恋愛 創作物

道子様に告らせたい! 3

クラスの日直は、授業開始と終了の際に、「気をつけ!」「礼!」と言って、全体を代表して先に一声を上げ、その後に生徒全員が続き、「お願いします!!!」「ありがとうございました!!!」(お金払ってるんだから、お客様なんだけどね)と声を揃えるのだが、この号令を、どうしてもかけられない男がいた。

山梨 勇気(やまなし ゆうき)と言って、現役生の男で、とても背が小さくて、華奢で、遠くから見たら女の子にしか見えず、稀に見るほどシャイな男で、目はいつも泳いでいて、しゃべればどもる、漫画でも見ないような、シャイな男だった。この学校に入学するのにだって面接はあるはずで、落ちることのない面接ではあるが、それすらよく受かったなと思わずにはいられないほどだった。

授業終了時刻になって、号令かからねーな? と思っていると、きまって山梨だった。「……き、……」「……き、……」と、いつまでもやっている。山梨はよく教師たちに呼び出されていた。「山梨くん、気持ちはわかるけどね」「それじゃあちょっと現場には行かせられないなぁ」と。確かに、施術はおろか、患者と普通に会話している絵がまったく浮かばなかった。

俺は山梨が、女子グループだけが集まっている席に一人で向かって行って、何か用事ごとを頼んでいる光景を見かけたことがある。4、5人の女子の群れの中に彼が単騎特攻している姿がとても興味深く、俺はじっと眺めていた。相変わらず、彼がしどろもどろで要領を得ない話し方をしていると、「……で?」「だから?」「何言ってんのかわかんない」と、女の子たちは冷たい反応を投げていた。あんがい同級生というのは冷たいもので、山梨のような生徒に対して寛大にならないところがある。「甘ったれんじゃないわよ、条件はみんな一緒なんだから」と言うかのようだった。

その4、5人のグループの中に道子もいて、道子は少し小首を傾けるようにして、「来週の物理学が地域福祉に変わるの?」と、クスッと少し妖艶な顔をしながら話しかけていた。どうやら授業日程が変わるため、課題の提出が早まるということをグループ内にいた同じ班の女の子に伝えたかったらしい。それを伝えるために1分をかけていたようだった。俺はこの時、道子が初めて自分から異性に話しかけているのを目撃した。

(へぇ、山梨には話しかけんのかぁ)

「お姉さんにお話しできるかな?」と言う態度で、艶っぽく、少し松嶋菜々子のようでいて、エロかった。こんなにお姉さんを全面に出していたのは初めて見たので、驚いた。本当の兄弟のようだった。道子にも、自分の女性性で遊ぶような、そういう一面があるのかと思った。チビも、冷たいことをする同級生の女子よりも、道子さんと付き合いたい、という顔をしていた。

面白い。ガンダムにもあんな顔はしない(ガンダムだからか?)。道子は、現役生の男にすら話すのに緊張するようで、現役生の男にも敬語で話していた。まだちんこの毛が生えてなさそうな、ツルツルの、アザラシの赤ちゃんみたいな、初々しい、男としての暴力性がまるでない男相手だと、道子もああいうふうになるのかと思った。

2限の授業が終わって、休憩時間、次の授業は講堂で行われるものだった。急に、山梨が教壇に立って、「おい! みんな! 講堂に行くぜ!」と、似合わないことをやった。あまり大きな声ではなかったが、がんばって大きな声を出そうしていた。

俺は、どこかドキッとして、山梨かっこいいなぁ、と思わず恋をしそうになった。後ろで悪ガキたちが意味ありげに笑ってニヤニヤしていたから、すぐにわかった。こんな医療系の学校にもちゃんと悪ガキはいるようで、悪ふざけでやらせたらしい。

「もう一回!」「山ちゃん、もう一回やって!」と悪ガキたちは言って、山梨はえーっとたじろぎながらも、もう一度、「おい、みんな、講堂に行くぜ!」と言った。今度はもう少し声が大きくなっていた。教室中の全員が爆笑していた。

女の子たちも、男がふざけてワイルド系を装ったり、ハードボイルド風を気取られると、それだけでちょっと嬉しくなるところがある。それが誰かにやらされていたり、内面が伴わないものであったとしても、子宮が反応するのだ。「ふふ」と、まんざらでもなさそうに(まんざらではあるのだが)、割と悪くない時間だと思っているかのように、小さな女性性の小箱を満たしてくれたことに、感謝しているようだった。

しかし、この数日後、山梨は彼の人生においておそらく最大の失敗をしてしまった。

「おい、みんな、講堂に行くぜ!」

と、山梨はまたやっていた。今度は、山梨は山梨の友達との間だけで勝手に打ち合わせをして、独断で決行してしまった。

山梨はこれから笑いが生まれるに違いないだろうというドキドキした、欲と期待を隠しきれない顔をしていて、それがまた周りをイライラさせた。山梨の予想を反して、今度は誰一人として笑わなかった。

