俺も会社員時代はいつもこんな感じだった。
多くの場合、仕事のできない人はこういうタイプである。このような状態でいくら仕事したってろくなことにはならない。
いつも周囲を伺い、ハイハイ言って、会話の途中に「死ね」と言われてもそのままハイって言っちゃいそうなところがある。我ここにあらず。当たり前の簡単なことですらできなくなってしまう。部屋で一人で趣味をやったり、沈思黙考しているときと、180度人間が変わってしまう。同じ人間なのに。
聖者アンマが言っていたことだが、人は最もリラックスした空間であれば、どんなに長文だろうが、本1冊分だろうが、1回聞けば暗記することが可能だと言っている。それは人間誰しも持っている能力であり、昔の人間はできる人がいたと言っている。現代社会や教育においては非常に緊張状態を強いられているものであり、心が休まらず、深いリラックスができないからできないと言っている。
確かに心に刻み込まれたものは、いつまで経っても忘れない。頭で覚えたことは忘れるが。まるで林間学校のようにみんなで木の丸い椅子に座って、長老が、そこには紙とペンもなく、ひょっとしたら地面に木の棒で書いたりするかもしれないが、今の我々の学習よりも、
確かに我々も、一度聞いただけなのに、いつまで経っても永遠に忘れられない言葉や謳い文句は一つや二つじゃないだろう。
しかし、姿勢も身体も気も歪んでいる人間がリーダーシップを取ることにより、あんな風に上手く重心を制御しないで生きていると、中心から外れた歪みとなって、高野がたちに現れるのである。
どんなに高学歴だったり、どんなに5年10年、その仕事に熟達したって、ずっとこんな調子でハイハイばかり言っていたら、周りにも舐められて、新人にも追い越され、自分でも仕事に行きたくなくなり、普段の自分からずっと遠いところにいながら仕事せざるを得ないので、そういった時間を過ごさなくてはならないのでとてもとても自分が辛くて仕方ないのである
その人は仕事ができないレッテルを貼られてしまうが、発言権も失い、新人からもバカにされるが、本質的に仕事ができないかというと、そうではなく、自分の心休まるような環境で自分の得意なことに殉じている場合は非常に落ち着いていて、全く全然違った人間に見えるであろう
これは部屋で1人で落ち着いている時の状態と仕事してる時の自分とで全然変わっていることに気づくだろう、とにかくこのリラックスが大事だとあんまはいっている
小生で言えば、なぜかはわからないが、ドラクエの宝箱の配置だけはほとんど完璧に覚えている。Ⅲはもちろん、ⅤやⅥ、ドラクエシリーズのダンジョンであれば、どこに何が置いてあって、何が入っているかということがだいたい暗記している、これは覚えようと思って覚えたものではなくて、リラックスしながらゲームをやっていたら自然と覚えてしまったのである。
つまり、どこまでもリラックスして起用したり流して静かにしなければなかなか仕事も出来ようがないだろう、中にはそういう精神状態のまま印刷会社で働いてる同僚が何人もいて、その人達にはその人より100年200年多く当たりでも絶対かなわないなと思ったものである。いつも自分と相手の呼吸の違いを見ていたが、あるいはキャッチボールだったり、文章を書いたり、だったら小生の方が呼吸が静かになる。
仕事ができる人というのは、まるで自営業みたいな空気を出して働いている。仕事をよくよく観察していると、確かに仕事ができるには違いないが、仕事よりその人の方が正しい。その人がやったことが正しくなっているところがある。ドトールのパートのおばさんなんて、ちょっと強めの口調で言ったら、全部常識として、そのおばさんが法律になっているところがある。おばさんの小心で繊細で細かいことによく気がつき、衛生管理など、家で洗濯物を干したり皿を洗ったりしているのとまるで変わらないテンションで仕事をしている。事実、その通りだろう、家事の延長のつもりで仕事しているんだろう。その自然さが、いちばん心が座っているから、おばさんより気が上空にある人は、おばさんより正しかったとしても、おばさんの気に絡め取られてしまう。
小生は自営業で、すべての仕事を自分でコントロールするようになってから、これらの悩みはすべて消えた。すべて人の言うことは漏らさず聞けるようになったし、いちばん低いところの呼吸で仕事をすることができるようになった。
