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8月2日に起きた現象

さて皆さんこんにちは。

今日はですね、ちょっといくらか変わったことがあったので、その話をしたいと思います。しばらく更新が途絶えていて、一体ちんこはどうしたんだ? 仕事しないで暇なくせに、一日中何をやってるんだ? 2週間更新しないということは、2週間……? 何をしてるんだ? と思うかもしれないけど。

著しい心境の変化があったので、それについて語りたいと思います。皆さんにとっては、これを信じてくれたり、面白がってくれたり、エンタメとして通り過ぎてくれたり、自由に受け取ってくれて構わない。

俺は、どうしても、タバコを止められなくて、一度29歳の時に禁煙して、35歳までの間はずっと吸わないでいられたのだけど、去年の9月辺りに吸ってしまってから、今に至るまでの間ずっと吸ってしまっている。つまり、この1年間はずっと吸っていた。

去年の9月に、なぜ吸ったのかは、別に吸いたいと思ったから吸ったのではなく、タバコというものは一体どういうものだろう? どんなだったっけ? 味は? 匂いは? 舌に残る感じは? もう一度一本吸ってみたら、それから止められなくなってしまうんだろうか? と、なんとなく疑問に思って、別に吸いたいわけではないけど、そのタバコの中毒性について実験してみたいと思って、一本買って吸ってみた。タバコを吸った時の五感に対しての伝わってくる情報を調べてみたいと思ったのだ。

そして、コンビニで一年ぶりに買って吸ってみると、不味いし、臭いし、頭がクラクラするし、くだらないと思った。でも、何より、「わからない」という感じが残った。疑問が残った。疑問が膨らんだというような? 吸っているときはわかったような気がしたのだけれども、吸い終わった後で、「んー、何だったんだろう?」「どんなだったったけかな?」というふうに気になってしまい、吸ってみることで、疑問が増えてしまったのである。何を言ってるのかわからないかもしれないが、そういうものなのである。

そこで、もう一本吸えば、わかるかな? と思って、2本3本と続けていって、結局1箱全部吸ってしまった。

それから今日まで、「わからない」「なんだろう?」という思いで、吸い続けてきた。これはタバコに限らず、ほとんど全てのものに対して起こる俺の現象である。漫画の吹き出しの三点リーダを見ると、その数を調べたくなる。一目見れば、大体の数はわかるし、三点リーダだから、いつも3の倍数でしかない。6か9か、12か、わかっているのに、必ず三点リーダに出会うと、数を数えていた。食べ物だったら、一つラーメンを食べたら、別のラーメン屋のラーメンと何が違うんだろう? と調べたくなり、よそのラーメン屋も巡ったりして。そしてその一つのラーメン屋においても、塩やとんこつやしょうゆなど、当然、種類があるから、それらすべてを解明したい、終わらせたい、という気持ちがあって、ぜんぶの種類を食べたりしてきた。

「終わらせよう」と思うと、「あれ? うまく終われなかったな」「あれ? どんな感じだったかな? どんな味だったのかな?」と、はっきりとピタって終止符が打たれる感じが体感できなければ、もう一度……という感じで何度も試みてしまっていた。何か、心に残っている感じがするのだ。別に食べたいから食べたというわけではなかった。その証拠に、アイスを続けて8本食べたり、タバコを10本続けて吸ってみたり、まずい、苦しい、もうやだ……、と思いながら、一生懸命胃の中に放り込んできたのである。

さて、さいきん暑いということもあり、一回だけ、アイスを買ってしまった。確かに「おいしい」と思ったのだけど、「おいしさ」なんてものはどうでもよく、やはりこのアイスの正体について、疑問の方が残ってしまった。

食べ終わると、またスーパーに行って、一本買ってみた。で、食べる。よし、わかったと思って、終止符が打たれた気がするのだけども、またしばらく経つと、あれ? どんなだっけ? というふうに、あれは何だったのかと、確かめたくなる。で、また買いに行く。そこで念のために二本買ってみる。このとき、他のアイスは買わない。ずっと、「しろくま」というアイスを買って食べていた。他のアイスに手を出してしまったら、やり直しになる。今度はそっちのアイスの終止符を打たなければならなくなるので、また長い冒険が始まってしまうことになるからである。

で、二本いっぺんに買うと、二本あるから、一本目は、それほど集中して食べなくてもいいだろうという慢心が生まれ、「気」なしに食べてしまう。しかし二本目は、というより最後の一口は、完全に終わったという感覚を残して終わらなければならないので、とても集中力を要する。最後の一口が重要なのだ。

そして、わかった気がした。わかった気がしたけど、やっぱりわからないような、うーん。でももう食べたくないな、でも、この疑問を明日に持ち越すのは嫌だし、今日で終わらせたい、さっさと終わらせたい、でも、腹くだすなぁ、気持ち悪いなぁ、もう不味くて不味くて仕方ない。水道水を飲む方がずっとおいしいくらいだ。苦しいけど、仕方ないか……、というふうに、またスーパーに行って、2本買った。そして部屋に戻ってきて食って、またスーパーに行って、2本買って、結局その日は「しろくま君」を8本食べてしまった。

本当に、本当に、苦しかった。こんな日々が毎日のように続いた。2週間も何をやっていたかというと、ずっとこんな日々を送っていたのである。べつに、この2週間に限らず、俺はこの一人暮らしニートを始めて4年目になるが、この4年間は、ずっとこんな感じだった。そして、もっと言えば、物心ついたときから、ずっとこんなことを繰り返してきた。触っちゃいけないというものをずっと凝視し続ける、というような。食事に限らず、すべての外側、内側の物事について、こういう試みを繰り返してきた。

詳しくは、こちらの記事を読んでもらえると、もっとよくわかるかもしれない。

「食べたい」とはなんだ? 「おいしい」とはなんだ? 〜5号のホールケーキを食べたくてしかたなかった日のこと〜

これは戦っているのか? 遊んでいるのか? キチガイなのか? 馬鹿なのか? もうすべてがよくわからなない。俺はなんなんだ? 何をやっているんだ? 不味いし、苦しいし、金は減るし、8本も食べて……、苦しい。

