どうも俺は昔から手先が不器用で、普通の人ができること、本棚を組み立てるとか、女の子でもできるようなことができなかったり、時間がかかったり、できたとしても不格好だったり、どこか破損したりさせてしまったり。
この前、実家に帰って、歯を磨いていたら、台所の水が詰まってしまって、排水管のポンプをいじっていたら、変な所をすっぽ抜いてしまって、そこから汚水が床にジャージャー流れて、元の位置にはめ直すこともできなくなってしまった。どうやってもつかなくて、けっきょく親が7万だして新しい洗面台を買い換えることになった。「こんなことをするぐらいだったら帰ってくるな」「なんでこんなことするかねぇ? 普通に考えてこんなところ引っこ抜く人いないよ」と呆れられた。
これが自分の所有物だったらいいけど、職場でも結構やってしまっていた。印刷工場で働いていたときは封入封緘マシンをしょっちゅう詰まらせていたし、デイサービス時代もリハビリ機械や会社の備品をよくぶっ壊していた。そのときもよく、「普通に考えてわかるでしょ」と言われた。
普通に考えて、か。こういうのを発達障害やADHDのよくある症状の一つとされているみたいだが、 やったらヤバそうなのを知った上で、やって確かめてみないと気がすまない奇癖もあるから、自分でも対処に困っている。
不器用、これは、たとえばアンパンマンを描けとか、ドラえもんを描けと言われてもなんだかうまく描けないし、いくら絵の勉強しても上手くならないのと関係があるような気がする。手が不器用というより頭の中の絵を出力できないというか、図画工作と言われるように、同じ能力から出発しているように思われる。
中村天風先生も昔から不器用で、軍事探偵時代に敵施設の地図を書いたら文章と間違えられたり、トンカチでネジを打つことすらろくにできなかったと言っていた。天風先生はインドの山奥深く、カリアッパ師のもとで修行していたとき、その修行項目の中に、月を見て描くというものがあって、穴が空くほど月を見させられて、そのあと何も見ずに描いてみるというものをやらされたそうだが、天風先生はちょんと丸を一筆で描いて、カリアッパ師に殴られたらしい。
そんな天風先生も、悟りを開いてから注意力が増していって、後年は美術館の展示されている絵をじっくりよく観察し、家に帰ってそれらの絵をすべて正確に紙に再現して、奥さんをびっくりさせたらしい。天風先生が言うには、これは訓練次第で誰でもできるようになるらしく、天風先生の弟子もできるようになっていたし、手塚治虫や宮崎駿もまったく同じことを言っている。絵は本来そういうふうにして書くもの、写真を見なきゃ何も書けないアシスタントに苦言を呈し、自分の身の回りにあるものはよく観察して頭の中に入れて記憶で書かなければならないと言っている。
今のままじゃ、ずっと不器用なままだろう。しかし、俺も天風先生のように身近なものをしっかり観察して、頭の中で再現できるように、コレは実はヨガナンダ先生も言っている。空海もろくに絵の修業をしていないのに恐ろしいほど上手い絵を描いたと言うし、宮本武蔵のあの有名な鳥の絵は皆の知るところだろう。
どうも精神修行と観察力と図画工作というものは関連があるような気がする。俺はそれによって文章力や運動力を底上げできてきているので、工作云々の方面も底上げできるような気がしてならない。しかし、自分のできることとできないことを明確にして、できることだけやっていた方がいいような気がするし、できないことに目を向けて落ち込んだりしている時間は人生にはないし、自分のできることだけやってればいいとは思うが。しかし、バイクのヘッドライプ交換も失敗したり、台所を壊しちゃうようじゃ、なぁ……。放っておいていいものだとも思えない。しかし注意したとして直るのか? いや、一重に真理を探求する者が普通人にできることができないなんてことはあってはならないと天風先生も言っていたし。俺も本当はこれくらいできるのである。
