恋愛 創作物

道子様に告らせたい! 6

実習も数日経って慣れてくると、俺は同じ人の見学にしかつかなくなった。

普通は、2回続けて同じセラピストの見学にはつかないものだが、俺は3回も4回も同じセラピストの見学についていた。そのセラピストは、21歳の新人で、あの、「みんな、講堂に行くぜ!」とやって失敗した山梨とよく似ていた。顔も背も気の弱そうなところも、ちんこの毛が生えてなさそうなところも、アザラシの赤ちゃんみたいな見た目もそっくりであり、何ひとつ学校の山梨と違いを見つけるのが難しいぐらいだった。彼(面倒臭いから山梨と呼ぶことにする)は、柳田先生と同期で入ってきた新人PTであった。

このリハビリ科には、PT、OT、STと、セラピストは10名程度おり、実習生は、好きなセラピストを選んで見学に入ることができる。一回の施術は20分なので、一度見学に入ったら、横で椅子に座って見続け、施術が終わると、セラピストはナースステーションに行って、今しがた担当した患者のカルテを取り出して診療記録を書くので、実習生は、こうしてセラピストがカルテを書いている間に、質疑応答時間を与えられる。つまり、一度見学に入ったら、セラピストが次の患者の施術に当たるまでの間、金魚の糞のようにくっついて回るようになる。

(僕のリハビリなんて見てもしょうがないのに……)と山梨は思っていたに違いないが、口に出せないでいた。山梨はずっと俺に見られていることに緊張して、「あの……、これは、キ……、キンニ……、キ……」と、どっちが危篤の患者がわからないような話し方をしていたが、俺は山梨の前だとひどく心が落ち着くので、放心したように、ぼーっと座っていた。山梨の方も緊張状態は長く続かないようで、だんだんと普段の自分を取り戻し、この見学者に話しかける必要はないのだとどこかで悟ったあとは、俺の前で平気でタラタラと仕事をするようになった。

山梨はサボり魔だった。緊張していない時はサボるしかしない。大体、おとなしい、おとなしすぎるタイプの人間というのは、サボり魔であることが多い。性格を隠れ蓑にして、自分はおとなしい性格だから大目に見てと言っているのだ。外側のすべてをサボりたいから、おとなしい仮面をかぶっている。彼はだんだんと本性を表し、彼もまた俺の前でボーッと雑誌を読むような手つきで施術をするようになった。リハビリ室だと、他のセラピストの目があるので小道具を用意したり、熱心に取り組んでいるポーズを見せるけど、病室の固有空間にある患者さん相手だと、彼はずっと壁の一点を見つめていて、家に帰ったらプレイする予定のゲームのことを考えながら、足を揉んでいた。二人でずっと無空間にいるような、一言も話さず、夢心地のような時間が続いた。俺は思わず黙ってトイレに行きそうにまでなってしまった。俺は黙って山梨の後をくっついてまわって、二人で無言のまま病棟内を歩き回った。学校の山梨に言ってやりたかった。お前くらいおとなしくてもちゃんとやれるって。

「しまるこくーん、トランプやるよー」

「はーーい!」と俺は答えた。

「ねぇ聞いたみんな今の!? 『はーーい』だって! 本当、調子がいいキャラねぇ」

俺はよくおばちゃんOT(作業療法士)にトランプを誘われた。

別に読み飛ばしてくれていいが、一応、PT(理学療法士)とOT(作業療法士)の違いについて簡単に説明しておく。ST(言語聴覚士)は割愛する。

よく言われるのが、「足はPT、手はOT」というものだ。立つ、歩く、起きる、座る、などの基本的身体動作をPTが担当し、歯を磨く、文字を書く、料理、入浴、着替え、洗濯などの、日常的な生活動作をOTが担当する、と言ったところだろうか。基本的な身体動作ができるようになっても、退院して家に戻って、料理などの日常生活ができなかったら意味がないので、こうして二つの側面からアプローチされていく。それに加え、OTは精神病や高次脳障害なども専門分野であるため、パズル、トランプなど、遊戯を通じて患者を楽しませながら認知機能訓練を行う。これは外から見たら患者と一緒に遊んでいるようにしか見えないところがあり、そのためバカにされることもあるが、その視線の中で働いているのがOTである。PTの方が硬派なリハビリをしているように見えるために、PTの方がOTより偉いと思われる風潮は少なからずある。家事動作のリハビリを行うため、OTの方が女性は多い。

