たまに、それなりの可愛い子が、いかにも同年代の男と付き合いそうな女の子が、よく分からないバイト先の店長と付き合ってしまうことがある。なぜだか分からないが、その店のリーダーシップを持っていて、全てを回しているような店長と付き合ってしまうことがある。
少し世界を広げて考えてみると、こんなちっぽけな、よく分からないチェーン店の飲食店の店長であり、大手商社のサラリーマンと比べたら、社会的に凄いかよくわからないのに、それでもその店長の輝きが、若い女の子の胸の底にまで射し込んでしまうことがある。
小生も、可愛いくて、大好きで、目を付けていた女の子が、こういうよくわかんないおっさんと付き合ったりしているのを、指をくわえて見ていたことがある。
俺の方が若くてかっこいいのに、なんでこのおっさんなんだ? なんで俺じゃないんだ! と苦悩に打ちひしがれたが、でもダメらしかった。なぜなら、俺は仕事ができないから。その職場において、店長よりずっと弱い光しか放てない。そこらに被っているホコリよりも小さな光だ。
女の子は可愛かったけど、おっさんはひどいもので、ひどくはないけど、普通にどこにでもいるおっさんで、30歳ぐらいだったろうか?(今の俺よりよっぽど若いけど) おっさんは、おっさんのくせに、そんなことは関係ないという体で普通に女の子に話していた。
女の子は、最初は「おっさんだから無理」と思っていたようだったが、おっさんがあまりにも普通に話しかけるで、その普通さの中に吸い込まれていき、「俺とお前が付き合ってもなんの不思議もない」という、その信念を信じて行動しているおっさんの輝きに、信じているより、それを前提においていて、その前提に吸い込まれてしまっているような自然さがあった。
飲食店の店長などはそんなことばかりに心を砕いて生きてきた人間が多いため、社会的なレベルを犠牲にしてその能力を得たため、なんとか取り返そうとして、それをフルに活用しようとする。「あさみー」とか、「めっちゃよかった」とか言われているうちに、それは口説いているのか? 口説いていないのか? と、彼女たちは真面目だから考えてしまう。いくらおっさんが自然に話しかけてきても、こっちまで自然に話しかけてしまったら負けだとは思っていても、自然に話しかけてきてくれる人に、悪態をつくことも、悪いことだと思ってしまう。
そんな、真面目さと申し訳なさが仲良くひとつの魂の中で共存しているうちに、恐ろしいことが起こってしまう。
人がある程度集まってコミュニティが形成されると、人を越えてコミュニティー自体が発言を持つようになる。そのコミュニティーに順応するように、コミュニティにいちばん近いところにいる人間が、その職場でリーダーシップを握るようになる。
街ですれ違ったり、友達に紹介されたり、色んな出会いはあるけれども、人が同じ職場の人を好きになりやすいのは、このコミュニティの魔力に取り込まれてしまうからである。コミュニティに近づこうとし、コミュニティに同化しようとし、自分よりコミュニティの先にいる人がいたら(あるいは中心)、この人は私より偉いんだ、もっともっとこの人と同化しなければならないと考えるようになる。コミュニティの中にいるのが苦手で、仕事ができない人間ほど、こういった思考になる。
コミュニティが苦手で(コミュニティなんて言葉気持ち悪くていいたくもないがw)、仕事ができない同じような男を見つけたとき、嬉しくなって安堵感を覚えるが、さすがに結婚しようとは思わない。コミュニティの中だろうが外だろうが、人は前へ前へと、前進することはやめられないからである。彼女にとって前進とは、おっさんと付き合うことだった。
コミュニティの発言とはなにか。
サラリーマン達は、現金を支給されるよりも、ノルマを達成するための数値の方が欲しがるものである。小生が昔アルバイトしていた招き猫ですら、従業員もアルバイトも、誰が夏フェアの『沖縄ソーキそば』を売り捌けるか、一生懸命競い合っていた。小生も一生懸命、売りたくて売りたくて仕方がなくなって、売れると喜びを感じていた。アルバイトだから、昇給もボーナスもないのに、みんな売りさばくのに必死だった。みんな喜んでいた。