前回の記事に書いた通り、俺はバイクのヘッドランプ交換に失敗して、ランプを固定する留め具を破壊してしまった。ランプを外すときに、力いっぱい引っ張っても抜けなかったため、明らかにおかしいと思ったが、抜き差しするための開閉スイッチみたいなものもなかったから、これは力いっぱい引き抜くしかないと思って、そういう仕様なんだよな? と思って、安全のために強く固定されているんだと思って暴挙に出てしまった。しかし、こんなに強く固定するもんかねぇ? 作ったやつが何考えて作ったか知りたいもんだよまったく、なんて思いながら、えーいままよ! と無理やり引っ張ったら、バキッと音を立てて、ランプ周囲の留め具が折れてしまった。こうして考えると、手が悪いというより頭が悪いというか。
固定を失ったランプはケーブルが暴れて行き場を失い、びろんびろんになってしまった。せめてヘッドカバーをはめればカバー内に隠せるが、俺は自分でカバーを外したくせに、もう一度つけ直すことができなかった。ヘッドカバーなんてものは大きなフレームなんだから簡単だろと思うかもしれないが、何度やっても噛み合わなかったのだ。これはもう自分じゃ手に負えない。バイク屋さんに見てもらおう。そう思った俺は、ヘッド部をガムテープでぐるぐる巻きにして、公道に飛び出していった。
※
バイク屋は個人店でやっているような、小さな田舎工房、趣味でガレージでやっているというようなこじんまりした店だった。外の小さな敷地に20台ぐらいのバイクが置かれてあり、奥に工房があり、そのさらに奥に事務所があった。20台くらいのバイクはあちこちに乱雑に置かれ、バイクの間をすり抜けるようにして工房に入っていかなければならなかった。工房の中も小さく、昇降式スタンド二台に、タイヤやら工具やらスプレーやらバケツ缶が所狭しと置かれており、大きな機械もあったがどれも錆びついて年式が古そうなものだった。店員は三人いた。代表らしき60代くらいのおじさんが一人、引退して手伝いに来ているような70代くらいのおじいさんが一人、事務員らしき60代くらいのおばさんが一人いた。
「あの〜、さきほど電話したものですけど」
と声をかけると、店の主人らしき60代くらいのおじさんが、こちらをふいっと見たが、構わず自分の仕事を続けた。おじさんは工房で客のバイクらしいものを弄り続けていた。
なんだ? なんで何も反応がないんだ? 昔ながらの職人気質というやつか。俺の存在に気づいているくせに無視して仕事してやがる。よくこの時代に通用してるもんだ。レッドバロンやバイク王だったらこうはいかない。常連だけ相手にしてるのか。ネッツトヨタには半年に一回車の点検に行っているがこんなことは一度もない。イラッときたが、とにかく直してもらわないとタリーズにもいけないし出前館もできない。今の俺はバイクがないと何もできないのである。
おじさんはしばらく他の客のものらしいバイクを弄っていて、そのバイクを施工する流れで、スタスタと俺のバイクのところまで歩いてきて、何も言わずに俺のバイクのガムテープを外した。
「こんなとこ壊そうと思ってもそうそう壊せねーぞ、初めて見たなぁ、こんなとこ壊すのは」とおじさんは言った。
「はぁ」
「これ、ここだけの部品なんか売ってねーぞ、たぶんヘッドカバーごと買い替えることになるぞ、うわー、もったいねぇ」
「いくらぐらいになりますかね?」
