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「海を見に行こう」と女を誘って、女が喜ぶのがムカつく

「海を見に行こう」と、出会い系のデートの時、 何もやることが思いつかないときに海に誘うと、女はたいてい喜ぶ。海に行こうと言ってイヤがる女はいない。

オレはいつもそういう時、腹を立ててしまう(←自分から誘っておいて)。海の青さ。あの遠望さ。貫いてくる蒼穹。それがこの女にも楽しめる、気持ちのいいものとして依然としてあること、それがムカつく時がある。

俺自身、海のデートは好きだ。金もかからないし時間も潰せるし、カフェでずっと座って話しているよりも心が伸び伸びとしてきて活力が湧いてくる。自分のフィールドに持ち込んだという自負さえある。

しかし同時に、これを女に渡してたまるか。これは俺のものだ。独り占めしたい。お前は海が送ってくるメッセージをどこまで受信できているんだ? お前ごときに海の本当のすばらしさがわかるのか? そんな簡単なことじゃない、という気持ちがある。海を本当の意味で自分の中に落としこむには技術がいる。

昔、セックスしている世間の男と女にどうしようもないほど腹を立てている時期があった。国外問わず、外人にさえムカついていた。セックスしている最中に、目の前の女がセックスしていることにすら腹を立てていた。オナニーでさえ許せないときがあった。

あの海を見つめている時の女の表情。仕事でたまった心の毒素、自動車の排気ガスの汚れ、海でそれらを洗い流しているかのような顔をする。ディズニーやらネイルだか今流行りの170cm以下の男はどうのこうのと駄いでいる女でさえ、海を見ている時は、この世界の完全なる美を受け取っているような顔をする。

太陽は、美人にも犬のクソにも平等に光を照らす。 太陽も、海も、ぜったいに人を差別したりしない。年がら年中休まず、人に奉仕し続けている。

オレは、太陽が好きで、海が好きで、しかし、好きという割には、俺のこの心に抱く感情は、太陽や海とまったく違う。まったく逆のことをしている。太陽を見習いなさい! 太陽が好きなら太陽みたいになりなさい! といつも言い聞かせているが。

海を見てポ―っとなっているときの女の顔。海に集まっている男女、家族。自然の山で過ごす人々、山に小屋を立てて生活している人、そういう動画を見ているとムカついてきてしまうのは、うらやましいからムカつくのか?  休憩している人間がムカつくのか? おそらく、多くの人がミニマリストやら月5万円生活とかしている人間を見るとイラついてしまうのと同じ原理だろう。 人はあまり金を使わない人間を見るとイライラするのだ。

ヒクソンが海に入る前に2時間ストレッチして、やっと海に入り、まるで光合成のように、両手を広げて、海のエネルギ一を吸収している映像を見てもイラつかなかったのはなぜだろう? 負けたと思ったからだ。海を自分の中に落とし込む技術を、小生よりずっと上手くやっていたからだ。

オレは自然側の人間、お前らは工業側の人間だから、この辺りはちゃんと区別されてないと困る。お前らはあくまでタピオカやピクサーのぬいぐるみやインスタのショートムービーで時間と金を食いつぶし、自然側の方の楽しみはオレの領分だから、という線引きを自分の中でしてしまっていることによるのかもしれない。しかし、太陽はそんな俺と女の領分を隔てることなく光を照らし続ける。間違いなく、太陽を浴びるとき、空のあの蒼穹が全身をつらぬくとき、それはオレの中に走る感覚と同じ感覚が女にもつらぬいているのだ。肉を食ったら同じ味覚が舌に走るように。

普通に、ちょっと海に行って、「あー気持ちよかった。もう帰ろ」と3分ぐらいで飽きて車に乗り込もうとする女の方が、なぜか気にならないし、むしろ可愛いと思うが、波に親が連れ去られて亡くなった時のことを思い出しているような、深妙な、たそがれた、詩的ぶった、こちらが声をかけてもその世界にひたって、一向に抜け出してこない様を見せられると、そのまま海に落としたくなってしまう。

少し俺の方をキョロキョロ振り返ったり、「退屈してないかな?」と俺の顔色を伺っている様子を見せてくれれば気にならないが、じっと海の方に見入って、海と通信しているような様を見せられると、海に落としたくなってしまう。

