霊的修行

新鮮を生きる

『あらゆる問題を瞑想によって解決しなさい。無益な思索によらず、神との霊交によって解決するよう努めなさい。心の中から教条主義的神学の垢を取り除いて、その代わりに、直覚という新鮮な癒しの水を組み入れなさい。自分の意識を内なる案内人に同調させれば、人生のあらゆる問題に対する答えを聞くことができる。人間は、自分の身の周りに悩みや問題を作り出す天才で、次々と作っては飽くことを知らないが、神もまた飽くことを知らぬ無限の救済者なのだ』スリ・ユクテスワ

ありとあらゆる名言、謳い文句の中で、この言葉がいちばん好きである。

初めてこの言葉を目にして以来、ずっと、その感動が、今でも続いている。いつも困ってどうしようもなくなったときは、この言葉が救ってくれた。ブログ内でもしょっちゅう引用させてもらっているが、今回、たまたま、とある読者に対して、この文章を交えて返信したところ、それを見た別の読者が、記事にしてくれた。

駅弁刑事・神保徳之助、見参‼

実のところ、これはスリ・ユクテスワ氏の言葉ではなく、そのグルであったババジから発せられた言葉で、一子相伝のように、代々弟子に伝えられきた。ちなみに、スリ・ユクテスワ氏はヨガナンダ先生のグル(師匠)である。引用元は、「あるヨギの自叙伝」だが、「あるヨギの自叙伝」はスティーブ・ジョブスが唯一iPadにインストールしていた本と言われていて、上記の言葉以外にも、スリ・ユクテスワ氏によるヨガナンダ先生の霊的成長を促すための箴言に溢れている。個人的には、晩年のヨガナンダ先生が弟子に語った言葉をまとめた、「パラマハンサ・ヨガナンダとの対話」の方が、体系的に端的に網羅されてあるから、(真我、カルマ、瞑想のこと、など)、読み返しやすいため、そちらの方を引っ張り出すことが多い。

『あらゆる問題を瞑想によって解決しなさい。無益な思索によらず、神との霊交によって解決するよう努めなさい。心の中から教条主義的神学の垢を取り除いて、その代わりに、直覚という新鮮な癒しの水を組み入れなさい。自分の意識を内なる案内人に同調させれば、人生のあらゆる問題に対する答えを聞くことができる。人間は、自分の身の周りに悩みや問題を作り出す天才で、次々と作っては飽くことを知らないが、神もまた飽くことを知らぬ無限の救済者なのだ』スリ・ユクテスワ

俺は今回、もう一度、この文章をよく読んで、よく考えてみることにした。

新鮮。

新鮮という言葉が気になった。

新鮮に違いないな、と思った。

ははーん、いちばん、新鮮。ここに答えがあるなと思った。俺の直感がそう言った。

いちばん、新鮮。

ヨガナンダ先生も、神の喜びとは、「瞬間瞬間に絶え間なく降り注ぐ新鮮な喜び」と言っていた。肥田先生も同じようなことを言っていた。

岡本太郎も、「瞬間、瞬間に、生きる」「生命の歓喜が必要だ」と言った。

勝手なことを言わせてもらうならば、みんな、俺も、いろいろなことを言っているけど、神はどうだとか、ああだとか、勝手なこと言っているけど、やっぱり勝手なことを言わせてもらうなら、「新鮮さ」がいちばん重要なんじゃないかと思っている。「いちばん新鮮なもの」を追い求めれば、外れはないんじゃないかと思っている。いちばん新鮮なものは、いちばん一次的なもので、いちばん一次的な場所に神はいるのだから。

いちばん新鮮なもの、いちばん一次的なものは、神でもない、キリストでもない、ヨガナンダ先生でもない、スリ・ユクテスワ氏でもない、バガヴァッドギーターでもない、愛でもない、宇宙でもない、自分でもない、ただミラクルである。魔法である。しかし現実なのである。

