恋愛 創作物

道子様に告らせたい! 2

そんなわけで、入学して半年ほど経った頃だろうか。夏休みに一度、クラスの打ち上げがあったらしい。俺は夏休み明けに学校に行って、初めて知らされた。

学校はその話題で持ちきりで、3階のラウンジに集まって、その時に撮った写真を見せ合ったり、交換したりしていた。社会人連中たちも、肩を寄せ合って、写真に釘付けになっていた。今だったらスマホでシェアするんだろうが、当時はまだiphone5が発売されたばかりで、学生全体の所有率としてはスマホ半分、ガラケー半分といったところだろうか。

(どうして俺だけ誘われなかったんだ?)

写真を見たところ、俺以外の全ての生徒が映っていた。もしかしたら一人ぐらい映ってない人間がいるかもしれないと思って、俺だけが別の理由で写真を見ていたが、やはり、映ってないのは俺だけだった。オタクの世界でしか知られていない某同人ゲームを、その知名度の低さを利用して、「これ、僕が作ったんですよ」と自慢して回っているオタクの生徒がいたのだが(俺もそのゲームをプレイ済みで、少し踏み込んだ質問した時に焦っている顔を見て、こいつが作者じゃないことは知ることができた)、その小悪党のオタクでさえ、写真の中で楽しそうに鍋をつついているのに、どうして。

ちなみにこのオタクとはよくエロゲーを交換をする仲だったが、ある日ふざけて、借りたエロゲーをこいつの机の上に置いて返しておいたら、二度と口を聞いてくれなくなってしまった。やっぱりこういうオタクでも、人目を気にするらしい。彼女を作りに学校に来ているらしい。

「しまるこさんも見ます?」

「ああ、はい……」

それでよく、こうして俺に写真を見せられるもんだ。

この学年には、AクラスとBクラスと2クラスあって、総勢100人くらいになるが、どんなに大人しくて目立たない、おそらく前期において、俺より口を開いた数が少なかった奴ですら、写真の中にいた。

俺は社会人連中ともそれなりに連んでいたのに、どうして俺だけ声をかけられなかったのだろう? もう社会人連中とも口を聞いてやらないようにしようかなと思った。もう写真など見ていたくないから、ボーッとラウンジ全体を見回していたら、道子と、とある男が二人並んでやってきて、空いていた中央の席に座り、運動学のテキストを開いて、二人でスティックピクチャーという、棒人間の関節がどう動くかという絵を書き始めた。

学生たちはみんな、チラチラと二人の逢瀬を見ていた。いったん見たら、視線を元に戻して、次の授業の準備をしたり、お弁当に目をやったり、友達との会話に戻るけど、みんな、心の中ではずっと、この二人のことを考えているようだった。

「わーエッチ! エッチ!」

「男と女が講堂のど真ん中で話してるぞ!」

と冷やかしたりしない。

「男と女が話している!」

「男と女が話しているぞ!!!!!」

と、触れ回ったりしない。

なんだ、こいつら、付き合ってるのか? いったい、夏休みの間に何があったんだ?

俺はこの日から3年後、デイサービスに勤めることになるのだが、デイサービスの利用者の一人のおばあちゃんが言ったある言葉が忘れられない。「若い頃は、主人と二人で歩くのが恥ずかしくてね。10mぐらい離れて歩いたものですよ。今の子達はああやって普通におしゃべりするのですね」と、おばあちゃんは、男女のスタッフが話している様子を見て目を点にしていた。この時の俺も、同じことを思った。

(男と女が話している)

はやく! 職員室に行って先生たちに報告しないと! 退学だ、退学! 二人とも退学だ! 