そんなことをやっていると、苦しみがやってきて。苦しみも、はっきり苦しみの終止符が打たれるまでは、すべて順を追って解明したいという気持ちがあったりするから、自分から苦しみに向かっていって、片付けようとしていた。苦しみや悩みや不安に向かっていって、一生懸命、自分の心の窓から、さて、今日はこの苦しみを引っ張りだして、気が済むまでやってみよう、というふうに。

そうやって、一つ一つの、心的に残っているものが、完全になくなる、という状態を試みて、とにかく「終わらせる」ということを目標にして、ずっとこんなことをやっていた。

基本的に、俺は欲望というものについて、単純に欲望のままに流されるという自覚はなく、正気のままいつも飛び込んでいたのである。その存在が頭の中によぎると、すべてしらみ潰しにしていくような。海面に浮かぶ水泡を一つ一つハンマーで叩くような、そこに飛び込んで解決したくなってしまうのであった。YouTubeを見るにしても、YouTubeを見て楽しむということはない。それも、終わらせるために見ていた。 ほんとにどうでもいい動画だし、面白いとは特に思っていないのだが、 どうも、ピタッと、自分の中でYouTubeの感覚が抜けきるということができなくて、まるで視線の熱線を動画に当てることによって、焼き滅んで、消えるというつもりで見ていた。本当に見ている時、そんな感覚しかなかった。食べ物に対しても。しかし、終わったと思っても、頭の中にYouTubeの存在がよぎると、それを終わらせたくなるために、また、嫌々、苦しみながら、パソコンの蓋を開けて、見ていた。どうも、一瞬でも頭の中によぎるとダメなのである。その中に引きずられてしまうのである。

こんなことをやっているのは俺だけだろうか? たぶん、俺だけだろうなぁ。自分でもよくわからない、が、昔からやっている。俺の身体が細いのも、この神経質な作用のためなんじゃないだろうかと思っていた。猫がホログラフのネズミを一生懸命叩いているように。あまりにもくだらなすぎて、人に言うのも、ばかばかしくなってくる。

しかし、山岡鉄舟も同じことを考えていたようで、性欲を乗り越えるために、別に対してセックスをしたいと思わないけれども、遊女のところに通いつめてばかりいたという。奥さんから、「放蕩をやめてくださらないと、子供と一緒に自害する他ありません」と言われ、結局やめることができたらしいが。

しかし、奥さんに、今俺が話したようなことを説明すると、奥さんはなぜか得心がいって、理解してくれたらしい。だから、もしかしたら、俺のこの狂った活動においても、理解してくれる人は、いるかもしれない。

別に、欲求に流されているわけではなく、芽を潰してもまた生えてくるから、また芽の存在が気になってしまい、芽を潰して、また潰して、心の掃除のつもりでやっていたのである。無限に湧き出てくる、海面の水泡のようなものを、一生懸命、ひっ叩いていたのである。だから、俺は断じて誓っていうが、食べたくて欲求に溺れて食べたことは一度もない。心の中に残っている感じが気がかりで食べてしまうのであった。ステーキの存在が頭に浮かぶと、完全に終わらせたくなってしまい、終わらせることに失敗すると、やれやれ、もう一度か……ということを繰り返してきたにすぎない。

さて、しかし、やはりというか、タバコの中毒性とはなかなか面倒臭いものであり、食事よりも気がかりになる。胃の辺りがモヤモヤする。タバコについても、終わらせようと思って、一箱買って、一本だけ吸って、あとの残りは全部水に浸して吸えないようにしていた。よし、これで終わらせたと思ったら、やっぱり何か存在感のようなものが気になってしまい、あれ、どんな感じだったかな? ん? やっぱりもう一回確かめたいな、と思って、またコンビニに行って一箱買って、一本だけ吸って、また水に浸して、ということを、一日で5回くらいやったことがある。それだけで3000円くらいの損失になるわけである。

こんなことをやっていると、何が苦しくなるかというと、心が苦しくなるのである。なんせ、タバコと食事と両方同時進行でやっているのだから。とにかく苦しみが大きい。

俺は禁煙薬に手を出そうと思った。俺は、ニコチン中毒で吸いたくなっている、というのもあるだろうが、もっと、別の、タバコの存在についての何かを終わらすために吸いたくなってしまうのだが、禁煙薬も、終わらせる旅を手伝ってくれるかもしれない、と思った。

以前、禁煙できたのは、チャンピックスという薬のおかげなのだが、チャンピックスは現在コロナの影響で流通が途絶えていて、買えなかった。そこで、調べていると、ブフロンという薬が、チャンピックスに代わる禁煙薬として人気が高いようだったので、俺はそれを買って試してみることにした。禁煙外来だと金も高くつくし、薬だけ欲しいだけだったから、病院に行くのは嫌だった。しかし、海外サイトから取り寄せるものだから、時間がかかり、結局一ヶ月待つことになった。

さて、届いて、1錠試してみたところ、あまり変化はない。2錠飲んだところでも、あまり効果はない。チャンピックスの時は、胃のムカムカが消えて、タバコを吸うと、信じられないほどタバコが不味くなり、まるでタバコが溜まった灰皿の中の水を飲んでいるような味がしたが、ブフロンだと、そのどちらも起こらない。

「2錠以上の服薬は絶対におやめください」と、薬の説明書に注意書きに書かれており、「以上」ということは2錠も含まれるんだっけ? 「未満」じゃないし? あれ? と思ったけど、俺は構わず2錠飲んでしまっていた。100錠で4500円だから、たくさんあるわ、と思って、構わず、毎日2錠飲み続けていた。しかし、変化はなかった。

ネットでブフロンのレビューを見ていると、「2錠飲むと、頭の中がぐらぐらしてまっすぐ歩けなくなります。私は道路を渡る途中で歩けなくなってしまい、真ん中のところで座り込んでしまって、通りすがりの人に助けてもらいました。道路を渡りきれなかったという経験というのは生まれて初めてです」などの記述や、「気分がハイになる。頭が覚醒してはっきりしすぎて、眠れなくなる」というレビューも多く散見しており、ブフロンは抗うつ薬としても人気のようだった。また、集中力をあげてくれるので、仕事前に服薬する人もいるようだった。それらは当然、1錠分だったと思う。

