月に60000円で生きる上級ミニマリストの節約術 ブログ・文章論

物書きは托鉢僧。スジャータの粥を食べて生きていけばいい。

小説投稿サイトに行くと、やれ誰が一次審査に通ったとか、落ちたとか、そんな話が飛び交い、いまだに古い形式がまかり通っている。賞に受かるためにどうすればいいか、これでは賞に受からないと、賞のために小説を書いている輩が多い。そして賞に受からないと、落胆し、断筆してしまう。そのまま素直にサイトから退場すればいいが、そうもならず、サイトに巣食う地縛霊と化し、他の投稿者の作品に罵詈雑言を浴びせ、筆を折らせ、一緒に地獄に引きずり下ろそうとする。そして何十本の折れた筆がぐちゃぐちゃな線を交錯し続ける……。それが小説投稿サイトである。

伝言板はこの話題で持ちきりで、彼らは小説を書くことはなく、今後、小説はどうなるのか、小説の未来について、 そればかり書いている。

「しまるこさんはプロブロガー? らしいですけど、儲かりまっか? わいもブログやろうかと思うてんけど、いまさらでんがな? 最近はYouTubeも障壁が高くなってしもうてるみたいで、YouTubeもスシローペロペロみたいな、ショート動画で気を引くような動画ばっか蔓延ってまんなぁ(笑) まったく、わいら物書きにとって世知辛い世の中になりましたなぁ! 唯一ネットで読まれるものといえば、なろう系やけど、あれもなぁ? あんな下手くそでええなら、わいでもいけそうな気がするけど、今さら参入したところで間に合うと思わへんし、まったく物書きが苦労する時代に生まれたもんですわなぁ! ほんま、わいら物を書く以外に取り柄のない人間はどうしろっちゅう話ですわぁ! しまるこさん! 暑いけど、まぁがんばってこーや! まぁ、世知辛い世の中やけど、冷蔵庫かぶってボチボチ涼んでやってきましょう〜🎵 ほんならご健筆を〜🎵」

伝言板にて投稿仲間から声をかけられた。

小生は以下のように答えた。

「ホイコーローさん、いつもお世話になってます。そうですね。確かにホイコーローさんのおっしゃる通り、世知辛いところはあるかもしれません。現在は過渡期にあると思います。もう賞を取ってどうのこうのという時代は終わったと考えていいでしょう。小説は読まれません。みんなアニメばかり見てますから。アニメの女の甲高い声でセリフを読んでもらう以外は、もはや数行の活字すら頭に入らず、寝る前にママに絵本を読んでもらうみたいにアニメを見ています。唯一読まれるものは、ホリエモンやメンタリスト何とかなど、いわゆる、ビジネス本だったり、自己啓発本、直接ノウハウとして自分の生活に役立つものぐらいでしょうか。私の近所の本屋ももれなく潰れていっています。

私の5年間のブログ活動の経験からホイコーローさんに言えることは、そうそう悪いもんじゃないということです。読んでくれる人はいますよ。それは、これまでと違った形で、商品というより、自分を売る、という方が正しいかもしれません。

オンラインプラットフォームのnoteというものをご存知かわかりませんが、あれにはサポート機能があり、一回うん百円やら5000円やら、作者に対してお金を投げ入れる機能があります。投げ銭というやつですね。この寄付金のような制度のもの、神社のお賽銭やホームレスに味噌汁を配るような制度は、今後エンタメ業界の柱になってくるのではないかと思います。しかし、これは人情風俗を観察していると、作品が面白かったから投げ入れているというよりも、その作者が好きだからという理由が大きそうです。また、このシステムだと単発的過ぎるきらいがあって、あんがい安定した収益は見込めず、今後は見直されてくるのではないかと思います。

企業のやり口を見てみますと、NetflixやYouTube、Kindle Unlimited、Amazonオーディブル、基本的に、動画にしろ、漫画にしろ、アニメにしろ、本にしろ、月額制サービスを提供するのが企業のやり口です。消費者にとってもその方が助かるし、これらの企業がやっていることがそのまま個人にも移ってくるのではないかと思うのです。つまり、その人に月額500円ぐらい払って、クリエーターは収益を得ていく時代になってくるのではないかなということです。もはや広告費どうのこうのという時代も終わっていますし。

ホイコーローさんがホイコーローさん自身のプラットフォームで、自作の小説でもエッセイでもいいし、何か書いたものを投下していくにあたって、いくらかファンが出てくるとします。一人500円だとして、ネット人口一億人の中で、せいぜい300人が身銭を切ってくれれば、15万円の収益となります。15万あれば生活も成り立つでしょう(笑)物書きにとって、書籍代と執筆する環境代さえ整えば、あとの買い物はおまけみたいなものということに異論はないでしょうから、15万で十分ということになります。