※ 

『ガンダム』

さて、道子と一緒にスティックピクチャーをやっている男はというと、この男も俺と同じ26歳で、歳が同じということもあり、いちばん初めに仲良くなった男でもある。HUNTER×HUNTERが好きで、ガタイが良くて、185㎝で90kgはあった。誰もが憧れる体格で、どことなくヒーローを思わせる。顔も四角くて、安定感があり、頭がギザギザ頭のバードヘアー。セサミストリートのビッグバードみたいな頭(黄色くはないが)をしており、それで「ガンダムさん、ガンダムさん」と呼ばれていた。首も太く、シルエットそれ自体が人を安心させる。しかし、白髪もたくさんあって、ファッションもダサかったから、俺の敵ではないと思っていた。こういう体格の男が座学の勉強をしていると資源の無駄遣いをしている印象を覚えさせられる。乗っている車もでかく、一人で登校してくるだけなのにセダンに乗ってくるので、やっぱり燃費の悪い男だなと思った。ちなみに成績は学年一番。二番は道子だった。北海道大学を出ていて(ちなみに道子は九州大学出身)、大学では農学を専攻しており、この学校に来るまでは農作物を運ぶ仕事をしていたと、曖昧な言い方をしていたので何をやってたのか結局よくわからなかったが(畑荒らし?)、田舎道を100kmで走っている時に、張り込みをしていた警官に引っ捕らえられ、仕事もクビになり、裁判所で50万の罰金を払い、失意の末、この学校にやってきたらしい。

このクラスには24歳が一人、26歳が二人(俺とガンダム)、あとは29歳、33歳、35歳、39歳、最高が41歳(41歳で入ってくるなんて、もうすぐ定年じゃねーかと思いながら、いつもそいつと会話していたが)、社会人組に共通しているところは、やはり、どこか弱々しい。新しい船出のはずだが、どこかリタイアしてやってきたような、会社でこっぴどくやられ、荒波に流され、流されに流され、最後の流刑地としてこの学校に流れ着いた、という顔を誰もがしていた。

「岩田さんはただでさえ年齢が8つ離れているということもありますが、それに加えて、もともとが聡明なところがありそうですからな。現役生たちの輪の中に置いておくのは」

「というと?」

「我々の中に………、加わる………というのも、一つの選択肢としてあると言えばあるのかもしれないというか」

「しかし、一人だけ、女性というのは」

「もう一人、我々の中に女性がいれば、岩田さんも中に加わりやすかったかもしれませんが」

「それは本末転倒でしょう。もう一人女性がいれば、岩田さんはその女性と二人で過ごすことになるでしょう」

「ああ、そうか」

少し誇張したが、本当にこんな意味のことを言っているのを耳にしたこともある。まるで未来の夫の立場から、心配して語っているように見えた。

全員、それとなく道子のことを意識しているようであり、何かと話の関係のないところで、急になぜか道子の名前が出てくることがあったが、それでも道子の名前は言い出しにくいようで、この言い出しにくい状況の中で、平気で口にしてしまう男もいた。谷口という元SEの24歳の男で、やはり、パソコンを相手ばかりしているせいか、こういった機微を読むのに疎く、「僕、道子さんのこと好きかもしれません」と、言った。

「いいですねぇ」

「いいじゃないですか」

「ぜひ告白しましょう!」

社会人たちは大盛り上がりだった。俺は谷口に、「どこが好きなの?」と聞いたら、「道子さんってキレイじゃないですか?」と谷口は答えた。

本当に、キャラ性とか、意図的に作り出されている印象と印象とが交差して世界は回っていく。だからめんどくさくて話す気になれねーんだわ、と俺は思った。暴走族の会話って全部そうだからな。

現役生たちが縦置きのカッパのペンケース(カッパの皿が蓋になってて可愛い)を机の上に置いている横で、いつもここだけはビールの匂いが漂っていた。谷口は道子より年は一つ下になるが、社会人連中も、谷口相手なら怖くないと思っていたんだろう。みんなで谷口の恋路を見守るというのが日課となった。案外人間というのは呑気なもんだ。学校というのは感覚を麻痺させる。背水の陣でやってきたはずなのに、すっかり恋バナに花を咲かす学生になってしまっている。41歳が。また、とにかく誰か一人でも動き出すところが見てみたい、というのも理由の一つだったと思う。

