俺はとてもゲーム好きで、ゲーム好きといってもRPGしかやらないけど、そのRPGすら最近はやらなくなってしまった。ここ5年くらいはやっていない。ゼノブレイド3などは気になっているものの、どうも手が出せない。これは加齢によるものかと思っていたけど、どうもそればかりではないらしい。クロノトリガーや昔のFFやドラクエなどのリメイク版をスマホでやったりするも、どうもPS5などの大作RPGは渋ってしまう。←PS5持ってないけどね(笑)小さい頃はゲームしかやっていなかったのに。人生でいちばん楽しかった時間は、小学校5年の時にFF7をプレイした時だった。
さて、ここ10年くらい、新作のRPGがつまらないのはなぜか? これはもう、ずっと前から答えは出ている。3Dだからである。
FF16も、ウワサの敏腕プロデューサーが指揮をとることになったから期待していたが、こんなことになってしまったのは、やはり3Dだからだと思った。フィールド、街、ダンジョン、戦闘も、全て3Dにしている。3DのRPGで名作というのはほとんどないのだ。例外は、ゼノブレイドとキングダムハーツくらいだろう。ゼノブレイドはそのゲームの肝をマップ探索に置いているし、キングダムハーツはアクションに置いている。どちらも、FFやドラクエ、テイルズのような中世騎士道ファンタジーの王道RPGとは言い難い。
さて、さっきから3D、3Dと言っているが、これには語弊がある。3Dには、完全3Dと擬似3Dがあり、筆者が言っている3Dとは完全3Dのことで、完全3Dは悪くて、擬似3Dは良い、ということを、今回の記事で言いたいのである。
一昔前、10〜15年前は、擬似3DのRPGばかりだった。FF10、テイルズオブヴェズペリア、テイルズオブグレイシス、この辺りの作品をプレイしたことがある人は、これらのRPGを3Dと思い浮かべるだろうか? 一見3Dに見えるかもしれない。でも2Dなのだ。3Dに見せかけているに過ぎない。テイルズの戦闘に関しては3Dだけどね。およそ中期以降のテイルズは、擬似3Dだった。テイルズ全盛期は、戦闘の面白さも相まって、ドラクエやFFを食ってしまうのではないかと畏怖されるほどだった。
当時のRPGは、2Dをいろんな角度から視点を持ってこさせて、3Dに見せかけていた。FF7、8、9、10も、すべて擬似3D。やはり面白い時期のRPGはすべて擬似3D。簡単にいうと、視点は入り組んでいるけど、カメラは動かせない。
固定マップだと、単に見せかけの絵にすぎないから、一枚絵としての美しさがある。作り手は、機能性を無視して、360度どこから見ても粗が映らないようにと無理して作らなくて済み、パッと目に入ってくる美しさだけに注力すればいいことになる。プレイヤーにとっても、パッと移動して終わりなのに、印象に残る絵として残り続ける。
どうやらRPGというのものは、どの村、どのダンジョンも、マップごとに、一方向から見た、いちばん美しい角度というものが存在していて、その角度はデザイナーから強制指定されることが望ましいようだ。FF10のマップなどは、俯瞰型だったり、見上げるマップだったり、マップの移動ごとに、角度が変わって楽しかった。キャラクターが豆粒みたいに小さくなったり、次のマップではドアップになって画面の半分を占めていたり、それはダイナミックな変節で、開発者の遊び心がよく伝わってきた。
↑唯一無二の角度。誰もが覚えている構図だろう。この角度のまま歩けるところにオリジナル版のFF7の良さがあった。
完全3Dマップだと、縦横無尽に自由にカメラを動かして歩き回ることはできるけれど、そのせいで、中心視点は常に固定される。キャラクターが大きくなったり小さくなったりせず、ダイナミックな構図の一枚絵の中を移動するということはない。そのため、印象に残る角度というものを作り出せない。一見自由に見えて、実は制限されているのだ。例えば、FF7の教会といえば、オリジナル版は以下のような感じになるが、
リメイク版だと、隅から隅まで教会を作り出してしまったことで、その教会らしさが失われてしまった。
いや、教会らしいといえば教会らしいけど、もし、オリジナル版の教会のイメージがプレイヤーの頭の中になかったら、特に印象を覚えずに通り過ぎてしまったのではないか?