「しまるこくーん、やるよー」

「はい!!!」

おばちゃんOT(工藤 晴美)はいつも俺を笑っていた。いい年した26歳の男が、再起を図るために国家資格を取得しようと、そのためにこうして実習地に来ているというのに、ヘラヘラしているのが面白かったらしい。

人生を舐めている。生活保護者が給付金でパチンコやってるような、それもまた一周回ってみると、ダメすぎて面白いというか、俺がただリハビリ室を歩いているだけで、「もう、ダメねぇ……」と、どこでもそんな顔をされ、微笑ましく笑いかけてくるようで、それを問題としない俺としては都合がよかった。工藤先生は面白がって俺を誘うし、俺もぜひもないと入っていくので、一日のほとんどが工藤先生の見学(トランプ)になってしまった。

これが、他の先生たちにとって、不評だった。この学生はPTの学生なのに、なぜトランプばかりやっているのか? なぜOTの見学ばかりしているのか? 明らかにPTの見学よりOTの見学の方が多い。工藤先生がトランプをやるときは、必ず見学に入る。トランプは二人でやるより大勢でやる方が楽しいし、患者にとっても接する人間が増えるのはいいことだ、OTのリハビリもどんなものか見学しておくのも一興だろう。しかし、『OTの見学の方が多い』とはどういうことか?

確かに、俺は、4:6くらいの割合で、OTの見学ばかりしていた(といっても、工藤先生のところだけ)

ヤマナシ⇨トランプ⇨ヤマナシ⇨トランプ⇨トランプ⇨ヤマナシ⇨ヤマナシ⇨トランプ⇨トランプ⇨トランプ

これが俺の実習時のルーチンワークだった。

道子もOTの見学に入ることはあったが、日に一回あるかどうかで、一週間の見学を通じて、3、4回程度しか入らなかったんじゃないかと思う。トランプをやっているところは見たことがなかった。自分のバイザー(柳田先生)の見学を多めに入れながらも、なるべくどの先生にも偏らないようにして、まんべんなく見学するという、あざとい、ヤリマン的な発想で当たっていた。

さて……と。トランプを終えて、俺はリハビリ室にてぼーっと突っ立っていた。次は山梨に行くか、またトランプするか迷っていたところ、事務のババアが急に現れて、怒鳴りつけてきた。

「あんた、いい加減にしなさいよ!!!」

親の仇のように、猛烈に俺の顔を睨んでくる。

「あんたねぇ、いつもギリギリにやってきて、臼井君と一緒に着替えてるけど、どういうつもり!? ふつう実習生って先生たちより早くきて、着替えて準備しておくもんでしょ!? 岩田さんもそうしてるでしょ? 先生と一緒に更衣室で着替えてる学生、初めて見たわよ!」

突然、着替えのことを指摘された。とにかく溜まっていることを吐き出したくて、順番も何もあったもんじゃなさそうだった。

患者も先生たちも、臼井も、柳田先生も、道子も、工藤先生も、山梨も、全員釘つけになってこちらを見ていた。それまで楽しそうに行われていたリハビリ室内の患者とセラピストの会話も止まった。

この事務のおばさんは、リハビリ助手という体で雇われてあり、簡単な書類を作成したり、リハビリマシンの清拭だったりと、KCというセラピストが着る服を洗ったり、お手伝いさんみたいものだ。国家資格は持たず、医療事務や介護事務の資格すらない。

岩のような顔をしており、バガボンドに出てくる又八のババアに似ていた。シワが深くて固そうで、性格が悪いのが顔に出過ぎて悪魔みたいになってしまっている。性格が顔を作っているのか、顔が性格を作っているのか、それともそれらが掛け算されているのか、とにかくすごい顔だった。俺を怒るために生まれてきたような顔だった。

「いっつもいっつもトランプばっかやって!」

トランプ? トランプは関係ねーだろ、なんで事務のババアにリハビリのことまで口出しされなきゃならないんだ? 