そうなると、死ぬしかない。

死は、少なくとも、生を役立てるために存在する。毎瞬、毎瞬、死ぬことだ。俗にいう今を生きるってやつだ。常に新鮮でいるには、毎瞬、毎瞬、自分を殺すしかない。どこにも心を置かない。無心。たとえ恋をしていても、その恋心すら、執着せずに、自由にのびのびとはためかせてやったらいい。

俺はいつもこの点について考えていた。たとえば、文章を書いているときは、頭で考えて書くものと、胸中にふわっと浮き出てくるもの、その二種類がある。なるべく後者だけを選択するようにしている。俺が文章を書く理由はここにある。俺にとって文章を書くとは、どこからか湧いた言葉の詰め合わせパックにすぎない。別に書きたいから書いているわけでもなく、浮かんだから書いているだけだ。

しかし、小説投稿サイトだと、散々に言われる。このブログだと、ファンたちが誉めそやしてくれるので、つい、いい気になってしまう。その自戒のためと、ちょっと離れたところで勝負してやろうと思って、たまに小説っぽい記事を投稿サイトに投稿するのだが、今回は、「12ぶりに風俗に行ってきたよ〜!」を投稿した。

12年ぶりに風俗に行ってきたよ〜!

以下が、投稿サイトの人たちの感想である。

『結論から言うと、あなたの頭脳と理屈は初期の『出会い系はどっちもバカ』から、長足の進歩を遂げてしまったのです。脳は活性化するも、その分、相対的にチンコは血の巡りが悪くなっている。理屈は立派でテラテラとぬめ光り、作者の自己満足のガマン汁が滴り落ちているのだが、股間はごめんなさいしてしまっている。

つまり、こういった下ネタに集まる読者の心理・頭脳の可変域を超えてしまったのだということです。

あなたは頭が良すぎるのです。理屈というのはユーモアにもエロにもなりづらい。

バルザックを引用されても、「なるほど」と思う読者は優秀なほうで、たいていは「????だぁかぁらぁ?」と戸惑うだけ。当然、意味がわからないのだから面白くない。

たとえば、アインシュタインが相対性理論をネタにH話をしても、だれが股間をふくらめるでしょうか?

いや、時空間の観測を女体に、体系的重力を行為になぞらえても、理解できるのはよほどスケベな物理学者だけな気がする。これは小説を書く上での、恐るべき作者の誤謬なのです。

おれの感想欄でも書きましたが、あなたの作風、「おれ」の一人称で物語を紡ぎ、独特のユーモアとちょっと変わった視点で読者の興味を綱く手法は、そろそろ限界。

つまり、ネタ切れではないかと危惧します。

おそらく、聡明なあなたはそれを自覚しているのでは?』

『個人的には「正直長いな」とも感じました。出来事があんまり些細すぎるのと、あと「もう一人の自分」っていうのが実感としてよくわからなかったことも要因のような気がします。』

『しがないモブ雄の“パース“ じゃないですか。

“油断“ “怠慢“ “願望“ “羞恥“ “堪忍“ “抵抗“ “白状“ “自重“ “要求“

読み当たった順に並べたらとりあえずでもこんな感じでした。

“モブ雄“ として許容できる了解を思いつきながら、所詮好感こそは思いつけない気がしてしまうのは、お話の閉じとして“要求“ 的語り手自身の言い草に帰結してしまったことへの性別的嗜好によるただの印象判断に違いないので、あたしはこのお話について是非を嗅ぎつけるほどの感度は持ち出せなかったような気がしています。

未だ抜けやらぬ“青春“的思考あるいは執着の余韻だとか、あたしはゴイステの“Baby Baby“ を聴くたびに青臭い後悔の味を麻薬の如く刺激されて欲してみじめなヨダレを垂らしてしまう哀しい性を隠し持つことを自覚しているもので、誤解でもいいのできみの欲する“創作“ の動機には常に、おしっこのシミがついたパンツみたいな、それをわざわざ身にまとって大好きな彼女に会いに行く“無限赤ちゃん“的開陳欲求みたいなものを常に感じさせられる気がしているわけなんですね。伝わるといいんだけど。