ふむ。まぁ、みんな1錠飲んで効果があるみたいだけど、俺の場合はまったく変化がない。工場で俺の分だけ間違って振り分けられちゃったんじゃないのか? と本気で思ったが。

しかし、死ぬわけではないだろうと思って、2粒飲んで効かないんじゃ、たぶん3粒飲んでも効かないだろう。えーい! 5粒飲んでしまえ! と思って、一気に5粒飲んでしまった。

結局その後も、2時間たっても3時間たっても何も変わらなかった。なんだ、結局変わんねーんじゃん。なんだこの薬は? なんのためにあるんだ? 空気飲んでるのと変わんねーじゃん。? なんでこれが商売として成立しているんだ? と不思議に思いながら、ドトールで過ごしていた。

朝の10時頃にブフロン5錠を飲んで、それからすぐにドトールに行ったので、飲んだ後の4時間くらいはドトールで過ごしていた(その間、プカプカめっちゃタバコを吸っていたw やっぱり効かねーんじゃんw)。

で、ドトールから帰ってきたのが14時くらいで、しばらくドトールで書いた記事の続きを、部屋で書いていた。

16時ぐらいになった頃だろうか? 俺は椅子から立ち上がったら、目の前がグラグラして、なんだこれは? と思った。やばい、グラグラする! まっすぐ歩けない! ポケモンの地割れ? なんだこれは。脳梗塞の人ってこんな感じか? 脳梗塞の人はレギュラーでこういう感じなのか……? と、グラグラしながらも、グラグラしている様子を客観的に調べたくなるという奇癖が働いて、俺はずっとグラグラする感じを調べていた。(おそらくこういう奇癖が物事を客観的にみる力を育てて、文章を書く上で役立っているように思うが)

なんだこれ? なかなか直らない。ぐわんぐわんする。こりゃぁ、確かに道路渡りきれんわ。青信号の間に渡り切るのは不可能だわ、と思った。お、お、お、おと、ぐわんぐわん揺れながら、しばらく立ったり、歩いたり、座ったりして、調べていた。しかし、10分経っても、20分経って直らないので、一生この状態だったらどうしよう? という不安すらよぎったものである。

しかし、ドトールじゃなくてよかった! ドトールにいるときに、こんな状態になったら、とんでもないことになるところだった。とうとう、この怪しい男は薬に手を出したか。覚醒剤野郎、ラリってやがる、と救急車より警察を呼ばれてしまうかもしれない。

動いたり立ったりすると、脳が揺れるので、そのまま椅子に座って落ち着いていた。 座っている限りは大丈夫だった。まぁ飽きてきたし、いったん横になろうかなと思って(横になっていれば直るよな……? という不安を抱えながら)、置き畳の上に横になった。

すると、脳の後頭部の両脇のあたりが急に冷たくなるような、寒気がするような、ゾッとする感じがして、

 

 

 

今いる自分の場所がまったくの間違いであり、これは夢なのだと、今から夢から覚めるようなんだと、これまでの、この長いこと、ここで、この活動していたのはすべて幻だったのだと、寝ている時に夢を見ているとき、たまにそれに気づいて起き出すことがあるが、あれと似ていた。

これまで、ここで、今この世界で、この活動をしていたことがすべて嘘で、まったくの夢だというように、まわりの景色も自分自身もすべて溶けて、なくなってしまうような気がした。

目の前の景色、部屋、ブロードバンドの光のモデム、扉、キッチン、見慣れた部屋の壁が、それは相変わらず何もない部屋の、いつも見ている景色だったが、それらに横線がいくつも入り、溶けていくような気がした。終わってしまう気がした。ひえ! っとなって、これは怖い、どうなってしまうんだろう? と、この中に吸い込まれてしまったら、と思って、俺はすぐに身体を起こした。しかし、その後も、後頭部の両脇がゾッと寒気がして、体育座りしていたが、同じようにゾッとして、吸い込まれそうになってしまう。立ち上がって動き回っている分には、いくらか減るけれども、止まっていると、吸い込まれそうになってしまう。立ち上がって、台所でタバコを吸ってみたが、やはり、立って止まっているだけも後頭部に吸い込まれそうになった。俺は怖かったので、ゾッとする度に抵抗をしていたが、抵抗しなければ、そのまま吸い込まれることができるような気がした。

次は、入っていってしまおうか。ドキドキ。

これは、もしかしたら、悟りというやつではないか? やっぱりこの世界は幻で、夢で、俺はいつもこの世界が溶け出して、本当の世界を実感することをいつも夢見ていたから、とうとう、その瞬間が訪れたのではないか? 

しかし、ブフロン5錠飲んだしなぁ。

ブフロンの副作用? さすがに5錠は飲みすぎたのか? 本当は2錠で危険らしいからなぁ。

もしこれが大悟の瞬間だったら、なぜ、よりによって今日なんだ? なぜ、ブフロンを5錠飲んだ日に限って起こるんだ? やっぱりブフロンの副作用? 副作用というか、2錠で危険なのだから、5錠では命に関わる? もしかしたら、今、俺は死のうとしている? 単純に、夢から覚めるとかではなくて、死ぬのか? 死? 死ぬから意識が遠のきそうになっているだけ? 死の一歩手前の瞬間って、こういう気分になるのか? じゃあ、なんでそんな危険な薬が普通に売られてんだよ! 