ただ、家にいる時と仕事してる時の精神状態があまりにも大きく隔たられ、自分が2分の1、3分の1となる、強制的にそういった状態になるために、落ち着いて何事も考えられなくなってしまうのであ
この手の心境としてはとにかくハイハイ言うこと相手にちゃんと自分が聞いているんだよということを伝えることとにかく仕事でミスばっかりしているので話だけはちゃんと聞いていますよということを確かに伝えたくてしょうがないのであるそうやってアピールしていて顔面的外面的な素振りに夢中になっているともちろん受信がおろそかになる聞いていることはなんにもわからないので空返事ばかりしていることになってしまう
授業中、一生懸命聞いているように見える学生は、必ずしも内容を理解していない。なぜならば、彼らのエネルギーは「聞いている」というポーズをつくることに集中されてしまうからである。サルトル
相手が話す前から「はい」と言う準備ができてしまっているように思えた。会話の流れの中で自然に「死ね」と言われても、「はい」って返事をしてしまいそうなくらいだった。
そんなものは早く治せよ返事に夢中になってないで相手が話すことをちゃんと聞き届けろよと思うかもしれないがこれが何故だか知らないが一旦作業服を着てみんなが集まってる所に集められて一方的に話されたりすると何を言っているのかわからなくなってしまう妙に心の中にノイズが走ったようなそれこそ断線させられたような気持ちになっていつもどうやって話を聞いていたっけ話を聞くってどういうことだったっけというような自信的な能力がまるで一切遮断されてしまうのである
仕事ができない人っていうのは本当に沢山この世の中に言われるが、彼らは皆全員自分のことをアスペルガーとかADHDと思っているが、小生は単にそういったものよりも精神的なリラックス的な問題だと思われる。
気が上空にある。気は、下に、下に、流さなければならないのである。下に流しながらも剛直に。身体も心も弛緩させていなければならないけど、気は豪傑でなければならない。気は消耗するものではなく、出せば出すほど入ってくる。 気は空気のように循環するもので人間の持ち物ではない。 気は出せば出すほど疲れるどころか疲れが飛ぶのである。気を出さないと疲れが溜まる。 みんな気を出すとエネルギーが減ると思っているが、スマホのバッテリーのようなものとは反対の性質なのだ。 その証拠に、手塚治虫は、2日3日に2時間か3時間しか寝なかったそうだが、いつも元気ではつらつとしていたとアシスタントが証言している。
聖人は踵から呼吸すると言うが、歩く時に、上半身が揺れたり、頭が上がったり下がったりしながら歩くような人がいるけれども、それでは歩くことも立つことも楽しめないだろう。
なんだかんだ言ってこうやって毎朝やってきて生きれているということは、日常生活の些末なことを乗り越えてきたってことだ。貧乏であれ不潔であれ、それなりに自分の身支度が整えられているのだから、会社の仕事というのもそんなに大きく難易度が変わるものではない。自分の生活がある程度できるのであれば仕事も当然できるわけなのである。単に他人が介入することにより、呼吸が乱され、磁気が乱され、自分を保つことができなくなる。能力の問題ではない。仕事ができない人は自分一人で淡々とやっていられるような仕事であれば、できてしまえることが多い。小生は会社でホームページ作りを頼まれた時、適当にビルダーソフトを並べて作っただけだったが、信じられないほど周囲に驚かれたものだった。このチンカス野郎が、なぜこんなことをできるんだ……!? みんな開いた口が塞がっていなかった。真理を目指す人間である以上、通常人ができる仕事などいくらでもこなせられなければならないが、わざわざ精力が奪われる仕事をする必要はない。俺も、4年霊的修行をした今なら、ドトールでだって働けそうな気がするが、やっぱり出前館で配達している方が性に合っている気がする。
この動画の梅澤みなみちゃんも、アイドルというのが向いていたんだろう。空気を読みすぎて「ハイ」と言ってしまう性格が、歌に表れ、踊りに表れ、握手会で表れ、その他のどのアイドルよりも殊勝で、運がいいのがわかる、仕事ができるアイドルは仕事ができないアイドルを超えられない。素朴で謙虚で、自分に矢印が向いている人間かどうかっていうのは、46人の中で立っているだけで分かってしまうものだ。そういう人間は、下手なバイトよりアイドルをやった方がいい。世の中も明るくなる。