Uncategorized

全てが嫌になってしまったらどうすればいいのか

全てが嫌になってしまったら、どうすればいいんだろう。生きるのが嫌だ。食べるのが嫌だ。でも食べてしまう。食べて、感覚を楽しませることがそんなに大切か? 俺の身体を楽しませることがそんなに重要か? 思えば、感覚だ。特に肉体的感覚だ。これを楽しませるために人は生きている。すべての目的は、肉体的快楽のためだ。そのために働き、生きている。

性処理している自分も嫌だ。また感覚だ。いつも感覚を楽しませようとする。ボーッとして退屈になると、また感覚だ。何か感覚を楽しませようとする。飯かエロかタバコか。今すぐ手っ取り早く、いちばん即席で楽しめる快楽を探して、延々とそれを繰り返し続ける。体力が回復してもまた快楽に使う、オナニーして寝て、オナニーして寝て、仕事しないでこんなことばかりやっている。まるで、これが仕事だ。俺の仕事はオナニーして寝ることか。バットの素振りも肉体的快楽か? 寝るのも肉体的快楽? 姿勢を正してシャキッとして気持ちよくなるのも肉体的快楽? 本当に、人間にまつわることは肉体しかねぇなぁ〜! どこまで何をやっても肉体だ。肉体に追われ肉体を追う。すべてが肉体だ。

もし肉体がなかったら幸せか。魂だけの存在だったら、腹も減らず、寝ることもなく、ただ浮いていてどこまでも自由に壁をすり抜けて行動できる。俺はそんな存在になりたいか。悩みというのは、肉体についてくるものでしかないのか。

肉、肉、肉、肉。そしてひどく疲れる。肉体の快楽に追われて一日を終える。本当に人間の人生というものは、肉体的なものにはじまって肉体的なものに終わる。

考え事をしている自分も嫌だ感情も心も時間も空間も嫌だ。寝ることも嫌だ眠りは救いかもしれないけど、寝ていると疲れる寝すぎると疲れる。どうしても起きずにはいられなくなる。起きるのも嫌だ。散歩して日光を浴びて気持ちよくなってもだからなんだという思いもある。何一つ何か解決策がもたらされた気もしない。

あーさっぱりわからない。考えると疲れる。でも考えずにはいられない。考えるったって何を考えてるかもわからない。こんな馬鹿なことも書きたくもない。何もしたくない。でも何かせずにはいられない。そして食う、寝る、オナニーする、それで一日が終わる。全てが嫌になって何をするにも嫌になったとき、どうすればいいのか。どこに逃げ込めばいいのか。死んで楽になればそれでもいいが、死んで解決がもたらされることもない。ただこの不幸なくだらない輪廻が、さらに霊格が下がったところから、やり直しをさせられるらしい。別にこんな言葉を信じなければいいのだが、どうしてもそれを信じてしまう。

よく発狂せずにいられるもんだ。いや、もうしているのか、もはやそれすらわからない。狂人日記、狂人ブログ。いや、普通のことだと思うけどね。誰もが蓋を開けてみりゃ、こんなものを抱えて、人に言ったってしょうがないから、自分だけで抱えて、やっていることだろう。朝起きてドトールに行き、ただ座ってる。

考えたってわからないから、直感を働かせて、直感でそれを掴み取ろうとしているが、それだってよくわからない。やり方があっているのか、間違っているか。グルだの師匠だのいう存在はいないからね。ただ本を読んで見よう見まねでやっているだけだ。ただ寵愛だけがあるのかもしれない。こんなものは、自分でコントロールできるものではなく、すべては自然発生的に起こることだと言われているし。

じゃあ何をすればいいのか、何もしなくてもいいのか、だが、何もしなくて良くても、何もしてないのも辛い。何もしてないと、ただ座って、意識だけが過ぎていくことになる。この意識は、邪魔だ。意識が、疲れさせる。だったら何かすればいいと思うかもしれないが、何もする気になれない。何も書く気になれない。働きたい気持ちはある。世の中のために、精一杯働きたい。だったら今すぐ工場でも行って働けばいいと思うかもしれないが、それも嫌だ。

