霊的修行

気づきと恩寵の関係

しまるこ「俺はやっぱりお前が出会い系の女に5万円ぼったくられたのは、あのときにも言ったけど、あれは起きるべくして起こったと思う」

友達「ふーん」

しまるこ「なぜ、いつも注意深く、用意周到で、女の色香に騙されないように気をつけているお前が、初めて会ったアバズレみたいな女に5万円のブレスレットを買ってしまったのか」

友達「うん」

友達が出会い系で5万円ぼったくられちゃった!

しまるこ「やっぱり、因果応報、カルマの法則が働いて、然るべき報いを果たせられたと考えるのが適当だと思う。たぶん、高校時代に万引きにしたときのしわ寄せじゃない? ゲームキューブ万引きしまくってたから」

友達「そのときにしてほしいわ。20年後に報いを受けるとか勘弁してほしいわ(笑)」

しまるこ「過去のあらゆること、うまく行ったこと、いかなかったこと、それらは全て、放たれたピストルの弾のように、決められた線上しか動けなかったっていうね」

友達「それがわかったとして、何になるの? もう何も努力しなくていいってことにならない?」

しまるこ「いや、行動しないってことだけは人間はできない。道を歩いているときに、足をピタッと止めてみてみ、無理だから。なかなかできない」

友達「でも、そのときにピタッと止めることすら、あらかじめ決められていたってことでしょ? お前の理論だと」

しまるこ「結局、いつも、そうやって節目節目に、なんらかの『気づき』があって、それが原因となって動かされているんだよ。この『気づき』はどこからやってくるのかはわからない。でも、いつだって『気づき』によって動かされている。あれをやってみよう、これをやってみよう、その気づきはとあるタイミングで必然的に起こる。でも、その人にはまったくコントロールできない。でも、その人の人生の、そのタイミングでしか与えられるものではなかった。すべての気づきは向こう側でコントロールされていて、それは、気まぐれでも偶然でもなく、一分一秒正しく管理されていて、なんと、それは生まれる前から管理されていて、その気づきが与えられるタイミングを元にして人間は行動していく。道を歩くときピタッと足を止められないように、その気づきからくる行動も抗えられない。そうやって人の人生は進んでいく。自分が決定権があるように見えて、ぜんぶ動かされているんだね。でね、思ったのが、神を信じるっていうのはさ、すべてを受け入れるってことなんだと思ってね。期待したり、祈ったり、お願いしたりするのは、信じているんじゃなくて命令しているのと同じで、ぜんぶ受け入れることが最大の帰依だと思う」

友達「でも、その気づきだって、気づくきっかけがあったわけでしょ? 何か本読んだり、TVを見ていて、深く自分で考えに考えた挙句に、ふわっと出てくるもんじゃん? 何もないところから出てこないでしょ?」

しまるこ「その、本を買おうと思ったのも恩寵だよ。なんとなく気になって手に取ったつもりかもしれないし、パラパラと手にとってめくったたまたま目にしたページを止めて、本屋に入ろうと思ったこともね。目にした一文だろうと、それは間接的に、神のメッセージ、その時、次のステージに行くために、毎回、必ず、こういう仕掛けが用意されている。そこには一才の偶然性はない。らしい。なんと、お前が生まれる前から決まっていた。宇宙が始まった時から、お前はその本屋でそのページの一文を見るということが決まってた。突然これをやってみようと思ったりするのは、それは偶然の皮を被ってやってくるから気づかないけど、すべてが神の恩寵なんだよ。神がこうしなさいって言っている。というより、せざるを得ない。気づかせているのは神だし、行為させているのも神だ。いくら頭の中で悶々を繰り返しても、人間は気づきで行動する。その気づきを与えているのは神で、その気づきによって行動しているのも神。全ては神の一人芝居。想念によって行動することは人間にはない。人間はいつでもそのときの気づきに支配される。想念と気づきを一緒にみなしてしまっているから気づけないんでいるんだけど、明かに、想念と気づきは違うんだよ。どこで何をしていようと、気づきが起こる。そして人間はその気づきによって動かされているだけ。そこに主体性はない。主体はない。自分もない。他人もない。人間もない、全体なんだ。個というものは存在しない。すべてが神の指揮棒によってオーケストラのように奏でられている。みんなそれぞれが気づきによって動かされている。惑星がそれぞれぶつかり合わないように運行をコントロールされているように、 この地上のすべてがそうやって動かされている。らしい」

