霊的修行

「マスコミについて」「正直について」会話 抜粋

マスコミについて

「いや、それはもちろん奴らだって書くのは嫌だと思うよ。もともと出版社に勤務しようと思う人間は、文章が好きで、大抵、小説家になりたかったけど、それが叶わなくて崩れてきた人達が多いだろうから。なまじ人より文章に対してプライド持って来てるんだよ。本当は純粋な文章を書きたいんだと思う。そういう思いは人より強い。でもそれでも人間っていうのは吹っ切れてしまうもんだから。どんな人間だってその環境でペンを持って書けって言われたら書くしかない。覚悟の問題だね。自分の方からその一線を越えてしまえる。これは、誰でも越えられる。心のどこかでは嫌だと思いながら、やっぱり書けちゃうもんだろうね。それよりも、見落としなのは俺たちの方だね。こうして俺たちはどうしてあんな酷いことが書けるんだろう? マスコミって最低! 書けちゃう気持ちがわからない! って言うけど、あれは何に怒ってるかっていうと、自分だって同じ立場にあったら同じことをしてしまうんじゃないかっていう恐怖だと思うね」

正直について

「本当にはっきり全部わかったよ。上手いとか下手とかはないんだね。ただ正直か嘘があるだけだったんだね。本当にただそれだけなんだよ。全ての文章は。あ、これ正直だなぁ、素直だなあ、これ嘘ついてるなんて、全部わかるようになった。自分の文章でそれが分かるようになると、相手の話すことも文章もわかっちゃうんだよ。話してる時も動画だろうがなんだろうが、作品だろうが、全部わかるよ。

小説投稿サイトの文章を見てると、全部上手く書こうとしてる。ちょっといいなぁとか昔は思った作品もあったけど、もうそういう問題じゃないんだね。ただ本当に正直か嘘か。この正直って言うのは、たぶん世間一般で言われてる正直とちょっと違う。で、みんな敢えて避けてやってるのかと思うとそんなことはなくて、本当に極限まで正直になろうとか、普段からそんなことを思ってないし、自分自身がもうとっくに、正直の正直を忘れちゃってるんだよ。どっかで一個ずれちゃう。一個だったり、二個だったり。正直になってるつもりでも、全然正直じゃないんだよ。そうはいっても、正直はどこでも顔を出してくる。嘘をつこうとしたって顔を出してくるから、いつもその間を漂うしかないんだね。

本当に正直になれば、何だって、いくらでも話せちゃうし書けちゃうんだよ。でも、必ず、ズレちゃう。ぶつかる。正直と嘘の間で、抵抗や摩擦が生まれる。俺だってまぁそうなんだけど。だから、これからは、本当にどうやってそのど真ん中、中心から外れないか、そこにとどまるか、そうすると本当に敵を作ったり色々あると思うんだけどね。でもこればかりは仕方ない。

何より自分の目が怖くなっちゃうんだよ。本当にありのままってやつだね、人間はどうしてもちょっと大きく見せたり、ちょっと小さく見せたり、なかなか自分のそのままで本当に貫き通せる人っていうのはいないんだよ。これは断言するが、絶対にいない。例えて言うなら、不良グループとかでちょっと自分より格上だったり、グループのリーダーの不良でも番長でもいいけど、そうなってくると、やっぱりみんな貫き通せないでしょ。跳ねっ返りの不良でも、番長の前だと、ちょっと自分を下げちゃう。で、その番長も、ヘビー級ボクサーの前では、下げちゃう。そんなに一気にへり下って、床に手をつくことなんてしないけど、ちょっと下げちゃうもんでしょ、普通は。かといって大きく出るのもまた違うんだけどね。

ここをまったく下げないとどうなるかって言うと、本当に恐ろしいもんだね(笑)俺も怖いよ(笑)でも、本当にわかったのは、こういった少し小さくなったり、大きくなったり、みんな流されている自覚は持ちながらそれをやっているんだけれども、でも、その自覚を持っているつもりでも、自分に言い聞かしている声のずるい方を選んでる。あるいは、人類愛や道徳を持ち出して、自分の臆病さを謙虚という形で置き直そうとする。毒もぜんぶ消しちゃおうとする。そうやって中心からちょっとずらしているのが、だんだんクセになっていって、もう染み付いちゃって、そっちの方でどうしても喋ったり発信しちゃって、なかなか素直になれないんだね。いい証拠に、今、こうしてお前に話していることは、今、一番最初に俺に浮かんできてるものだよ。一番最初に出てくるやつから絶対みんな一つずらす。今話してるこの声が正直で、こういうのも何か偉そうに聞こえちゃうでしょ? 調子にのってると思われるでしょ。だからそれをとりあえず置いておいて、1歩ずらして、丁寧にして投稿することが多かった。でも今これを話してる時はいちばん最初の感情なんだよ。だからね、音声入力で一発で一気に書けちゃう。いや、どうだろう。それでもやっぱりまだ何か完全に正直とは言えないなぁ。今もどっかでやっぱり1歩ズレてる、このずれを完全にさせたいんだけど、それがなかなか難しいんだね。でも、こっちの方が俺も楽しいし、みんなも聞いてて、まぁ気分悪くなる人もいるだろうけど、でもやっぱりその人の心も貫くと思うんだよ。この一歩なんだよ。〇か✕か。1歩ずらしちゃったら、もう終わりなんだ。