「それは調べてみなきゃわかんねーけども、まぁうちでも調べられるよ。あとで調べてやっから」
うちでも調べられるよ、とは、この店がHONDA系列の店だからである。俺が乗っているバイクはスズキなのだが、スズキのバイクショップはとても遠いところにあったので、ガムテープぐるぐる巻のバイクでそこまで行きたくなかったから、自宅のすぐ目と鼻の先にあったここに駆け込んだのだ。一応、来る前に電話で確認したが、スズキのバイクでも大丈夫とのことだった。
おじさんはそれだけ言うと、後は何も言わずに俺のバイクの修理を始めた。
しかし、こういう工房というのは、どこに立っていていいか分からないもんだね。立っているだけで指が取れそうになる。俺が立っていると、俺の後ろにあるドライバーやらオイルやらをおじさんが取りに来るので、俺はすぐに移動しなければならなかった。そしてまた俺が移動すると、その後ろにあるネジやらをおじさんが取りに来るのでまた移動しなければならなかった。これが三回くらい続いた。俺の勘が悪いのか。おじさんがわざとやってるのか。
「すいません、ミラーを取り付ける時に一緒にスマホホルダーを取りつけたいのですが」
「そんくらい自分でやれ」
「はい」
まぁそうだよな。これくらいは自分でやらなきゃ。こういうところはお坊ちゃまで困ったもんだ。俺は隣に立ってミラーにスマホホルダーを挟んで取り付けようとした。これは一度自分で取り付けたことがあるにも関わらず、どうも勝手がわからず四苦八苦していると、「おめー、ほんとに不器用だなぁ」と言って、おじさんが自分がやったほうが早いというふうにスマホホルダーをつけてくれた。ミラーはともかく、スマホホルダーなんて説明書もないのに、どうして簡単につけられるんだろう? 簡単そうだが意外に少し頭を使うのだ。
その時、おじさんはビスを一個落っことした。おじさんは見当違いのところを探して、ぜんぜん見つけられなかった。俺はさっと拾って渡すと、「お前よく見つけたなぁ! 目はいいんだな」と言って、非常に驚いていた。このときの驚き様というのが普通ではなかった。「いや、すげぇすげぇ!」と、おじさんは子供のようにはしゃいで何度も凄いと言った。自分が簡単にできることほど驚かれるものだが、俺にとってネジを見つけることがいちばん簡単だった。
おじさんは折れている留め具をバイクから引っこ抜くと、同じく工房内で作業していた70代のアシスタントっぽいおじいさんに渡して、「これ半田コテで直しといて」と言った。おじいさんはううん? というふうにじーっと部品を見て、溶接作業を始めた。俺は部品の片割れ部分をポケットに忍ばせていたので、おじいさんに、「あの、折れた時に落ちた部品なんですけど、これ使います?」と聞くと、「いらない」と言われた。どうしてこういう機械工というのは無愛想な人間が多いんだろう。留め具の金属部を半田コテで溶接した後プラスチックバンドで固定するといった施工だったのだが、おじいさんは数分で終わらせていた。これくらいのことができない若者はまあまあいる気がする。いつも見ていて思うが、このあたりは年齢よりも適正の方が大きい気がする。おじいさんでもできる人はできるし、若い人でもできない人はできない。慣れや経験もあるが、初めから得意な人の方が上手くできたりする。半田コテと聞くと、それだけで難しいような、気分が遠くなる感じがしてくるが、このとき気分が近くなるような人が向いているってことなのだろうか。半田コテなんて日常で触る機会がない。場所と道具が揃っているなら、誰でもできなくもない気がするが、この気持の距離感がね。どうも、あいよって感じで、それはその仕事をする前から朝飯前だったと思われるほどに、フットワークの軽さに驚いた。
