食べ物に関する研究・美容・健康

母親が作ったカレーパンが死ぬほどおいしい

さいきん、母親がパン作りにはまっている。始めて2ヶ月経ったようである。

何を思ったかわからないが、急にやりたくなってやり始めたらしい。

昔、新宿で食べたカレーパンの味が忘れられないという。その味を再現させてみたくなったそうだ。じゃがいもを多めに入れて、あまり柔らかくしすぎることなく、口の中でじゃがいもがゴロゴロする食感。カレーパンはじゃがいも重要なんだと思い知らされたらしい。市販だとどうしてもそのカレーパンが売っていないらしい。

テーブルの上に、実験作らしいカレーパンが置かれてあったので、食べようとしたら、「ちょっと待って!!!!」と大きな声を出して止められた。「本当は揚げたての方がおいしいんだけどね」といって、一般家庭用なのかわからない、業務用としか思えないようなドでかいレンジで設定温度と時間を細かく(パンによって変えている)設定し、レンジに入れ出した。弱くしないと中まで温まらないらしい。8分後それを食べてみたら(温め直すだけなのに8分も焼くの?……と思ったが)、びっくりした!!!!

「「「「「!!!!!!!!!!」」」」」」

なんじゃこりゃと思った。

なんだこれは? 本当にカレーパンなのか? 食べ物を食べてびっくりするという体験はいつ以来だろう? 子供の頃以来かもしれない。いや、7年前に白糸の滝で、釣れたての鮎と、富士宮焼きそばを食べたとき以来か? いや、それとは比べ物にならない衝撃だった!

信じられない! これはカレーパンなのか? だいたい食べ物というものは、目に見えるものと脳の中でイメージする味とそう変わるものではないが、どんなに美味しいものでも、頭の中にある味を再現させるため、追いつかせるために食というものを行うものだが、それは明らかに違った。その違いにびっくりさせられたのである! まったく想像した外から味覚がやってきた!

小生は思わずニーチェがクロード・ロランについて書いていたことを思い出した(ちくま学芸文庫『生成の無垢』上巻1054番)。

一昨日の夕方ごろ、私はクロード・ロランにすっかり魅了されて、とうとう長いあいだ激しく泣きだしてしまった。こうしたものを体験することが私になお許されたとは! 私は、この大地がこうしたものを示すとは、そのときまでは知らないでいて、それは優れた画家たちが虚構したものだろうぐらいに考えていた。この英雄的・牧歌的なものはいまや私の魂を暴露するものだ。そして、古人たちのすべての牧歌風のものが、一挙に、いまや私に対してあらわにされ、明らかになったのだ――いままで私はこうしたものについて何ひとつとして理解していなかったのである。

ゲーテがエッケルマンに「スープを待つ間、君に目の保養をさせてあげよう」と言って、クロード・ロランの風景画集を見せたときのことも思い出した(『ゲーテとの会話』中巻1829年4月10日)。

「わかるだろう、完全な人だ。」とゲーテはいった、「この人は、美しい思想と美しい感情を抱いている。心の中には、外界にいては容易にうかがい知れぬような一つの世界があったのだ。これらの絵には、この上ない真実があふれている。けれども、現実はどこにも跡をとどめていない。クロード・ロランは、現実の世界を隅から隅まで、すらすら空でいえるほど知りつくしていた。それを彼は自らの美しい魂の世界を表現するための手段として用いた。これこそまさにほんとうの理想性だよ」

↑クロード・ロランの絵

つまり、今まで見たことのない世界、食べたことのない味、まだ、自分にもそのような権利(機会)に巡り合うことが許されていたのか!

信じられない、なんだこの味は? 食感がまず違う。食感が想像していたのは違うのである。まず、固いのである。モチモチしていながら固さがある。これはやや皮を厚めに作られているのと、全粒粉の小麦粉を使っているためだ。

小麦粉は身体に悪いからという母のこだわりもあって、全粒粉によって作られている。しかし栄養学的観点からだけでなく、歯ごたえの観点から全粒粉の方がいいと最近は思うようになったらしい。見てほしい、この分厚い皮を。このカレーパンによってある程度皮は分厚い方が歯ごたえがあっておいしいことがわかった。全粒粉の固さはとてもいい。固い固い言っていると石みたいな固さと思われたら困るが、ちょうどいい固さなのである(上の写真はカレーパンじゃなくてビーフシチューパンだけどね。でも、生地の厚みは一緒なので)

全粒粉だからおいしいのかなと思って、ドトールで全粒粉大豆ミートとやらを食べてみたが、これはおいしくなかった(↑)同じ全粒粉なのに異様に柔らか過ぎて歯応えがなくて、食感もパラパラしていた。ヴィーガンブームの先駆けになろうとしているためか、試みは期待したいが、薄味が過ぎた。ほとんど味がしなかった。これでは流行らないだろう。まったく記憶に残らない味だった。

岡本敏子さんも、「最近のTVは柔らかいことを長所のように押し出しすぎている。肉だって口に入れた途端にとろけるのを良しとしているけど、私はどうかと思う、Tボーンステーキだって固いからいいんじゃない?」と言っていたが、小生も、脆弱な現在人の歯に合わせられた流動食のような現在の食文化には反対だ。玄米も固めの方がおいしいから、20分しか茹でない。