きみはきみとして白状したいことを、それを受け止めてくれるはずの自分以外のことを、全然信じるつもりがないでしょ。そうでなければ自分は自分を表現できないって、まったく閉じこもるみたいに信じてるでしょ。

だから、あたしはきみがあたしのこと嫌ってるって感じるんだと思ってるんです。

ただ勘違いしてほしくないのは、そのままの方がいいとあたしは思ってるってことなんですね。

“小説“は絶対、そっち側にあることくらいあたしだってとっくに気付いてるから何も問題ないでしょう。

問題は、きみのそのズルい、気が強いくせに隠したがってままなるつもりでいられるつもりらしいその気の小ささ、ケチくささを、どこまでそのまま鍛え上げて憚ることなく振る舞うことができるようになれるのか、ということなんだとあたしはずいぶん前からとっくに見切ってます。

きみがきみ自身を信じることが大好きな上で、一番苦手なことでもあることくらいあたしはとっくに知ってますよ。その隠しきれない苛立ちの気配が、あたしは苦手なんです。

でも、そのままでいいはずなんですよ。

あたしはそう思ってます。

難しくてややこしくて、やりがいのある話じゃないですか。』

『投稿した時点で読んでたんだけど、多分これ感想困るなーって思っていて、やっぱり困った。

読んだあと、なんも残らないんだよね。

主人公のドキドキ感は伝わってきたけど、恋が始まるどころか最後に放り投げてる。じゃあこのドキドキ感は何だったのかって。

もう一人の自分って概念もわからんでもないけど、最後の結論それかいって。

ああそうか、霜月は残念に思ったんだ。きっとこの作中の主人公、本当は恋なんかする気ないんだなって。』

『特に前半は面白かったです。じゃがりこかじりながらお笑い番組みて、ヤクルト1000飲んで寝たら翌朝屁がとまらない奴ではないんですよねw ありがとうございました。』

『評価のしようがないですね。収入が低いけど、しまるこさんは、すでにプロブロガー? なのでその独自のスタイルについてどうこう言えません。でも、鍛錬場に出してきているので、批判も覚悟の上なのでしょう。まあだからあえていうと、凡庸ですね。自分を曝け出して、一定数存在する底辺の男性読者に向けて書いている、よくあるパターン。それも、大きな権力みたいな、敵対するものを想定すればいいのかもしれないけれど、そうではなく、相対するのは、こじんまりと、女性、ですからね。

書き方としても、ある意味常軌をいっした長い段落は、ちょっと変わったことをしたい、変わったことをして注目を浴びたい、という感じでたどり着いたものですよね? これもよくありがちなパターン。にわかは読むな、読める奴だけ読め、的なスタンス?

「宇宙のようなものが走った」って意味深長ですね。でもこれもただの本能、単純な本能的行動、人間にあらかじめ設定されている、単純なプログラム? それを自己陶酔的に表現し、それに従う自分を、みんな笑うんだろう?

客観的に冷静に分析すると、まだ精神的に未熟な人間の自己陶酔的な世界のような気がします。けど、だから底辺層の男性には好まれる、って感じでしょうか。いまはもう見てないのでわからないですが、むかしのニコニコで底辺層の配信を見てたことがあります。物珍しさもあって興味深く見てたけど、そういった配信者の数が増えてくると、どれも似たような感じで、やっぱり大したことないんですよ。価値がない。その他大勢のうちの一人にすぎない。』

小説投稿サイトには5年ほど通っている。上の感想をくれた人達とは5年の付き合いになる。もはやサークル活動みたいなものである。上の通り、彼らは作品の感想を書くのではなく、パーソナリティを攻撃してくるものだから始末に終えず、狂っているとしか言えない。そのため新参者は、「キ、キチガイの集まりだ……」と言って、一つ作品を投稿したら去っていってしまう。

まぁ、言っていることは全部わからなくはない。ようするに、自分語りがうるせーってことだろう。そして、自分の醜態を女に見せることによって、それでも自分を好いてもらいたい欲求の現れだろうと揶揄されることも、ほとんどどこに行っても言われる。自分でもそう思うが(笑)稲中の作者の古谷実さんっぽいですねとよく言われる。