やったこともないのにネームの刺繍とかができてしまう人がいるが、まぁ道具と時間があれば誰でもできるだろうが、こんなの簡単じゃんといって、当初に本人が描いた目論見通りにパっとできてしまう人がいる。誰でも失敗して時間を繰り返せばできるだろうが、このときの片手間感、はじめから抵抗なくスッとやれてしまう。自分にできることを直感するんだろう。俺が全体的に言っていることはそういうことでね、たいてい、苦労してがんばったことというのは、他人が簡単に当たり前にできてしまえることだったりするわけで、 下手に一生懸命がんばるから、がんばらないとできないから、その充実感や達成感が、価値のある尊いものだと思えて、大事に抱え込んでしまう。あんまり簡単にできすぎてしまうものはありがたみを感じないし、素通りしてしまう。自分が簡単にできることほど、それはあまりにも自分にとって自然だから、その希少性に気づかないことが多い。世界で自分だけが気づけなかったりする。あまりにも自分にとって得意で身近で自然なことだから、誰でもできて当然だと思ってしまうわけである。
なんとなく感じることだが、この人達は家に帰っても工具やらバイク部品やらがいっぱいあって、バイク雑誌が本棚にいっぱい詰まっていて、自分のバイクをあれこれ改造する日々を送っているんじゃないのか、だとしたら絶対に勝てない。
しかし同じ機械でも、ハードの方はこの人達の圧勝だろうが、ソフトとなると俺に手も足も出ないだろう。なんとなくだが、この人達はパソコンやスマホ等のソフトウェアの方は不得意そうに見えた。
俺はもう中学になる頃には、チャット荒らしプログラムを駆使して、日々チャット荒らしをしていた。中学の時はチャット荒らししかしていなかった。本当に中学の頃というのはチャット荒らし以外していなかったのだ。
通称「がぶりDUKE」
「DUKE」と呼ばれる自動型投稿CGIがあり、これを使って荒らしていた。DUKEを設定すると1秒単位で投稿欄が俺の発言で埋まっていった。暇を持て余した中学生とDUKEは死神に鎌を持たせるくらい最凶の組み合わせだった。当時はチャットという文化は斬新で、全国から老若男女が集って賑わっており、冒険者達が集まるギルドのようだった。ルームでは激しい議論や恋愛トークやら入り乱れ、今でいう人気YouTubeのコメント欄やTwitter並みの勢いがあった。そんな多くの人が集まって和気あいあいとやっているところに、たった1人の中学生が大粛清を行うことになる。
がぶりDUKE(通称DUKE)と呼ばれる自動型連続投稿ツールにより、設定した文字がオートマチックに連投される。これによりチャット画面はすぐに俺の発言だけでいっぱいになった。俺の発言が邪魔で画面が見えず、真面目にチャットしたい人はどう頑張ってもチャットできないのである。みんな他のチャット部屋に逃げていくのだが、避難先の部屋にもDUKEの魔の手は襲いかかる。同時に10部屋も20部屋も、俺の発言だけで埋まるように設定していた。空襲で逃げ惑う人々を見ているようでゾクゾクした。
当時は日本にまだ20個くらいしかチャットルームはなかったが、そのすべてのチャットルームにDUKEをセットして、俺は毎朝学校に行っていた。家から帰ってくると、全てのチャット部屋が「利用人数0人」と表示されていて、それを見て俺は、(たった1人の、何の労力も必要としない些細な力で楽園が崩壊していく……! こんな簡単に人々の自由と幸福が奪われていいのだろうか……?)とプルプル震えていた。
この顔……。何不自由なく育てられて甘えきった顔をしている……。非常に冷たい目で、無慈悲に、無関係の人々の楽しみを奪うマシーンと化していた……!
