一日一食、玄米納豆ご飯(一合)がいちばん美味しくていちばん続く。継続性という点から考えると、炊いた玄米(一合)に納豆3パック(国産100円)がいい。
ほとんどの人には、これをおすすめしたい。一日二食の方がいいかもしれない。昼に果物やナッツ類を食べて小腹を満たすのになんら異論はない。なんなら昼用に、玄米のおにぎりを食べてもいいだろう。よく日光を浴びた野菜、海藻類などを少し加えてやれば、申し分はない。俺は研究の一環として、まだまだ生玄米と加熱玄米の比較を継続していく。
なぜ生玄米にこだわるかというと、肥田先生が勧めていからに過ぎないが、「雲泥の差がある」と言って、どれほど雲泥の差があるのか未だに確かめられずにいる。単純に、宿便を出したいのと、断食と同じ効果が得られるらしいのと、経済の節約と、頭が良くなるのと、せめて宿便が出るまでは続けてみたいものだ。
頭の中には冷や水をぶっかけられているような、冷風がなびいているような感覚はずっと続くようになり、暑い日でも暑さを感じなくなってくるが、特別頭が良くなったとは言い難い。ただし、欲はなくなる。物を買いたくなくなる。YouTube見ても楽しくなくなる。女に発情しなくなる。霊的方面にシフトして考えられるようになる。無駄遣いして、いろいろ買い物したって、どうせ生玄米だしなぁ……と、何をやっても楽しくなくなるため、物質界の因縁を断ち切ろうとしている人には大変おすすめである。
しかし、毎日おいしい食べ物を食べ続けなければ幸福になれないのだったら、そもそも幸福などくだらないことだ。幸福と快楽は違うというが。幸福と快楽は似ているようで、正反対のところに位置しているのではないかという疑問を最近持った。快楽が幸福の上を覆うことで、幸福を見えないようにしているのでは。今はそれを研究してみたい。幸福、幸福、(笑) なぜこんなに幸福を求めているのか、幸福を求めている男なんて気持ち悪くて蹴り飛ばしてやりたくなるがね。
やはり基本的に全ての食べ物は美味しくて、この、「美味しい」というものに慣れ過ぎてしまって、食べ物は美味しくないといけないと思っている。まぁその美味しいの内訳のほとんどが塩分なわけだけど。肉をそのまま食べても美味くないからね。
7年くらい、一日一食をやってきたが、空腹がスパイスとなって、夕食が待ち遠しく、待ちに待った夕食は本当に美味しいものだった。そのとき食べる納豆ご飯は最高だ。どんな料理よりも美味い。納豆ご飯だけでこんなに美味しくて、これだけを一生続けることになんら不満はなく、むしろ贅沢としか思えない。オレはすべての食べ物で玄米納豆ご飯が一番美味しいと思っている。こうして考えていると、玄米納豆ご飯が美食か粗食か分からなくなってくる。少し固めに炊いて、よく噛んで食べると、本当に美味しい。つまり、炊いた玄米納豆ご飯は、それだけ相性が良く、オレの中のベストとして一生付き合っていったっていいと思うこともあるが。
あまりに美味し過ぎて、つい食べ過ぎてしまう。一合がいちばんちょうどいいが、一合以上食べると、苦しくなって後で後悔する。一回に2.5合食べたときは、食べているときは美味しくてむしゃむしゃ食べていたけど、食べ終わって10分もすると、喉に手を突っ込んで吐き出さなければ、我慢できないというほど苦しくなった。
あまりにも美味し過ぎて、毎回毎回食べ過ぎてしまっていた。で、毎回苦しくなって、最近はよく噛んで、本当にとてもとてもよく噛んで、なんとか一合に抑えることができるようになった。やはり、一合がいちばんちょうどいい。オレは道の駅で売られているようなラーメンだったら3杯くらいまで食べることができ、もともとはけっこうな大食漢なのだ。納豆があれば2合は平気で食べてしまえる。でも、2合食べた後は、本当に気持ち悪くなる。
これについて肥田先生はこう言っている。
食物は質のみでなく、量も亦大変重要なことである。今度東京へ行った時に、そのことも実験して来たが、軽く一膳の飯を摂って、それに魚を適当にとった時と、飯を二膳にして、肉食を全然とらないが、野菜を過度に摂った時と、体に与える影響を調べて見たが、前者よりも、後者の方がずっと害が大きい。
オレもいろいろ試したみたところ、ジャンクフードや肉を少し食べるのと、玄米を大量に食べるのとでは、後者の方がずっと苦しくなることがわかった。やはり質より量の方が大事だ。
生玄米だと、美味しくないから、いつもちょうどい塩梅で止めることができる。そしていくら食べ過ぎたところで頭がぼーっとしたり苦しくなったりすることはない。いつも頭の中に冷風がなびく。
※
炊いた玄米と生玄米の月額の比較
分量について、いろいろ実験してみたが、
10kgの玄米、10000÷150=67 つまり、玄米代は一日67円
納豆は3パックで97円。オレは食いしん坊だから、一回に3パック全部使ってしまう。
だから、67+97=164円 一食当たり、164円ということになる。となると、一ヶ月の食費は4920円だ。
納豆を1パックのみで抑えることができたら、66円(納豆2パック代)×30=1980円。
4920円ー1980円=2940円 2940円が毎月の食事代となる。
ふーむ、納豆を2パック余計に食べるだけで、1980円もかかってしまうのか。食いしん坊というのは罪なことだ。
生玄米だといくらになるかというと、生玄米だと、1合食べるのは難しい。大体0.5合になる。
0.5合だと一食33円。33円×30日で。990円になる。一ヶ月の食事代が990円だ。ほとんど0円みたいなものだろう。
月の食費は、生玄米だと990円、炊いた玄米だと4920円となる。
年の食費は、生玄米だと、11880円。炊いた玄米だと、59040円となる。結構な違いだ。
一般人の一人暮らしの平均の月の食費は4万円らしいが。生玄米だと年にしたって11880円なのだ。
生玄米の食事法だが、これまではジュースにして無理やり飲み干していたけど、最近は、一晩水につけた生玄米をスプーンですくってそのまま食べている。特に塩もみそもつけない。そのまま食べている。美味いかまずいかといったらどちらでもない。薬のような気分だ。ただ命を繋ぐための燃料。アラレちゃんのオイルみたいなもんだ。正直、不味くないならいいんじゃない? という気分でいる。
翌日もずっと冷風が突き抜けているような気分が続き、火食するまでは、ずっとこの気分が続くことになる。火食すると、一気に頭がボーッとする。炊いた玄米納豆一合ぐらいだったら、ゆっくりフワッとぼーっとするくらいで済むが、2合食べると、凄まじいほどボーッとして、あまりの違いにびっくりする。おそらく人は、ボーッとするために食べているんだと思う。何も考えずにいられるようになる。逃避のためにいちばん都合がいい。この状態は寝っ転がってYouTubeを見るのと相性がいい。だからずっとYouTubeを見ていられる。酔っ払っているようなものだ。別に一日の終わりにこれをやるのは悪いことだとは思わないが、3回やることはゾッとする。オレはこれまで3回これをやってきたのだ。