「あんた、挨拶してる!?」

「してますけど」

「みんな言ってるよ! 挨拶しないって!」

おかしい。俺は挨拶をしている。朝、すれ違うたびに全員に挨拶をしていた。俺は見学に入らない先生たちには嫌われているのはわかっていたから、それでもちゃんと挨拶をする自分を偉いとまで思っていた。

「あんた! 先生たちに自己紹介してないでしょ!!」

「自己紹介? したと思いますが……。『○○リハビリテーション学校から来たしまるこです。一週間という短い間ですが、ここでの経験を持ち帰って、今後に活かしたいと思います。よろしくお願いします』って、最初の自己紹介の時に、朝礼の時にやったと思いますが……」

「ちゃんと、先生たち一人ひとりに回って自己紹介しなかったでしょ! あんた、全体に挨拶したって言うけど、その日休んでいた先生たちもいるわけでしょ!? その先生たちからするとびっくりするでしょ! この人誰だろう? なんで当たり前のような顔してリハ室にいるんだろうって! 私もそう思ったわよ! 普通、名札を見せて、こういう者ですって、言いに行くでしょう! 誰かに言われなくても、ちょっとした隙間時間を見つけて、まだ挨拶してなかった先生のところに、自分から挨拶しに行くものでしょ!? 会社勤めしたことあるでしょ!?」

そう言って、ババアは、クイっと自分のネームプレートを動かして、叫んだ。「現役の子でもちゃんと挨拶するよ!!!」ゴリラのドラミングに見えた。

初めて話したが、俺は初めてリハビリ室でこのババアを見た時から、こうなることはわかっていた。大体、いつも、こういうババアと確執を起こすからだ。 50歳ぐらいだろうか? 工藤先生と同じくらいの歳に見える。同じ女でも、こうも差が出るものか。女は、檀れいみたいな年の取り方ができる女もいるのに、どこで間違えるんだろう? 30個下の柳田先生に負けてんじゃん。ババアが結婚しているかどうかは知らんが、離婚した時のために、いつでも再婚できるような女でいようとは思わないのだろうか? 俺はババアと一緒に生活している夫が気の毒になった。道子はなぜか、このババアと話したりしていた。ババアも道子と話すときは優しい顔をしていた。「ねぇ、あんたうちの病院に来なさいよ」と、まだ二日目か三日目にして、そんなふうに声をかけられたりしていた。

俺は、道子にこの姿を見られていることだけが嫌だった。道子は母親のような顔でこちらを見ていた。自分が怒られているような、俺よりも心を痛ませているような顔をしていた。白井も、柳田先生も、辛そうな顔をしていた。山梨は普段と変わらない顔をしていた。工藤先生は、あーあ、やっちゃったね、というような、顔をしていた。

ほらな、言っただろ? ちんぐり返しすることになるって。三日目にしてこれだ。せめて怒るならさ、人目のつかないところに呼び出して怒れよ。それが武士の情けってもんだろ? とんだ赤っ恥だよ。今、こうして、みんなの前で挨拶しなかったことを注意されているなら、今、挨拶しているようなもんじゃねーか。

クソ、俺が自殺したらどうすんだよ。俺は今、どうしようもなく死にたくなってる。道子にだけはこの姿を見られたくなかった。なんで事務のババアにここまでされなきゃならないんだ? 恥ずかし目だ。恥ずかし目を目的としてんのか? しゃしゃり出てくんじゃねーよ! ババアが! 自分が無資格だからってコンプレックスを学生にぶつけやがって! そうやって学生を落として回ってんだろ! お前の仕事はなんだ? 事務だろ? うがいをしましょうってお手紙書くんだろ? 書いてろよ……!

やはり品格は学歴がものを言う。リハビリの先生たちは陰湿だがこういう下品な真似をしない。リハビリ室に資格をもたねぇ薄汚ねぇ野良犬が紛れ込んでいるぜ? 国家資格保持者以外、立ち入り禁止にしとけよ。まぁ、俺もまだ持ってないんだけどな。

「すごい怒られてましたねぇ」

「大場さんはねぇ、敵に回さない方がいいよ。そういう言い方も良くないか……。いい人なんだけどね」

「……」

食堂で、臼井と柳田先生と道子は俺を励ましてくれた。

「普段はしまるこさん挨拶してると思いますけど、いちばん最初の挨拶はしました? 俺のところにも挨拶がなかったって声が入ってきますよ、他の先生たちから」

「一人ひとり挨拶した?」と柳田先生が聞いてきた。

「多分、見学に入らないから、挨拶したことになってないんですよ」と道子が言った。

「しまるこ君、全体に挨拶したって言うけど、その日休んでいた先生たちもいたんだよ。先生の方から自己紹介しにくるわけないでしょ? 自分から行かなきゃ。私だって、やったよ?」

「取りこぼしたってわけか」

「取りこぼしたっていうか……まぁ……」

「しまるこさん、山梨先生と工藤先生しか見学に入らないから、挨拶したことになってないんだと思います」と道子がまた同じことを言った。

挨拶、挨拶、うるせーな。そんなにみんな俺に挨拶してもらいたかったのか? どんだけ俺の愛を求めてんだよ。俺の挨拶がなきゃ仕事ひとつまともにこなせられねーのか? 僕に挨拶してもらえなかったとか、よくそんな拗ねた女みたいな発言できるな。恥ずかしくないのか?

