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8月3日に起きた現象

それから朝起きてからも、ちゃんと頭は静かでいて、気移りというものがしなかった。

本当に不思議なことだけど、苦しいことを考えようとしても考えられないのである。なんじゃあこりゃあ? 

本当に、人間じゃない。一度、がんばって、思いっきり、心の向きを変えようとして、怖いことや苦しいこと、不安なことを考えようとしたり、焦点を合わせようとしたけど、まったくそれと一つになれない。やり方がわからない。

すごい、朝起きても、続いてる……。

不安もない。怒りや憎しみ苦しみ嫉妬だったり、マイナス感情というものはどこにもなく、これらのどれかに標準を合わせようと思っても、どこにも見つからない。

ふーむ。頭の中で想念というものが全く一つも発生しない。そんなことがあるのか? そんな状態でどうやって生きていけるのか? と思うかもしれないけれども。

もしかしたら深刻な病気かも? と思ったりはするけど、不安と一つになれないから、そう思うだけで、それも通り過ぎていってしまうのである。

しかし、俺なんて、いつも想念で記事を書いてきたんじゃねーか……、と思った。俺なんて、知っての通り、記事を書くときは、いつも、どうでもいい、よくわからない、パッと思い浮かんだ、思いつきだから何だかわからない、下品だったり、女のことだったり、いつも心の中のゴチャゴチャしているものの一つを選んで、記事に書いてきた人間じゃねーか。俺から想念が取れちまったら、どうすんだよ。何も書けねーじゃねーかよ。

だけど、それに対しての不安もないのである。ひとつになれないのである。そう思うだけで、一瞬浮かんで通り過ぎていくだけ。ただ、そういう考えが通り過ぎていくだけなのである。

想念がまったく浮かばないといったら、語弊はあるかもしれない。浮かぶことは浮かぶけれど、浮かぶ量が10分の1程度になり、浮かんだとしても、絶対に一つにならない。すごい無理やりダイヤルを回すようにしても、一つになれないのである(笑)

俺はこれまで、何か考え事や、もやっとしたものがあると、それと結びついてしまって、そこから元に戻ってくるまで、ずいぶん時間がかかったりしたものだけど。

頭の中でそういった小さな想念が無数に広がっていて、いつもそれと格闘したり、没頭したり、あるいは気づかずに時間が経っていたりして。

想念の中では、苦悩の存在は特別に大きいもので、その存在感の強さゆえに、どうしてもそこを見てしまうものだろう。苦悩の方は決して動かないけど、自分の方から、その存在感のゆえに気になってしまって、近づいていってしまうものだろう。

しかし、今、俺の心の中に、苦悩のチャンネルがないのである(笑)ないから、合わせようにも合わせられない。ちょっと、不安らしきものを見かけて、くっついて見ようとするけれども、すぐに引き離されてしまう。それは、本当に、すごく、すごく、難しい。すべて、いろんなこと、人の欠点、長所、内部や外界の現象、欲、それらは一瞬映るだけで、それに引きずり込まれたりしない。中心にいることができる。心が奪われない。

これは、人間離れしてしまって、怖いと思うかもしれないけど、怖いという心と一つになれないから、俺は怖くないのである。

皆さんは、どうかな? 羨ましいかな?(笑)しかし、俺はこれは、誰にでも到達できるということがはっきりわかっている。別に俺だからできるわけじゃない。それは後述するが。

俺は今この状態を気にいっている。別に頭が良くなったわけではなくて、明晰になったわけではないし、記憶力が良くなったわけでもなくて、特別何かができるようになったわけではないけれども、透徹さだけは、ずっとどこまでも広がっているのである。

これは一時的なものか? 俺はまた元に戻ることがあるのか? それは、まだはっきりはわからない。しかし、俺はこの状態を気に入っているから、一生これでいいと思っている。

ブフロンのレビューを見ても、こんな現象のレビューはない。想念がまったく浮かばなくなりました、なんてレビューはどこにもない。

何かちょっと腹が立つことがあったとしても、一瞬だけちょっと胸のあたりが黒くモヤっとするけど、昔みたいに、そこに引き込まれない。しかし、その瞬間、頭の中にブレーキがかかったように、脳がぎゅっと熱くなるというか、熱くなるのだけど、心は一つにならない。ただ頭の後ろがぎゅっと光るだけである。

心に届く衝動が、頭が引き受けてくれている? ような感じであるが、収縮するような、ブィィンとなる。

脳がずっとストッパーみたいに、ブレーキ見たいな作用を起こしている。

 

特にこの3日間は、すごい勢いで、何度も頭の中がビクビク動いたり、特に前頭葉だったり頭頂葉だったり側頭部だったり、一番は後頭部かなぁ? わからないけど、どれも全体的に、唸っている感じ。全体がいっぺんに

