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線について

例えば、一つ、一つ、また線を加えていくと、その線に引っ張られてしまう。

絵を描くとき、ただスッと一線を入れてみると、その線自体が立派な性格を宿していて、その線が他の線を呼び、他の線を加えて完結することで一つの絵になる。一つのまとまった集合体になろうとする。

これはまずい方法で、文章にも言えることだが、また人と話している時にも言えることであるが、やはりまずい方法らしい。

村上春樹は、一つの文章を作り上げると、ネジをキュッキュと締め上げることによって、また一つの文章が出てくると言っていた。そうやってキュッキュと連続して作り上げることで、作品が生まれるらしい。

皆さんも、会話をする時、一つを話すと、また一つの話したいことが浮かんでくるように、一つの言葉に左右され、それをきっかけに、そうやっているうちに話が広がっていくことだろう。

線と線、線同士のつじつまを合わせようとすれば、文章はそれらしく見せてしまえるものなのである。だが、そういう文章は結局のところ、ただ手垢に塗れた自然から遠く離れた模造品にすぎない。「書くために書くというのは、話すために話すと言っているのと同じだ」とゲーテが言っていた。

全体がそっくりそのまま見えていて、ただ頭の中にあるものを紙に書き写すだけといったことができるならば、それが最上らしい。

ミケランジェロは素材が命じるがままに掘るだけだと言っていたらしいが、

モーツァルトは、完成された楽曲がそのまま頭の中に降りてきたらしいが、

まぁ、つまるところ、絵だろうが文章だろうが、手で書いちゃいけないということだ。頭で書かなければ。ミケランジェロも絵は頭で描くものだと言っている。

落合博満も、頭の中で理想のバッティングイメージなるものがあって、練習というのは、それを実体化できるようにするためのものでしかなかったと言っていたが、

一番目は考えずに書くタイプ。記憶や思い出、あるいは他人の本をそのまま借用して書く。このタイプはたいへん数が多い。二番目は書きながら考えるタイプ。書くために考える。このタイプもよくいる。三番目は、書く前からすでに考えていたタイプ。考え抜いたからこそ書く。このタイプはめったにいない。書くまで考えない第二のタイプの物書きは、運を天にまかせて狩りに出る狩人のようなものだ。多くの獲物をたずさえて帰路につくのはむずかしい。これに対して第三のタイプの書き方は、「追い込み猟」という珍しい猟に似ている。あらかじめ獲物はとらえられ、柵の中に追い込まれる。その後、その獲物の群れは別の垣根で囲まれた場所にどっと放たれ、狩人から逃げられないようにしてある。狩人はねらいを定めて撃ち(表現し)さえすればいい。確実に獲物をものにできる狩りだ。そのうえさらに、本当に真剣にあらかじめ考える少数の書き手の中に、テーマそのものについて考える、きわめて少数の人がいる。

ショーペンハウアー. 読書について (Japanese Edition) (Kindle の位置No.277-278). Kindle 版.

ペンと思索の関係は、杖と足どりの関係にひとしい。足どり軽やかなら、杖はいらない。理想的な思索は、ペンなしで滞りなく進む。杖にすがり、ペンにたよるようになるのは、老いの兆しがあらわれてからである。ゲーテ

「正しく書く秘策は賢くあること」(ホラティウス『詩について』三〇九)

 

本当に真剣にあらかじめ考える少数の書き手の中に、テーマそのものについて考える、きわめて少数の人がいる。

これは一体誰のことを言っているんだろう? ショーペンハウアーさん、誰のことですか? ワイのことを言っている……、ということではありますまいか? ショーペンハウアーさん? しかし、今書いているこの一文も、後になって今こうして付け加えているから、やっぱり線の継ぎ足しです。はいー。

最近はゼロ秒思考ばかりやっていて、とにかく思いつくがままに書き、何でもパッパッパッパと、まず何でもいいから書き始めるのだ、という方法でやっていたが。いつもあちこちの文章を切り絵のように切り貼りして制作している。

だが……。俺は文章を良くして文章を書くんじゃなくて頭を良くして文章を書きたい。

さいきん常々思うが、人はイメージ通りにしか行動ができないということだ。前もって想像やシミュレーションしておかなかったことをしていると、行き当たりばったりで、自分がなんとなく入れた線に引っ張られる、ということを繰り返し続けてしまう。頭の中になんの完成形もなく、ただ線ばっかむやみに引いている絵が美しくないように、そんな人生もまた落書きでしかないようになってしまうかもしれない。頭の中にあるものをなぞっているだけなら、心はほとんど動かない。これは、おそらくどの仕事にも言えることだろう。ドトール一つとっても、仕事ができない人はイメージすることなく動いていて、心ばかりが動いている。

スティーブンキングは、小説のシーンを書くとき、パッケージングされているものを鑿と槌を持って取り出すことがある。と言っていて、岡本太郎も、いつも頭の中に絵ができてると言ってたし、天風先生も、紙の上に絵が浮かんできて、それをなぞっているだけと言っている。確かに、頭の中に完成形があるなら、わざわざ無駄な線を入れる必要なんてないだろう。

まぁ、あんまりミケランジェロが〜、モーツァルトが〜と言ってもしょうがないところだが(笑) 俺は今俺のできることをやるしかないのだが。やっぱり手で書いてしまっているね。一つ線を入れて、また一つ線を入れて、その繰り返しだ。頭の中に完成形などない。まぁ、それでも、なんでもいいからまずはやってみるしかない、という意見には賛成だ。あまり完璧主義というのも考えものだ。

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