でも、その割には、自分でコントロールできる。入り込もうとすれば入り込めそうだし、このまま抵抗も、なんとかできる。意識を保ち続けることもできる。なんとかこの世界に居続けることもできる。あとは、俺次第だ。臨死体験のとき戻ってこれる人は、こういう気分だったのか? 生きようと強く願う人は戻ってこれる、というのは、こういうことかもしれない。

でも、死ぬなら死ぬで、まぁいいかな、と思った。俺はどこかで、死にたいと思っているところがあって、それは、生きるのが面倒臭くて、面倒臭いということに他ならなく、楽しいこともあるけど、苦しいこともたくさんあって、それらが交互にやってきて、いつも、ずっと、その処理に追われ続けて。これからもずっとこんなことを死ぬまで繰り返していくんだったら、今、ここで終わらした方が幸せなんじゃないかと思った。自分でも何がそんなに苦しいのかわからない、漫然として苦しい。しかし、この世はやはりいい世界だなぁとか思ったり。とにかくワクワクしていることもあったり。自分でもこの辺りはよくわからないでいた。とにかく気分に操作されていた。

これが大悟の瞬間だったらそれはそれでいいし、俺はそれを何より求めていたのだから、それにこしたことはない。もし薬によって死にそうになっているのだとしたら、死んだっていい。それはそれで悪くない死に方だと思った。苦しまずに死んでいける。いちばんいい死に方かもしれない。

でも、怖い。覚悟が決まらない。やっぱり本当に目の前に死が訪れると、怖いものだった。ああ、本当にいいんだろうか。死んでもいいのか。この世にやり直したことないか。本当に? 一応、遺書は書くか。と思って、スマホでフリック入力してお母さんと親友に「今までありがとう」とだけ打って、送ろうとしたけど、なんだか、これから自分が死ぬという悲しい情報を、どうしても送れなくて、そのまま、20万のアーロンチェアに座って、たたずんでいた。

その後も、まだしばらく、ゾッとしたり、しなかったり、選択の自由を許される時間があった。やっぱり頭の後ろ側が何度もゾッとしてやってくるし、振り切ろうと思えば振り切ることができる。まるで三途の川を彷徨っている、ターミナル病院の生命維持装置に繋がれているおじいちゃんも、こんな気持ちなのか。

真我?

俺は今まで、この世界は幻だと思っていたけれども、それは知識として知っていたけれども、実感としては結局わからず。それが初めてわかるような気がした。もう全てが溶けてしまって、二度とこの状態この自分の意識、今いる場所がわからなくなってしまうような、お母さんの顔が何度か浮かんだ。こういう時はやっぱりお母さんの顔が浮かぶのか。

そうか、このまま、孤独死ということで倒れているところを発見されるわけか。たぶん、一ヶ月は誰もやってこないだろうから、変死体となってその異臭によって隣の部屋の人に気づかれるのだろう。ちょうど8月だ。いちばん腐敗が進む時期だ。部屋に異臭がして、隣の人が警察に電話して、その時俺は変な色になっているんだろう。緑色とかになっているのか。

でも、人間の生きたい、という気持ちは強くて。こうして、神の元に行けそうな機会が訪れたのに、いつも、いつも、欲しがっていたのに、もうこの機会を逃したら、次はいつあるかわからない。もう二度とないかもしれない。でも、「死」だったら? 単純に意識が遠のいて死にそうになっているだけだとしたら。

いいじゃないか、死のうが、生きようが! もういい、いいんだ! 俺はアーロンチェアに座ったまま、どうしようか、死のうか生きようか、ずっと考えていた。それは、時間にしたら20分くらいは、そうやっていられたから、とても長い猶予時間を与えられたものだな、と、今、これを書いていて思うが、その時の俺も、すいぶん長く考える時間をくれるもんだなぁと思っていた。

フィフティーフィフティーか。50%、50%。大悟か死か。現実か幻か。幻が死ぬのか。現実が死ぬのか。

気づいたら、俺は2つの世界を同時に見ていることができた。

ちょうど半分半分で同時の画面で見ることができたのである。

右の方に黒くて何もない世界。左の方は今いる世界。

 

 

 

今いる世界といっても、俺の部屋や、俺を映していたわけではない。ありがちな街並み、新宿のような立ち並ぶビル群、サークルの大学生たち、大学生の男女たち、緑の公園、大学のキャンパスや芝生も映っていた。キャンパスライフ? 俺は次に生まれ変わったら、静岡大学の学生として、キャンパスライフを送ってみたいと思っていたから、この映像が映っていたのかもしれない、と今は思う。まぁ、とにかく、新宿のビル群と黒いスーツを着たサラリーマンたち、道路、信号、青い芝生のベンチで戯れる、キャンパスライフを送る大学生たち、が左の世界に映っていたのである。何ら不思議もない、よく晴れた昼下がりの、いつもの世界だった。(今思えば、新宿のビル群のサラリーマンたちと静大の大学生たちが同時に映っていたのだから、おかしいのだけど)

そして、右の方は、完全に暗闇の世界。一条の光さえない。俺は右の画面と左の画面を、同時に見ていることができて、それを、いつもの部屋で、椅子に座って見ている自分の姿も感じ取れていて。いつもの部屋でアーロンチェアに座りながら、二つの世界を見ていることができたから、これらが幻ではなくて現実感覚として実感できた。

そして、右側の、この暗闇の、なんにもない世界のほうに意識を向けることができて、この世界に入ってみたら、直感的な啓示として、自分の精神を持って、魂をもって、すべてを感じることができた。

俺はこのとき、意識だけがあった。意識を右の世界にも左の世界にも、どこにでも向けることができたが、意識しかなかった。そして、黒い世界に意識を向けると、本当に何もない、怖いほど何もない、誕生もなければ終わりもない。あまりにも虚しくて、かわいそうになってしまう、ひとりぼっちの暗闇の世界だけがあった。 しかし不安というものは全くなかった。むしろ、どこか喜びのような感じがあって、激しい歓喜のような喜びではないけど、そのままふわふわ浮いているような、心地のいい喜びだけが続いていた。こんな、こんな何もない世界で、心地がいい状態だけが続いている、これが真理? 悟り? これが答えだったのか? だとしたら、寂しいものだ。しかし、寂しい、悲しい、という感情はなかった。

意識はある。意識があるまま、暗い世界に一人ぼっちにされたら、気が狂ってしまいそうになるだろうが、このとき、肉体もなく、心もなく、意識しかなかったので、苦しいとか悩むとか怖いとか助けてとか、そういう感情が発生しなかった。心がないから、何も感じないのだろう。しかし、ふわふわした喜びはあった。頭では寂しいと思うのだが、心は寂しくなかった。頭も心もないのだけど。

これが死後の世界というものか? 俺は死んでしまったのか? 死んだら、魂だけの存在となってアストラル界というところに旅立つと聞いていたが、これが、アストラル界なのか? しかし、アストラル界は、霊体になった人間とほとんど同じ姿の人たちが暮らしていると聞いたが、どこにもそんな人たちは見当たらない。俺はこの暗闇の中で置き去りにされたままだ。ここは宇宙? どこだ? いったい他の魂達はどこにいるんだ? 俺はずっとここで一人ぼっちにされるのか? と思ったけど、思うだけで、不安はなかった。不安を発生させようとしたって、発生源となるものが見当たらなかった。やっぱり意識だけがあった。

これは? 薬の幻覚? 今、俺は死のうとしている? っていうか、死んだ?

