イチローが、「朝起きてその人のことを考えていたら、好きってことじゃないかな」と言っていて、感動したことがある。なまじバットを振っているだけの男から出てきたものとは思えなかった。いや、バットを振り続ける無窮の中から得た言葉と思える。「このイチローの言葉、すごくない?」と、女の子に聞いたら、「朝起きてその人のことを考えていたら好きってことくらい、誰でもわかりそうですけどね」と返されて。俺の一人走りの感動だったかなと思った。やっぱり女の子には敵わない。イチローでさえも、女の子には三球三振だ。
最近は、一種の精神的な塩狩峠を越えて、なんだかずっと心地いい状態が続いている。これまであった粘度の高い不安や迷いが消え去った。山岡鉄舟は、悟りとは「精神的満腹」と言った。別の言葉では、「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」と言った。さすがに、満腹……とは言えず、少々霊水で腹が膨れたかという程度の状態で、満腹とは程遠いが、3週間ほどこの状態が続いている。まぁ、修行者の精神的境地の話を聞かされるほどうんざりするものはないだろうから、この辺にして。どうせそんなことは、俺の文章が光り輝いていれば、それが何よりの証拠になるのだから。
だから、心地いい状態が一日中続いているから、これでいいかなとは思うのだけど、この気持ちと付き合って、この気持ちと結婚して、この気持ちとの繋がりを強固にする以上に大事なことはないと思うけど、タリーズの女の子がずっと気になっている。俺が塩狩峠を越えた途端、タリーズに新人の女の子がやってきた。いや、もう少し前から出くわしていたのだけど、最近になって光り輝いて見えるようになった。これを偶然と捉えるべきか、必然と捉えるべきか。神が差し向けたのか。神はなんて言うだろう?「恋などにかまけていないで、まっすぐに私を求めなさい」と言うだろうか? しかし、神は、私達が思っているような、神らしいものだろうか? 恋愛する者をゴルゴタの丘に縛りつけるだろうか? 教条主義的神学の垢によって毒された目が、神を、畏敬すべき存在としてあらしめてやいないだろうか?
女もまた神なのだ。俺は女から逃げると、神から逃げたような気分を覚える。出会う人には出会うし、起こることは起こる。なんであれ、起こることは起こる。そこから逃げると苦しくなってしまう。女との出会いは、女へのトキメキは、神に用意されたものではないかと思っている。では、「神から逃げるわけにはいかないからあなたのことが好きなんです! 僕と付き合ってください!」この告白はどうだろうか? 宮沢賢治は、そんな宗教的な告白はあってはならない、と言った。
女の子だって声をかけられたら嬉しいと思う。男はもっと女を喜ばしてやったらいい。俺は生活の中で、気になった異性が現れたら、ちゃんと声をかけることを決めた。ここから逃げないことを決めた。恋愛に宗教を求めるつもりはないけど、宗教によって育まれた心は恋愛の助けになるだろう。俺はこれまでどうしても気になった女の子に声をかけられなかった。学校でも、職場でも、ドトールでもタリーズでも。できたのは、街角のナンパとマッチングアプリだけ。匿名性の高い場所でしかできなかった。周りの目を気にして、もう一度会う可能性がある場所では、無理だった。タリーズには毎日行くから、やっぱり恥ずかしい。街のナンパなんてものは大変勇気を要すように見えるが、あんなのはヤケクソになれば誰でもできる。パッと声をかけてパッと退散すればいいんだから、後には何も残らない。あれはただのヤケクソである。真剣に丁寧に関係を育もうとする姿勢とは正反対なのである。
その日は花火大会だった。「今日花火なんですか?「はい」「よかったら一緒に見ませんか?」という言葉が心に浮かんだ。その時はそれがベストだと思った。その前に、「大学生ですか?」「今日も忙しそうですね」などの世間話を挟んだ方がいいのかもしれない。
今の関係は、会うと、会釈したり、微笑んだり、会うなり、こんにちはと言ってくれたり。その「こんにちは」の声やトーンが美しい。いつまでも記憶に残る調子なのだ。目と目が合うと、そこに懸けてみたくなる。そんな目をしている。
(絶対に今日は花火に誘ってやる。絶対に誘ってやるんだ)
しかし、そうやって力むと、ちょっと入り込んでくる、不安。さすがに、ちょっとこの気持ちはまずいと思った。あまり入れ込みすぎると固くなる。