誰かを蹴落としたり、ズルしたり小賢しい真似をするものはなく、健全で、無邪気に数字を競い合ったものだった。なぜあんなことになってしまっていたんだろう。しかし、あれは、その場にいたら誰もがそうなってしまっていただろう。もしかしたら、小生は、今まねき猫でアルバイトしても、同じことをしてしまうかもしれない。したって別にいいんだが(笑)
奴隷の鎖比べ。奴隷が繋がれている鎖を、どちらの方が綺麗か競い合うようになる。どこにでもある現象だ。だが、その眩しさに魅せられてしまうのも事実。なぜならその鎖を、彼女たちは自分からはめたがっているからである。
彼女たちは我々男より、ずっと真面目である。女は、生まれた時から、真面目に生きようとする筋のようなものが男より確立されている。真面目だから悩み、真面目だから苦しみ、真面目だからおっさんと付き合ってしまう。
あの時の女の子がもう一度小生の前に現れたように、ちょうど同じような女性店員を、ドトールで見つけた。
※
ドトールに非常に細い、心配になるぐらい細い女の子の店員がいる。声が小さくて、いつもおどおどしていて、その神経質と繊細さが、体型として現れている。
眼鏡をかけていて、胸はまな板のように薄い。服装も、こんな私が派手な格好をしてはいけないと、周りを意識して、何周も葛藤してまわってたどり着いた地味な格好で出勤している。
別に牛乳ビンの底のような眼鏡をしているわけではないが、目が悪い人が間に合わせにつけるような眼鏡をしている。丸い縁の眼鏡だ。これは、よく見たらそんなに悪くないかもしれない。小生が疎くなってるだけで、十分おしゃれかもしれない、普通に似合ってるし、けっこう可愛い。
眼鏡の奥を覗いてみても、目に力がない。姿勢が悪い、折れた枝が歩いているようだ。おそらく24歳くらいだろうが、すでにもう円背が板についていて、40代には脊柱菅狭窄症が発症しそうな気がする。
働いている様子を見ていると、少しまわりのスタッフに話しかけられるだけで、肩がピクッと動いて、その瞬間に思考が止まってしまっているのがわかる。考えたり、話すことの自由を奪われ、どうにも自分の呼吸を保てないようである。話しかけられるたびに痩せていっているようだ。
そして異様にバーコードを読み取るのが下手だ。小生がドトールのアプリを開いてスマホを差し出すと、スマホの上に置くように読み取り機器を近づける。近づけすぎて認識しないと思ったら、今度は自分の胸くらいに機器を引いて、今度は遠すぎて認識しない。なんか、どうもセンスが悪い。
今日も元気がない。元気があった試しがない。しかし、笑った時、とてもいい笑顔をする。仕事ができない人は、異様な緊張感から解き放たれるのか、どんなスタッフよりもいい笑顔をする。
※
なんとなく、彼女が思っていることが、伝わってくるような気がする。
今日も生煮えのような1日が過ぎていく。私は楽しくない仕事をして、周囲が私はこういう服を着るだろうという服を着て、働いて全が入っても、そんな服を買うだけだ。ここで働いてる限り、私はこういった服を着続けることになる。ピンク色の髪で出勤してみるか? そしたらどうなってしまうんだろう。いつからか、みんなが指定する服と髪型をして私は生きている。別の服を着たくなったら、生まれ変わるしかない。
店長はすごい。身体と心、神経回路がドトールと直結している。私はダメだ。いつも脳のリソースに余白がある。この余白の部分がいつも遊んでしまう。たまにどこからかわからないぜんぜん関係ないことが浮かんで、気づけばその思考と一つになっている。
プードルは頭がいいのか? 警察犬がいちばん頭がいいのか? 大きい犬と小さい犬はどっちが頭いいんだろう?
こういった思考が、突然訪れる。目の前の何かが引き金になったわけではない。ぜんぜん、自分でもどこからやってきたか分からないものだ。私の方が出所を聞きたい。
お通じ、あ、今思い出した! お通じって言えばよかったんだ。便の出が、便の出がって、便、便って言葉を使わなければならなくなっていた。
カナダってアメリカだっけ? さすがにこれはまずい気がする。帰ったら調べよう。いや、今調べたい。トイレ行くか?
マスクメロンのマスクって
遺影がいえーい、名古屋コーチン。
りんりんりりんりんりんりりんりんのあと、なんだっけ?