だが、はっきりとなぜかわかった。これが真我、真我、というもの違いない。

これがすべてですよ。これです。これがあなたの求めていたものです。これが真実です。これです。

と、魂に直接訴えかけられたような気がして、おおおお、これが大悟か……! 悟り……! ぜんぶ、ぜんぶわかったぞ! 俺は今ぜんぶわかる……! これだ! ぜんぶわかる……!

おおおおお……! 

そして、左に見えている、サラリーマン達と静大の学生たちは幻なんですよ、いいですか、覚えておきなさい、幻、幻、幻、と、何度も俺に教えてくれるように、何度も教えてくれた。

そして、それをまるで証拠だというかのように、俺は大学生達がいる左の世界を見ながら、右側の黒い世界が見えていて、左の世界だけを引っ込めたり出したりすることができた。簡単に意識一つで、本を閉じたり開いたりするように、自分で消したり現したりすることができたので、ああ、幻なのか、と納得できた。これは、何度も覚えておきなさい、と言われた。

そして、閉じたり開いたりしていたら、キャンパスの芝生のベンチに大学生達が座っていて、その中に俺もいた。俺は彼らと楽しく交流していた。楽しく交流していたけれども、少し言葉を間違えたりして、コミュニケーションにミスが生じると、俺は失敗したと思い、その瞬間に、その世界を閉じてしまえることができた。本を閉じるように、パッと閉じてしまえば、本当に世界が丸ごと消えてしまうのである。そしてまた、開こうと思えば開くことができる。

そうなってくると、今こいつらと話している必要はあるのか? と思った。これなら、恥をかいたり、失敗しても、いくらでもやり直しが効く。やり直しが効くというより、ぜんぶなかったことにしてしまえる。また、困っている女の子がいて、その子が車に撥ねられて血を流していたけど、みんな心配していて、あくせく助けようとしていたけど、俺はどうしようか迷っていた。助けることもできるけど、助けないこともできる。助けたとしても、助けなかったとしても、本を閉じてしまえば、同じ結果になるだけだ。

俺だけだ。俺だけがひとりぼっちだ。俺だけがこのことに気づいている。俺が世界を動かしている? かと思ったら、そうではなかった。この世界(左に映っているキャンパスライフの映像)は、すべて神が動かしているということがわかった。彼らは芝生で寝転んだり、お弁当を食べたりして、恋の悩みとかを話したりして、車に撥ねられて血を流していたりしていたが(なぜかその車は救急車だった)、すべてが意図されたように動かされているだけ。しかし本人達はどうしたって気付けない。俺だけが気づいている。

神が動かしているのだけど、映し出しているのは神ではなかった。この左の世界を映し出しているのは、右の黒い世界の一点から、映写機のように、スクリーンのように投影しているだけであって、それは黒い世界でたった一人ぼっちでいる俺が映し出していて、だから、俺は自在にこれを消したり点けたりすることができた。

そこで俺は、生来のお調子者の性格もちゃんと残っていることに気づいていた。あえて、エロいことを考えてみようと思って、ちんこと思ったら、ちんこと思うことができた。

俺はこの左の画面を自由に消したり点けたりできるのだが、画面の中にキャンパスライフを送っている俺がいて、部屋でアーロンチェアに座っている俺もいて、この秘密を誰にもばらさず、ただこの世界で与えられて役を演じて、みんなと戯れている。

神が、この世界の秩序やバランスを保っていて、俺はそれには指一本触れられないけど、映し出しているのは俺だった。

そして、記憶が大事、といっていた。記憶しておきなさい。このことは記憶しておきなさい。記憶しておこう。記憶、記憶、記憶。俺はずっと、記憶と心の中で連呼していて、また、魂にも記憶が大事と直接メッセージを届けられ続けていた。俺と同じように、この世界を体験した先人の人たちは、この世界で体験したことを記憶として書いている? と言っていて、このことを覚えておきなさいと何度も言われたけど、俺もすごい大事だと思って、記憶、記憶、と何度も記憶を握りしめていたけど、結局忘れてしまった。そして、俺のように気づいている、この経験から帰ってきて、その記憶を頼りにして、生きている? 人がいくらでもいて、他の街を歩いている人も、それを記憶? して生きている、と言っていて、それが大事だと、今思えば意味不明で、しかし、それが大事だから記憶しておけと言われて、俺もその時はそのことがすごい大事だと思っていたから納得できていたのだが、(記憶、記憶……)と念じていたけど、今はもうこの通り、ほとんど忘れてしまった。

これは、元の世界に戻されるから、記憶しておけってことか? いや、それは困る。俺はもうずっとこの世界でいい。

悟りを開いた人間だったらいいけど、じっさい、誰かの臨死体験だったり、プチ悟り系の、変なスピリチュアルの卵みたいな奴が、こういう話をしだすと、ナルシストでむかつくし、殺したくなるし、お前がその世界を妄想ばっかしているから、そういう映像が出てきたんだろ、バカが。と思うものだが。

ラマナマハルシも、霊的修行の修行者は、瞑想していると、こういう現象を見ることがあり、それで悟ったと勘違いして、中途半端に先生になりたがる連中が多く、そういう輩のせいで、社会や世界は大変迷惑していると言っていたから、それは俺も気をつけようと思っていた。本当に悟った時は悟ったとわかるだろう。

俺もこういう話を聞くのは嫌いで、話すのはもっと嫌いで、しかし、この後に起こる体験について、本当はそれだけを話したいのだけど、それについて話すには、やはりこの幻覚のような話をしなければならないのだ。

まぁ、エンタメとして楽しんでくれればいい。

これは恩寵だよ。恩寵なんですよ。たくさんあなたが求めたから、これは恩寵ですと、何度も何度も届いてきた。

実のところ、初めの後頭部がゾクッとしたあたりから、恩寵、恩寵という声が響いてくる気がした。俺も魂の実感として、恩寵なんだ、ということを感じた。

タバコもやめられず1年間吸っているし、昨日だってアイスを8本を食べてしまったし、台所のシンクにおしっこするし、瞑想はしないし、オナニーはするし、そのままちんこ出しっぱなしでPCを開いてYouTube見るし、これを全部神に見られていたとすると、これは無理かもな……、と思っていた。

だって、俺は本当は修行なんてしていないし、瞑想だって15分として続かないし、それなのに、ブログでは偉そうなこと言っている俺ですよ? 俺が? どうして? だってタバコ吸ってるんですよ? ブログでいつもあんな下品な言葉書いているんですよ? どうして俺なんですか?