俺も、案外いけるんじゃないかと思っていた。純粋な二人が、純粋に純粋を輪にかけていって、めくるめく大世界になりそうで、谷口は付き合ったことは一度もないと言っていたし、道子も、「道子さんが好きかもしれません」「道子さんってキレイじゃないですか?」と、まったく自分のいいところしか見えていなさそうなこの男に対して、嬉しいだろうし、安心感をこの上なく覚えるだろう。顔も悪くない、色が白くて、品もある。毎朝、お母さんに襟を直してもらって学校にやってきている雰囲気さえなければ。

だが、ちょっと弱すぎるかな。道子のように、膣の中に閉じこもっているような女は、もっとガッ!と開いてくれるような男の方がいいんじゃないかなと思っていた。そういう意味では、やっぱり道子は歳上の方がいいんじゃないかとも思った。

しかし、ガンダムが開けるとは思わなかった。ガンダムも一緒になって応援していたのである。社会人同士の飲み会には俺は参加していて(クラスの飲み会には参加しなかったが)、飲み会ではいつも、谷口が道子と距離を縮めるにはどうしたらいいかという話題が中心だった。ガンダムは特に親身に相談にのっており、二人がテーブルに向かい合わせになって、しんみりとしたムードで語り合っている光景も見られていた。

だが、実のところ、俺はこんなことになるんじゃないかと思っていた。飲み屋の後にカラオケに行くと、ガンダムはラルクの曲を入れて、HYDEそっくりの歌い方をして、それは完全にHYDEと自分の歌声を一致させることに、多年費やしている人間の歌声だった。人生のかなりのヴォリュームをここに費やしている。他人の歌なんて聴いちゃいない。他人が歌っているときも、自分の歌声がどれだけHYDEに近づいていたか、それだけを振り返っている。俺はこの姿を見て、こいつは強欲に違いない、と思った。

二人は馴れ初めはどこから始まったかはわからない。彼らの出席番号が続いていたことは無視できないだろう。ガンダムは石田と言ったが、「い」で始まることから、彼らの出席番号は続いていた。成績もガンダムが1番で道子が2番だったのだが、出席番号もガンダムが1番で道子が2番だった。ガンダムは馬鹿だから、これだけのことに運命性を感じていただろう。上に山がのってるかどうかの違いでしかなく、石より岩の方が格上であることに異論を持たぬように、道子の方が生物として格上なのははっきりしていたが。まぁ、出席番号が続いていたため、日直や学校内の様々なイベント、実技の授業もペアになることが多く、何かと接する機会が多かった。

「ふーむ。これは、穏やかではありませんねぇ」

「谷口殿が道子殿に接近するのを、手助けするのではなかったのでありませんか?」

「あんなにでかい図体をしているくせに、やることは小判鮫というか(笑)」

「神経は大きいじゃないですか(笑)」

「恋のレースに出馬許可はいらんのですよ」

「ぼ、僕は……。そういうわけじゃないんですけどね。ただ、一言やっぱり言ってほしかったというか。朝、ああやって学校に来てみたら、ああやって二人で話しているんですもん。ちょっとびっくりしたというか、それだけですけどね。まぁそれだけですけど。別に恨んでるとか、盗られたとか、そういうのはないですけどね」

「心理学で言うと、筋肉質の男の方が、強欲でがめつくて、人のものを平気で奪っていくと聞いたことがありますな」

「ふむ、あの筋肉はコンプレックスの裏返しというわけですか」

「まぁまぁ、いいじゃないか、勉学に支障が出なければ、ホッホ」

「しまるこ殿はどう思われますか?」

「強欲。まぁ、それくらいじゃないといけませんな。仲良く譲り合って、『はい、では〇〇さん、次はあなたの番ですよ』『わかりました、ではお先に行かせていただきます』なんて。iPhoneの発売日みたいに、三日前から野営して、整理番号一番を持ってる奴でもダメでしょう。10番目でも、100番目でも、そこから一歩はみ出して、警備員に羽交い締めにされながらも、『iPhoneが欲しい! 俺はiPhoneが欲しいんだ!』って、そういう男だけが、岩田さんをぽちぽちとフリック入力できるんだと思いますよ」