しかし、カレーパンのために2ヶ月を費やせることが凄い。

パンの調理器を買って、最近は毎日のように、4時間ほどパン作りをしている。パンをこねるのは力仕事でもあり、指も変形してきているらしい。しかしやめられないという。

小生は料理に失敗したという記憶はほとんどないし、レシピ通りにやれば、形はその通りにならなかったとしても、だいたいレシピと似た様なものになる。玄米をIHコンロで炊くのは難しくて、二週間ほどは失敗続きではあったが、今ではとても美味しく炊ける自信がある。今では十分に自分の炊き方に満足しているが、料理に熱中する人は、この玄米をさらにおいしく炊くために新しい実験を続ける人をいうのだろう。

趣味とは恐ろしいものである。何もない閑暇の中で、自然に、自分でたどり着いた、導き出したもの。羨ましいと思った。60過ぎてから見つかるものもあるようだ。

正直、手間としか思えない。材料を買ってきて、器具も用意して、一からこねて、その後、夕飯も作らなければならないのだ。洗い物だって尋常じゃない数になる。食べ手だって少ない。姉と二人で暮らしている。小生は月に2回、仕事の都合で帰ってくるだけである。しかも作っておいて、自分ではほとんど食べない。

昔から料理が好きな母親で、夕飯も3、4時間ほどかけて作るし、お弁当一つとっても手を抜いたことがない。おかずはいつも5品も6品も出る。そんな家に生まれたことを幸運に思うが。

こんなにがんばって作っても、食べるのは家族だけである。しかし、パン屋で売られているパンとは比べ物にならないほどおいしい。ちなみに最初の写真の11個のパンのうち、10個は小生が食べてしまった。1個(カレーパン)は姉ちゃんが食べた。

姉はカレーパンはもともと好きではないけど、母のカレーパンには信じられないほどびっくりしたらしい。揚げたてを食べるために、いつも2階から飛んで降りてくるらしい。

これほどの激しい探究心を持って作られたものが、俺と姉ちゃんが食べて終わってしまうのというのは悲しいものだ。ぜひ世界中の人たちに食べてもらいたいものだが、本人はまるで無頓着だ。

作ったところで、数時間経てば影も形もなくなってしまう。文章や芸術作品、模型とは違って、俺の胃の中で溶けてトイレに排泄されて下水道を漂う。

中の具材に関しても、じゃがいものゴロゴロ感が出るように、なんとあえてレトルトを試してみたり、何度も試作が試みられている。またドレッシングひとつとっても、シークワーサーをすり潰して、一から自作しているのだ。起動に5分かかるPCはまったく気にしないくせに、調理器具はすべて綺麗に誂えられている。調理のたびに、全部引っ張り出して全部洗い出して、大テーブルの上に全部まとめて置いている景色は圧巻だ。

さらに、揚げたてでないと食べさせないという、最高の環境、最高の状態で相手に食べてもらいたいという職人気質、一階の主婦とは思えない、人の趣味にかける情熱というものは計り知れないものがある。

しかし、一つ困るところは、一口ひとくち食べるごとに感想を聞いてくることである。「これなんの味かわかる?」「それはどう?」「それウチで植えたきゅうりだよ」とか。新しいおかずをひとつ箸をつけるごとに、細かく感想を求めてくる。

小生も記事や動画となると、あれはどうだったとかここはどう思うとか細かく人に聞いてしまうから、そういうものだろう。親子で同じことやってるなと思った。あまりいい加減な感想では許してくれないというか、物足りない顔をする。おいしいの一言で済まそうとすると、ぜんぶおいしいの一言になってしまうから困ったものだ。食べる側のレベルも高かったらいいのだが。

ケーキもこの作り込み様である。

お皿がちと悪いけどね。

レシピ本は机の上から崩れそうなくらい持っているが、ほとんど自分で考案している。下手すれば毎晩新しい夕飯のメニューを作り出しているといっても大袈裟ではないかもしれない。実家に住んでいた頃は、毎晩の様に新しく考案されたメニューを食べさせてもらっていた。

この件に関して、あまりにも周囲に自慢したくなってしまって、出会い系の女にも話したことがあったが、そういうとき、出会い系の女は困った顔をする。

(笑)

これほどの才能と意欲を持つ者が、誰も知られず、小生と姉にしか知られず、それでも焼き続けているというのはおそろしいことである。しかし世の中にはこんなことは少ない例ではないだろう。

誰に頼まれたわけでもなく、間暇の中で、急に自分でやり始めた。金のためでもない自分が食べるためでもない、少し時間が経てばなくなってしまうそんな儚いもののために、焼き続けている。それでいて、作った本人はほとんど食べない。

料理好きの母親のもとで生まれるというのは、信じられないほどの幸運だと思う。生玄米しか食べないとか言っている糞みたいな息子じゃなければの話だがな!

ふーむ。このカレーパンはYouTubeやインスタに上げるだけでも、小生よりずっとアクセスが集まりそうなものだが。冷凍して販売するのもありなんじゃないかと思うが、本人はまったくその気はない。

これほど健気で美しい、小市民の美徳。何でも金に還元させようとし、何者かにならなければと暑苦しいツイッターやらYouTubeの世界とは対極にある。

小生はどうしても形に残らないものはがんばる気が起きないが、母が言うには、形に残らないからいいとのこと。陶芸などをやりはじめて、部屋が茶碗ばかりになったら困ると言っている。

師もない。自分の内側の奥底からやってみたいといってやってくる欲求にしたがっただけ。誰にでもこういうものはあるだろう。やはりどんな人にも長所短所、才能というものはあるんだなぁと思う。俺は間違ってもパンなんて作りたいと思わない。

人は誰にも与えられた天分があり、それぞれに種が撒かれてあって、その花を咲かせていくことができる。母のパンの味はそういう味だ。

母が言っていた気になった格言としては、「新しいパンを作ろうとすると一回目はだいたい失敗する。二回目はうまくいくことが多い」である。

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