花の慶次? そう、花の慶次みたいなもんだね(笑)

一回一回、本当の素直になんなきゃダメなんだよ。まぁ、それでも何を言っても言いってわけじゃないんだけどね。言っちゃいけないこと、話しちゃいけないことばっかりなんだけどね。定義は、ちょっと難しい。この辺はまぁ俺もうまい言葉が思いつかない。別に悪口を言えって話じゃないんだよ。分別はやっぱり必要なんだ。

文章は、別にうまくなくたっていいんだよ。むしろうまく書こうとすると、素直に自分をさらけ出そうっていうところから、絶対に1歩ずれちゃう。その1歩が本当に怖いんだ。その1歩を外れたところで、どれだけ積み重ねたり、こねくりまわしても、本当に意味がなくなっちゃう。嫌われる勇気。本当にそれに尽きる。結局エネルギーなんだね。そこにエネルギーの違いがすごく生まれてくるということがよくわかった。だからね、本当にその1歩を注意深く常に見ていなきゃダメ。で、行動に移さなきゃダメなの。これは全て実生活の反映だから。実生活をそういう気持ちで生きないと、絶対そういう文章は書けない。まぁ、お前は別に文章書かないからいいんだけどね(笑)

でも、これは全部同じだから。本当に全部同じなの。今だって間違ってるかもしれない。昨日今日気づいたばかりのことを言っているからね。正しいか間違いかじゃないんだね。もちろん俺は正しいと思って言ってるけどね。いま、正直か正直じゃないか、それだけが重要なんだよ。

むしろ上手く書く研究とか、本読むとか、たくさん書くとか、そんなことやっても、投稿サイトの連中はそればかりやってるけど、やっぱりみんな、小説投稿サイトの人達、嘘しか書かないもん。だからつまらない。

まあ、だから、口を閉じてればいいんだけど。口を閉じながら正直でいるっていうのが、今後の課題となってくるのかなぁ。本当に孤独になりそうだよ。でも、不安がなくなった。やっぱり危険な方にそのまま飛び込んじぇばいいんだ。光の在り処がわかったような気がするから。お前と話してる時ですら、やっぱり俺もお前にも貫きゃダメだもんな。天風先生はぜったい貫く気がする。まぁ他人には寛容であろうと思うよ。俺は本当に他人のことなんてどうだっていいんだ。でも、自分自身と本気でぶつかってそこから逃げないでいると、すぐに他人とぶつかるんだ。でも、一緒になってタジタジすることは、もう誰ともしない。

いいんだよ。明日全然違うこと言ってたって。人間今あるものしか書けないし、話せないんだから。

つまり、正直っていうよりも、純粋って言った方がいいかもしれないな。本当に、混じり気のない、本当の本当で行くしかない。そこから1歩もズレないで行く。それをやるしかないんだね。それ以外は全部どうでもいいんだ。話すことも書くことも。だから俺はどんどん下手に書いてやろうと思うよ。

そしていちばん素直でいちばん正直なのはいちばん単純なんだ。ゴーギャンの言ってた一番シンプルな線を描きたいって言ってたのは、こういうことだろうね。それはどこを探してもないね。自分の中にしかない。で、また恐ろしいことに素直な部分っていうのはぜんぶ危険なんだね(笑)ぜんぶだよ、素直になるってぜんぶ危険なの(笑)だからね、危険な方向に行けば間違いないの(笑)足が毎日ガクガク震えて、全身の細胞がひっくり返ったように最近なってるんだけど、最近、寝ると凄まじい汗をかく。その代わり不安だけはないんだよ。またすぐに危険に飛び込めばいいだけの話なんだから。

じゃあ、あのTwitterで汚い悪口言ってるやつらは正直かっつったらね、それはぜんぜん違うんだよ。だってまず自分から逃げてるから。その1歩をね、もの凄く大きくズレてんだよ。2歩ずれてるわけでもなく、3歩ズレてるわけでもなく、1歩を、お〜〜きく、ズレてる。

嘘をつくと自分に跳ね返ってくる。そして、自信を失って、その自信を回復させるように、たくさんの言い訳を脳が用意してくれる、それが不安の正体だ。俺はもう他人が全員嘘をついてるということは全部わかった。

