こうして毎日ダラダラして生きていると、仕事をしないことは悪いことかわからなくなることがある。働いている人に抵抗感を覚え、居ても立ってもいられなくなることはある。
働いている人は、働かないでいられないから働かない。なかなか働かないでいるというのは、努力がいるものである。最近はバイトの時給も高く、お弁当を配達しているだけで時給1600円というものも見かけた。どうせこうしてボーッとして過ごすなら、車の運転をしながらボーッとしていた方が、相当な金になる。社会にも貢献できる。
ん? 本当に?
社会に貢献ねぇ〜。それも怪しいけどな。
何でどうやって作られてんのかわからん弁当だ。まず白米というだけでアウトなのに、糖尿病を
何もしてないのは時間の無駄に感じられるから、どうせなら働くか、という、しかし、俺はどうしても、昔から、静かにしているということにこだわっていた。自分の心が静かでなくなればなくなるほど、自分の本源というものから離れていくのを感じていた。静かでない状態で何かをするときは必ず過ちを犯すものだし、静かで、限りなく静かなところから話したりすると、一番大切なことに成功したような気がした。最悪、ただ静かで在り続けられたら、もうそれだけでいいと思えた。何者にもなれず、金も儲けられず、一切の夢も叶わくて、結婚もできなくても、ただ一人静かであれたら、それで十分という気持ちでいた。
印刷工場で働いていた頃は、8時間ずっとマシンの上に部材を補充し続けるという仕事をしていて、これはとても静かでないとやりきれんと思っていた。意識があるから疲れる。同じ8時間でも、一人で部屋でボーッとしているとあっと言う間にすぎていくというのに、仕事の8時間というのは、意識でいなければならないから長い、疲れる。自由とは意識があるかないかの差ではないかと最近思うようになってきている。