※
俺だって、こうしてバイク屋の職人を観察しているわけだが、これだって誰でもやっているわけじゃないだろう。誰だって観察ぐらいするかもしれないが、「お前は誰も考えないようなことをいつも一生懸命考えている」と友達に言われたとき、確かにそうかもしれないと思った。言われるまで自覚がなかったのだ。別に自慢するわけじゃないが、ブログを書いている人間からすると、こうして日々のできごとを書くことなんて朝飯前である。簡単も難しいもない。誰でもできるとしか思えないのだ。だけどそうではないのだろう。本当に一行も書けないという人も多いだろう。おじさんが俺を不器用っていう感覚も、それに近い気がする。
おじさんも今回のことを記事に書かれているとは思わないだろう。俺の頭の中にはいつも活字が流れていて、おじさんの施工を見ている間、ずっと今書いているようなことが頭の中にひっきりなしに溢れていた。俺が自分の体験したことを覚えていられるのはここから来ていると思う。瀬戸内寂聴も、自分が体験したことは絶対に忘れない、子供の頃の記憶までぜんぶ覚えていると言っていたが、俺もその気持ちがわからなくもない。こうしている間も、自分の内面に抱いたことは、メモするまでもなくすべて覚えている。あとはそれを文章に起こすだけである。これは俺にとって当たり前過ぎて、誰にでもできるようにしか思えないが、きっとそうでもないんだろう。少なくともこのおじさん達にはそういうところが一欠片もなさそうである。
松ちゃんも、普段はずっとあのときのコメントはこっちのほうがよかったと考えていて、布団の中で横になっている間は自分で大喜利のお題を考えてそれを答えているということをずっとやっているらしい。勉強とか練習とかではなく、昔からごく自然にやっていて、「え? うそ みんなやってへんの? みんなやってるかと思ってた」と、芸人だけでなく、一般人もみんなやっていると思っていたらしい。自分では気づかない、自分にとって当たり前過ぎるから何もすごいと思ってないけど、そういうものこそ他人からすごいと思われるものである。
世界で唯一、自分だけが気づけないという、ある意味残酷な
このおじさんも、自分がどれだけ凄いかまったく気づいていない様子である。今、この瞬間にも、こんなに考えていることが違う。おじさんはバイクのことを考え、おじいさんもバイクのことを考え、俺はこいつらに負けて悔しいから、自分の得意な逃げ道について考えている。どんな仕事もそうだった。どんなバイトも仕事も、それを当たり前にできる人間がイチから組織を作り、環境を作り、似たような性質をもつ人間が集まってきて。漫画家と漫画家のアシスタントみたいな環境だろうか。
しっかしうるせー声だぜ。いつも頭ん中はこんなことばっかだ。本当にうるせー頭だ。物書きやら小説家やらってのは本当に面倒くせー野郎ばっかで嫌になるぜ。だから自殺者が多いんだろうな。自分に食傷して死にたくなるんだ。バイク屋のおっちゃんなんかは本当に人間があっさりしているというか、女から見ても、頭の中がうるさくて面倒くさい野郎より、こういうおっちゃんの卵のような男のほうがいいんでないか? ワンピースもゾロがいちばん人気だしな。本当に自分に食あたりするぜ。このおっちゃんも、まさか今、隣で、この不器用な男がこんなこと考えているとは思わないだろうな。たかがバイク屋に行くだけでこんなに頭の中がうるせーんだぞ?
このおっさんはHONDAのジャンパーを着て、ハゲ散らかして、色気も何もないが、俺よりこのおっさんのほうがモテそうな気がする。未だに37歳になっても、どっちがモテるか考えてしまう、俺は60代のおっさんに嫉妬を感じてしまった。バイクを直してもらいにきたんだろ? どうして俺は恋愛的観点からこのおじさんに対抗意識を燃やしているんだ? 風俗嬢だっておっさんが客だったら外れだって思うに決まってる。まさか、隣で俺がこんなことを考えているなどとは思わないだろう。スマホホルダーの一つも取り付けられないわけである。こんなこと考えてちゃあね。