↑上の三点の画像は、どれも同じ立ち位置だろう。どこのマップでも、ずっとこの角度でぐるぐるカメラが回るだけだから、むしろ制限されてるじゃんと思ってしまう。
どんなに完成形を作り出したとしても、たった一枚の説得力のある角度の方がずっと記憶に残るのだ。
少し前、松ちゃんと庵野監督の対談があったけれども、二人とも、角度が重要と言っていた。松ちゃんも大喜利において角度がいちばん重要になると言っていて、庵野監督も映画は角度が重要、視点をどう切り替えるか、角度がいちばん大事としきりに言っていた。
ゲームも角度だし、文章も角度だと思う。
FF16がなぜ駄作なのか、角度の一点から論ずる角度を持った記事は、ここでしか話されないだろう。事実、FF7〜10はみんな大好きなFFで、それ以後のFFは軒並み失敗作と言われるようになったではないか! それは「角度」が理由であることはここでしっかり論じたい。
小説と一緒で、印象に残る部分だけ、性格のいちばん強い角度だけ残して、さっさと次に行ったらいいのだ。全てを書き込んでしまうと(作り込んでしまうと)、教会一つであちこち動き回らなくなる。そして裏側に宝箱があったりするから余計に面倒臭い。全てを作り込むことがベースになっているせいで、当然、教会も村人の一室もありとあらゆるところまで作り込まないと世界観が保たれなくなってしまう。だから臭い物に蓋をするように、見られなければ問題ないと言わんばかりに、街のほとんどは鍵がかかっていて入れない家ばかりである。昔のドラクエは、どの家も入れたのに! これだけ広大に精細に作られた街に、村人が全然いないなんてことは不自然だから、村人もたくさん置かれることになる。間に合わせに用意されたキャラだから、話しかけてもくだらないことしか言わない。ビールがうまいとかしか言わない。そんなのが一つの街に200人くらいいる。そんなのにAボタンを押して話しかけるのも面倒で、とにかくずっと面倒臭い。これが面白さが損なわれる最大の理由だ。
その点、FF7〜10のFFは、マップの切り替わりごとに、さまざまに視点が移って面白い。これはカメラの制約を受けないためである。しかし、最近のRPGのような完全3Dマップだと、カメラを動かせることによって、そのカメラを持った立ち位置による視点に固定されてしまう。例えマップ上にいろんなギミックがあったとしても、景観という意味では、差別化を図ることが難しくなってくる。
↑室内に入るとズームアップに固定され、
↑完全に真横になっていることもある。このようなドンキーコングのような角度の切り替わりは、最新のRPGには見られない。ビサイド島のこのマップの、歩くごとにカメラが追尾して上図のように真横に切り替わる流れが、とても好きである。これは開発陣によって最も望ましい角度を指定されることによって生じる。単に主軸のカメラをグルグル変化させるチンケなものではなく、画面全体を利用したダイナミックでアクロバティックな変転である。
カメラにも良い悪いがある。例えば、最近のドラクエの4、5、6のスマホ版をやった人がここにどれだけいるかはわからないが、あのドラクエだって、カメラグルグル動かせるじゃんか! と言うかもしれない。あれは、俯瞰型だからいいのだ。もともと俯瞰型だったゲームが、ちょっとグルグル回せるだけになっただけであり、大したメリットでもデメリットとも言えない。十分メリットの方が大きいだろう。これが、主人公の等身大のカメラ視点で、世界に放り投げられると、やはりストレスになるのである。
ドラクエの4、5、6のスマホ版をプレイしている時だって、ああ、3Dだなぁ。3Dのドラクエだなぁなんて思わなかっただろう。ドラクエ11はその点、3Dのドラクエをやっている気分になったはずだ。ドラクエの4、5、6のリメイクは2Dみたいなものだ。2Dのメリットを維持したまま3Dにすることができた。しかし、リメイクされたどんなRPGでも、オリジナルを超えたものは一つもない。ドラクエ3のスーファミ版などは、あれはリメイクというより、あるべき完全な姿になったというほうが正しいだろう。初期のドラクエがスマホ版にリメイクされているけれども、それらも同じである。ゲームの根本はなんら変わっておらず、ただグラフィックを一新させただけだからである。