俺はこいつらの言い分を分かった上で、こいつらの言うことを聞く気はない。「12年ぶりに風俗に行ってきたよ〜!」は、あれはあれで、あれ以上のものは書けなかったし、正直に自分の思ったことを全部書いたのだから、こちら側としては他に手の下しようがない。しかし、こういう感想をもらうと、ほとんどの書き手が、自分を変えようとしてしまう。他者に迎合し、他者に気に入られようと、もう自分のことを語ることはやめよう……。宇宙的なもの、神的なものを書くのはやめよう……。女の子のことを自分の物差しであてはめて書くのはやめよう……。となり、次回作はどこにでも見られる平凡なものを書き上げてきて、今度はそうなると、「つまらない」と言われるので、どうしようもなくなって、ついには何も書けなくなってしまう。

俺自身は、もっと、俺を、俺を、自分を、自分を、自分を書くしかないと思っている。しかし、みんなが思っている「自分」とはちょっと違う。自分を殺すことによって自分を生かし、新しい新鮮さを、その風が吹いている場所だけを求めている。いくらダメ出しをされても、新鮮さが足りないのだろうと個人的には思っている。すべての問題を、新鮮なエネルギーで打破してやろう、としか考えていない。

ここのブログだと、みんな俺に興味を持ってくれている?から、俺の語りを好意的に聞いてくれるけど、別の場所だと、ムカついてくるらしい。まぁ、ここにもアンチがいるけどな。俺は彼らに向かってボールを投げているつもりだが、彼らの方で受け取るためのキャッチャーミットを持っていないらしい。いや、そんなことはない。個人が内奥の深くで、絶対的に正直に感じるところは、他者の深層心理にも届き得るはずだ、とそんな希望的観測に任せてみるが、まぁ、なかなか振るわないものである。

半可通の人に言わせると、「天才とは長い髪を垂らし、奇妙な食べ物を食べ、独身で、冗談好きな、人のモノ笑いのタネにされる人」を言うらしい。 だが本当のところは「常識では考えられないような知識の源泉と自由に交信を交わし、思考を強化する秘訣を発見した人」だ。『思考は現実化する』ナポレオン・ヒル

↑俺は、 もの書きなんてものは全員これをやっていると思っていた。本当に全員がこれをやっていると思っていた。だが案外、ここに注目している者は少数なのかもしれない。(奇妙な食べ物……? 生玄米のことか?)

しかし、俺なんてものはまだいい方である。ほとんどの作品が面白いと言ってもらえることも少なくない。投稿サイトの中じゃいちばんクレームがつかない。(これでも)誹謗中傷がもっとも少ない。というより感想がいちばんつかないのだが(笑)他の投稿者の作品につく感想はもっと酷くて、ここでの紹介も憚られるくらいである。俺の場合は、みんな、「しまるこ」という名前を見るたびに、(まーた来やがった……キチガイが……!)(頼まれてもいないのに来んじゃねーよ!)と、自身のキチガイを棚に上げて嫌悪されるだけだ。あまり関わりたくないようで、放っておかれる。5年くらいずっと無視されている。自分を出すと嫌われる。好悪がはっきりと出る。しかし、それがいちばんいいと思っている。俺はどんどんこれからも嫌われようと思っている。自分を生きるということは、嫌われることなのだ。 書くということは嫌われることだ。

さて、話を戻すが。

大丈夫かな? ごめんね、急に、小説投稿サイトの話して。話戻すから、ついてきてね。

さて、新鮮さだが……。

神を口にする者は、ほぼ全員、教条主義的神学の垢に積もらされてしまって、確かに道徳なことを言って言葉も行いも立派かもしれないが、ゴールにはほど遠いと感じてしまう。

神は善悪を超えた、正邪、美醜、愛と戦争、あらゆる二元性を超えた、我々の道徳観や宗教観を超えているのに、1500グラムの脳の中に彼を閉じ込めてしまう。

だから、何も考えない方がいいのだ。神は善に近いところにいるかもしれないが、善ではない。やることは、それらを全て捨てることであって、メガネのレンズの曇りを払い落とすことなのだ。というより、メガネを捨ててしまうことだ。初めて地球を見ることだ。俺はいつも、地球を初めて見ようと努めている。

瞑想だって、瞑想の中に、新鮮さが含まれていなければ、迷走になってしまう。

しかし、こうやって、新鮮、新鮮って言ってると、また今度は、それはそれで新鮮という概念に囚われ、新鮮さを失ってしまう。

あーやだやだ!