あまり一人の女の子に入れ込みすぎると固くなるから、マッチングアプリをやってみようかと思った。俺は、今日はその子を花火に誘うつもりでタリーズにやってきたのに、コーヒーを飲みながら、ペアーズを2年ぶりにダウンロードして、一生懸命ペアーズをやっていた。画面には、相変わらず、特売セールのように女の顔が並んでいた。確かに、どれもこれも安そうだった。まぁ、出前館の年収150万の男にそう思われほど屈辱的なことはないだろうけど。この光度の淡さはなんだろう? いったいこいつらと会ったところで何が始まるんだろう? 目と目が通じ合って、小宇宙を感じるものに任せたい。ここにすべてがあるような気がする。目と目が通じ合ったところに懸けなければ嘘である。マッチングアプリは嘘だ。やれ環境とか時代とか言っているけれども、マッチングアプリが蔓延るのは、世間に勇気が欠けているためである。とうぜん、意気地なしの始めるものが行き着く先は知れている。飢えと乾きが結婚するようなものだ。
午前11時。夜に花火大会があるから、駐車場は使えず、店内はガラガラ、俺と数人の客しかいなかった。これから花火が上がるという、浮き足だった気分が市内全体に轟いていた。店内も例外ではない。彼女がテーブルを拭きに俺の席の方まで近寄ってきたら、言おうと思っていた。セリフは決めていない。その時に浮かんだことを言おうと思った。
彼女は店内の掃除をしていたが、なかなかこちらに近寄ってこなかった。そのうちに、レジの方に固定されて、接客をするようになってしまった。この日、俺は、13時からマッサージの仕事があったので、残り2時間以内に言い出さねばならなかった。彼女はずっとレジで接客していた。レジにはたくさんのお仲間が4、5人ほど揃っていて、その中に入っていって花火を誘える度胸は、今のところ俺にはなかった。山岡鉄舟ならできるのだろうか? そして、それも迷惑に違いないと思った。お仲間がたくさんいるところで、花火に誘われたら、彼女だって、「ヒューヒュー!」って言われて恥ずかしくなってしまって、手を滑らして客の頭にコーヒーをぶっかけてしまうかもしれない。そう、相手のためでもあった。
彼女が男スタッフと話しているところを見ると嫉妬してしまう。なぜかわからないけどイケメンが多いんだ、このタリーズは。そして、美人は彼女しかいない。だから入れ食い状態となる。そして俺は出前館だし、顔も真っ黒に日焼けしていて、普通に考えたら、勝ち目などないが、しかも、そもそも彼氏もいるかもしれないし、結婚しているかもしれない。年がよくわからないのだ。大学生にはさすがに見えないけど、24〜32くらいっぽいとしか言えない。マスクをしているから余計にわからない。いつも、11時ごろに出勤してくることを考えると、午前中は子供の世話をしているのかもしれない。それとも11時まで寝ているのか?
俺はもう、俺の中のもう一人の自分が、指し示す言葉しか聞かない。今だって、その言葉だけを聞いて文章を書いている。人と会っても、誰と話しても、ただ、胸中の光の如く湧き出てくる言葉しか喋らない。これまでの修行のすべてはこのためだった。もはやつまらない小我の如く煩悩の声は無視して、これが自分だろうという声だけを拾って話している。と、その声が、行けって言ってる。彼女と花火を見たいんだろう? 彼女の浴衣が見たいだろう? 花火に誘え!!!!! と、ずーっと言っている。この声から逃げると苦しくなる。言っちゃ悪いが、自分が苦しまないためでもあるのだ。いつも、その声を、隅に追いやってきたけど、その声と今は深く結びついてきてしまったから、もう逃げられなくなっている。「しょうがないよ、こればっかりは」「さすがに、店員ナンパはね」という、これまで存在感が強かった声は、その声の前にかき消されてしまう。
塩狩峠をこえて、店員の女の子をナンパできる強さを手に入れた。今はできる気がする。たとえ誘って断られたとしても、どうでもいいと思っている。明日からも普通にタリーズに行って、「こんにちは」と言うことができる。キッチン裏で、「ねぇあいつ、○○ちゃんを花火に誘ったらしいよ」「まじ?」「あの毎日くるやつっしょ?」「すげー肌真っ黒。底辺層のそれじゃん。よく花火なんて誘えっよなぁ」「てめぇが花火の燃え屑じゃんなぁ?」「コーヒー豆と間違えて焙煎しそうになっちまうわ」「フライヤーの下からゴキブリ出たかと思った」そんな声もまったく気にならない。
人は、自分だけでは自分になれない。男と女は二人で一つである。共に支え合って生きるのだ。それが必ずしも、愛だの、恋だの、結婚など、ということは関係ない。男と女はぶつけ合って溶け合うことで、初めて己の中に自分を発見できるのだ。自分では自分を発見できない。そのために異性がいる。
男がイカ臭い孤城で作り上げた、夢見心地の、都合のいい、乳首を60分舐めてもらいたいとか、エロゲーのような都合のいい世界は、現実の女の前に崩れ去る。現実と理想の恋は、どちらが素晴らしいものか、俺はまだ知らない。そもそも、気になっている異性に声をかけずに済まそうなんて、そんな男が書いた文章なんて読みたいだろうか? 俺は花火に誘って、告って、付き合って、セックスするんだ! 絶対にセックスする! はやくセックスしてぇーーー! そしていっぱい記事に書いてやる!!!