しかしこの作業服。洗濯が大変そうだ。こもってそうというか、こういう油にまみれた作業服のズボンを見てると、ちんこの脂身がこもってそうとか、パンツの裏側とか金玉の脂身がねっとりこもりそうというか、ついそういうところに目がいってしまう。新品の作業服ならいいけど、もう何十年も着込んだ、油や汚れや蒸れなんかがたくさん染み込んだのを見ると、ちんこの脂身が凄そうで、そっちの方でも食あたりしてしまう。今は12月だからマシだけど、夏とかどうなってしまうんだろう? 締まっている。「締まっていこうぜー!」と草野球のおじさん達が野球のユニフォーム着て股間をギュッとやっているのを見ると、締まりとはこのことかと思ってしまう。せいぜい、俺の天性とか、向いてる向いてないでいえば、この脂身の感性しかない。おじさんもおじいさんも、長年一緒に仕事してきて、互いのズボンの脂身に対して思考を巡らせたことなんて一度もなかっただろう。
これはどこか女性的な目線のようにも感じるが、女性というのはこういうことをいつも考えているのだろうか? 男より脂身のセンサーが鋭いような気はするが、しかし、それは母性本能で相殺されるかもしれない。男ががんばって油まみれになって働いていると、それが仕事だったり必要事から生じることであれば、むしろ応援したくなるものらしく、お弁当の一つや二つ作ってあげたくなるものらしい。戦場の兵士、自分の代わりに戦ってくれているような、女が野球部のマネージャーなどやりたがるのもこういうところからきているんだろう。俺のように脂身がどうだとか、こういうところを勝手にいやらしく詮索したり揶揄したりして、開けなくていい箱を開けようとするのは、じゃあどうすればいいんだっていう話になるだけだし、ちんこの前に扇風機を置いてバイクを直せばいいのかって話になるだけである。
「お~し、これで大丈夫だぞ」
「もう走れますか?」
「走れる走れる」
と言って、おじさんは奥の事務所に入っていってしまった。
終わり? え? 戻って行っちゃったけど、金払わなくていいのか? バイクは公道に向けて置かれてあった。搭乗して帰れそうである。
(帰っていいのか?)
ピン留めを溶接してケーブルで補強するだけだから、こんなのは修理のうちに入らないから金はいらないってか? じゃあいいのか帰って。俺はこのとき本当にバイクに乗って帰ろうと思った。いや、ここまでしてもらったんだし、やっぱり払いたい。こんなので金なんてもらえるかよと言われたって、折れずに渡さなければならない。俺は決意を固めて事務所に入っていった。
事務所の机で、おじさんはパソコンの操作していた。おじさんは俺にパソコンの画面を見せてくれた。
「やっぱり留め具だけは売ってない。カバーごと交換しなきゃなんない。ひっでーなこりゃ、13000円だってよ、ほら」
「13000円!?」
「どうする? 買うか?」
「今回やってもらった施工で、機能的に問題ないんですよね?」
「問題ない。見た目だけだよ」
見た目といっても、ヘッドカバーを外してその後にランプを外してやっと確認できるものだ、外からじゃ何も気づかない。
「これで大丈夫です」
「それがいいよ、そのまま乗ってろ」とおじさんは笑って言った。
「2000円でいいよ」
あ、やっぱり金取るのか。あぶねーマジで帰るところだった。
2000円でいいよ、か。ずいぶんアバウトだな。やっぱりレッドバロンやバイク王じゃこうはいかない。しかしこのアバウトさがいい。この感じが俺は好きだ。いいバイク屋が見つかった。家からめちゃくちゃ近いし、このおじさんなら何でもやってくれる気がする。毎日でも来たいくらいだ。
「あの、もうすぐ半年点検の時期なのでこちらで見てもらいたいのですが、スズキでも大丈夫ですか?」
「いいよ」
「予約したいのですが、明日でも大丈夫ですか?」
「いいよ」
「何時頃がいいかしら」と、そばにいた60代くらいの事務所の女性が聞いてきた。
「14時でいいですか?」
「じゃあ14時くらいにしましょ」