「先生の方から自己紹介しにくるわけないでしょ?」

「はい」

俺はやっぱり、柳田先生に怒られると、よくわからない気持ちよさが込み上がってきた。

「しまるこ君、トランプの見学ばっか行き過ぎじゃない?」

「本当ですよ。トランプのことしか日誌に書くことがないんですよ」

そう言うと、みんな笑った。

「バイザーの前で言う?」

「俺は、それでもいいですけど……。でもしまるこさん学校に帰ったら怒られちゃいますよ? 俺も怒られますね。お前、卒業しても全然ちゃんと学生の面倒見れてねーじゃねーかって」

「さすがにトランプのことしか書いてなかったらね」

「もっと俺のところにも見学に来てくださいよ! 俺が知ってる範囲ならなんでも教えるんで!」

「ありがとうございます!」

しかし、俺はこの後も、一度も臼井の見学に入らなかった。

食べ終わると、臼井と柳田先生は去っていった。必ず立ち去る時、「ではあとはお若いお二人で」と言い残していくのが面白かった。休憩時間は一時間だが、いつも最初の20分くらいは一緒に話してくれるが、その後の40分は、道子と二人きりだった。

「こんな言い方をするのはどうかと思うんですが、ぜんぶしまるこさんが持っていってくれるから、私、助けられてるんですよ。私も結構ドジなんですよ。いろいろやらかしてるところあると思うんですけど、他の先生達のヘイトがぜんぶしまるこさんに向かってるというか」

「避雷針みたいなもんか」

「しまるこさんはどうして理学療法士になろうと思ったんですか?」

これだ。この質問が本当にキツい。PTの学生でいる間は、どこに行ってもこの質問をされる。まさか、牧場で乳搾りするためにやってきたとは言えるはずもない。

「仕事辞めて、ふらふらしていた時に、友達に誘われてね」

「一つ上の学年の人ですよね? しまるこさん、よく上の学年の人と話してますよね」

意外に俺がどこで誰と話しているのか、見ていてくれていたらしい。嬉しかった。まぁ、ただ目に入っただけだろうが。

「岩田さんはどうしてなろうと思ったの?」

「私は、前職は保育士やってて」

「へぇ」

「はい」

なるほど、と思った。なんとなく道子のゆっくりしたモードと子供の騒いでいる感じが合っているような気がした。道子は、子供がちんこを見せてきたときでも、すべての意味でちょうどいいというか、正解という対応をしそうな感じがある。案外、子供というのは、ちんこを出したときにされた対応をいつまでも覚えているもので。山梨に対するあの対応は、保育士の部分からきていたのかもしれない。道子は、自分ではうんことは言わないけど、うんこに巻き込まれているところは似合うところがある気がした。しかし、道子は九州大学を出ていると聞いた。それだけのものを捨てて保育士になったのだから、よっぽど保育士になりたかったはずだが。

「俺がさっき事務のおばさんに怒られている時も、怒られている生徒を見守る保育士の目をしていたよ」

「あれは……」と言って、「してましたかね」と言って笑った。

「どうして保育士やめたの?」

「年配の先生方のあたりがきつくて」

「ああ」

「私はそれほど何かをされたとかはなかったんですけど、スタッフルームの空気がつらくて……。とても居られなかったんですよ。朝と終わりと、せいぜい一日の中で合わせて30分程度なんですけど、ほとんどは子供たちと一緒にいるんですけどね……」

「その朝と夕方のミーティングの時間が、子供たちと過ごす大半の時間を帳消しになるほどつらかったの?」

「はい」

私が何かされたわけではないってことは、意地悪されている同僚の姿を見るのがつらかったんだろう。道子は女にターゲットにされる女ではないことは分かるが。

道子の影のある感じは、ここかな、と思った。やっぱり、連んでいた社会人連中といい、だいたい皆こうした理由で辞めてくる。しかし、そのわりには道子は事務のババアと仲がいい。事務のババアみたいなのが苦手だから辞めてきたんじゃないのか? と思ったが。

