆だ。俺はまだマリオとかのゲームの方がマシに感じちゃう。RPGがいちばん時間がもったいないと思う。しかも、一回クリアしたゲームなんでしょ? 何がそんなに楽しいの?」

しまるこ「わからない。旅している感覚かね。中世騎士道ファンタジーの、あの時代のあの景色が、人々にとって、いちばんの理想としてあるんじゃないかな? ゲームの舞台って大抵はそれだもんね。今の文明の海外旅行するよりよっぽど楽しいよ。俺は、クリアした後、やり込みとかやらないタイプだから、クリアした後に熱が冷めてしまうことがしばしばだと考えると、やっぱり、道中を楽しみたいんだろうね。可愛い女の子がパーティにいたりしてさ、新しい街や、村に行ったり、そこまでの険しい山やダンジョンを越えて、一悶着あったりして、砂漠にオアシスがあったり、雪山に雪女がいたり、世界中を旅している感覚があるよ。あるいは、あいのりみたいに、可愛い子と世界中をデートしている気分にもなる」

友達「でも、それだったら、アニメや漫画のほうが良くない? その方が楽じゃん。見てるだけでいいんだから。なんでわざわざコントローラー握って、長老みたいな変な奴の使いっ走りさせられなきゃならないの? そんなのばっかじゃん、RPGって」

しまるこ「この辺は分かれるね。本好きな奴はRPG寄りで、右脳寄りの人間はアクションやパズルゲームが好きだったりするんだけど」

しまるこ「小さい頃から、俺はゲームしかしてこなった人間なんだけどさ。大学に入って、一人暮らしして、寝ても覚めてもテレビを占領できる環境になって、本当に大学時代はゲームしかやらなかったよ。40時間ぐらい、ぶっ通しでゲームしてさ。信じられる? オープニングからエンディングまでプレイを止めなかったことがあるからね(笑)途中でセーブはするけど、ポケモンみたいな短いRPGなら、はじめて電源を入れて、クリアするまで、中断を挟まなかったことがある。俺はそんなことを、2、3回やったことがあるよ」

友達「そんな、武勇伝みたいに語られても」

しまるこ「で、エンディングを迎えて、時計を見たら深夜の2時になっててさ。やっと丸二日何も食ってなかったことに気づいて、コンビニにパンを買いに行こうと思ったのね。外に出てみたら、久しぶりに現実世界に帰ってきたもんだから、なんか、ぜんぜん景色が違うの。あれ? 何だここは?って。景色とか、体感とかが、ぜんぜん違う。マサラタウンもオーキド博士もない。40時間もポケモンの世界にいたから当たり前なんだけど。あれ?どっちが本当の世界だっけ? てな、感じで。これまでずっと繰り返し尽くしていた日常生活が、真新しく思えたわけ。外に出て、コンビニに行くまでの間、あたりは真っ暗で、街灯がわずかに仄めいているに過ぎなかったんだけど、目の前の景色がぜんぶ輝いて見えたの。コンビニまでの道がシルクロードのように思えた」

しまるこ「ゲームを40時間やりっぱなしで、もう疲れ果ててもいいはずなのに、やたらとパワーがみなぎってさぁ、まるで全てのことに対応できそうな、すごく頭がはっきりしてたんだよ」

しまるこ「いまだにそうだよ。ゲームを2、30時間ぶっ通しでやって、さて日常生活に戻るかって、戻ろうとすると、世界が新しく見える。再び初めて地球に降り立ったような、すごい新鮮な感覚になるの」

友達「ゲーム自体が一種の仮想世界だからね。そこから帰ってきたんだから、お前の言ってることは何も間違ってないと思うよ」

友達「なんて言っていいかわからないけど、『おかえり』って感じかな(笑)」

しまるこ「ただいま」

しまるこ「たぶん、プラモデルとか、漫画や小説を一作書き上げた後なんかも、こんな感じだろうね。この時の状態というのは、ただ映像だけがある。幼児のようにただ映像だけが目の前に映し出されていて、そこには何の解釈もない。頭が澄んでいる。映像を映像のままに対応して、そこに一切の判断、基準、分別が加わらず、全てのものは世界は一つに統合される」