教室は凍りついてしまった。クラスメイト達は、どこかイライラした様子で、誰もが目の前にいちばん目立つものが用意されてあるのに、それについて何も感想を言わない、という不自然さだけがあった。

(味しめてんじゃねーよ)(そういうところだよ)(間違えんなよ)(俺らのおもちゃとして大人しく機能しておけば、キャラも立ってきて、教室でも立ち位置が定まり、お互い持ちつ持たれつの関係を維持できたかもしれないのに)(下手くそが)

悪ガキ連中の無言の声は、こんなところを意味しているように見えた。山梨も恥ずかしいに違いないが、見ているこっちも耐えられない恥ずかしさだった。みんな、自分には責任がない、関係がない、というふうに、それどころか、怒っているような顔で鞄を持ち、講堂に向かっていった。女の子達も、今度は子宮が反応しないようだった。廊下に出たら誰か一言くらい、この件について話すかと思ったら、誰も何も話さなかった。ぜんぜん関係のない話をしていた。山梨は立ち尽くしていた。けしかけた友達も、あんぐりと口を開けて呆然としていた。

「それでは、実習地の発表をします」

教室は賑わっていた。季節は秋、9月。前期テストが終わり、夏休みが過ぎると、実習がやってきた。1年生は1週間、2年生は1ヶ月の実習が1回、3年生は2ヶ月の実習が2回。他の専門学校やあるいは4年制の大学になってると、期間や季節や回数が違ってくるのでなんとも言えないが、うちの学校ではこんなふうに決まっていた。

さて、理学療法の実習についてだが、興味ない人は少し長くなるので読み飛ばしてくれて構わない。

見学実習、評価実習、実技実習と、3つに分かれており、見学実習というのものは、文字通り、見学をしにいく。今回俺たちが行う実習はこれである。見学をするだけで施術はしない。患者さんに一度も触れることなく終わることもあり得るだろう。いっかい現場の空気を感じてこい、と放り出されるわけである。

さて、2年になると、評価実習というものがあるのだが、ROM (関節可動域)、MMT(徒手筋力テスト)など、ゴニオメーターと言われる、ヌンチャクのような、二本の定規が組み合わさってできた、人間の関節角度を測ることを目的とした特別な評価器具などを持って評価をしにいく。

評価と治療は異なるものであり、評価ができなければ治療はできない。筋肉でも、「足の筋肉が劣っている」「手の筋肉が悪い」なんて、大雑把な言い方は通用せず、前脛骨筋が〜とか、橈側手根屈筋が〜とか、もったいぶった言い方をして、筋群ではなく、筋肉ひとつひとつに対して、見ていかなければならないのであるが、実際にやっていることといえば、一緒に散歩したり、ボールを投げ合いっこしたり、ストップウォッチを持って50m歩かせたり、そんなことばかりであり、これらのことは、街を歩いているサラリーマンを呼び止めて、代わりにやってもらおうとすれば、その日のうちにできてしまうことであり、筋肉の個別の名前を知っているのと知らないとでは違うという、専門職の矜持によって権威立てられている。

実際、ほとんどのPT(理学療法士のこと。以下PTと略す)が一度就職をすると本を開くことはなくなり、毎日決まった時間に、決まった場所で、決まった人間の足を揉んで、ただ3年間勉強をしたから、一応は解剖学や運動学の知識は持っているだけに過ぎない。薬局にいる薬剤師のように、レジの店員とやっていることは同じだけど、商品について尋ねられたときに一応は説明できるという、説明できるかどうかの違いでしかないかもしれない。セラピストが100人以上集まる法人病院のTOP5は、余念なく勉強を続けているPTがおり、本当は、そういう人たちだけがPTを名乗る資格がある。

じっさい、人間はちゃんと食べて、ちゃんと寝て、運動していれば良くなっていくものであり、一日に10分や20分リハビリをしたところで、それほど良くはならない。患者の自然治癒に委ねることが極めて多い。リハビリの時間よりも、とうぜん患者が一人で過ごす時間の方が長いわけで、その時間をどうやって過ごすかの方がずっと大事である。正直な話、誰が施術しても変わらないという面さえある。症例に対しての施術も恒常化している。しかし、それでも専門職の矜持か、あるいは資格の名前が頭が良さそうだからか、お互いに「先生」と呼び合うこともあってか、そんな中に実習生が入っていくと、なんらかのノイズが発生するのである。

