目に見えないエネルギーや自然界のエネルギーを感じ取るには集中力が必要になってくる。
人との対話でいえば、精神的な立脚点に則り、相手の深層心理にカーソル合わせるという集中力だ。
人間の精神を構成している根源的なパワーに刮目して、精神的なカーソルをしっかり合わせられるかということが重要になってくる。
それが人の気持ちが分かるということだと思う。
どうしても人間は自分の経験や本の知識だったり、何かかじった知識で会話をしようとしてしまう。才能よりも知識で対応しようとする。
問題はその根本的なところにどうやって目を向けてどうやって維持していくかだ。
例えば朝の日差しの景色なんか見るのはみんな好きだと思う。
俺は毎朝5時に起きて海の見える公園に行き太陽を拝むようにしているが、だいたい30分ぐらいが限度だ。
飯を食べずに太陽のエネルギーだけで生きている人は1時間ぐらいはずっと見るらしい。
1時間も太陽凝視するということが俺にはできない。どうしても飽きてしまう。
俺は30分が限界だ。30分でも厳しいという人はほとんどじゃないだろうか。
夕日だったり朝日だったりそんな日差しが強くない太陽ですら30分が限界だ。
瞑想にしてもそうだ。俺はせいぜい30分ぐらいが限界で1時間も2時間もやっていられない。
マザーテレサは朝晩に必ず毎日2時間ずつ祈りをしたとのことだ。シスター達全員でやっていたらしいが。
イエスに至っては1月以上ずっと瞑想していた。
30分なんてバカバカしくて呆れてくる。
何もせずただ30分じっとしてるということがどれほど難しいか。
こんなこともできないのかと思って本当に自分にイライラしてくる。
ただ黙ってじっと座っていたり、ただ黙って太陽をじっと見ていると言ったことが、人間の集中力を底上げしてくるのだと思っている。
太陽の確かに目に見えてるエネルギーもあるけれど目に見えてない不思議なエネルギーが充満している。
それを体の隅々まで栄養として蓄えるというのにもセンスというものがいる。
断食している最中は瞑想にしても太陽凝視にしても普段の倍ぐらいの集中力でできるようになってくる。
断食してとにかく太陽凝視や瞑想の集中力を上げていくしかないだろう。
よく人の話を聞けない人や、人の気持ちがわからなかったり、人を目の前にして相手が何を相手が求めているのか分からない人が多いと思うが、 そういう人はこの目に見えないエネルギーを感知する能力に欠けているのだ。
いつも神が自分の心を通してどうすればいいかを明確に伝えてくれているのに、そのアンテナに対して気を配ろうとしない。
神の意思ではなく自分の意思で行動しようとするから失敗してしまう。
ただ心静かに自分の心を透明にしていれば神の声が聞こえてくるようになる。
俺はまだ修行が浅くはっきりは聞こえてこないが、断食をしたり祈りや瞑想に時間をかけたり、太陽礼拝をすることで神と存在が近づいてくるのがわかる。
多くの人はこの神聖が足りていないから、いつもギャーギャーやかましいのだ。
普段の生活でもうるさいしネット上でもうるさいし黙っていても心の中がうるさいのだ。