RPGは、完全3Dになると意外にも陳腐になってしまう。どうしても粗が見えてしまい、そのハリボテ感を隠すために、多大な時間とコストを開発陣は費やすことになる。あの名作のFF7をリメイクしたが、オリジナルと比べると雲泥の差がある。ビジュアル、戦闘、全ての点でスケールアップしたように一見見えるが、RPGの生命は他にあるようだ。では、RPGの生命はどこにあるかというと、これは筆者の中では、ずっと前から答えが出ているのだが、2Dと3Dの中間にある。
ここで、2Dというと、平面マップを思い浮かべるかもしれないが、そうではない。今のゲームよりも、初期のドラクエやFFの方がずっと面白いのは確かだが、これから発売されるRPGが、あのクオリティでは困ってしまうだろう。さすがにドラマ性を訴える上で心許ない。しかし、FF10ではどうだろう? 個人的にはすべてのRPGの中で、FF10がいちばん名作だと思っている。これだって、一見3Dっぽいけど3Dでない。3Dに見せかけた2Dの、一枚絵の中を旅するようになっている。およそ、今の時代、これから発売される新作のRPGがあれくらいのクオリティなら(HD版の話ね)、まぁ、問題ないだろう。そして恐ろしいことに、FF10は2年ほどで作ってしまったらしい。ゼルダのブレスオブザワイルドも、確か2年くらいで作ってしまったらしいが、やはりゲームというものは、短期間で作られたものの方がデキがいいことが多いらしい。これはゲームに限らず、小説や漫画、すべてに言えることだが。
これは決して筆者の心の中だけに感じることではない。カメラ云々は人間が個人で感じる体性感覚の範囲になるので、ここに大きな違いはないと思われる。プレイヤーの誰もがカメラに困らされているのに、誰も気づけずにいる。原因はカメラにあるのだ。売り上げが証明している。10以降のFFは完全3Dになって以来、評価がガタ落ちではないか。境目にメスを入れて研究してみればカメラが原因だとわかることだ。その他のゲームも、ことRPGにおいては、フル3Dで成功した作品があるだろうか? 唯一ドラクエ11くらいじゃないだろうか。アクションゲームならいい、三國無双、モンスターハンター、FPS、あれらは3Dでなければダメだろう。しかし、RPGにおいてはダメだ。RPGの色気を失わせてしまう。
じっさい、RPGにおける雛形は、FF10で完成されていたと思われる。それ以上を求めておかしくなってしまった。もっと言えば、FF9で完成されていた。FF10はFF9が綺麗になって声がついただけである。見せ方における構造は変わらない。
3Dによるマップ移動とストーリーの弊害について
なぜここまで角度の話に終始するかと言うと、角度さえちゃんとすれば、ストーリーも、戦闘も、RPGの他のすべての問題も、同時に解決されるからである。今のゲームのクソゲーの理由は、3Dの角度のせいでストーリーを畳められないことにある。FF10-2でさえ、駄作でありながらも、ちゃんとストーリーを畳められた。それは角度が正しかったからである。
最近のRPGで、ちゃんとストーリーが始まって終わった作品があるだろうか? まず、絶対的に長さが足りていない。どれもこれもブツ切れのストーリーばかりである。ロールプレイングゲームは、主人公が仲間たちとファンタジー世界を旅するのを擬似体験すること、つまり旅を楽しむことが一番最大のメリットなのに、最近のRPGは、それを演出だけで済ませてしまうから、旅している感覚が薄くなってしまう。
FF7、8、9、10なんかはライトノベル数冊分は読んだ気分になれたし、テイルズオブヴェスペリアのあの話の長いこと、長いこと。ラスボスを倒したと思ったら、またもう一匹変なラスボスが出てきて、ストーリーを追うだけで60時間ぐらいかかる。擬似3Dだと、ゲームの文体が小さくまとまるから、長い話を作ることができるのである。完全3Dだと、ゲームの骨格が大きすぎてしまって、それに沿ってストーリーを作ろうとすると、間延びしてしまって、とてもじゃないけど開発側もプレイヤー側も、ついていけなくなる。