友達「らしい?(笑) 証拠はあるの?」

しまるこ「うーん、例えばじゃあドラクエは? 堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういち、一人でも欠けていたら、これほど国民的なRPGにはならなかったでしょ。 でもさぁ、こんなことばっかりじゃない? 国民的だったり世界的な価値が生まれる瞬間っていうのは。むしろこういうケースじゃない場合なんて一つもないんだよ。 もしこの三人が出会わなかったらヒヤヒヤする〜! なんて、ドラクエファンは言うけどさ、どうがんばってもこの3人の出会いは覆るものではなかったって思うんだよ」

友達「そうかもね」

しまるこ「そうなってくると、一人一人の運命というよりも、全体で決められている。全体の関係性の中で決められている。主体がないとしたら、全体しかない。すべてはすべてとしてあるだけ。木も石も川も海も動物も人も、どこにも一切の主体はない。なんで人を殺してはならないのって言うのは、あれは広義の意味でいうと自殺だからだね。全体で一つなのに、部分を殺してしまうことになるから。何が自分と他人を分けているのか、本当のところはわからないよね? 区別に値するものがあると思っているから区別しているだけで。タリーズにいって店員に出会って、距離にすれば数メートル離れている。数メートル肉体が離れているから「別」だと感じてしまうけど、別として区別していいのか」

友達「区別していいと思うけど(笑)」

しまるこ「もしタリーズの店員がつまづいて転んで、その痛みが俺に感じられたらどうする? 感じられたら、自分だと思うかもしれないね。でも、「感じられない」としたら「別」だと言えるだろうか?」

友達「言えると思うけど(笑)」

しまるこ「肉体、精神の信号が、実感として伝わってくるから、それを自分だと言って、自分と他人を区別していると思うんだけど、本当にそれは境界線としてのあり方なのか疑問に思ってる」

友達「もう自分と他人の境界がめちゃくちゃになっちゃったらおしまいだね。自己性なんとかパーソナリティ障害になっちゃいそうだけどね」

しまるこ「主体らしいものを自分の中に芽生えさせることによって、個別性があらわれておかしなことになっていっているけど。自分という基準、他人という基準、こうして考えてみると、自分の頭の中には想念が浮かぶけど、他人の頭の中まではわからないから、他人と思ってしまっているけど、そのすべてを一回疑ってみてもいいんじゃないかなぁ? じっさい、他人の頭の中を自分の頭の中のように覗き込める人がいるんだから。さきのドラクエのように、もともと人間は集団で一つとして生まれてくるようにできてるんじゃないかなって気がしてきてるんだよね。この価値観を植え付けたく言っているわけじゃないよ。一回疑ってみてほしいんだよ。本当に自分は存在するのか、他人は存在するのか、そして自分と他人を分ける境界線は本当に存在しているのか。まぁこの問題を考えるにあたって背景に、聖者が相手の心を読めてしまうこと、動物や木の声も聞こえてしまうこともあるんだけど」

友達「少なくとも、俺は他人の頭の中まではわからないからなぁ」

しまるこ「アインシュタインが言っていたんだけど、

『人間とは、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。私たちは自分自身を、思考を、そして感情を、他と切り離されたものとして体験する。意識についてのある種の錯覚である。この錯覚は一種の牢獄で、個人的な欲望や最も近くにいる人々の愛情に私たちを縛りつけるのだ。私たちの務めは、この牢獄から自らを開放することだ。それには、共感の輪を、全ての生き物と自然全体の美しさに広げなければならない。実質的に新しい思考の形を身につけなければ、人類は生き延びることが出来ないだろう。』

『人は、自分だけのために小さな世界を創造する。そして、変化し続ける真の存在の偉大さと比較したら悲しいほどに無意味だというのに、自分を奇跡のように大きく重要であると感じるのだ。自分で掘った穴に潜むモグラのように。』

しかし、これだけのことを言っていても、 アインシュタインは奥さんからは、『彼ほど面倒臭い人はいません』って言われてる」

友達「お前もね」

しまるこ「そう、俺も面倒臭い。おばあちゃん達としか上手くやってけない。大抵の人から面倒臭い人間として思われている。概念を抜けようとしている人間ほど、面倒臭い人間として思われてしまうことは残念なことだね。最も本質の人間になろうとすることが面倒臭くなってしまうんだから」