いつかヘマをやらかしそうな気がする、更衣室で着替えている時に、これからお風呂に入るのと間違えてブラもパンツも外してしまい、そのままフロアに出ていってしまうかもしれない。習慣化された行動が、私を置き去りにすることがある。それが怖い。そうなる前に早くなんとかしないと、何とか? 何とかするってどうすればいい?
この思想に専念していたい、いや、したくないんだってば。みんな、こうなのだろうか? 私には「ヘン」がある。同じ人間なんだから、誰にでもこの部分は持っているような気がするけど、シュール? というのか?
ああ、いけない。また仕事中にこんなことを考えてしまった。他のスタッフも、店長も、仕事中にこんな事が浮かぶんだろうか? 黙って皿を洗っている時、こんなふうに思ったりしないのだろうか? 何も浮かばない方が怖い気がするけど。わからない。一度聞いてみたいけど、聞くことはないだろう。
私だけだろうか? 私だけだったら、いよいよ救いがなくなる。これを一生騙し通すことができるだろうか? いつかとんでもない大失敗をしてしまいそうな気がする。
店長の常識人のエキスが私の中に注入されたら、少しはこの病気が治るだろうか? またバカな事を考えて。
もういっそ、ビンタしてほしい。「目を覚ませ!」「こっちに戻ってこい!」と、思いっきりビンタされて、その場に泣き崩れたい。「こっちに戻ってこい! こっちに戻ってこい!」と強く肩を揺さぶられたい。私だってそっちに行きたい! 好きこのんでこんなバカに生まれたわけじゃない……。
私は普通なのか、普通ではないのか、それを知りたい。でも普通と言われても納得できないし、普通ではないと言われても、私は私をやめることをできない。
でも、霊能力者だけは嫌だ。私に本当の私を教えてくれて、この世界の真実を教えてくれる人だけは嫌だ。すべてを忘れさせてくれるモンゴル人がいいかもしれない。モンゴル人と結婚しようか。その方が私にとってはいいかもしれない。馬に乗って、ずっと草原の中を遊泳していたい。
こうして、コーヒーを運んでいる時、フロアを歩いてるのか、モンゴルの大草原を歩いてるのか、わからなくなるときがある。
友達にもこんなことは言えやしない。ここでこのままずっとバイトしていたら、胸のバッジの星が増えてしまい、パートリーダーにならなくてはなってしまうかもしれない。拒否したらどうなるだろう? 「あの人はまだ星が増えない、仕事もできないし、少し人と違うからじゃないだろうか?」と思われ続けるはめになる。パートリーダーになるのは嫌だし、パートリーダーにならなかったら正体がバレてしまう。パートリーダーになるかならないかの瀬戸際で辞めて、また新しいバイト先を探すか?
その時、私は何歳になってるんだ? 28歳? 29歳? 29歳になっても私はこれをやっているのか? やっぱり早く何とかしないと! 早く常識人と結婚して常識人になってしまわないと、この世界に私の居場所がなくなってしまう。
なくなってしまうま。
※
「まだ蒸し暑いねー」
彼女は40代ぐらいのババアのスタッフに話しかけられていた。
「もう10月なんですけどね」
と彼女は返していた。何か物足りなさそうな顔だった。普通の人はもっとうまくやるはずだという葛藤と戦っている顔だった。
「着れば暑いし脱げば寒いし」
と彼女は付け加えていた。
「そうだねー」
彼女の冒険は終わった。彼女はいつもこれしきの会話に気を取られているから、だから同時に色んな仕事ができない。
たまに「ちんこ」って言ってしまいそうになるらしい。それが怖いらしい。まずいったん心を止めないと、言ってしまいそうになるから、いったん止まらないといけないらしい。それが苦痛のようだ。毎回毎回ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるようだ。とうぜん、そんなことをしていたら車と同じで壊れてしまう。彼女だけがこのハンディキャップを抱えているよう見える。
※
彼女の問題は、フェラしてしまいそうになることだった。
「おい、何やってんの!」
「……」
彼女は店長に怒られていた。
とうとうやってしまったらしい。いつかやると思った。とうとうこの日がきたという顔をしていた。小生もぜったい来ると思っていた。しかし、彼女の希望が叶っただけである。悪いことを考えてると、絶対にその通りになる。彼女はいつも良いことや成功のイメージを浮かび上がらせることができないから、悪いイメージしか持てないから、そのままのことが本当に実現してしまう。