なぜ最近のRPGの話が短いというと、ゲーム自体の骨格が大き過ぎるあまり、ストーリーをはしょらずにはいられなくなるのだ。完全フル3Dにしてしまうと、どこにも手を抜けなくなってしまう。その視覚上の完全を守るために、ゲーム全体が間延びをして、プレイ時間の割には、ストーリーがなかなか進まない。ストーリー自体はムービーで進行されるが、開発陣もさすがにムービーゲームになってしまっていることに危機感を覚えるらしく、ムービーを減らそうとする。「これではゲームではない、無駄なムービーを省こう」と言って、みんなで話し合って選りすぐりのムービーだけを残して、我々プレーヤーは、その厳選されたムービーだけを見せられて進むことになる。 だから最近のゲームは面白いつまらない以前に、ストーリーがよくわからなかったと言われることが多い。骨子だけのムービーだけになるから、情報が削ぎ落とされ過ぎてしまうのだ。それは、容量制限のためにムービーを絞ったのではなく、ゲーム性を維持するために絞ったものだから、なかなか救いようがない。マップ移動してムービー、マップ移動してイベント。マップtoマップで断片的なシーンの詰め合わせになっており、例えば、FF7、8、9に見られるような、プレイしながら小気味のいいセリフやイベントによって物語が進行されることはない。昔のゲームは骨格自体が小さいから(つまりセリフの応酬だけでいいから)それで間に合うのだが、大きな骨格に合わせてストーリーが進むとなると、ムービーを合間に入れるしかなくなる。でも、ムービーばかりになるとゲームじゃなくなってくるから、そのムービーも少なくする必要が出てくる。そのためゲームのストーリーが短くなる、というロジックだ。プレイ時間的にも、コスト的にも、3D世界のリアリティを保った上で、一から十まで、ストーリーを作ろうとすると、体力がもたなくなる。それは開発陣、プレイヤー、共に。FF7のオリジナル版とリメイク版を比較してみればわかることだろう。オリジナル版では、サッと通り過ぎていったイベントを、リメイク版はこれでもか、と、長丁場に展開される。完全3Dだと、その息遣いを保つために、ちょっとしたイベントにも、ある程度の長さを要求されてしまう。そのためムービーは多いが、全体のストーリーは短くならざるを得ない。
そういえば、FF8だが、FF8が失敗作と言われて久しいが、今の視点から見れば、なかなかの成功作に思える。ストーリーがちゃんと完結されている点だけを見ても及第以上だ。ゲーム全体に色気もあった。少なくとも、ちゃんと言いたいことや伝えたいことが、パッケージングされて発売されている。それが、いまのRPGにはできないのだ……。今の技術でFF8を作ろうとすると、FF8でさえ分割商法をせねばならなくなってくるだろう。FF7だって分割せざるを得なかった。今のゲームはほとんど完成品が出ない。FF13、15も、16も分割品のように感じた。完全3Dだと、作品として完成させることが難しい。つまらない以前の問題なのだ。そういう意味で、3DRPGを完成できたという点で、ドラクエ11は評価されていいと思う。
しかし、ドラクエ11の評価でさえ、個人的には今ひとつである。ナンバリングの中では最低に位置する。ドラクエの街といったら、新しい街に辿り着いて探索するのが楽しいのに、ドラクエ11の街探索はとにかく苦痛だった。一見、街に入ったときも、でかい大聖堂が目に飛び込んできてワクワクするけれども、そこまでいくのに長ったらしいこと。そこまで出会うモブたちが何百人いることか。裏口を探して梯子を見つけるのなんて地獄そのものだった。
街を探索していても何も楽しくないのだ……! 昔のドラクエといったら、フィールドに出て、次の村に行くまでに、この装備で大丈夫だろうか? MPは枯渇しないだろうか? ソワソワしながら一歩一歩あるくのが楽しかったのに、最短歩数を計算し、やっとの思いで、村にたどり着いて、その村の一つ一つにギミックが効いていて楽しいこと。村人全員に話しかけたものだ。村人の数も最小限で、その言葉の一つ一つに意味があった。それに比べると、今のクソゲーは、モブらしいモブがモブっぽいことしか口にしない。しかも、これもやたらでかいマップに違和感なく沿うように置かれていて、村人全員に話しかけないと気が済まないというA型の人間は、とても骨が折れる。