学生時の実習は命懸けである。実習で精神を折られ、中退していったものは数しれない。かくいう筆者も、何度心が折れそうになったことか。それまで順調で、学業も技術も申し分なく(学生のレベルでは)、性格さえ良く、そんな生徒ですら、悪い病院に行かされると、2日も持たずにギブアップしてしまうこともある。PTの専門学校に入学してくるのは、うちの学校だと100人くらい、そして無事卒業できるのが50人、卒業試験に受かり、そのあとの国家試験までクリアできるのは、45人くらいか。

基本的に実習とは、実習レポートを制作するために向かうというのが面目というか、表向きの理由ではあるのだが、2022年の昨今では、とある病院先で実習生の自殺者が出てしてしまい、実習時における学生への強いあたりに対し規制がかけられ、またそれに伴い、レポート作成の義務もなくなった。

実習先は、運が全てであり、厳しいところもあれば優しいところもある。なぜ厳しくするかは、指導する側に立ったことがある筆者でさえ、未だにわからないが、刑務所の法官と囚人が入れ替わるドキュメンタリー映画のように、制服を着て、立場が変わると、よっぽど善性を握りしめていなければ、人は変わってしまうのかもしれない(ナポレオンも、人間は着ている服に支配されると言っている)。弱い人間は権力を握ると、人を苦しめる方向にしか導けないのかもしれない。飲食店のバイトやどこの職場もそうだろう、なんでこの人はこんなに心無いことをするのだろう? という人間はどこにも必ずいて、簡単に言ってしまえばただそれだけの話でしかなく、理学療法の実習だからというわけではないのかもしれないが。しかし、自身も学生時代、実習でさんざんな目にあったにも関わらず、同じことを繰り返してしまうことは残念なことだ。虐待は遺伝するというが、この遺伝を乗り越えられる人間は少ないのかもしれない。それほど、職場の中でただ一人善性を維持するのは難しいことだ。狂わないでいられることは難しいことだ。

まぁ、しかし、一年次の実習なんて気楽なものである。見学実習で落とされた、という話は聞いたことがない。が、なんと、この年、俺の学年で、滅多に出ないリタイアが一人出た。これは本当に信じられない話だが、寝たきりの患者に対して、「可哀想ですね、殺してあげちゃった方がいいと思いますけどね」と言ったためである。彼らはまだ18歳で、社会に出るのは少し早すぎたのかもしれない。

「道子!?」

俺は担任から配布された紙に目をやると、まず、「岩田道子」と書かれていた文字に心を奪われた。病院名、目的、持っていく物、詳細に色々書かれていたが、その紙には岩田道子としか書かれていないように見えた。

何してくれてんだよ! 終わりじゃねーか! こんな形で決着つけやがって! さては知ってたな!? 確信犯だな? 俺と道子のバトルのことわかっててやってんだろ! なんだよもぉ〜!

(ここまで順調だったのに……!)

同じ実習先で、一週間、何も話さないことなんてありえるか? 実習先はほとんどの場合一人で行かされるものだが、このように二人で行かされることもある。なんで似たような年の二人を? しかも男女を、なんか、助平(スケベエ)心を感じる、いやらしい采配を感じるぜ。教師の馬鹿ども、テレビのドラマじゃ飽き足りなくなって、俺と道子が二人で恋に落ちるドラマを期待しているんじゃないだろうな? 実習日誌に、その記録を書いてこいって言ってるんじゃないだろうな? まったく、大人しく赤ペン握って人体模型眺めてろよ。まぁ、ドラマより、知っている人間同士が恋に落ちて、それを書いてある日誌を読む方が楽しいもんな……。

そうか、半年か。3年持たなかったか。まさかこんな形で決着がつくとは。

ガンダムは遠い広島に飛ばされた。原爆の後遺症を患わせて、存在を消滅させようとしているのか。そういう教師たちのシナリオなのか。俺と道子だけを生き残らせて……。これが本当に怖いところで、「広島」と言われれば広島に行くしかないし、「沖縄」と言われれば沖縄に行くしかなくなる。全国どこにでも飛ばされる。学生に拒否権はないのだ(交通費はこちら持ちでな!)今回、俺と道子が行くのは、県内の、学校から1時間程度の場所で、助かった。

配布されたプリントには、誰がどこの病院に行くか書かれてあって、あとは各自(ペアがいる者はペアと相談して)、病院にアポイントメントを取り、見学日時の取り決めを行う。その間、教師は一切介入しない。18歳の現役生たちには、ちょっと慣れないところがあって難しいところだ。俺や道子は、こんなことは就職活動時に腐るほどやっている。

俺は道子のところへ向かった。とうぜん、道子だって自分の手元にある紙に、俺の名前が書かれているのを目にして、破り捨てたくなっている頃だろう。

(ガンダムさんと、ガンダムさんと実習に行きたかった。実習先でもガンダムさんとスティックピクチャーをやりたかった)と思っている頃だろう。

いくら話さないと言ったって、この状態で話さないでいられるほど俺は強くはない。400万支払う覚悟はあったけど、この状況下で話さないでいられるほどの覚悟は持っていなかった。