店長に強い声を出されていた。何を失敗したのかはよくわからないが、小生が見たところ、例えば医者が今日は一日にたくさんオペをしなければならないというときに、部下がオペ室の準備を忘れてしまっていて、空洞しかなかったとしたら、ああいう声で怒るしかなくなるだろうなという、そういう声を出されていた。
「○○して」
「はい」
「○○確認してないじゃん!」
「はい」
「こっちは済んでるの?」
「はい」
「済んでないじゃん!」
「はい」
内容はよく聞き取れなかったが、「はい」しか言えてないことがわかった。
ミスには理由があったようだった。彼女はそれを伝えたがっているようだった。アホな子だと思われないように、これにはこういった「普通の」理由があったために自分はミスをしたのだと言いたくてたまらなそうな顔をしていた。
それは、言わなきゃ伝わらないし、でもタイミングがわからないようだった。このまま「はい」って答え続けていたら、ただのアホの子だ。でも、そのワンテンセンス以上の言葉を話そうとすると、空間にそれは間違ってるよって制され、圧殺されてしまうようだった。
店長は、彼女を何だと思っているのだろう? よっぽどバカじゃないとこんなミスはおかさない。何のミスかはわからないがそういうミスだったことは部外者の小生にだってわかる。店長は、どういった理由で彼女はミスをしたのか、そこは疑問に思わないのだろうか?
店長はまったく問い詰めるところがなかった。たぶん、優しさからだろう。もう過ぎたこととして忘れようとしてくれているようだった。しかし彼女はそれが不服らしかった。そのせいで、今も仕事に集中できていない。店長。私、誤解を説きたいんですけど、店長。私の話を聞いてください。私はバカじゃないんです。私をこのままアホな子として終わらせないでください! 異議あり! チャンスをください! と、彼女はずっとそんな顔をしていた。
行為に精細さがない。またここでも彼女は今を置き去りにしている。いつまでも、過去にとらわれてしまう。店長はもう「次」に行っているのに、彼女は、ミスしたことにずっと執着している。はやく次に行かないと、またミスしてしまうぞ……。
彼女は、一瞬、生理のせいにしてしまおうと考えたようだった。下腹部を押さえて、痛がって、うんこ痛と間違えられたら嫌だけど、よっぽど勘が悪くなきゃ伝わるだろうと、そこに賭けようとしているようだった。生理痛が激しい女だと思って見逃してもらおう。しかし、問題は、決められた周期にしか使えないことだ。周期外にまた大きなミスをしでかさない保証があるだろうか?
「ダスター取って」
「はい」
「違う、青のダスター」
「はい」
それは小生にもわかった。今は消毒してるんだから、アルコール用の青のダスターだった。ダスターって言われた瞬間に、彼女はいちばん自分の近くにあったダスターを瞬間的に手にとって店長に渡してしまっていた。まるで新人だ。新人でもやらないかもしれない。
「これAテーブルのお客様」
「はい」
「フェラして」
「はい」
フェラしてって言われても、この流れだとハイって言ってしまいそうになっていた。
ここは違う。これだけは引き渡してはならないはずなのに、なぜだろう? 彼女は自分を引き渡したくなってしまっていた。申し訳ないからか? ミスばかりして申し訳ないから、身体でなんとかしたくなるのだろうか? 「そ、それは違うじゃないですか! だってフェ、フェラとか、常識的に考えておかしいじゃないですか!」と、彼女だって、「フェラして」って言われたら、そこはさすがに強く出るだろう。こういうとき、常識の力を借りられるから、彼女も強く出られる。彼女が常識を語るのか。
でも、店長を前にして常識で戦えるのか? もともとの個体差の大前提として、二人には大きな常識格差がある。しかし、フェラは明らかにおかしい。そこはぜったい彼女の常識のほうが勝つ、だろう。
彼女がいくらミスしても怒らないスタッフがいる。彼女はそういう男のちんこを舐めたいとは思わない。彼女は、常識を飲み込むことができるような気がして、正しくミスを怒ることができる店長のちんこを飲みたくなるのだ。