友達「そりゃあ、40時間もゲームやってれば、誰でもそうなるんじゃないの? 40時間、現実生活の方には見向きもしなかったからってことでしょ?」

友達「脳が、どっちが本当の世界がわからなくなっちゃったんじゃないの?」

しまるこ「いったん、この世界から離れてみる、というのは、大事なことだろうね。ちょっとこの世界に入り込みすぎちゃってるんだよね、みんな。いろんな苦悩とかそういうのも、そこからきている」

しまるこ「ゲームはいい手段だよ。この世界が夢だということに気づかせてくれる」

しまるこ「ゲームをやる人はボケない気がする。教師や学者はボケるっていうね」

友達「編み物してる人がいちばんボケないね。90歳とか越えても、編み物とか、手先の細かい仕事している人はマジでめっちゃ頭いいよ。病院で高齢者を見ていると、そう思うよ」

しまるこ「ゲームやってればボケないと思うんだけど、最近のオンラインゲームとかについていけてないんだよね」

友達「まだ、やればいけるっしょ」

しまるこ「やればね」

友達「やらないだけでしょ」

しまるこ「と思うんだけど」

友達「あの、チュートリアル満載の、3Dの、あの複雑なゲームができるなら、何でもできそうに見えるわ。あれができれば大抵の仕事もできちゃいそうに見えるけどね。覚えることばっかじゃん。コンビニのレジだってたくさん覚えることばっかだと思うけど、あれ見てると、ゲームも仕事もそんなに変わらないように見えるわ。モンスターが出てきたりするだけで」

しまるこ「時給もらいたいもんだよな」

友達「そう、金もらえるなら俺もやってもいいと思うけど、よく、金をもらえるわけでもないのに、あんな大変そうなことやるよなぁって思う。素材集めとかさぁ」

しまるこ「人がゲームをやっている時の横顔を見ているとさ、よく夢中になってるっていうけど、あれは夢中になってないよね。別に。ただ何も考えてない顔をしてる、じっさい考えてないんだろう。だって、俺、何も考えてないもん。別に夢中になってないよ。ああいう時、ああ、やっぱり思考がないと、こんなに、幸せなんだって、痛感するね」

しまるこ「報酬系とか、テンポとか、脳が欲しがっている要素がうまく噛み合ってるから快楽システムが生まれるとか巷では囁かれているけど、何も考えない状態に連れていかれるから、じゃないだろうかね? 何も考えていない時が人間の幸福なんだ」

しまるこ「食べる、寝る、ゲームする、その時間だけ、何も考えないでいられる」

スリ・ユクテスワ「すべての存在は苦痛に満ちている。彼らは苦痛のなかにいるから、快楽のなかに解放を探している。彼らが想像しうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。苦痛からの一時的な解放を快楽と呼ぶ。幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して私達は空中に城を築く」

しまるこ「だから、人は幸福のことを積極的な要件だと思っているけど、じっさいは消極的なものなんだね。苦悩からの一瞬の離脱状態を幸福というわけだから。まぁ、これは俺の意見じゃないよ。ショーペンハウエルの意見なんだけど。つまり、一日中、常に、我々はニュートラルの状態が苦痛なんだ。そこからの解放を求めて、それをしている間だけは苦悩から逃げられる。これをしている間は楽しい時間と思ってるけど、プラスとして起こっていると思っているようだけど、ふだんが苦しい時間だから、いわば水の中で溺れ続けている時間から、一瞬だけ、陸に上がれて、嬉しい、ということだね。そこで、永遠に繰り返される快楽の保証を求めて、だから、ニュートラルの状態で幸せにならなきゃ、救いはないんだってことだね」

友達「どうすればいいの?」

しまるこ「思考を止めるしかない」

しまるこ「思考がすべての元凶だね」

しまるこ「4、5歳までは我々は幸せだった。しかし、どこから不幸が始まったかというと、分別心を覚えてからだ。世界の前に、もう一つの世界を作り上げてしまった」

しまるこ「我々はこの世界を生きているようで、じっさいは、自分の分別心によって作り出した、観念の世界を生きている。思考の中をいつまでも空中遊泳しているだけなんだ。どこに行って誰と会っても、自分の中の観念を歩いて、観念を相手にしているだけだ」