はいはい、道子さん、今から行きますよ。さぁ、初めての会話をしましょう。

この勝負の判定は皆さんに任せる。とうぜん、俺はこれから道子と話すことになることはわかっていたけど、とうぜん、最初の一言は俺の方から話すわけにはいかない。

こうして、これから、道子のもとへ向い、道子と対面する。問題はそこだ。そこで俺は話しかけるのか。声を出すのか。「岩田さん、こんにちは。実習地について話そう」と言ったら、とうぜん、俺の負けだ。だが、道子のもとへ向い、道子と対面し、道子の方から、「こんにちは、実習地……。同じですね、よろしくお願いします」と言ったら、俺の勝ちになる。だから、対面を済ました後、そのまま数秒間黙っているだけで、俺の勝利は約束されることになる。

目の前に現れた俺の顔を見て、道子は「あ」と小さな声を出して軽く会釈をした。決着がついた俺は、とても気持ちが良くなって、ニコニコしながら、「実習先一緒ですね、よろしくお願いします」と言った。

「よろしくお願いします」

「どうしましょうか」

「どうしましょうか」

「今日、この後、病院に連絡入れましょうか」と俺は言った。

「はい、わかりました」

「実習先には、用意していくもの、時間、場所、どんな症例の患者さんが多いか、予習しておくこと、などを聞いておこうと思ってるんですが」

「はい、それでいいと思います」

道子は、「二人で別々に電話しますか?」と聞いてきた。

「いや、二人で別々に電話するのは、向こうも面倒だろうから、俺の方で岩田さんもお願いしますって言っておくよ。俺が一本の電話で済まそうと思う」

「いいんですか? 本当にすみません、ありがとうございます」

と、道子は恭しく、丁寧に、何度もお辞儀をした。

「本当にすみません、何から何まで」

(いいってばよ)と、俺はなぜかこのとき、ナルトの顔と口調が頭の中に浮かんだ。

「一応、連絡先、交換しておきましょうか」

「あ……、はい!」と、道子は、慌てた様子で、スマホを取り出した。道子は女には珍しくAndroidだった。

少なくとも3〜4年以上使われた使用感が漂っていた。物持ちが良さそうだ。物持ちがいい女に悪い女はいない。しかし、いかに女といえども、これだけたくさん触ったら、たくさんの手垢に塗れているわけで、女の垢だから汚くはないという理屈は通らないわけで。俺はそんなことを思いながら道子のスマホを眺めていた。

俺は道子の携帯番号をゲットした。ナンパだったらこうはいかない。俺はこの事実に一人驚いていた。まったく学校は強い。職場は強いぜ。セキュリティが甘々なんだから。人と人とが集まる共同のコミュニティって強いぜ。簡単に信用するねぇ〜。俺が5chにのっけることだってありえるんだぜ? しかし、こんなクソみたいな学校の力を借りなければ、女の子一人の番号をゲットできないとは悲しくなるぜ。悔しいから、やっぱり5chに晒してやろうかな? と思った。

そして別れた。

「ありがとうございます」と、道子は何度も頭を下げて、俺を見送った。

簡単なもんだ。あんなに何度も頭を下げられたら、憎めるもんも憎めなくなる。勝負が終わったので、敵愾心もなくなった。本当に、なんだか全ての気力がなくなってしまって、この学校にいる理由もなくなったから、実習もやめてやろうかと思った。この後、道子の分も任されたけど、実習先に電話するのもやめてしまおうかと思った。

道子は俺のことをテキパキした人間だと思ったろう。そんな顔をしていた。周りの生徒と話さないけど、しっかりはしている人だったんだ、というような顔をしていた。しかし、俺は道子のこの顔を二度と見ることはないだろう。俺はどこでも最初だけはウケがいい。バイトでも仕事でも、いつも愛想が良くてハキハキして、有望な人間がきたと、メッシが弱小サッカー部にやってきたように期待されるが、2週間もすればすぐにボロが出てしまう。その点、道子は、ゆっくりだが卒がなさそうだった。社会の求めているリズムと道子のリズムは一致している気がした。今回は俺がでしゃばったために、道子は学年ナンバー2の知力を発揮することがかなわなかったが、俺がでしゃばらなければ一人でなんとかしただろう。病院に電話するだけだ。誰でもできる。俺は道子ができることを、さもできなかったかのように見せかけて、手柄を独り占めした。きっと、見せ場は、ここで終わるだろう。俺は確信していた。なぜなら、どこのバイトや職場でも、いつもここで見せ場は終わるからだ。俺はすぐに道子に逆転されるだろう。たくさん恥をかくんだろう。俺は実習地にちんぐり返しをしに行くだけになることを、この時すでに知っていたのである。

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