「ほう〜達観ですなぁ」

「国家試験もそういうシステムだといいですねぇ〜」

その証拠に、ガンダムの女子生徒の評価はうなぎのぼりだった。どんな手を使ってでも道子を手に入れてやるんだ! という態度は、女子受けがいいらしい。18歳の女の子たちから見てもそうらしい。学校中の至るところで、二人の話題が持ちきりとなった。女の子たちは、自分がアプローチされたわけでもないのに、頬を赤らめさせながら、この恋の行方を見守った。

当人の道子もそうらしい。奥手の女でも、ああやって、公衆の面前でアプローチをされると、嬉しいらしい。『学校へ行こう』の、あの屋上から告白する企画のように、みんなの前で、みんなの中で、共同体感覚として、縄文時代の土器造りのように、恋を育んでいくスタイルの方が好きなのかもしれない。これは、どんな奥手の女でも、そうなのだろうか?

俺だったら恥ずかしいけどな。俺だったら、たとえ付き合っても、学校では一言も話さず、廊下ですれ違っても通り過ぎていき、家に帰れば、「今日、廊下歩いてたね」と、コソコソとLINEする。間違っても、みんなのいる前で机を並べてスティックピクチャーをやるなんてことはやらない。やらないというよりできない。それが学校で付き合う醍醐味といえば醍醐味なんだけどね。

「キャーーーーーーー! ガンダムさーーーん!」

「いけーーーーーーーガンダムーーーーーーーーー!!!!」

「おおおおおおおおおおお! ガンダムさーーーーーーーーーん!」

スポーツテストでシャトルランをやれば、ガンダムは黄色い声援を欲しいままにしていた。シャトルランは、患者に行うスポーツテストをまず自分たちが一度経験してみるという名目で行われる授業カリキュラムの一つだったが、じっさいに現場に立った今になってみても、その名目の意味はわからない。

(本当に、セダンみたいな走り方をしてやがる)

ガンダムの走り方は、ギッコンバッコンしていて、見た目が悪く、41歳の人にも遅れをとるほど遅く、セダンみたいに燃費が悪そうで、とても道子のハートにたどり着けるようには思えなかったが、女の子たちは涙を流しかねないほど応援していて、その表情の中に走り方を馬鹿にするようなところは露もなく、俺はこの時、スポーツができることとモテることは関係ないことを知った。道子も似合わず、珍しく大きな声を出して声援を送っていた。

田中角栄は、「女性ファンが多い政治家は強い。男はすぐに心変わりするが、女は一度ファンになると生涯支持してくれる」と言っていたが、日本の政治をめちゃくちゃにしそうなこの走り方でも、こんなに支持されるんだから、あながち嘘ではないかもしれないと思った。人は人生に一度くらいは輝く時期が訪れるらしいが、ガンダムにとってはここがそうなのだと思った。

俺はいつも見ていた。どちらから声をかけるのか。ガンダムがいつも道子を誘っていた。道子から誘っている姿は一度も見られなかった。俺はいつもその光景を見るたびにイライラしていた。

毎回誘ってもらってるんだから、一回くらいお前から誘えよ。私から頼んでないって? ふーん。でもねぇ、それだけで男は一生分、がんばれるんだぜ? お前は一回、ガンダムはその後の回数全部。それだったら悪くない話だろ? 一回くらい、自分から誘えよ。別に減るもんじゃないしさ。まるで一回誘えば一つ卵子が削り取られるような顔をしやがる。あー、イライラするぜ。声を出すだけじゃねーか。ガンダムが断るわけないんだからさ。まったく、見てるこっちが辛くなってる。本当によくめげないと思うぜ。あれだって、決意がいるんだぜ? 自分を一生懸命奮い立たせなきゃできることじゃないんだ。可哀想じゃん。人助けだと思ってさ。理学療法士の卵だろ? 治療だと思ってさ。そこで俺は気づいた。ああ、そうか、だから女の子たちはみんなガンダムのことを尊敬しているんだなぁ、と。あの黄色い声援はそういう意味か。男の心労の程度もわかってるんだ。18歳のくせに。しかし、相手の心労もわかってるくせに自分から行動しない態度に、余計にイライラしてくるぜ。道子を見ていると、はたして本当に女が恋に落ちるということがあるのかすら疑わしくなる。女の持ってる、母性本能ってやつの出番なんじゃね〜の? そのための膨らみが二つもついてんだから、片っぽくらい吸わせてやりゃあいいじゃん。もういい加減、子宮の中で眠らせてやれよ。母性本能ねぇ〜。むしろ母性本能でいうなら、「がんばりなさい」と、お母さんが息子にけしかけるような、息子が好きな女の子に向かっていくのを応援するような、そっち側の母性本能が働いてしまっているように見える。それはまるで母ライオンが子ライオンにサバンナで生き抜く術を教えるように、女は男にアプローチをされている時、いつもそういう顔をする。母ライオンみたいな顔をする。