”くらい”という言葉に怪しい響きを感じたが、その予感は的中することになった。
俺が事務のおばさんと予約の段取りをしていると、おじさんは「こいつ、すげー目がいいんだ」と事務のおばさんに言った。
「あら、まぁ、うらやましい」
本当にそればっかり言う。おじさんにとってそれだけ驚きだったらしい。不器用、不器用とさんざん言われたけど、そこだけは褒めてもらえたので嬉しかった。「手は悪いですけど」と俺が言うと、「ガハハハハ!」とおじさんは大口を開けて笑った。
※
翌日。
14時に行ってみると、おじさんは事務所で別の客と話していた。俺の方をちらっと見たが、そのまま客と話し続けていた。やっぱり慣れないなこの感じは。
さすがに忘れているってことはないと思うが、昨日と違って帽子をかぶって違う色のマスクをしているから分からないのか? ってか客が来たんだから挨拶しろよ。少しは仲良くなったかと思ったら勘違いだったか? 楽しそうに他の客と話しやがって。俺よりそいつの方がいいのかよ。
俺はそのあともしばらく放っておかれた。客との重要なやり取りだったのなら仕方ないが、茶を飲んで雑談していた。特に会話らしい会話もなく、茶を飲みながらポツポツ思いついた事を話していた。居間でテレビを見ているような雰囲気だったのだ。
俺は予約して来たのに、なんで客とお茶を飲んでるんだ? おじさんはそのまま話し込んでいて、客に何かを聞かれてそれを答えて、その次の瞬間に俺に「ライト大丈夫だったろ」と話しかけてきた。昨日の修理のときと一緒だ。作業しているその足で別のところに行って作業し、別の人間と話している会話の流れで会話を切らずに別の人間と別の会話をするという、すべてにおいて境界線が見えない人だった。
「あ、はい! 大丈夫です!」と俺はしっぽを振りながら答えた。
おじさんはそれだけ俺に言うと、また客と話し込んでしまった。相手に話しかけて、俺に話しかけ、俺が答える番を飛ばして、また相手と話していた。魚を物々交換しながらすべてがアバウトに進んでいく漁師のように感じた。漁師のコミュニケーションはわからん。俺はいま話しかけてもいいのかよくわからなったが話しかけてしまった。
「あの、どれくらいかかりますか?」
「一時間ぐらいかな」
「一時間!?」
一時間って、予約してきたんだけど……。
「あ、ああ30分くらいかな? どうした? 仕事の途中か?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ、30分ですか…‥」
30分か、30分俺はここで何をしてればいいんだろう。俺は壁に貼られてあるポスターやバイクを見てウロチョロしていたら、おじさんは客と話しながら、客と一緒に工房に移動して、俺のではない他のバイクを弄りだしていた。そして、同時に俺のバイクも触りだした。これは点検してくれているのか? 俺のバイクをスタンドにあげて、そこからキャップを外してオイルを流したりしていたので、あ、やってくれるんだと思った。やっぱりこの人は何も言わないで始めたり終わらせたりするのでよくわからない。
「おい見てみろコレ、空気圧一キロも足りてねーぞ!」とおじさんは笑いながら言った。隣の客もぶったまげた顔して俺の顔を見た。
何だ、そんなにやばいのか? 一キロってなんだ? 距離? 重さ? 圧にキロってなんだ? 俺は車はガソリン入れるだけで、点検は半年点検でネッツトヨタにやってもらっているだけだし、それで空気圧もどうにかなっていたから、バイクも半年に一回点検すりゃいいかなと思っていたわけだが。
「お前、自分で空気いれられるか? 三ヶ月に一回は来いよ。空気いれてやるから」
まだ2回しか会ってないのにお前呼ばわりだ。いったい全体、自分とは真逆の人間に見える。しかし、なんだろう、おじさんにお前とかこいつとか言われるたびに、最初はイラッと来ていたが、だんだんと征服されていくような、レイプされるような、そこまで悪い気持ちでもなくなってきた。俺がこの手の分野に弱いことも手伝って、おじさんにペコペコして、ハイハイ言っていたら、みるみる力関係ができ上がってしまった。プライドの高い俺がこんな骨なしクラゲみたいになってしまうのだから、これは外を歩いている女にも代用できる方程式だろう。
