杓子定規に考える男は、女が美貌に費やす努力は男を引き寄せるためにやっていると思うらしい。
俺も高校1年まではそんな風に考えていたけど、隣の席の女が全ての授業中ずっと鏡を見ているのを見ていて、女は決して男のために美を磨いてる訳ではなく、自分のためにやっていることがわかった。かっこいい彼氏を得るよりも、自分が可愛くなる方がずっと興味があるのだ、リカちゃん人形遊びのように、自分自身をドールと見立てて楽しんでいる。それは女にとって至上の遊びである。
男なんてものはガサツで汗臭くていつもウンコばかりしていそうな蛮族だから、どれだけかっこいいと称される男でも、美においては女に歯が立たない。女の普通にも敵わない。女からすると男はどれもこれも同じように見えて暴力と恐怖の対象でしかない。どれもこれも固くて大きい岩石にしか見えない。感情があるのかどうかも怪しい。男を見ると明らかに自分の方が審美的に優れているものだから、なんだか自信が溢れてきて、どれもこれも低位に見えてしまう。
我々が汚いおっさんやゴキブリを見ると下級生物に見えてしまうように、審美に優れていることは生き物として優れている証のように思われる。
だから彼女たちは橋本環奈や白石麻衣の写真集をごっそり見て時間を費やす。かっこいいと言われる男の写真は臭い気がするのであまり目をくれない。
男のナルシストは叩かれても女のナルシストは叩かれない。しかし実際は比べ物にならないほど女のナルシストの方が多い。ティックトックで遊んでいるのを見れば分かる通り、彼女達はいつも自分の顔で遊んでいる。彼女達にとってティックトックが全てなのである。それはただの青春活動ではなくて恋愛であり、彼女達は自分に恋をして発情している。
さて、申し訳ないが、ここから先はかなり話がおかしくなってくる。結局いつもの通り霊的な話になってしまいます。たまには霊的な方面に走らず、皆さんの馴染みある範囲で話をしたいが、今回もどうやら無理のようです。いつもいつも大事なことは霊的なことだから仕方ない。
皆さんは、美しい人間は生まれつきだと思っているけれどそうではない。普段の研究の賜物である。その研究というのはメイクや髪型どうこうではない。もっと霊的なセンスの研究である。
人間の心の中にある一つのポイントがあって、ここに心を合わせておけば美は約束されるというポイントがある。そこに意識を合わせるという研究を、美の才能を持つ人間は毎日やっている。「美の感知ポイント」というものだろうか。
絵を描くにしろ、文字を書くにしろ、運動するにしろ、ここに心を合わせておけば大丈夫だ、というものはある。何かひとつ得意なことを思い浮かべてくれればいい。誰にもそういうセンサーがあるだろう。広域な精神界の中にどこに意識を置くか、心の置き場所によって顔が変わってくるのだ。表情も変わってくるし、笑い方も変わってくるし、性格すら変わってくる。
ルックスは食べ物や運動や生活習慣や生来のものだと思っているようだけれど、違う。食べ物は確かに関係するけれども、ほとんどが精神的なものだ。「それは顔つきとか表情とか雰囲気の話であって、肉付きや骨組や顔面の構成は精神的なものではないでしょう?」 と言うかもしれないけれど、やはり精神的なものなのだ。
白石麻衣も齋藤飛鳥も結局は心の中で自分の心と身体が一番発光するポイントを探している。そしてそこを見つけ出しては頑張って居座ろうとしている。いつもそんな顔をしている。アイドルにはこういう感性が必要になってくるのだ。目も鼻も口も心で作り上げている。メイクで作り上げてるわけではない。心の波動が顔を形成する。何の曇もない綺麗な一点を探し出すことに成功すれば、最も美しい顔になる。