「お前んとこの何アレ。あの二人、付き合ってんの?」

「いや、そうじゃないらしいよ」

家でゴロゴロしていたら、友達から電話がかかってきた。例の学年が一個上の、俺をこの学校に誘った友人である。

「あのさー、俺の学年の、加藤さんっているんだけど、お前知らないか。加藤さんがね、道子のこと狙っているらしくて、昼ごはん食べにいきましょうって道子を誘ったら、道子は用事があるって断ったらしいのね。で、たまたまデイリーパスタ入ったら、そこで道子とガンダムが二人で飯食ってたんだって。道子と目があって、道子は気まずそうに目を逸らしたらしい」

「道子モテんなぁ」

俺はそれを聞いて、やるじゃん道子と思った。ただぼんやりと親鳥が餌を運んでくるのを待っているだけの雛鳥かと思っていたら、違うのかもしれない。

「ところでさ」と、友達はいった。「完全にお前ガンダムに負けてんじゃん」

「負けてないよ。だって俺、まだ道子と一回も話してないもん」

「ああ、そういう試合か」

俺は、道子がガンダムとスティックピクチャーをやろうが、加藤さんとセックスしようが、学校中全員の男とセックスしようが、まったくどうでもよかった。肝心なのは、道子と話さないこと、ただこの一点のみに留意していた。いつも、できるだけ道子に近寄らないようにしていた。入学して8ヶ月、とても順調に事は進んでいき、俺はこの経過に満足していた。

「俺が道子にこの事をバラしちゃダメ? それで道子がお前に話しかけた時はどうなるの?」

「それはノーカンだよ」

「まぁそうだわな」と、友達は自分で言い出しておいて、納得していた。

「つーか、お前がここに来ればモテるっていうから無理して高い金払ってやってきたのに、全然話がちげーじゃん。お前のせいで人生めちゃくちゃだわ」

「お前のせいじゃん。話しかけるななんて、俺言ってないからなぁ」

俺は学校から帰ると、ベッドの上で寝っ転がって、よく道子のことを考えていた。道子が、ガンダムとスティックピクチャーをやっている時の顔。ガンダムにつまらない質問を何度もされて、つまらなそうにしている顔。俺はその時の道子の顔を思い出そうとしてばかりいた。自分でもなぜこんなことをしているのかわからなかった。天井に向かって目を閉じて、思い返してばかりいた。

ダメなものはダメ、そこははっきりしている。はっきりしているが、まだガンダムに心を開放させることができない。自分からスティックピクチャーに誘うこともできない。ただ、自分の中で、何かかが満ちるまでは、どうかこの、味がしない料理で空腹感をしのげられる状態が、続くもんなら続いてほしいと思っているんじゃないか。

何がしたいんだあいつは? 何がしたいんだ俺は? ガンダムのしたいことだけはわかっている。途中で流れをせきとめているダムのようなものが見える。もう少し、このまま。歩みを止めないで。もう少ししたら、私はあなたに心を開く日が来るかもしれない。それは、私でもわからない。嫌いではない。好きかどうかはわからないけど、嫌いではないことははっきりしている。ある一定の閾値をこえるところまで、足繁く愛を注いでくれたら、フラスコの水がひっくり返るようにして、今度は私がガンダムさんに、返せる日が来るかもしれない。それは、いつかはわからないけど、自分にも、いつになるかはわからないけど、今は無理なの。こればかりは、自分ではどうしようもできない問題なの。