他にたくさんの作家がいるけど、ホイコーローさんじゃなければダメだ!という読者を300人集めればいいだけです。集められないというなら、自身の深掘がまだ不足していると言わざるを得ないでしょう。希望的観測に聞こえるかもしれませんが、自分の方で広め歩かなくても、読者の方が広めてくれるでしょう。誰だって何かを見たり読んだりして感動したときは、人に言わずにいられませんから。そうやって、隣人から隣人へ。自分で宣伝するよりよっぽど信憑性があります。

私の言っていることは、オンラインサロンのこと? と思うかもしれません。まぁ、オンラインサロンとは違うんですよ。あれはいつだって利害が先行している。金をもらっている以上はなんとかしないとと言って、毎日更新に追われ、間に合わせのコンテンツの提供に疲弊し、君を幹部にしてあげよう。そうではなくて、ホイコーローさんにお金をあげたいからあげる。ホイコーローさんはそれを受け取るということです。

ブログ活動を通じて思うことは、一つのコミュニティができ上がっているな、ということです。私は私の城の長であり、村の村長であり、望む望まなくても、輪が発生する。活動を通じて、いろんなことがありましたよ。二ヶ月間更新が途絶えても毎日覗きにやってきてくれる方、私を儲けさせようとF Xの話をもちかけてくれた方、5000円ポンと放り込んでくれる方、2、3県外から会いに来てくれた方、私に何かあったらなんでもすると言ってくれる方、告白されたり、素敵な女の子だって会いに来てくれましたよ。それは私の記事が面白いというより、私自身に魅力を感じてくれたからにすぎません。

何か難しい賞を取って、M-1グランプリのように、大きな注目を浴びなければ、作家としての人生が始まらないと、芸人や作家の卵は考えているらしいですが、果たしてそうでしょうか? どうせそうやって、そんな注目で集まった輩なんてものは、一過性のものに過ぎず、それに加え、人々はお金を払うことに対してケチになっているので、その財布を紐解くには、どちらかというと、ホイコーローさんの人柄の部分が大きく関わってくると思います。この人にだったらお金を払いたい、月に500円払うことは惜しくない。せいぜい、ネットに転がってる文章屋で、毎月500円払いたいと思える人なんて、一人や二人ではないでしょうか。300人にとっての一人や二人になること、それが、これからの時代において必要になってくると考えます。それは友達かもしれません。ホイコーローさんが何者でもなくても、ホイコーローさんの近くにいてくれる友達のように。

これからは評価経済の時代になり、成果物に対する報酬よりも、善意による寄付金に代わってくると考えます。これは私の願望ではなくて、社会の推移を見ていて思うところです。コミュニティ単位、村単位、差し出す者と受け取る者、ネット上では、狭く小さなコミュニティが乱立する世の中になると思います。YouTubeのチャンネル登録者のシステムも、まぁ、そういうことでしょう。我々が、学校や社会で、決まった人と決まった時間を過ごすように、それがネット上でも行われるのではないでしょうか。私もネットじゃ、決まった人のブログに行って、決まった人としか話をしません。みんな、そんなものではないでしょうか。これだけ語っている私は、月に500円払ってくれる人などいませんが(笑)私がまったくそれを求めていないこともあるのですが、それは全て神に任せております。まぁ、この話を持ち出せば、7人くらいは毎月払ってくれる人がいるかもしれないけど、残りの293人なんて、今後表現を続けていけば、勝手に達するでしょう。今のところやる気もありませんが、私自身は、無目的、無条件に、生命を爆発させる以外に興味はなく、300人の王国など粉々に消し去ってやろうと思ってますけどね!

人は、この人になら毎月500円払いたい、そう思える人に出会いたいと思っているものです。スーパーで安売りされているゴボウよりも、友人が一生懸命作った手作りのきゅうりに払いたい時代じゃないですか。大変ケチな私ですが、唯一気持ちよく金を使えるときはそういうときだけです。このさき経済は愛で回ることになるでしょう。物書きとは托鉢僧、スジャータの粥を食べて生きていけばいいのです。

以前、ホイコーローさんは、『凝りすぎてなく、しかしリズムがよく、句読点の配置も適切な読みやすい文章で、 内容は奇をてらったものでなく、面白く、泣きや笑いを誘う要素もあり、文学的な深みとエンターテイメント的な軽みを両立させていて、 テーマは現代的で、適度に社会的で、多くの人の興味を喚起するもので、 かつ好感の持てる主人公が魅力的な脇役に支えられてピンチを克服したり成長したりする話』を書けば売れるに違いないから、それを目指していると話されてましたが、それは間違いではありません。それができれば売れるでしょう。しかし、私が言いたいのは、自分自身を表現すれば満点だということです。事実、小さな子供たちの絵の展示会の審査員に向かった岡本太郎は、「ぜんいん満点!」と言いました。審査になっちゃいませんが、これ以上の審査があるでしょうか。ただ、自分の言葉で物語を綴ればいいと思います。結果はついてくるでしょう。可愛い彼女もできるでしょう」

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