心の中のここにこう、どう力を入れればその通りに瞳が輝くとか肌が光るとか、その辺りの感覚神経が難しい人には難しく、無理な人は一生無理かもしれない。綺麗な男女は、なんというか神聖な感じがするだろう。この気品はいくら化粧をしても作れない。ただ精神の輝きでしか生まれない。俺にはわかるが、白石麻衣ちゃんは、毎日仕事が終わると自室で静かに瞑想のようなことをして、スゥーっと目や肌に心の内奥から湧き上がってくる美の意識を隅々に行き渡らせるような儀式を行っている。俺にはわかるのだ。彼女はそれをやることで綺麗になることを知っていて、まだアイドルを続けているのも、それをやっていればまだもう少し戦えるという自信があるからだろう。もちろんメイクやらファッションやらの物質的努力も軽食のようにこなすようにはしている。そっち方面はあまり頑張りすぎない方がいいということも、おそらく知っている。
ブスは何かいつも腫れぼったいし、生気が抜けていて、なによりも神経が澄んだ感じがないだろう。この神経の澄み具合が美を決める。あとは肉や砂糖などの精製食品を食べないことだろう。
この話は文系はイメージできるかもしれないけど理系は苦手かもしれない。理系の芋大生はチン臭とパン臭が臭そうなところがあり、ほとんどセンスが枯れ果てている。私立文系の明治学院や成蹊大学あたりの学生はその辺りが分かっていそうな感じがある。高校だろうが垢抜けている人間と垢抜けてない人間の差はやはりセンサーにあるのだ。
この美の感知ポイントがないのに、いくら眉毛を抜いたり髪型を変えても、春風のように颯爽と廊下を歩くあの娘のようにはなれないのである。霊的な何かが肉に宿らなければ、ぼやぼやして腫れぼったいだけなのだ。
やはり馬場ふみかなんかを見ていると、受け答えだったり歩きだったりポージングだったり、全てにおいて自分の内側から発光されたエネルギーに沿って行動しているのがわかる。いつも自分がどう美しく見えるか神経を注いでいる。神の感知が上手い。凛とした神の息吹がかかった肉が一流と二流を分かつ。
ふみかちゃんの目ははっきりと黒黒しく光り、とてもだるい感じや重たい感じがない。自分の中にまどろっこしい重い何かがあったら精神エネルギーで上書きしている。澄み具合が違うなぁ、と思う。そんな操作を何度も何度もやっている。何度も心を白紙にして高速でリセマラしている。その日生理だとしてもリセマラしている。
やはり超一流レベルの美人になってくると、物質的なものよりも精神的なところに美のカーソルを合わせる。合わせることに忙しく、それが全てだと言っていい。1日のほとんどをそれに費やしている。この操作が上手ければ上手いほど人は綺麗になる。
彼女達はこの理論を自分で理解しているかと言うと、理解している。恥ずかしいから誰にも言わないだけだ。それになかなか言葉に出して説明するのも難しいだろう。だから言語化能力に優れ、同じ霊感を持つ俺が代わりに言ってあげるしかないと思って言っている。
彼女たちは、美においては神と一致することに成功している。だから、飯を食ってるだけのくせにチャンネル登録数が20万人いる女YouTuberをあまりバカにしてはいけない。自分の方が高度な情報を届けているのに顔だけの女に負けるなんて納得いかない! と文句を言いたくなるのもわかるが、やはり世界はバランスが取れていて、あなたの高度な情報より、彼女達の美の方が価値が高いのだ。
さて、今回話した理論はお金もかからないし、いつどこでもすぐにやれる。というよりも人間なら誰もがやらなければいけないのだけど、難しい人は難しいだろう。自分の心の中の霊的なものがどう移り変わっているか、それを観察することが大事なんだろうか。
外に出て日光を浴びて、水を浴びて、光のエネルギーや粒子を一生懸命に感じて背筋をしゃんとすれば、なんとなく俺の言ってる事も分かってくるだろうか。
やはり彼女たちは心の芯を捕まえている。真芯に近づけば近づく程恩恵は大きい。この美の芯は、人徳の芯とも繋がっており、だから美人は徳を備えていることが多く、偉人もイケメンが多いのだ。