ピーーーンという耳鳴りもよく聞こえる。多分みなさんだったら、すぐに病院に行くんだろうけど、俺は行かない。

まぁしかし、脳のことだからちょっと怖くて。脳血管障害とか、脳梗塞とか高次脳機能障害とか、理学療法士として、そういうものに対しての怖さはよくしっているから、血管が詰まったり破けたりして、脳梗塞にならなければいいがと思うが。しかし、痛みはまったくない。痛かったら病院に行く。

あるいは、もしこれを好意的に解釈するとしたら、人間の脳は普段数%しか使われていないというし、頭を使わない時ほど、考え事をしていない時や、ぼーっとしてるときの方がよく使われるというし、案外、もしかしたら、俺は今、心を全く使っていないけれども、そういう状態の時の方が、脳が活発に動き、これまで使われていなかった部位が使われ出して、たくさんあちこちずっと動いているのかな? と思ったりもするが。

しかし、大体の場合においては、普段いつもストレスを感じる時において、脳がブンブン動き出すから。そのストレスになっていたときのタイミングで、心は動かないけれど、脳だけは動き出すから、この脳の活発な動きと、我慢とストレスは関係してるような気がする。それとも、想念を燃やしてくれているのか、俺の中の頭のゴミを燃やしてくれているのか。

YouTubeを見ていても、それと一つにならない。ずっと中心感覚が続いていて、そこから離れずに眺めていられるだけである。だから、YouTubeを見ても、見なくても、ずっと同じ感覚が続いている。行為をしても行為をしなくても変わらない、というような。本を読む時も、本を読まない状態と本を読んでいるときの状態が一緒である。

何か考え事しようとしたり、エロいことを考えようとしたり、思いっきりエロい心に、どっぷりはまろうとしたけどできない。エロ動画を見ていても、エロいし、興奮する何かが想念として浮かび上がるけど、やっぱりそれと一つになれない。やっぱり針が中心に戻されてしまう。エロい動画を見ても見なくても一緒なのである。

これが心が壊れるということか? これは悲しいことなのか? 病気なのか?

なんだこれは? これが悟りなのか?? うーん、どうも、そうは思えないけれども。

8月3日は、ドトールに行ったり家に居たり、ずっと朝から晩まで全くおなじ気持ちだった。ずっと中心だけの感覚だけが続いていた。ちなみに8月6日に、この記事を書いているけれども、4日も5日もずっとこんな感じだった。6日も今日も、この感じである。

頭の中に鍵がかかったような、ロックがかかったような、この状態だったら、瞑想がずっとできそうだなと思って、瞑想をやってみた。確かに、1時間ぐらいはできてしまった。いつもは5分が限界だった。

これはもはや怖いくらいで、心の伸びやかさがなくなり、一つに固定されていて、制限で、不自由に感じないこともないけれども、それによって苦しくなったり困ったりするようなこともなく、自由や気持ちよさを感じている。

とりあえず3日間はずっとこの調子だが、俺はどうもこの先もずっとこの感じのような気がする。この先、一生苦悩したり、落ち込むということがなさそうである。お母さんが死んだらやっぱり悲しいし、以前の俺だったら泣き崩れてしまったかもしれないけど、今だったら、たぶん、悲しい? とは思いはするけど?(笑) たぶん、ただ魂の存在としての視点から、それをただじっと眺めているような気がしないでもない。

しかし、この心境になって思うには、悟りだとか、精神修行というのは、苦行や瞑想や食事制限や忍耐などやったりしているのは、それは、心を動かさなくするためにやっているのだと思われる。ヒマラヤの修行者たちは。神を見出すため、というのはあるだろうが。

しかし雑念や妄念があったから、それを使って下品な記事や、女の記事を、いろいろ書いてきたけれども、それがどうやってもダイヤルがそこに回らないから、この先そういうものが書けなくなったら、とても悲しい。

イメージとしてこんな感じで、右にも左にも頭を動かせず、こうしてぎゅっと固められている感じ。直線のこの方向しか、心を動かせない。

グィィィィィ……! とやって、頭を横に向こうとさせても、できないのである。それも、可動域が狭まって、不自由を余儀なくなされ、ストレスと言ったらストレスな気がするのだけど、そのストレスもイメージとしては、この辺りに位置しているので、ストレスと一つになれない。

睡眠

そして睡眠というものが難しくなった。ほとんど頭が覚醒していて、3日、4日はほとんど眠れなかった。この2日間でおそらく2時間か3時間ぐらいしか寝ていない。5日はけっこう寝た。7時間くらい寝た。6日以降は普通に寝れている。だが、わりとすぐに目を覚ましてしまい。

心がとにかく元気なのである。心も体も疲れというものはぜんぜん感じなくなったので、睡眠して回復を取ろうと思わないのだろう、と考えられる。

睡眠というのは心が活動するから、その疲労によって睡眠を必要とするのであって、心がほとんど使われない場合は、眠気というものが起きないのではないだろうか。

俺は、眠気が起きないから、これは変だと思って、満腹まで食べたら眠くなるのかなと思って、わざわざ朝の8時にすき家に行って牛丼セットを食べたけれども、頭が鈍くなる感じがない。いつもだったら、腹いっぱいまで食べると、頭が重くなる感覚があったけど、それがなかった。そして、眠気も起こらなかった。