上戸彩は、森田剛にナンパされたときに、「お前のことぜったいに一週間で落としてやっからな」と言われて、「は? 何言ってんの? こんなチャラいヤツに落ちるわけないじゃん」と思ったらしいが、一週間後には森田剛と手をつないで原宿を歩いていたのをパパラッチに激写されたという逸話がある。
初めは、「は? お前?」「こいつとか言うなし」と思っていても、そこにいやらしさがなく、自然体でやられると、だんだんそういうものかと馴染んでいってしまうところがあるし、俺がレッドバロンやネッツトヨタの品行方正な対応よりもこの田舎工房の対応の方が心地よく感じてきてしまっているように、
女は盾のようにデリケートを発しているが、そのデリケートにひれ伏し、デリケートの中で戦おうとしているのが昨今の男達である。今では男も、「お前」とか「こいつ」とか言わなくなったし、言い慣れてないものだから、言ったところで変な空気になってしまうから、それで安牌に逃げ込んでさん付けで呼ぶようになるのだが、
本当は女だって男の文化を楽しみたいのに、女性の皆さんに楽しんでもらうためにこういうサービスを作りましたよと、デリケートな提案をしてくるから甘んじて受け入れてしまう。それがプリクラでタピオカでぴえんでディズニーランドである。男がもっと男の世界に強引に引っ張るのではなく、君のためにこの代替サービスを用意したよというのは、一応、女性のための紳士的なふるまいだということになっているけど、どこか建前臭いところがあるし、逃げている節もある。何かあったら、「でも私は女性のためにこういう政策を打ち出しました」と言えるために用意した保険にも見える。忙しいお父さんが子供と遊ぶ代わりにiPadを渡しているようにも見える。これは女だって気づくだろう。女達は、男のそういった小賢しい、馬の骨のような目論見を看破してそれを逆手に取り、じゃあ私たちだってとへそを曲げて、卑弥呼を長とする邪馬台国のような、女性による女性のための国家、独身女性による独身女性のための国家を築いていってしまう。その国は女性用更衣室のようなきなくさい臭いを発し、ナプキンの絹ずれ、遠ざかる鍵と鍵穴、国というスケールの離婚、取り返しのつかないことになっていってしまう。
女性専用車両とか女性ラーメンとか、タピオカとか、女が一次的に打ち出すデリケートゾーンを一次的のまま受け止めてビジネス展開しているため、つまりシャイで始まっているものをシャイのベールを剥がさないままビジネス展開しているため、お互いがいい関係を築いているようでいて、そもそもが一番最初のところからズレてスタートされている政策であるから、溝を埋めているようで広がっていってしまっている。ボクシングジムの事務の女性というのは例外なく女性の本能が開ききった顔をしている。このバイク屋の事務のおばさんもそういう顔をしていた。
女性は女性が集まっているピンクやグリーンやら女性らしい飾り付けをして、女性を一箇所に集めて。しかし、どの女性も本当は女子校より共学に行きたいように、ああいうことをすると女が喜ぶ、全体的にいい流れということになっているみたいだが、女は男のワセリン香る汗臭い世界に行きたがっているし、だけど恥ずかしくて言い出せないだけで、そうやって女が躊躇している中、はい、では、と、ばっさり区切るように女性ラーメンとか女性専用列車とかを用意すると、「うーん、嬉しいんだけど、ほんとうはそうじゃないんだけどなぁ」と、いうことなのだ。
デリケートをデリケートとしてもてなし、デリケートに終始していると、女は喜んでいる顔の中で残念そうな顔をする。これは女が悪いのか、男が悪いのか、女は男に便座に座っておしっこするように言っておいて、本当に男が座っておしっこしようものなら、自分で言いだしたくせに喜んでいる顔の中で残念そうな顔を見せるから、男と女は難しい。