””恩寵””

と言っていた。

でも、恩寵ならどうして、ブフロンを5錠飲んだ日に? 

これじゃあ、ブフロンの副作用の幻覚としか思えないですよ! なんだってブフロンの日に!

神様! 俺、YouTube見てるんですよ!

これがブフロン5錠飲んだ日じゃなかったら信じられたのに! 薬のせいで、副作用の幻覚にしか思えないですよ! 臨死体験でしかないのか!? どっちなんだ!? でも、肌として、魂として、実感として、どうしたって現実に感じられる。しかし、こういうときは誰だって現実に感じられるに違いない。寝てみるときの夢だって現実にしか感じられないんだから。っていうか、現在が幻に感じる時なんてあるか? ないだろ。

俺はこの生活をしていて、もしかしたら、一瞬どこかで全てがわかる日が訪れて、この世界が溶けて全てがハッキリする日が来ると信じ込んでいて、散歩するときも、ずっとそんなことを夢想して歩いていたから、やっぱり願望と、ブフロンの副作用が混じって現れただけ? 意識が薄くなって、頭がこんがらがってしまって、潜在意識が実現したのか? しかし、ずっと、それが起こるんじゃないかと期待ばかりしてきたけれども、そんなことはやっぱり起こらなくて、起こらないことが苦しくても悶えたりして。

”君は、ぜんぜん節制も何もできてないけど、修行もぜんぜんできていないけど、かわいそうだから見せてあげる”

と、そう言っている気がした。

「運がいいんですね」

”そう、君は、運がいいんだ”

「僕は、苦しみが多かった気がするけど、やっぱり運がいい気がします」

時間としてはこの現象は2時間くらい続いていた。さすがに2時間ぐらいずっとこの時間が続いていたので、考える時間がたくさんあり、頭がハッキリして冷静だったので、いろんなことを考えていた。2時間くらい、この二つの画面を見続けることができたので、現実としか思えなかった。そして、これは真実だからちゃんと覚えておきなさいと何度も言われた。

俺はいったんアーロンチェアから立ち上がって、台所に行って、タバコを一服して、もう一回戻ってきて、椅子に座って、まだ普通に見続けることができた。これはもしかしたら、一生見続けることができるかもしれない、という確信さえあった。まるで1人勝ちのような、1人だけこの世界から抜け出ることができたと思って、とても嬉しくなっていた。しかし、それもおかしい。もしこれが悟りだとしたら、この優越感は何だ? 一人勝ち? なぜ悟ったならば、こんな驕りのような、偉そうな気持ちが残っているのか?

(アーロンチェア)

俺は自分が座っている椅子について、疑問を覚えた。

俺はアーロンチェアに座りながら、この映像を見ているのか。

(ラマナマハルシが正しかったのか)

俺はいろんな本を読んきたけど、ラマナが話していたことと、一致しているところが多かった。

へぇ、色々みんな言ってるけど、結局ラマナが正しかったのか。というのも、その時の姿勢というのが、だらけた姿勢で椅子に座っていたのだ。脊髄をまっすぐしなければ、神との連絡路が途絶えてしまうと思っていたから、 姿勢が悪ければダメだと思っていたし。

しかし、姿勢というか、すべてがひどかった。昨日はアイスを8本食べたし、その前の日は、実験と称して、セブンで蒙古坦々麺をチーズをいれて食べたりしていて、今も、立ち上がって、台所にタバコを吸いに行ってしまったし。なんだ? これらは全部関係ないのか? 

しばらくは菜食生活をして、きちんと体内の浄化ができた後でないと、ダメだと思っていたが。

そうか。俺は肥田先生の本をいちばん参考にして、中心力のトレーニングばかりしていたけれども、なんだ、ラマナマハルシだったのか。だって姿勢が崩れている。俺はひどい姿勢でアーロンチェアに座っていた。肥田先生は体重心と精神の重心、それらの重心をひとつにして、その姿勢によって、神を知ることができると言っていて、俺はその姿勢を研究していたけど。本当に、俺はこの時、ひどい姿勢だった。姿勢も食べ物も関係ないのか?

↑その時の姿勢

確かに、ラマナマハルシは若干17歳で悟りを開いているから、早さでいったらいちばん早い。俺は、ラマナマハルシの本が読みたくなってしまって、本棚から取り出してきた。二つの画面がある中で、椅子に座って本を読んでいる俺の姿もあり、俺はそのままラマナマハルシの本を読んでいた。本も何も、右の黒い画面が全部教えてくれるっていうんだから、そこに聞けばいいのに、俺はなぜかずっとラマナマハルシの本を読んでいた。

すると、いつもより本がすらすらと読めて、本を読むときに中心軸みたいなものがあって、心の真ん中に縦線のようなものが入って、そこから気をそらさないでいると、どこまでも集中して読むことができた。中心の左右に想念のようなものがいくつも浮かんだりはするものの、それは弱く、くっつくことはなく、俺はただ中心に居続けて読むことができた。

俺はいつも、本を読んでいる時は、すぐに別のことを考えだしたりして、想念と一つになってしまって、と思ったら今度は別の想念と一つになったりしていて、20ページも30ページも続けて読むことができなくて、ひどいときは、1ページすら読めないこともあり、そういうことが、この時はまったく起こらなかった。