食欲

また、食欲もほとんど起きない。別に食べなかったら食べないで構わないといった感じで、ずっと放っておいていられる。さすがに一日の終わりになると、少しお腹が空いてくるので、玄米一合に納豆をかけて食べているが。以前のように、食べものに対して心が結びつくという気持ちが起きない。

これもラマナマハルシが言っていたけれども、食欲と心の活動は関係していて、いくら断食や小食をしようと思っても、食べ物や食事量について心を砕いて、それについて考えたり、調べたり、心を使いすぎると、それは心を疲れさせる結果となり、かえって空腹感を起こしてしまうという。心を活動すればするほど腹は減る。

だから、小食になろうと頑張ろうとすると、かえってお腹が空いてしまうということもある。それは、俺もたくさん経験してきたからよくわかっている。そして、心を使わないと食欲がわかない、というのもわかることができた。

おそらくこのブログを読んでいる人でも、小食にしようと頑張っている人が訪ねてくるけれども、そうすればそうするほど、心の活動量が増し、心の中に不安や苦しみの種を蒔いてしまう結果になってしまうことは知っておいたほうがいいと思う。 気にしない。心を中心に戻しておくことを先に覚えた方が近道だと思う。

仕事とかでストレスを抱えている人は、やっぱり小食にしたくても、たくさん心を動かしたから、ご飯をたくさん食べたくなってしまうだろう。

とにかく、今はこんな状況である。ただの病気かもしれないし、悟り自慢をする気はないし、また元に戻ってしまうかもしれないが、心に何も一物がないというのは、気持ちのいい心境である。

もともと、やせがまんがうまい体質だったけれども、 今は我慢というものはない。

俺が言いたいのは、もし生活において、人間関係の中で、この心というものが全く動かずにいられたら、ただ中心に留まれたら、この中心感覚だけがすべてを自動で勝手に対応してくれるというのなら、心労負担などは起こらなそうである。まだ様子見だが、たとえこれが勘違いだとしても、それはそれでエンタメとして読んでるだけでも面白いんじゃないだろうかと思うし、下手にこれまでの通り、自分の感性を見せつけるような、思いつきのネタを書くよりは、今のこの心境をそのままお伝えした方が、 単純にエンタメとして面白いのではないかと思って書いている。

というよりも、やはり心が固定されてしまっていて、変な思いつきの記事が書けないのである(笑)

過去も未来も気にならない、気持ちが過去にいかないし、未来にもいかない。今を生きていると言ったら、そんなにかっこいいものかどうかはわからないけど、ずっと中心にある。

皆さんはこの状態をうらやましいだろうか? 機械みたいに気持ち悪いだろうか? 全く感情というものが入り込まない。動かない。想念と一つにならない。こんなに超然としてしまったら、周りの友達と一緒にやっていけないよ😂 大好きな親友や恋人一緒に価値観を共有できなくなっちゃうよ😂 というかもしれないけど、まぁこのとおり、こうしていつものように俺はおちゃらけてもいるのだから、たぶん大丈夫だろう。

しかし、誰だって苦しみたくはないだろうし、不安や、頼んでもいない想念に取り憑かれたり、自分が決めたことをこなせず、心をコントロールできず、それによって皆、誰だって苦しんでいるだろうし、俺だってそれには、とても、苦しめられてきたから。

皆さんが仕事でくたくたになってしまうのも、結局精神的なストレスだろう。心労負担だろう。仕事において、肉体なんてものはどれだけ動いたとしても、大して疲れはしない。疲れたとしても、非常にいい気分である。仲の良い人間とだけ、文化祭の準備みたいにやり続けていたら、いくらでも仕事なできてしまうものだし、家にも帰りたくなくなってしまうかもしれない。まぁ、仲がいい人同士だからこそ生まれるストレスもあるかもしんないけどね^^;

まぁ、しかしだ。その、それら全てに対して、心を動かさずに対応できるようになったら、それはきっと素晴らしい生活になるのではないかと思う。それはもう、何にも働いていないのに毎月給料が入ってくるようなものだから、これ以上素晴らしいプレゼントはないと思って、どうしても書かずにいられなくなったのである。というより、心が動かなくなってしまった俺は、今は、心が動かないことしか書けないのである。

今のこの俺の心的状態は、誰でも確立できるものだと思う。少なくとも、そのやり方が見えている。

内側からも外側からの苦しみを感じない、いわゆる不動心というものについては、今ちゃんと説明できるだろうと思われる。 言ってしまえばたった一つの心の状態、中心の自己を確立させて、そこからずっと動かさないようにするという話ではあるけれども、このストレス時代においていちばん大事な方法になってくるかもしれない。

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