質が大事とか量が大事とか、もうそういう問題じゃないんだね。ただ心意気、至誠だけだ。

俺はコロコロ意見が変わるから信用できないって、まぁ別に信用してくんなくていいんだけどさ、こんなことは。ただ、あれだよ、剣で切り掛かってこられたら、もうそれは『両刃鋒を交えて避くるを須いず』のように、もうそこでパッやるしかないわけでしょ。あれと本当に同じなんだよ。やったことないけど。無心で危険な方にただ何も考えず飛び込むしかない。その呼吸が分かんないと、どうしようもないね。それも文章もやっぱり一緒だってことがやっとわかった。修行なんてもんは存在しない。この危険な閃光のようなもの。間髪入れずに、危険な方向に生身で飛び込むだけだ。まぁ、やっぱり修行は必要か。

だから俺が有名になって、山口メンバーと同じようなことしちゃった時、記者会見になったとするじゃんね? そん時も、カメラの向こうの全国に向かって、「てめーらに関係ねーだろバーカ」って言わなきゃいけない。そしてまた次の瞬間に危険に飛び込んでいなければならない。そういうことなんだよ。

俺は良くても家族に迷惑がかかる、実家に石が投げられるかもしれないっていう考えだってそりゃ頭に過ぎるんだけど、それでもただただ飛び込まなきゃならない。そこら辺で葛藤させちゃうから何もできなくなっちゃうんだね。間違ってるよ、そりゃ、間違ってるんだけど、そっちに行かなきゃいけないんだって。

ここら辺はみんなあんまり聞きたくない話だろうね。お前もね。とてもシビアで覚悟がいるから。俺だって別に言いたくもないし、誰かに強制するわけでもないし、まったく勧めはしないけど、それ以上に話しようがないんだから仕方ない。

俺が言ってんのは成功する方法を言ってるわけじゃないよ、むしろ間違ってる方法を言ってるんだよ。悩まなくなる方法を言ってるだけだよ。この人、調子にのってるって思われるのは嫌だから、絶対ひいちゃうんだよ。

『両刃鋒を交えて避くるを須いず』について、今日は考えていたんだけど、まぁ、今で言ったら、急に暴漢に襲われたりでもしたら、そこに飛び込んで何とかするしかない、みたいなことかね。何とかなるか分からないけど、あー、どうしよう、こうしようと思ってたらやられちゃうからね。これは生活も一緒だね。至るところで、そのまま飛び込むしかない。そういうとき、全身にすごいパワーがつらぬくよ。火事場の馬鹿力というか。

宮本武蔵の五輪書で、剣の試合では、ああいう打ち合い、お互いが無念無双になって、身体を投げ出し合う瞬間が、いちばん多くなるって書いてあった。やっぱりそんなにたくさん色んな本を読んでもしょうがないね、山岡鉄舟の本も、五輪の書も、岡本太郎の本も、あれだけ読んだのに、全然読めてなかったことがわかった。今日は五輪の本をもっとちゃんと読まなきゃダメだな。

表現というのは、それを1歩ずらしてしまうか、1歩もずらさない表現があるかどうか、それだけなんだ、そのどちらかでしかない。

素直な道っていうのが一番危険な道なんだね、もう一番危険な道を行くしかないんだね。人間は死ぬより素直になる方が怖いからね。

多くの人は、その人がみんなに向けて書いたものと自分用の日記として書いたものだったら、おそらく日記の方を読みたいんじゃないかと思うんだよね。自分用の日記はさ、やっぱり今までたくさん恥をかいてきたから、後で見るのが恥ずかしくなってしまうんだね。でも、人の目を気にしないで書けば幾らでも本当は書けちゃうんだ。やっぱりこっちが大事だな。

ここらへんは、難しいところかもしれないが、嫌われない勇気を持ってただ自分でいるだけで十分だね。即ちただ立ってるということ。変に相手を変えようとしたり、相手につっかかったり攻撃したりすると、それはそれでまた自分から1歩離れちゃうんだね。相手を攻撃したとき、自分から離れたってわかるもん。でも、引いてばかりいると、それも自分から離れちゃう。だから、ただ自分のままそのまま突っ立っているだけでいいということになるんだけど、この辺りのバランス感覚は1回1回自分を原点に立ち戻ろうとするフィードバック感覚が大事になりそうだね。一回一回、原点に還る。それは、俺がこれまで目指してきた、そしてこれからも目指す一点でもある。この感覚と文章を書く感覚は全く一緒だね。

生活や人生というのは、あまりにも煩雑すぎるから、斬り合いという、もっとも原始的でもっとも極限、もっともシンプルな中で、いちばん何が大切なのか、いちばんシンプルな形でわかってくる。そこに飛び込むしかないんだね。

『両刃鋒を交えて避くるを須いず』については、上原先生の動画がいちばんよく表していると思う」

-霊的修行

© 2021 りょういちんこZ Powered by AFFINGER5