「まぁ、俺の知り合いの清掃員のおじさんが、『看護師の更衣室だけは汚なかった』って言ってたから、そういうことかもね。想像がつくよ、女職場ってやつは」

「はぁ」

「おばさん達より先に結婚しようものなら、ね」

「まぁ、それもあるといえばありましたね」と言って道子は笑った。

「他の保育園に行こうと思わなかったの?」

「たぶん、どこに行っても同じだろうと。友達の保育士に聞いてもそんな感じだったし、見学もいろいろ行ったんですけどね。現場を目にすると、そういう空気があることがわかっちゃうというか……」

「なるほど」

「それで、小児のPTがリハビリをやっている映像をTVで見て」

「小児希望なんだ?」

「はい」

「小児か。小児は、倍率がね」

「はい」

PTの小児の就職は難しい。新卒で入ったという話は聞いた試しがない。子供というのはそれだけ対応が大変で、いろんな疾患が弊病していることもあるし、「大人しくしていてね」と言った次の瞬間に車に向かって飛び出しかねない。また小児に特化した知識も持っていなければならない。もともと児童カウンセラーの資格を持っている人などが優先して採用されると聞いたことがあるが。しかし、女の子のほとんどが、できるなら小児で働きたいという希望を持っている。枯れ木のような老骨をマッサージするよりは、天使の卵のような彼らをリハビリした方が張り合いも生まれるだろう。小児の求人はすぐに埋まってしまう。

だから小児に行きたい人でさえ、それは後の楽しみにとっておき、まずは急性期や回復期の病院に入って、基礎的な知識を身につける。ごく稀に、有料老人ホーム、デイサービスなどに就職するPTもいるが、これは終の住処と言われており、ここでは体操のお兄さんをやるのが関の山で、ほとんど専門的な知識が身に付かない。レントゲン画像なども見る機会もないので、一生画像が見れないPTとなってしまう。新卒でデイサービスに行く奴はバカだと言われているが、俺のように新卒で入る者もいる。学年で俺だけだった。

「だから、まずは急性期の病院に行って、力をつけようと思っています」

「そっか」

「あの、しまるこさん。いつも、ずっと気になってたんですが」

「ん?」

「しまるこさんがいつも食べてるおにぎり、お母さんが作ってくれているやつですよね?」

「うん」

「その、『梅』とか『おかか』とか、書かれてあるのは何ですか? 手書きですよね?」

「ああ、これはね、お母さんが手書きで書いてくれてあるんだけど、何なんだろうね? 俺もよく意味がわからなくてね。なんで書くんだろうね? おにぎり専用のフィルムをラッピングして、毎回、手書きで、具材が何が入ってるかわかるように書いてくれてあるの」

道子は堪えきれない様子で、口元を押さえながら言った。

「お母さんに、聞かないんですか?」

「聞かないよ」

女は、こういう生活感が漂うギャグが好きなようで、この実習中、道子はこの件をいちばん笑っていた。

「べつに俺が何を食べたって変わんないのにね。中身がわからないまま口にして、あ! しまった! こっちはおかかだった! ちっきしょー! 梅じゃなかったのかよ! なんて思うわけないのにね。何がしたいんだろうね?」

道子は大爆笑していた。

「お母さんに聞いてくださいよ、どうしてシール貼るの?って」

「そんなロシアンルーレットみたいな、黒ひげ危機一発みたいな、赤と青どっちの線を切ればいいんだ……? みたいに悩んだりしないんだけどね、バカなのかなぁ? 本当に何がしたいんだろうね?」

道子は何度もクスクス笑うことはあったが、これに関してはヒーヒーいうほど笑っていて、崩れ落ちそうになっていた。俺もおかしくなってきて、二人でずっと爆笑していた。実習生があまり爆笑していると、周りからムッとされるものだが、俺たちは、その視線に気づいていながらも、堪えられずに笑っていた。他の話題に移っていけないほどだった。

しかしこれは当然だが、俺は次の日も、その次の日も、おにぎりを持ってくるのだ。俺がカバンからそれを取り出そうとする動きを見せただけで道子は爆笑した。これだけで爆笑をかっさらえるなら、これほど簡単な仕事はない。おにぎりをテーブルの上に置くと、それは無上の存在感を放ち、俺たちのすべての会話は打ち消された。これ以降は、4日目も、5日目も、俺がおにぎりを出すたびに、二人で爆笑するだけになってしまった。

続く。

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