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結局のところ、「お前はもう終わりだよ」と言いたいらしいが

自分しか自分を傷つけることはできない。物事はあるだけだ。人に何かを言われても、物事を言い渡されたに過ぎない。渡されてもいない。ただ空間に音が響いただけだ。それを受け止め、心に浸透させ、価値判断を付加させるのは、自分だ。

リアルだと善意がベースだが、ネットだと悪意がベースだ。ネットで荒らしている人を見ると、いろんな言い回しで中傷するが、結局のところ、「お前はもう終わりだよ」と言いたいらしい。人はいつも未来に対する絶望を抱えていて、それがいちばん強力にのしかかるから、相手にもその気持ちを抱いていてもらいたくて仕方ないらしい。

誰もが、街を歩くすべての人に期待している。出会うすべての人間に期待し、大事にされたいと思っている。誰もが、丁寧に注意深く自分の感情を拾ってもらいたいと考えている。その人との距離間に応じて、その人が今できる最大限の優しさを履行されなければおかしいと考える。怒ってしまうのである。「優しくされないこと=攻撃」なのである。

たとえば車の運転中に、道を譲って、感謝のウインカーを出してくれた相手に後ろからぶつけてしまったときは、相手は怒らない。怒らないどころか、とても協力的な態度で一緒に事故処理をしてくれる。「仕方ないですよ」と言ってくれながら。しかし、ただぶつけただけだと、相手は猛烈に怒り狂いながら出てきて、「殺すぞ……」と、言ってくる。

他人を傷つけず、悪口を言わず、ただ普通に過ごしているだけだとしても、愛がなければ攻撃される。愛が足りないというだけで、自分の成したことはすべて泡沫と化してしまう。人はただ愛だけを求めているから、愛がなければ、この世界のすべてから非難されてしまうのだ。

みんな無関心のようでいるけど、無関心ではない。いつだって一歩が踏み出せないだけだ。優しくなることも、厳しくなることも、一歩が踏み出せないだけで、無関心というわけではない。魂は誰に対しても、無関心にはならない。「なんとも思っていない」と人はよく口にするが、人は誰に対しても、なんとも思っていない、という気持ちになれない。

一瞬にして通り過ぎる人、一瞬だけ視界に映った人、人、人、人。たくさんの人が映る。

人間の感情には、「愛」と「不安」しかないらしい。楽しみ、喜びは、愛から。憎しみ、嫉み、妬みは、不安から派生している。

もう一度いうが、この世界には、愛と不安しかない。

やはり人間の本質は愛で、人間はすべての人間を愛している。愛しているからこそ、愛されないことに苛立ちを覚える。すべての人間のことが気になり、本当に、どうでもいい、あるいはものすごく憎んでいる相手にすら、なんと、愛を求めているのだ。

「本当にむかつく、もう顔も見たくない! もう二度と会いたくない!」と怒っている女性をよく目にするが、彼女たちは、なんと、その相手に会いたがっている。嫌いな人間ほど、なぜか会いたくなるのものであるが、これはいったい、どういう理屈だろう?

好きの裏返し? いったいなぜ? 頭では、感情では、必死にその人を遠ざけようとして、実際に会ってもすぐにその場を後にするが、しかし、魂はその人へ向かわせる。それはなぜか? もしかしたら、他人はすべて自分だからかもしれない。自分が自分と融合したがっている?

好きでもない、本当にどうでもいい人なのだが、人は人に出会うと、魂と魂が出会ってしまう。それらは必ずひとつになろうとする。もともと一つなのかもしれないが。もし互いに心に何もなければ、すぐにでも一つになってしまう。喧嘩して、どれだけ口汚い罵り合いをしている最中ですら、どこかで一体感を感じるのはなぜか? この一体感はどこからきているのか? 刃物を胸に刺す瞬間ですら、その一体感の中にいる感覚を覚えるものである。

愛してもらいたい人には、自分の希望の分だけ愛してもらいたいのである。この人はこれだけ自分を好きになってもらって、あなたはこれだけ愛しなさい! 見合った量。この定量的、数的なズレが諍いを起こしている。そう、こんなふうに冷静に愛について語るよりも、今すぐにでも、泣きながら走り回って、喉が枯れるくらい、愛を叫ぶことが、正しい……。

正しい、が……。

(笑)

嫌い嫌い嫌い! 大嫌い! 絶望を! 絶望を絶望を絶望を! こいつらに絶望を与えまくってやる! お前なんか絶対に小説家になれないんだ! 絶対ならせない! 私が絶対ならせない!! と、毎日毎日、狂喜乱舞して、一日中、小説投稿サイトを荒らしている女性が二人いるが、彼女たちを観察していると、好きだから傷つけているらしい。