と、もう一人の俺が言っている。
男と女は
なんで俺がこんなに男と女について話すか不思議に思っているかもしれないが、いちばん大事な課題だからである。しまるこは37歳なのに恋愛脳でしょうがないでしゅね〜、HENTAIさんでしゅねぇ〜って思うかもしれないが、もともと、男と女は、二人で一つである。欠けた半ピースとして、それぞれこの世に送られてきている。地球のどこかに、必ずもう一人の自分がいる。だから男と女というのは、切っても切れない縁というか、さっさと離婚すればいいのにと思われる夫婦でも、離れないのはそのためである。異性の謎を解くことは、自分を知るための最大の課題である。
男と女は、むしろ傷つけ合うようにできている。もし相手が自分を傷つけてくれないのであれば、それは運命の出会いとは言えないだろう。人は異性によってつけられたその傷を通してでしか成長できない。だから、じっさいのところ、恋愛ってのはそれほどいいものじゃない。劇薬だ。だから、萌えアニメやエロゲーも真実ではない。ディズニーで変な機械に乗ってるのも真実ではない。セックスも真実じゃない。男と女は、恋愛と結婚とか、そんなものを越えている。運命の出会いってのは、そんなものを越えている。
そう、この通り、男はロマンチストで、女は現実的だ。いつも男が耽ってしまいがちの、あの薄気味悪い幻想から呼び覚ましてくれる。気つけ薬みたいなものだ。人は、夢を持たなければならないが、現実から逃げてもいけない。この問題から逃げている人間は、自分を完成させられないばかりではなく、誰も愛せるようにならない。自分に課せられた仕事だって果たせないし、表現者なら表現だって満足にできない。
自分にはそんな相手はいないよ?って思ってる人もいるかもしれないけど、そう思っている人は、出会っているのに気づいていないだけだろう。あるいは、自分の道を歩み始めると、必ず出会うようになっている。自分の道を歩き始めるところから、始めないといけない。永遠の愛、たった一人に捧げる愛を、約束することも違う。その人に対してやらなければならない行動や言葉があるだけだ。神がそれを用意する。ここから逃げようとすると、苦しむことになる。死とほとんど変わらない苦しみだ。
求めるということ
求めるということは、偉大だろうか? 愛だろうか? 恋だろうか? 求めようとすればできるし、求めようとしないこともできる。
求めようとすれば期待によって不安が起こるし、求めようとしなければ、自分が保たれる。求めずして恋をする、ということは可能なのだろうか?
自分が自然体に生きている中で起こることなのか、無理をしなければならないのか。
一人で満ち足りていることもできるし、
さいきんは、文章を書くとき、何も考えちゃいない。人と話す時も何も考えちゃいない。将来のことも、何も考えちゃいない。まったく目標だとかそういったものを捨ててしまった。でも一応、朝は5時には目が覚めてしまって。玄米と玄麦(麦じゃなくて玄麦)ご飯の一日一食生活をしているせいか、朝の5時には綺麗さっぱり目が覚めてしまって、それ以上は寝られない。
じゃあ何をするかと言ったら、カフェに行きたいけど、そんな時間にカフェなどやっていないから、こうして部屋で文章を書いている。ただ、起きて、書いて、カフェに行って、出前館やって、食って、寝る、だけだ。これがどこにつながるかもわからない。導かれているのかもわからない。だけれども、それですべてが満ち足りている。しかし、恋というのは危険なものである。ここから一歩外に踏み出さなければならない。あるいは、この一人で満ち足りている状態のときに、誰かがやってきて、誰かと話すということ、それが愛なのか、恋なのか、家族にはそうやっている。それで家族とは素晴らしい関係を築けている。自分が満ち足りていて、自分の持ち前の光を分け与えるなどということが、愛なのか、恋なのか、それとも、やぶれかぶれに特攻すべきか。それについてはいまだに答えが出ない。
しかし、恋愛に限っていえば、いつだって悪い方の予感が当たるんだよな。思いがけない拾い物で、付き合ったりセックスしたことはあったけど、自分の希望通りにいった試しは一度もない。だから、なんとなくだけど、シングルマザーなんじゃないかな?って思ったりする。あの落ち着きよう、有り様が。
恋とは何か、春風のようなものか、打ち上げ花火のようなものか。俺の心の中に、春風にのった花火が上がっている。
恋愛とは、いちばん危険な行為だと思う。
13時になった。彼女はずっとレジで接客をしていた。一歩もカウンターから出なかった。マンツーマンで話せる状況を祈っていたけれども、神は味方してくれなかった。これはつまり、自分のできることは全部やるところまでやらないと、神は味方してくれないってことか? やっぱり手抜きがバレたか。手抜き? レジのお仲間がたくさんいるところに突っ込めと? やることはやったじゃねーか。俺は頑張ったんだ。初めて、カフェの女の子をナンパしようと、覚悟を決めて、本気で声をかけるつもりでいた。なのに、神は味方してくれなかった。はは、厳しすぎるぜ神様。さすがにレジに特攻は無理だって。でも、ただ座って待ってたんじゃあダメだったってか。彼女がテーブルを拭きにくるまで待ってたんじゃあダメだった、ですか。タリーズの客の目をごまかせても、読者の目をごまかせても、神の目はごまかせないってか。まぁ、こんなことになるだろうとは思っていたけどな。さて、ババアのマッサージに行くぜ。