俺はそんな心持ちで女の隣に立っているのだが、それでも海はオレと彼女を平等に愛すから、その心の広さに恐れ入ることがしばしばだ。

海といえば、たまに麦わら帽子をかぶって、白いワンピースを着て、波打ち際を歩く、大正時代から続いている古き良き女の血脈が地で歩くような、そういうファッションをして、そこにキャラクター性をおいている女がいるが。

これは普通の感覚を持っていれば、羞恥心によってなかなか憚れるものだが、よほど自身があるのか、こういうファッションをするとしても、一周まわってこういうファッションをしていますという空気を出して、女同士で茶化しあったりしなければならないものだが、一周回らずにど真ん中でこういうファッションをする女がいる。女も、やはり、こういうファッションをしたいせいか、やるときはみんなで事前にLINEで相談し(みんなでやる分には恥ずかしくないから)、まるでコスプレでもするかのように、口裏を合わせて決行するが。

(こういう女は)AVの見過ぎなのか? 一周回らないでこういうファッションをする女は、どちらかというと、男の脳で生きているような気がする。俺はそういう女をこれまで三人見たことがある。自分が設定したキャラクターに自分が奪われている。こういう人と話していると、この人と話しているというより、この人が作ったキャラクターと話している気分となる。俺が話した言葉を落とし込まずに、何でもニコッと笑う。まるで生理など一度もなかったかのように。いや、逆に毎日生理だという感じがしなくもない。しおらしさが行き過ぎていて、生理で学校の授業のプールを見学している女がそのまま生きている感じがする。キャラクターを演じることに全神経を集中しているから会話の機微まで気が回らず、後ろに手を組んで、少し流すような目で、何でもニコっと笑う。あれはセクハラだと思う。海のような広さといえば海のような広さだが、海のように、果てしなく遠いものを感じる。しかし、そういうとき、我慢できずに笑ってしまうと、それだけは我慢ならないようで、猛烈に俺のことを敵視するようになる。

そう考えてみると、ずっとこういう女性の方が健康的な感じがする↓

昔、高校の古典の授業のとき、急にとある生徒が先生に質問をした。

「先生ーーーーーーー! この学校から有名人って出たことあるんですかーーー?」

化粧塗れのバカ殿みたいなギャルで、有名になる気配もクソもない女子生徒だったが、先生は答えた。

「授業中ずっとぼーっと窓の外を眺めていた男の子が小説家になったよ」と言った。「授業を聞くわけでもなく、ノートも取らず、おしゃべりするわけでもなく、机に伏して寝るわけでもなく、ただ窓の外を眺め続けるっていう奇妙な生徒だった。ほぼ毎授業、50分間、すべての授業をそうやって過ごしてたよ」と言った。

みんな、ふーんと聞いて、それ以上この話題から持ち帰るものはないといった様子で、質問した女子生徒は質問して損したという顔をして、またおしゃべりしたり、机につっぷして寝てしまったが、小生にはからくりがすべて分かった。彼は、古典の授業だけに関わらず、すべての授業、いやすべての時間、すべての生活をそうやって何もない静かな時間の中で過ごした。鎖国していた日本がちょんまげをしたり、浮世絵を書いたりしたように、そうやって、外の情報をすべてシャットアウトして、彼の無意識にとって雑音でしかない教師の授業をシャットアウトして自分を完成させていたのだ。その瞑想的な時間は、彼にとってごく当たり前に流れる時間だった。うちの高校は県内でもとびっきりの馬鹿が集まるような学校だったが、それでもなぜか、少なくない生徒が、ノートだけは取ろうとするのだ。ノートに書いても、何も覚えない、覚えられない、書いたことを片っ端から忘れ続ける。紙とシャー芯の無駄でしかないのだが、そんな彼らでさえ、決まった時間に決まったことをこなす。大学に行くわけでもない、工場に就職するだけ。だからテストでいい点を取る必要もないのだが、なぜかノートだけは取ろうとするのだ。種としての工場のルーティンワークをこなすための下地が築かれている? 実際、この5年後、小生は印刷工場に就職したのだが、この意味もなくノートを取る彼らの行動と、作業する工員たちの精神は同じ地点から出発していたことがわかった。

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