しまるこ「それが、魂の深いところでは、苦しみと化してしまう。本然の生き方をしていない部分は、苦しみとなって現れる。それがずっと苦しみとして続いていて、その、自分で作り出した、その世界で息をしているのが辛いから、なんとか逃げ出そうとして、さっきも言ったように、食い物や、ゲームや、ディズニー、あれこれ欲望の名のつくものに手を出して、それが苦しみの正体なんだ。本来の、あるがままの世界をあるがままとして見ず、あるがままの世界を生きることができない」

しまるこ「でもね、やたらと長く、長ーく、眠った後とかだと、目覚めが観念に追いつかれない時がある。ゲームを40時間やった後だと、観念がどこかに行っちゃってるんだ。本当に、なんだろうこれは? と、本当に不思議な国のアリスみたいな気分。何もしていないのに、何も起きていないのに、とても幸せなんだ。心の中をどこを探してみても、想念の一つもない。ただ、純粋な知覚だけがある」

しまるこ「俺が、深夜2時にコンビニにパンを買いに行った夜道、”この時の純粋な知覚を覚えていよう”と思ったんだ。これほど大事なものはない、これを絶対に忘れないでおこうと思ったの。まさに今を生きている。現在が現在に対して訴えてくるもの以外に何もないんだと、心のどこを探しても想念が見つからなかった。しばらくすると、また生活のホコリによって、精神の中に堆くゴミが積もれてしまうんだけど」

しまるこ「何か物事に対して理由づけを始めようとしたときから、自分で作った理由づけの世界の方で生きてしまうことになるんだ。目の前の本当の世界をフィルター越しで挟みながらね。しかし世界はもちろん、人間の本然の居場所はそこではない。だから苦しみとなって現れてしまうんだ。じっさい、4、5歳の幼児たちは、この状態でずっと生きてるんだろうなぁと思う。分別心だね。何か物事を分別しようとする時、文字通り、世界は二つに分たれる。この分裂した精神が、文字通り精神を分裂させる。その結果、我々は生きているようで生きてはいない。ただ観念の中の、観念体となって、いわば浮遊霊のような、実態のない、いったい何なのか、何かわからない物体となって、観念の中を延々と彷徨う……」

しまるこ「目覚めなさい……!」

しまるこ「我々は、目覚めなければならない……!」

友達「……」

しまるこ「目覚めましょう!」

友達「そんな、ゲーマーたちが目覚めてるようには見えないけどね(笑)スマブラの大会?とかの映像を見ても、変な会場に集まって、仰々しい椅子に座ってピカチュウを操作しているプロゲーマー?の顔を見ても、物質主義の、いつもピザ食ってそうな、すげぇ、物質に囚われていそうな顔してるけどなぁ」

しまるこ「まぁ、ゲームじゃなくてもさ、誰でも朝起きた時、その一日の最初の3分くらいは、いったい何なのかわからない時間に置かれるわけじゃん。いったいここはどこだろう? 部屋? カーテン? エアコン……? しばらく純粋な知覚だけがふわふわしている。観念に追いつかれるまで、ささやかな猶予時間がある。想念がゆっくり心の中央の椅子に腰かけて、我々の操縦席に居座ろうとする、それまでの時間。起き抜けの時間。我々にとってまったく自由の時間だ。ほとんど視界には何も捉えられていない。光球、わずかな一点の光球だけが映る時間だ。それからしばらくすると、観念が、実体化してきてしまうんだね、それで、部屋だの、椅子だの、カーテンだの、さも存在しているかのように顔を出し始める、まるで彼らも朝を迎えたように」

友達「寝ぼけてるだけじゃないの?」

しまるこ「純粋な知覚なの!」

しまるこ「逆だね、霊性の点から言えば、その時間だけが寝ぼけていない時間なんだ。霊性が寝ぼけるなんてことがあるはずがない。いわば脳に邪魔されない唯一の時間といっていいかもしれないね。だって、寝ぼけているようでいて、頭ははっきりしているもの」

しまるこ「まぁ、今わかってるのは、この辺までだ」

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