しかし、勘違いしないでほしいことは、今さら、初期のドラクエやFFのクオリティを新製品と持ち出すのは無理があるということだ。持ち出す必要があるのはFF10である。テイルズオブヴェスペリア、テイルズオブグレイシスである。この頃のRPGは完全3Dになる一歩手前で、擬似的に3Dに見せることでごまかしていた。それが功を奏すことになったとは誰が思うだろう。功を奏すどころか、RPG最高の雛形なのだ。カメラがなかったのが良かった。カメラなしにハイクオリティのRPGを作るのが今後の課題と言える。当時は、開発コストもかからず、年にバンバンと新作が出た。あの辺りのRPGがいちばん完璧だった。あの頃のRPGは飛ぶように売れた。今でも、ヴェスペリアはハードが代わるごとに発売され直されている。完全3Dになってからテイルズはダメになった。グレイシス以降のテイルズがダメになってしまったのが何よりの証拠だろう。ダメになったどころか、開発が進まず、新作が出なくなってしまった。以前は年に2作は出ていたのに。
大抵、どこの会社のどこのRPGをとっても、完全3Dに移行する一歩手前の時期が、いちばん面白く、いちばん売れている。そして記憶に残り続けている。あの頃は、開発陣にとっても、制作に手間がかからないらしく、年間に多くのRPGが発売された。その多くが傑作だった。あの頃のRPGに通底していた構造をなぜ紐解き、現在に応用しようとしないのか。おそらく、オープンワールド系のRPGの台頭のせいだろう。あれに毒されてしまった。オープンワールドRPGは好きではなくてあまりプレイしていなから、深くは触れないが、あれはそもそも、筆者はRPGではないと思っている。架空空間で生活しているみたいな、特に、次のイベントを起こすには、ここの地点に行きなさいと、ずっと画面の端っこに、変な矢印みたいなものが浮かんでいて、それを追っていって、特定のポイントに立ったら、イベントが始まるという、なんとも色気がない仕様だ。
そして、オープンワールドのRPGの影響を受けてか、フィールド上でシームレスでモンスターと戦闘することが最近のRPGでは当たり前になってきている。そのため、フィールドは戦闘するための十分な広さが必要になり、ただでさえだだっ広い平原がさらにデカくなる。そのため方向キーを押しっぱなしにするゲームばかりになってしまう。フィールドがデカくて、だだっ広いマップからマップへ移動し、その合間、合間に、ムービーやイベントが割り込まれるというスタイルにならざるを得なくなる。このようなフィールドでの戦闘は、ファンタジー世界を旅している感覚を壊し、アクションパートをやっている気分になる。三国無双のような、アクションゲーム。ギミックやアクションを重きに置いたゼルダのブレスオブザワイルドなどはそれでいいのだけど、これをドラクエやFFでやると、ただ全体を完成させるために開発されたゲームをプレイするだけのゲームになってしまう。そのためFF16は失敗した。3Dだから失敗した。ウワサの敏腕プロデューサーも、3Dの嘘に気づかないあたり、残念と言わざるを得ない。だから、俺は大学4年の時にスクエニにエントリシートを書いたのに、俺を採用しなかったからこんなことになった。ちなみに俺は、大学4年の頃からこれに気づいていた。
おそらく、ゲーム開発陣は全員これに気づいていないと思う。彼らこそ、3Dの迷宮ダンジョンから抜け出せないように見える。およそ作りたいゲームがあっても、時間がかかりすぎて、どうにもならなくなる。FF10(HD版)やヴェスペリアくらいのクオリティであれば、2、3年あれば、一本作れてしまうだろう。新しい方へ、新しい方へ、といかなくても、ちょうどRPGにおける完成系の雛形は、FF10、テイルズオブヴェスペリア、テイルズオブグレイシスに見られているのだから、それを模倣すればいいと思う。