そうなると、やはり、新鮮という概念すら消してしまわないと、新鮮に出会えない。

そこで今度は、『信心銘』を読む。

大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも憎むこともなければ
すべてははっきりと明らかになる

たがわずかでも分別をすれば
天と地は遙かに隔たる
真理を実現したければ
賛成や反対の見解を抱いてはならない

一つを嫌い一つを好むことは
心の病だ
物事の本質を理解しないとき
心の平和は徒に乱される

道は大いなる虚空のように完全で
欠けたところも、余分なところもない
ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ

外界に巻きこまれてはならない
空という概念にもとらわれてはならない
物事と一つになって、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る

心の活動を止めようと努力しても
その努力がさらなる活動をもたらす
対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるものを知ることはできない

一なるものを知らなければ
静動、正否ともにその自由な働きを失う
物事の現実性を否定すればその現実性を見失い
空の概念にしがみつけば空の原理を見失う

話せば話すほど、考えれば考えるほど
ますます真理から遠ざかるばかり
話すことも考えることもやめなさい
そうすれば知り得ないものは何もない

根源に帰れば本質を会得する
だが現れを追いかければ源を見失ってしまう
一瞬にして悟れば
現れも空も、ともに超越される

空の世界に起こる変転変化を
無知ゆえに人は実在と呼ぶ
真理を追い求めてはいけない
ただ相対的な見方をやめなさい

二元的な分別にとらわれて
現れを迫ってはならない
わずかでも是非を区別すれば
心の本質は失われてしまう

すべての二元対立は一元から生じるが
その一元にさえ執着してはならない
心が生じなければ
世界が背くことはない
何も背くことがなければ
すべてはあるがままだ

分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
主体である心が消えれば、対象も消え去るように 想いの対象が消えれば、想う主体も消え去る

答えはここにあると思っている。新鮮に出会うために、新鮮を捨てなければならない。

この文章に難しくないとある通り、俺はこれだけ考えて迷っていても、難しくないと思っている。すべて考えるのをやめて、分別心を起こさなければいいんだと、それは簡単なことのように思える。だからやり続けることができるんだろう。

無というのは、いちばん新鮮ではないだろうか? 無は、流れていない川をさすのではない。無と歓喜は一つなのだ。そう思えてしまう。

「新鮮、新鮮」と、心の中を探っていても、そんなこと一日中やってられるものではない。何も行動をしないと不安になってくるし、人は物質に定められたグナという性質が働いているから、行動をせずにいられるものではないのだ。俺だって、朝に記事の一つや二つを書けば、それで心が満たされる。ああ、自分の仕事をやったなぁという充実感に満たされる。

子供の頃はできていた気がする。子供の頃はゲームしかやっていなかった。小学校一年の頃からゲームをやっていた。FF3のガルーダが倒せなくて、学校に行ってもずっとガルーダのことを考えていた。小学校一年は、確か、午前の授業が終わると、その日の学校は終了し、6年生のお兄さんと手を繋いで帰るという微笑ましい習慣があり、そのお兄さんと別れるのが午後12時ぐらいで、俺は12時から夜中の12時まで、ゲームをやっていたのを覚えている。ゲームを取り上げると、泣いて暴れるので、両親は、背を向けて画面に釘付けになっている俺をそっと見守るしかなかった。そんな子供が、今ではちゃんと神を求める敬虔な人間になり、実家に帰省するときは、ちゃんとケーキを買っていってあげて、「夏なのに、こんな甘いもの食べたくない、スイカがいい」って言われちゃったけどね(^◇^;))、立派に育ったものである。