自分の問題なのに、他人事のように考えているような道子の顔があった。それでもなんだろう、道子も道子で、自分の全てをガンダムに預けたがっていたように見えた。でも、それができずに、迷っている。戦っている。道子も道子で、戦っているような顔をしていた。

「大丈夫? 聞いてる?」

「聞いてるよ」

俺はつい、電話中にトリップしてしまうところがあった。

「水とエタノールみたいなもんか、それぞれが違う温度で沸騰する。ただそれだけの話かもしれない」

「ん? 何言ってんの?」

「救いがあるとしたら、ガンダムの鈍感さ。鈍感さゆえに助けられている、成り立っている。二人が結婚して、道子が家事のひと暇に、サナトリウムの患者のように、放心しながら窓の外を見つめていても、「今日さぁ、仕事でさぁ、〇〇君が〇〇して、あ、みっちゃんお茶いる?」って感じで、気づかない、気づかれない。ガンダムはガンダムの精神が続き、道子は道子の精神が続く。別個の精神が噛み合わずとも進んでいくんだ。それが救いなんだよ。道子は、これでいいのかな、彼に悪いんじゃないか、とは思っても、このまま失恋した女みたいに窓の外を眺め続けることができる。それは一種の失恋に違いないんだけど、ガンダムは同時に失恋の慰め相手でもあるんだ。面白い関係だろ? あの道子でさえ、だんだん安心しきって、安定に腰を下ろしたダボっとしたおばさん化して、ゆっくりそのまま窓の外を見続けることができる。結婚しても、一日中、そうやって窓の外を眺め続けることができるんだ。ガンダムを見るより、窓の外を見る方が長い結婚生活になるだろうぜ。子作りの時間になったら機械的に股を開いてな。俺のように、変に自分の心の中にメスを入れてくる男よりよっぽどいいだろうぜ。メスを入れてこなかったとしても、むしろ絶対に入れてはこやしないんだけど、一言も言ってこなかったとしても、いつも見られているような、裸にされているような、この視線に絶えず晒されて生きることは、どうだろう? 頭がおかしくなってきてしまうんじゃないだろうかね? 自分が自分でなくなってしまうような。何かが爆発してしまいそうな……。俺だってそうだよ。俺だって、俺と同じような男とは、どうしても一緒にはいられなかった。大学を卒業する頃には、鈍感な奴としか一緒にいなかった。やっぱり安心するんだ。自由に息を吸えるんだ。そいつが俺に話しかけていても、セミの声のようにしか聞こえず、俺はずっとポケットに手を突っ込んだまま夢想していたからね。そしてそれが成り立ってしまう幸運がある。『こっちが話しているのにその態度なに?』というふうにすぐに不機嫌になるような男とは、上手くいかなくなった。そいつとはいつも一緒にいた鈍感な男より、ずっと、気が合ったし、話も合って、笑うところも一緒だったんだけどね。卒業式の時は、口も聞もしなかった。だけど、俺がもっと素直になって、あいつとぶつかっていれば、もしかしたら……、っていうのはあるよ。俺はたぶんガンダムより道子のことがわかってやれるし、道子は俺の中に道子を発見し、俺も道子の中に俺を発見するだろう。道子はかつてなかったほど愛し、憎み、信じられないほどの精神の広域を感じ、人は自分一人じゃ自分を見つけられないから、道子は俺と付き合うことで、いったいどうなってしまうんだろうね? しかし、やっぱりガンダムと結婚する方が幸せなのか……、俺はずっと、俺と、道子と、ガンダムの三角関係について、頭を悩ませている」

電話越しでずっと笑いながら聞いていた友達は、「道子とガンダムの二角関係の上を飛んでいるハエのような気がするけど」と言った。「その3人の中で自分をいちばん最初に名乗ってたけど、それがいちばん面白かったわ」と言った。「重症だね。何かの手違いで、学校放送で今の発言が流れるのを願って、俺は寝るわ」

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