もっと、完全な形で、投稿サイトのみんなと結合したいらしい。たとえば男同士が殴り合いになったとき、俺の方がいざとなったとき腕力が強い! というような保険が、一度私がすべてを征服した! という保険が、欲しいように思われる。恋愛も友情も社会もすべて、それがある。一度綺麗に自分の思い通りの展開とならないと、リセットして、再スタートが切れないのだ。中途半端な和解だったらいらない、消化不良を起こすだけだ。相手が精神を壊してぼろぼろになって、自分の優位をはっきり示して、それでやっと、自分の望む関係を構築できるのである。そのとき、やっと素直になれるらしい。そこから始めたいらしい。そうしないと、始められない。彼女たちは彼らと始めたいらしい。あの小説投稿サイトで荒らしまくってる二人の女性は、それを望んでいる。

「お前はもう終わりだよ」

そればかり言っている。直接、この言葉を言っているわけじゃないが、けっきょく言いたいところはこれだ。他人にかける言葉は、ふだん自分にかけている声にほかならない。右も左も塞がっていて、前も後ろにも道がない。それでも立ち止まることは許されない。その場にへたりと座り込みたいが、街の雑踏に踏み潰されそうになる。誰も立ち止まらない、誰も振り返らない、誰も手を取ってくれない。自分が感じているこの虚無を、他人も、他人こそが、抱えていなければならないと考えるのである。だから、「お前はもう終わりだよ」と、ケンシロウの捨て台詞のように、そればかり言っている。

結局、人間の行く着くところはこれだ。将来への不安。

自分自身が部屋の中で四方八方の壁に囲まれ、苦悩のジャングルの中で頭を抱えて嘆いているから、無理矢理頭を掴んで、ぐいっとそれに向けて、いちごヨーグルンじゃなく、ミラノサンドじゃなく、これを見ろ! と、お前の眼前に堆く積まれている、きったねぇ、小説が! 今にも崩れかかっているこの瓦礫の塔を見ろ! そして落胆しろ! 落胆して、落胆して、悲しんで、悲しんで、……、彼らが悲しんだ顔を見せたとき、それでひとまずは、お腹がいっぱいになる。心の食事である。

しかしもう一方のもの、つまり魂は、すでにお腹がいっぱいである。いつもお腹いっぱいであり、どれだけ何をしても傷つかない。

人はこの二つを持っている。嫌いで嫌いで、喧嘩して、和解をして、和解しても、なぜか納得いかない。あるいは和解しても、相手の言葉の一つひとつが気になって仕方ない、本当に反省したのか? 本当に私を認めているのか? もっと、私とあなたとの距離感に応じて、その距離を正しく保った上で、もっと私を大事にしてほしい。しかしまた、何かを言ったり言われたり、あるいは言わなかったりして、また喧嘩する。怒ったり怒らせて、その怒気が自分の中に入ってくる。仲直りしても、一言一言が気になってしかたない。少しでも私への侮蔑が込められていないか? ちゃんと尊敬しているのか? また心から大嫌いになる。終わらない、終わらない、やはり私はこいつが大嫌いだと実感する。しかしこれが終わりとも思えない。

もうあいつら(投稿サイトの住人)なんて放っておけばいいのに、なぜこんなに気になるのか? なぜ無関心でいられないのか。やはり嫌いも好きも一緒だ。しかし魂は、魂のレベルでは、好きも嫌いもない。好きとか嫌いとか超えたところ。何の影響もうけず、ずっとそこにあるのである。魂が、彼女と彼を引き合わせようとする。魂は完全を求めるからだろう。彼女と彼を完全にさせるために、引き合わせようとするのだ。いや、完全だからかもしれない。これは、嫌いは好きの裏返しという相対的なものではなく、絶対的なものである。

やはり、人間関係は感情とはべつのものが働いている。感情だけじゃない。理性でもない。引き合わせようとする磁力の法則が働いている。感情の愛と、魂の愛は別物だ。喧嘩しても仲直りしても苦しい、非難されても祝福されても苦しい! どうすれば解放されるのか? すべては、すべての人は、ワイは、いったいどうすればすべてを終わらせることができるのか? 

感情一色ですべて染まってしまえば楽になれるかもしれないが、それとは別の存在にまた、彼女たちは救われ、苦しめられているのである。やはり二つあるね。感情だけではない。この二つが相反することに、彼女たちは苦しめられている。ワ……ワイも……。

タマシイが素直になりなさいと、言っている……。

もし彼女たちが、我々が、一方のものを手放し、一方を手にしたなら、他人も自分も傷つけることはなくなるだろう。

にゃ?

なんで苦しんでたんだっけ?

にゃ?

お洗濯するにゃ☆

彼女たちにも、間があるのである。

彼女たちにも「間」がある。止まる時がある。 本人は「間」の方が、 本当の自分だとは思わないだろう。その「間」が、彼女を彼女として今日まで生かし、救ってきたものである。それはひとえに恩寵にすぎない。彼女は止まっているものと動いているもの。 気づいてるものと気づかないもの。 感情と魂。 自分と自分以外。しかし今日も彼女たちは、動いている方の自分を自分だと信じて、激しく荒波に揺れて、 恩寵の光と戦っているのである。間とは何か。静けさとは何か。恩寵である。

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