別に集中しているわけでもない。そうか、集中というのは、一つの真ん中のラインに意識を向けたら、そこから他のところに浮かぶ想念と一つにならない限りは、こうやって、ずっと自分の決めた一つの心と向き合っていることができるのだ、ということを知った。俺は面白くて、いつまでもずっとラマナマハルシの本を読んでいた。こんなにストレスなく本を読めるのは初めてだった。集中もしていなかった。

すると、そうしている間も、魂に声のようなものが命じられてきた。

”恩寵”

結局こういう世界を見たり聞いたり、立ち入ることが許されるのは、自分の努力だけじゃどうしたって無理で、ヨガナンダ先生も、神を知るのは、自分の努力が25%、グル(師匠)の努力が25%、恩寵が50%と言っていたけれども、いま俺に起こっている現象としては、100%神の恩寵だったと思っている。

行為というのは、神が行うのだから、それに全部まかせること。それを強く戒められた。 結局人間なんてものは、生まれた時から器量というものは決まっていて、しかし、何者かになりたがって、誰かを羨ましがって、自分の道を踏み外してしまうけれども、 その自分の力と言うものも、自分で出すわけではなく、自分で出せるものでもなく、自分の力を100%引きだすには、ただ神に使われるしかない。しかし心の中に一物あると、その連絡路が途絶えてしまって、力を発動できなくなってしまう。だから覚悟を決めなさい。放棄しなさい、と、直覚的に、そう言われたのである。

まぁ、たまにはこんな記事もいいだろう。 俺が本物か偽物かは、どうしたってわかってしまうんだから。

結局これはブフロンの幻覚作用だったのか? ブフロンは抗うつ薬でもあり、気分をハイにさせる、脳に一種の快楽物質を与えるとはあるが、幻覚作用が見られます、なんてことは書かれていない。しかし、5粒飲んだときは幻覚作用が起こるのか?

まぁ、それはもう一度5粒飲めばはっきりするところであり、しかし、5粒だと耐性ができてしまっていて、次は10粒飲まないと、難しいかもしれない。10錠飲めば、もっとすごい映像に出会えるのか?

その実験は、後日にやるとして。現在は、現在で、また別の心境の変化が起こっているので、今はその研究に専念したいと思っている。

これをきっかけに、確かに、今、俺の中で妙な変化が起こっているのである。霊的修行者にありがちな、ただの一つの妄想して片付けてくれて構わないのだが、俺も日記として、これを書いているに過ぎず、参考にしてもらいたくもないのだが。(参考ってなんだ? ブフロン5錠飲めってか?w)※基本的にはブフロンは2錠で頭がぐらぐらして危険だそうで、一応、薬の注意書きに、2錠以上は飲むな、と書いてあるので、自己責任でお願いします。

俺は正直、悟りたいというよりも、いつも、このまとわりついている心というものが、憎くて憎くて仕方なくて、破壊してやりたいと思っていた。この、心が、いつも自分の思い通りにならなくて、アイスを8本食べたり、心の暴政を許してしまっていて、それが、どうしても許せなくて仕方がなかった。

心だけは思い通りにできない、自分の思ったように絶対に動いてくれない。苦しい時は苦しいし、落ち込む時はどこまでも落ち込んでしまう。気が散るときは気が散って、集中しなきゃいけないときにどうでもいいYouTube動画を見て先送りしてしまう。食べ物は食べてしまう。タバコは吸ってしまう。俺は一生こうなのかな? 直らない。直せない。まぁ、それでも800記事ぐらい書いてきたし? まったく何もやってないわけでもない。人間なんだから、誰だって、こんなもんだ。なんにせよ、一日にドトールで4時間ぐらい書いていたりするし、まぁいいじゃない。しかし時間をいつも無駄に垂れ流しているなぁ、と後悔ばかりしていた。それがいつも苦しかった。いつも心を憎んでいた。

しかし憎んだところでどうにもならず、憎めば憎むほど、むしろ傷は倍加して、余計に苦しくなってしまう。気分が良い日はまぁそれなりの気分は良いけれども、それだってムラがあって、意識的にいつもそういう状態でいられるわけでもないし、まぁ、心なんてそんなものだし、割り切って生きていけばいいのだろうけど、本当に、心に従って、動かされているような、心の支配下に置かれて、どうしようもないなぁと思って 、何とか取り外せないかと思っていた。

そして、ちょうど、なんとなく、もう一度、ラマナマハルシの本を、パッと開いたページに、

放棄とは心の中にあり、義務や責任を捨てて森林や人里離れたところに入っていくことではない。重要な事は心が外側を向かず、内側へと向かうことである。それは本当に、あなたが仕事を放棄するかしないか、この場所で行くかあの場所へ行くかといった問題ではない。そういった事はすべて運命にしたがって起こる。身体が通り抜けるすべての行動は、それが生まれたときに決定されているのである。唯一あなたに与えられた自由は、心を内面へと向け、そこで活動を放棄することだけである。

と書かれていた。そして、これを読んでいる時も、目の前にはまだ二つの画面が続いていて、黒い画面が俺に対して、

”決まっている瞬間に恩寵は起こる。あなたがコントロールできることではない。だから恩寵を期待したり、悟りを期待しても無意味で、起こる時に決まって起こるから、ただ静かにしていればいい。期待して、不安になったり、苦しんだり、心を動かさなくていい。ただ静かにしていなさい”

そう言われた気がした。

俺はじゃあそうか。悟ろうとかこうしようとか望みを一切捨てて、起こるものは全て起こるのだから、その中で心を戦わせても無駄だ。ただ心を忙しくして疲れさせるばかりだ。同じ起こることがあるのに、同じ未来が待ち受けているだけなのに、心の中を期待と不安でいつも戦わせて苦しんでいるよりは、何もない方が、ずっといい。気を揉むだけ、無意味もいいところだ。よし、俺は期待しない。俺は心の中を何もない状態にしてやればいいんだ! 俺ができることは唯一それだけなんだと、すべてがわかった気がした。すべて決まっているのか。天風先生も人の寿命を秒単位で言い当てていたし、これから起こることから逆算しないと、そんなことできないよなぁ? この一例だけでも、そういうものと思えるけれども(天風先生は運命論を否定しているが)