友達「アインシュタインはあれだけの結果を残したからいいかもしれないけど、ただ面倒臭いだけだと困っちゃうね(笑)」

しまるこ「ね(笑)」

しまるこ「困っちゃう(笑)」

しまるこ「そしてさっきの話に戻るんだけれども、いま気になる文献の言葉があって」

友達「その前に、その話は一体何のためにしてるの?」

しまるこ「お前が出会い系で5万円ぼったくられた事は、起こるして起こったことだから気にする必要はないってことを説明するため」

友達「ふーん」

しまるこ「読み上げるよ?

『行為が起こっているときに、それらがただ起こっていることを観照しているのを、あなたは見いだすでしょう。しばらくすると、何かをしている最中に、何であれ何もやっていないということに、あなたはたまたま気づくでしょう。というのは、あれこれのものごとはただ起こるからです。

思考は外側からあなたの脳に入って来るのです。あなたはあるときはAの道を選び、あるときはBの道を選ぶのです。なぜなら、そのとき思考がやって来て、その選択をするからです。あなたは思考を意図することはできません。何であれ起こることになっていることが、起こるのです。だから、こう言うほうがいいのです。「待って、何が起こるか見てみよう」。脳は自力のない物質です。脳はどんな思考も作り出すことはできません。脳は外から来る思考に反応して、巻き込まれるだけです。もしこれがただすべて起こっているなら、そして私にできることは何もないなら、どうして私が心配すべきなのでしょうか?  人ができることは、ただ自分のやるべきことをやり、何であれ起こるがままにすることです』」

友達「うん」

しまるこ「『待って、何が起こるか見てみよう』とてもいい言葉だね。そう。もし今後、お前が5万のブレスレットを買いそうになったら、待ってみたらいいんだよ。何が起こるか見てみればいいんだよ」

友達「(笑)お前の話を信じるかどうか別として、実はというと、 ネックレスを買うとき、自分の行為を見ている自分がいたよ」

しまるこ「そう?」

友達「そんな感じがあったのは覚えてるよ」

しまるこ「それでも無理だった? 止められなかった?」

友達「うーん、今なら止められる気がするんだけど、そのときは止められなかったね」

しまるこ「やっぱりそういうもんか」

友達「(笑) 」

しまるこ「神を信じようが信じなかろうが、自己を受け渡そうが受け渡さなかろうが、一緒なんだよ。もともとどうしたって神の言うとおりにしかできない。だから、5万のネックレスを買ってしまったことは決められていたことだから仕方なかったんだよ。どう? 心配する必要なんてなかったでしょ? お前がアプリをやったのも、その子とマッチングしたのも、買い物に行ったのも、5万のブレスレットを買ったのも、お前が生まれる前から決まっていたことなんだ。誰よりも思慮深いお前がそんなことをしてしまう。アプリにしたって、出会うべく人間に出会う、結婚する人間はもうあらかじめ決まっている。出会ってしまったら、お前がいくらその相手と結婚したくなくてもすることになる。好きとか、愛とか、自分の時間を大事にしたいとか、色々あるけど、そのときプロポーズする気でデートに行ったわけじゃないのに、プロポーズしてしまうんだよ。そして、向こうも、結婚する気がなかったはずなのに、「はい」って答えてしまうんだよ。なぜなら『本当』は別枠で進行しているから」

友達「なんでそんなまどろっこしいことされなきゃならないの?」

しまるこ「うーん、老子の言葉で言うと、

『優れたリーダーの条件として、第一は、部下から意識されない指導者である

その次は、部下から愛され親しまれる指導者

その次は、部下から恐れられる指導者

最低なのは、部下に馬鹿にされる指導者

指導者が悠然とした態度を示し、 余計なことを口に出さなければ 仕事はうまくいくものだ。 そして、人々は、自分がやるべくしてやったというのである。部下から意識されないのは当然何もしないということではなく、人々が見えないところで恩恵を施したり、トラブルを防いだりして、賞賛もされず、感謝もされない』

というのがあって、それが正しい上司のあり方なんだろうね。 身を持って正しいやり方を示してくれているのかもしれない」

友達「でもそれも概念じゃん(笑)」

しまるこ「そうなんだけど」

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