店長は、50歳ぐらい。くたびれた肌。コーヒー色の酸化した肌。たまに下着のようなTシャツを着て事務室を歩いている。けっこう太っている。あの恰幅のいい身体に、たくさん常識が詰まっているんだろう。店長と生活して、店長が椅子に座ってコーヒーを飲みながら新聞紙を広げている、そのときの姿は、常識でしかないだろう。カーッペ! って、流れるように痰を吐くときの自然さは、常識でしかないだろう。
※
「岩井。今日のお前の仕事ぶりから、お前が昨日オナニーしたかどうかわかる」
「なんすか先輩それ(笑)」
本当に、そんな会話がなされていた。月曜日の15時ごろ、ドトールのフロアで、客足も少なくなった頃、男スタッフ二名がニヤニヤしながら、そんな話をしていた。
そういって彼らは彼女の方をちらっと見た。彼女に聞こえるように言ったのだろうか? 彼女は真顔だった。真顔で、眼光が超然とした毅然とした態度でいる。それは恐ろしいパワーだった。波動だけで彼らを一掃できそうだった。まさか、彼女にこんなパワーが隠されていたとは。口を開かせたら、矢継ぎ早に冷たい敬語口調の言葉が湧き出てきそうだった。なぜ彼女にこんな力があるのか? それは、今、彼女のほうが常識的に優位だからだ。
常識、この常識に、どこまでも世界は屈服しなければならなくなる。すべての力を握っているのはこの常識に他ならない。常識がルーレットのようにその人に矢印が止まると、そこにみんなが群がり、ひれ伏すようになる。そこに、男も女もフェラも、すべてがある。
しかし、あれ? また何かミスをしたのだろう。彼女はまたオドオドした顔を取り戻していた。彼女は少しミスをすると、フロアに立っていられなくなるほど自信を失い、床に転がってまんぐり返っているメス犬と変わらなくなってしまう。彼女は心のなかで、先の男性スタッフ達に謝罪をしているようだった。さっきはあんな毅然とした顔をしてしまってすみませんでした。これからはああいう会話を目の前でされたとしても、ちゃんとオドオドします……。と未来の自分の弱さを保証する誓いを立てているような顔をしていた。
※
店長はいつまでたっても、「フェラしろ」とか「付き合え」とも言ってこない。だから、彼女の方で間に合わせたくなってしまう。彼女の方から、「フェラした方がいいですか?」と言いそうになってしまう。
店長は普通のことしか言わない。店長が普通のことを言うたびに、彼女は自分の異常性との距離感を感じさせられて、不安になってくる。とにかく常識的、常識的なことをしなければ、と。この場合、フェラという非常識な行為が、常識的な行為に思えてくるのだ。
店長に怒られると、フロアに崩れ落ちそうになる。褒められても、崩れ落ちそうになる。この常識の世界における緊張と緩和。それにみんなやられてしまう。自分から向かってしまう。彼女は隷属することでしか、このコミュニティの中に自分を埋もれさせる方法がわからなかった。
彼女は店長と付き合うか迷っていた。付き合って、プライベートの時だったら、だいぶ落ち着いていられるだろうから、そうすれば、さっきミスしたのはこういう理由なんですと、それもはっきりと伝えられる。
店長を自分のフィールドに持ち込めば、自分を常識人だと思わせることができるかもしれない。そのフィールドに持ち込むためには、付き合うしかない。それに、付き合えば、怒られなくなるかもしれない。
……。
私がこれまで守り続けてきた操を、この人に捧げてもいいのだろうか? いや、こんな私を抱いてくれるんだ、むしろありがたいことなんじゃないのか? 私のヘンな虫がこの人に伝染らなければいいが。セックスを終える頃には、私は自由に呼吸できるようになっているだろうか? セックスした相手の下で働くなら、怖いものはないかもしれない。そしてそのまま結婚してしまえば、今世はなんとかやり過ごせそうだ。こんなものは、社会と付き合って社会と結婚するようなものだ。でも、ぜんぶの結婚はそうだ。来世は、常識人に生まれたいなぁ。
私が持っているものは全てお渡しします。だから私に常識をください。私に普通を下さい。私にこの世界で生きていてもいいという従業員証をください。
もし店長と繋がれたら、社会と繋がれたら、私はここにいてもいいんだ。私はまだここでやっていける。もっと店長に認められたい。店長を安心させたい。お父さんとお母さんを安心させたい。私が私に安心したい。