結局、今、やりたいことをやっているのかもしれない。すべてやりたくないことを避けて、今がある。ここで得たものはあるけれども、やはり死にたいという一念の前に全てが霞んでいくものだ。死にたいといっても、少し違う。悟りとは、一種の自殺ではないだろうか。意識を捨て去りたいとう。

この意識はずっと続いていく、生きている限り付き合わなければならないのか。何かに欲望に執着していれば、この意識から離れていられる。菓子や甘いもの、パソコン、欲しいもの、外に出ておいしい空気を吸って、腕を大きく伸ばして、そんなことを繰り返していればいいのか。そうすりゃ一時的に逃れられる。でもまた意識が戻ってくる。そんなことを繰り返しているのを見ている何かがある。それが意識だ。それがうるさい。これはこの意識は愛すべきか、そうでないのか、その対象があるかどうかもわからない。これが自分の本体で、 正しく自分というものであるなら、なぜこうもうるさいのか。

自由になりたい、死んでも自由になれないなんてあんまりだ。スイッチ1つで楽に死ねるとしたら、死んでいたのは間違いないだろう。どうにかして、この意識を取り外せないのか。なんだかできるような気がしてならないが、それはそんなに難しいのか。

どこで何をしていてもめんどくさい。ただただめんどくさい。本当に死だけが救いだと思う。確かに俺はただ解放されたい。自由になりたい。肉体と心の制約から抜け出したい。一生無意識でありたい。もう意識的であることに疲れた。いろんなことに喜んだり悲しんだりするのはもういい。すべて経験尽くしたわけではないだろうけど、ただもういいと心から思える。しかしそんな状況でもウニ丼が食べたくなる。よくわからないけどめちゃくちゃウニ丼を食べたくなる。ずっとなんだろうと思っている。この意識が眠れば全て心も体も起こらない。意識だけが邪魔だ。

意識といえば、この前もスーパーで変な子供が買い物カートを押して凄まじいスピードで走ってきて、俺は轢かれそうになったが、確かに俺は避けた。全細胞全神経がそのために働いた。全く意識というものを感じなかった。ずっとあの瞬間でいられる事は不可能か。それはそれで疲れてしまうのか。意識さえなければ、もう少しまともに生きられそうなのにな。

こんなもんは読者数が少ないからやれるもんで、有名になってYahoo!ニュースで「号外! しまるこ病み中!」なんてトピックスの一番上に乗って槍玉に上げられたら、恥ずかしておちおち外に出れたもんじゃない。他人の目を気にすると書けなくなるが、他人の目を気にしないと書ける。有名になって好き勝手書けなくなったとゲーテも言ってるし、無名の強みか。チラシの裏だったらいくらでも書ける。だけど、やっぱり人を楽しませないとなぁ。楽しませる、か。それもずいぶん思い上がりだな。なーにが楽しませるだか。世の中はいくらでも楽しいものばかりだよ。こんな死臭がするきったねぇ記事よりすき家の牛丼400円の方がよっぽどみんな目を輝かして飛びつくし、ちゃんとした編集されたYouTube動画、プロの集団が作った映像作品がもう見切れないくらいに、アマゾンプライムにもネットフリックスにも上げられている。漫画だって飽和していて、一体どこの誰がわざわざこんなきたねぇ文章を読みにくるのか。そんなに誰も俺に期待しちゃいない。少なくとも、俺が思っているほどにはな。みんな自分のことで精一杯だ。俺が書こうが書かなかろうが、死のうが生きようが、玄米を食おうが生玄米を食おうが、勝手にしてって話だ。となると、趣味だな。こんなものは趣味だ。しかし、何もしないのは暇すぎる。YouTubeみて過ごすのも嫌だ。仕事もしたくない。やっぱり本気で自分の生命を燃やさないとなぁ、矢吹丈のように真っ白の灰になりたい、それだけだ。じゃあ何ができるって言われても、今はこの死臭がするきったねぇ文章を書くことぐらいだ。ただやりたくないって言っているだけだ。だったらやらなきゃいいし、やりたいことを色々挑戦して、見つけていくしかない。やっぱり。となると、俺がいちばんやりたいことは、この意識を取っちまうことなんだよなぁ。

-Uncategorized

© 2022 ちんこ Powered by AFFINGER5