あの頃がいちばん楽しかった。歓喜に包まれていた。まったく不安や苦悩がなかった。そして、そう思っているのは、俺だけではないようだ。みんな、幸福を探し求めている。おそらくみんな、今現在の喜びよりも、子供時代に体験した喜びを、もう一度体験したくて、いろんなことに手を出している。

新鮮だの、信心銘だの、こんなことをしているのは俺だけかと言ったら、そんなことはない、みんなやっている。人は、神を求めずにはいられないのだ。人々が酒や、女や、風俗や、セックスや、ディズニーや、仕事や、芸術や、それらは現実に対する憂さ晴らしでやっているように見えるかもしれないけど、これらは神を求める欲求の現れである。みんな、知らずして神を求めている。ここで神というと語弊が生じるから、言い直すと、永遠なる歓喜を求めている。しかし、歓喜の正体をよく考えてみないため、外側にそれを求めるから、上の群を求めることになってしまう。彼らの欲求の出発点は神を求めるところから来ている。人はいつだって幸福を探す旅人であり、幸福を求めずにはいられない。神を求めようとする人間の本能がそれをさせている。本能が行き先を間違ってしまっているだけだ。しかし、神は主体であって客体ではない。われわれ自身が神なのである。

『すべての存在は苦痛に満ちている。彼らは苦痛のなかにいるから、快楽のなかに解放を探している。彼らが想像しうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。苦痛からの一時的な解放を快楽と呼ぶ。幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して私達は空中に城を築く』スリ・ユクテスワ

これもスリ・ユクテスワ先生の言葉だが、確かに、誰のどこを見ても、みんな苦痛の中にいるような気がする。どれだけ能天気に見える人でも、苦痛の中にいるように見える。俺も、まだ抜け出せていない。

俺は、勝手なことを言わせてもらうなら、瞑想も、霊的修行も、必要ないと思う。何もしなくても、人は幸せになれると思っている。絶え間なく、瞬間、瞬間に、ずっと流れている、新鮮な、何かが、心の中にある。俺はいつも注意深くそこだけを見ていて、俺の修行なんてものは、それをやっているだけだ。一つ願望があるのなら、ここに取り込まれてしまいたい、ということだけだ。

「みんな感性を鍛えようっていうけど、感性なんて鍛えられるわけがないじゃないか、瞬間的にバッと浮かぶんだから」と岡本太郎が言っていたし、モーツァルトも、「完成された楽曲がどこからともなく流れ込んできて、自分では指一本触れることはできない」と言っていた。

そういえば、プロフェッショナル仕事の流儀で、とあるデザイナーが言った言葉が忘れられない。

「瞬間、瞬間的に、何度も頭の中を高速リセットして、リセットし続けて、そんな中でパッと絵が浮かぶことがあって、でも、浮かんだ後も、リセットし続けて、どうしてもリセットし続けても消えない絵が空中に残るまで、リセットし続けている」

なぜこんなにも、知識人やインテリってのは、小智小才が幅を利かすのか。 少なくとも神を表現しない主義主張には興味は無い。せいぜい彼らは、社会を斜めに見るスタンスがお気に入りらしく、行儀良く椅子に座って話す姿よりも、ちょっと角度を作って座って、呪術廻戦の五条先生みたいに、少しひねた部分があったほうがかっこいいという、美意識が入り込んでいる中二病の集まりでしかない。彼らは俺の文章はおろか、ヨガナンダ先生の著作ですら、「綺麗事」と一蹴し、地球を初めて見る感動を忘れ、斜めの、エッジの効いた社会風刺がお気に召しらしい。そしてそれを民衆は求める。もっと素直に愛に生きたらいいのに。だから、YouTubeもまったく見ない。新鮮な歓喜しか見ない。マシなのはハースストーンの動画くらいである。愛だの宇宙だの言っているスピリチュアルの動画もブログも全部ダメである。それらはすべて教条主義的神学の垢に塗れていて、新鮮さを失ってしまっている。

だから、恋はするが、人間の女と結婚するよりも、神との結婚の方が急務だということは、ゆめゆめ忘れないでおこうと思う。

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