そうしてラマナマハルシの本を読んでいる間、脳の中でずっと変な動きが起こり続けていた。

中心があるとする。中心の周りにいくつかの想念がある。その想念のどれの一つとも結びつかずにいると、ただ中心だけが維持される。本を読んでいる時、ずっとそんな感覚があった。なぜか、これは初めての感覚だが、まったく想念の一つと結びつかなかったのだ。

するとどうなるかというと、想念とくっつかないで、中心のままに(本の内容)に維持できるので、つまり「徹する」ということができるのではあるけれども、そうすると、脳がピカ! ピカ! と光るのである。

まるで、いつもは想念と一つになっていたけど、こうやって無理やり中心に縛り付けられるのはストレスだというように、脳のあちこちがバンバン動き出して、熱くなったり、光ったり、前頭葉、後頭葉、側頭葉、後頭葉、あるいはいっぺんに全部、あらゆる箇所が激しくブゥゥンと鈍い、鈍重のような感覚が起こって、しかし、痛いということはなくて。

18時ごろか。本をしばらく読んでいたけれど、本を閉じた時は、スクリーンの映像は消えてしまっていた。二つの画面は消えてしまっていた。しかし、俺はそんなにショックをうけなかった。どうして俺はそんなにショックを受けないんだろう? ずっとこの画面といられたらよかったのに。この現実世界が幻だとしたら、俺はそこから抜け出したところにいたかったのに。せめて、行き来できるようになりたかった。

しかし、心にショックが起こらないのである。不思議だったが、この後、ずっと変な感じになってしまった。

心のどこを探しても、想念というものが浮かび上がらない。あれだけうるさかった、雑念妄念というのがないのである。頭はすっきりしていて、ずっと空っぽで、心も空っぽで、何も入り込まない、何か入っても、すぐに消えてしまう。中心だけがあって、中心以外の、あちこちに浮かぶ想念、いつもは、それと一緒になってしまっていたけど、それが起こらない。ずっと一定。ずっと中心。

なんだこれは?

これは、俺じゃない。やっぱり夢を見ているのか? これも夢? まだ夢?

俺は椅子から立ち上がって、部屋の中をうろうろしたり、していた。

苦悩は? 苦悩したくたってできない。心の中の不安や苦しみ、怒り、マイナス感情、どこを探しても見当たらない、俺は苦悩と戯れるのが好きで、苦悩と決着をつけたいから、いつも心の引き出しの中から苦悩を引っ張り出して対峙していたけど、それが、ないのである。

脳の可動域が恐ろしく狭まってしまったような、心の伸びやかさ、柔軟性、そういったものがなくなり、あちこちに気が散っていたのが、それがない。

怖さもあるけど、その恐怖とも一つになれない。

頭が、中心以外はロックしてしまったように、他の想念が次々と通り過ぎていくだけで、どうやってもひとつになれないのである。

これが悟り? 大悟? こんな話は聞いたことがない、病気? ブフロンの副作用? 自分で想念を避けたり、一生懸命に抵抗しているのならわかるが、逆なのである。中心の方が追い払ってしまうのである。

ものすごく、頑張って、頑張って、たったひとつの、たったひとつの想念に合わせようと思っても、くっつかない。何か別のところに心を移そうと思っても、移り変わらない。

な、な、な、な、なんじゃこりゃあ!?

でも、面白くて、嬉しくて、ずっと、いつまでも透徹で、澄んでいるから、それに、苦悩や、嫌な想念、いつもこの想念と一つになって苦しめられていたから、そこから抜け出せることができて、とても嬉しくなってしまった。

俺は外に出てみた。スーパーに行ってみた。しかし、やはり、どこにも想念が浮かばない。散歩をしてみた。やはり、想念が浮かばない。夜の20時ごろ、グルグル近所を回ってみたが、やっぱり何も浮かばない。

ラマナマハルシは、

「いったん心が壊されると、想念を一つ浮かび上がらせることすら難しくなる」

と言っていて、 初めてこの文章を読んだ時は、想念だらけの俺は、何言ってんだと思って、そんなことがあるのか? あるわけないだろう? 想念が一つも浮かばないなんて。あるわけねーじゃねーか。そんなの人間じゃねーじゃねーか。何なんだそりゃ? あったとしても、そんな心境はぜったいに俺には訪れないだろうと思っていたが、しかし、この言葉にひどく惹かれて、いったいそれはどんなもんだろう? と思って、当時はその想念と一つになって、いつまでも夢想していたが。

まるで世界が息の根を止めたかのように静かだった。透き通っていて、いつまでも気持ちいい。しかし、買い物もできる。散歩もできる。何をやるにしても、特別困るということはない。とりあえずやろうと思ったことはやれている。

そして、部屋に帰ってきた俺は、いつまでも座っていた。寝る気にはなれなかった。頭が覚醒していて、とても寝れない。しかし、疲れたりすることがない。とにかく元気なのである。腹も減らない。これは? ブフロンの効果? すごい、ブフロンというのは、想念を除去する働きがあるのか?

しかし、さっきは幻覚を見せておいて、今度は想念を除去するだって? えらい万能な薬じゃねーか。そんなのが4500円で売られていていいのか? 

しかし、一つだけ気がかりだったのが、もし明日朝起きたら、元に戻ってしまっているんじゃないかということだ。ブフロンの効果だとしたら、明日の朝には戻っているだろう。朝の10時に飲んで、夜の20時だったから、10時間も効果が続くのか? 5粒食べたら、効果時間も5倍になるのか?

また、朝、起きた時、いつもの自分に戻っていたらショックだな。ずっとこれでいたいな。しかし、そう思えばそう思うほど、はやく寝てしまいたくなった。どうせお別れするのだったら早い方がいい。変に期待を持ちたくなかったからだ。これが今日この時だけの一時的なものだったら、そんなに大事にするものではない。そして、明日、朝起きて、元に戻っているかどうか早く確かめたかった。

そして、ずっと、布団の中でも、中心感覚だけが続いていて、他の想念と一つになるということがなかった。なかなか寝ようとも寝つけないので、結局一晩中、ずっと頭がハッキリしたままだったけれども。中心一点に結びついたまま、他の想念と一つになれない。これは病気? と思って、不安らしきものが見えないこともなかったが、不安と一つになろうと思ってもなれないので、不安になれなかったのである。

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