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プリンセス プリンセスの新しさ

昨日は作業中、ずっとプリンセス プリンセスの楽曲を聴いていたが、思わず手を止めてずっと動画を見入ってしまった。

古いどころか新しい。

いま、多くの音楽家達が新しいものを作り出そうと躍起になっているかもしれないが、そういった努力はすべて、大きな幹から枝分かれして、また枝分かれして、また枝分かれするという音楽に聞こえてしまうところがある。

ろくに音楽のことなんて何もしらない小生が音楽を語るのも野暮だが、枝分かれの先にプリンセス プリンセスのような楽曲があるとは到底思えない。

プリンセス プリンセス。歌謡曲の黎明期にあたるだろうか。

話は近代フランス人の詩人と、古典的とロマン的の意味に移った。「その関係をうまく言い表す新しい表現ができたよ」とゲーテは言った。「私は古典的なものを健全なものと、ロマン的なものを病的なものと呼ぼう。この意味で『ニーベルンゲン』もホメロスも古典的だ。なぜならともに健全で力があるから。新しいものの大部分はロマン的だね。新しいためでなく弱々しく病的なためだ。古いものが古典的であるのは、古いからではなく、強く、元気で、快活で、健全だからだ。こういう特徴から、古典的なものとロマン的なものを区別したら分かりやすいだろう」

と、ゲーテは言っている。

プリンセス プリンセスの楽曲は全て知っている曲だし、全て何度も聴いた曲だけれども、なぜこんなに新しく感じたのか。

「M」の前奏なんて、先人たちの音楽の取りこぼしを拾った音ではない。

ただ、QUEENからきているのはわかる。大きな幹にある音楽とはQUEENだろう。日本の歌謡曲の根幹はQUEENによってもたらされている。それは気づくか気づかないでか、現在でも続いている。

別にプリンセスとクイーンをかけて言ってるわけではないが(笑)

「音楽はQUEENとビートルズがほとんど網羅してしまった」と、一日中洋楽を聴いている音楽に詳しい友達が言っていたが。

フレディ・マーキュリーが作り上げたパフォーマンスが、音楽とはこういうものだ、歌とか振り付けとはこういう風にするのが自然でやりやすいのだという、基盤となるもの、ひな形、ステージに立って歌を歌うことの答えを出してしまったように思う。

この辺りは安藤百福のカップラーメンと同じかもしれないね。

そんな礎となった音楽を作ったフレディ・マーキュリーは、いつもたった一人の誰かのためにプレゼントするつもりで作曲していたと言っていたから、不思議なもんである。

案外、たった一人の誰かのために作った作品の方が、みんなに好かれ、公明正大となり得るのかもしれない。

意識してかしてないかわからないが、『世界でいちばん熱い夏』は『Don't Stop Me Now』からきている気がする。

プロモーションビデオも、新鮮だ。

この衣装。このバック。

熱と勢い、この健全なパワーは、健全な時代に後押しされているところもあるだろう。

ゲームにしたって、マリオにしろドラクエにしろ、黎明期というものは、強く、元気で、快活で、健全だ。それに比べれば、今のゲームにしろ漫画にしろ、ぜんぶ弱々しい。ゲーテの言う通り、病的といったらそうかもしれない。新しいとか古いとかではなく、健康の強度が全く異なる。

90年代の歌謡曲も好きだけど、80年代になるともっと強度になる。今の音楽は、黎明期の取りこぼしを拾っているようなものだと言ったら口が悪いが、そう感じてしまう。

最近、昔の名作ドラマ、「青い鳥」を一日で全話見終えてしまったが、夏川結衣も綺麗だね。美人も昔の方が強度が高い気がする。

トヨエツの渋さもまた然り。30代でこんな渋い俳優も今は見ない。

このシルエットが、もうね。

永作博美も綺麗だけど。

プリンセス プリンセスとか、中森明菜とか、川島なお美とか、一昔前の凛とした綺麗さというのは、今はあまり見ないような気がする。品格という点では少し落ちたかな。

先へ先へと行こうとするよりも、案外少し振り返った方が、新しかったりするもんだから、分からないものである。

漫画もゲームも少し古い方が新しく感じたりするもんだが、クラシックや古典とか、もっと昔に行くと、読解力が追いつかなくてわけがわからなくなる。が、新しいことだけは確かだ。

新しいものは、昔にたくさんある。

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