ドトール観察記

ド、ドトールの店内に、で、でかいクモがいたよ……!

投稿日:2021-09-03 更新日:

さっきから、天井に張り付いているクモをずっと眺めている。

「店員さん。クモがいますよ」

と伝えたくてしかたない。

「店員さん達はコーヒー作るのに忙しくてぜんぜん気づかないけど、僕は気づきました」

と褒めてもらいたくてしかたない。

大きさとしては、A4用紙くらいだろう。多くの人は、店内で大きなクモを見つけたら、店員に伝えたくなってしまう。褒められたいからだ。次の客が発見する前に伝えないと、手柄がなくなってしまう。

普段、こういうものを見落とすのが小生の常だ。運転中も、よくいろんなものを見落とすために事故を起こしてしまう。

昔、彼女がいた頃、キャベツを彼女に調理してもらったことがあるのだが、彼女はキャベツを見た瞬間に、「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」と凄まじい悲鳴をあげた日のことを思い出す。

ナメクジがついていたのだ。

小生の台所から発生したとは考えづらく、おそらくスーパーに並んでいた時から付いていたと思われる。小生はキャベツを手に取り、レジに運び、ビニール袋に入れて帰るまで、気づかなかった。

女はこういう時、凄まじい悲鳴をあげる。こういうとき小生は、腹の底から寒気が湧き上がるのを感じるだけだ。胃がひっくり返るのを感じるだけだ。どうやったらそんな大きな声だすんだ? こういうとき、大声を出す人間の気持ちがわからない。

クモを見ていて思ったことだが、やはり、行為だけがある。我々も行為だけがあり、行われることは行われていく。クモはより純粋な形でそれを行っているように見えてならない。

質問者 「最近、思考がやって来るときは、私はただ向きを変え、今ではそれらを止められるように感じます」

マハラジ 「もしあなたにそれができるなら、けっこうなことだ。しかし、言葉が流れて来たら、ただ流れるままにしておきなさい」

質問者 「自分の思考に巻き込まれないでいること、それだけで充分ですか?」

マハラジ 「そのとおりだ。それだけが唯一のことだ。起こるべきことは何であれ、起こる。おこなうということをあなたはまさに放棄したのだ」

質問者 「では、自分を改善したり、よりよいことをする必要はもはやないわけですね? 」

マハラジ 「自分の思考にしがみついていないとき、あなたはもはや人ではない」

店員に報告したら、クモは殺されてしまうかもしれない。捕まえて外に逃がしてやろうかと思ったが、天井に張り付いているので捕まえられない。勝手に一人で脚立を用意して捕まえようとしたら、店員に「?」という顔をされてしまうだろう。

まぁいい。涼しくて室内の方が快適だからいるのもしれない。放っておいてあげよう。というか、ものすごくデカいので、怖くて触れない。

昔は虫を見つけ次第、すぐに殺していたが、最近は殺さないようにしている。いろいろ調べていて思うところがあったからだ。中村天風も、「先生! 蚊に吸われてますよ!」と言われても、「どうせ諸行無常の儚い命。気が済むまで吸わせてやれ」といって、そのままにしたらしい。山岡鉄舟も同じことを言って、同じことをしている。ちなみに、現代人がよく蚊に吸われるのは、白砂糖を含んだ食事ばかりしているからだと天風先生は言っている。蚊は砂糖に毒された血液が大好物らしい。

しかし、殺さないようになってから気づいたことだが、彼らは殺さないでいると、だんだん近づいてくるのだ。

こいつは殺さない、とわかるのだろうか? 蚊は目的があるから近寄ってくるのはわかるが、蚊に限らず、他の虫類も、殺さないでいると近づいてくるのだ。

しかし、カラスを見ているといつも思うことだが、20羽くらいが集まって人間に特攻したら、簡単に殺せるのではないか? ということだ。成人男性はもちろん、マクレガーだろうが勝ててしまえるだろう。その気になれば、ひとつの都市くらい壊滅できるのではないかと思われる。

基本的に、動物や虫が人間を襲うということは極めて少ない。出口王仁三郎が言っていたことだが、すべての人間以外の生物は、人間に対して尊敬の念を持っているらしい。ゴリラが温厚というのはよく知られたところだが、ライオンですら、人を襲うということはまぁないらしい。シャチなども、海洋食物連鎖の頂点に君臨し捕食をほしいがままにしていても、人間だけは絶対に襲わないらしいのだ。もしかして、恐竜ですら、生存していたら、人間を襲わないかもしれない。

人間に手を出したら科学的な手法で仕返しされるからだ、と思うかもしれないが、小生は違うと思っている。確かに彼らは、人間を尊敬しているのだ。動物は動物同士だと、ウーとうなって敵愾心を露わにするが、人間相手だと、遠くから見ているだけである。自分よりも霊格が高い生き物とわかっているから、手を出してはならないという暗黙の了解を心得ているのである。正当防衛のために牙を向けることはあるが、自分からは手を出さない。ちょうど、敵か味方かわからない天上人がいたら、我々がするような対応と同じ対応を取っているのである。

小生は猫を二匹同時に飼っていたことがあったのだが、こいつらはとても仲が悪かった。どちらもチンチラである。普通に考えたら、同じ猫同士、同じチンチラ同士、人間を置き去りにして猫同士で仲良くなりそうなものだが、こいつらは人間の方をずっと好きでいた。この様子を見ていて、動物は人間の方が好きなのかもしれないと思ったものである。

虫や動物は、かつて人間だった頃に大罪を犯したため、無垢な魂を学ぶために無垢な存在に生まれ変わると聖者は言っている。多くが悲しい終わり方をするのもそういう定めらしい。人も虫も、どうやって死ぬかは生まれたときに決まっているらしい。生まれてすぐに人間に見つかって殺されるという何の意味があったかわからないその生においても、厳正なる神の計算が働いているらしい。そのため聖者は、彼らは彼らのカルマのために励んでいるのだから、静かに見守ってあげなさいと言っている。小生が飼っている猫も、元は凶悪の殺人犯なのか? と思って、レオンヌ(オス 10歳)を抱いて瞳の奥を眺めてみた。がんばって死ぬまで生きなさい、と言うことにした。

やっぱり、クモが近づいてきているような気がする。

……。

さすがにそれはないだろう。小生だけが気づいていることに気づいているというのか? そして小生が気づいていながらも放っておいてやっていることにも気づいているというのか?

クモの目がどこにあるのかは知らんが、目が合っているような気がする。そして、だるまさんがころんだのように、目が合っているときは動かず、そのまま天井に張り付いているけど、いったん目をそらし、数分たって、もう一度天井に目を向けてやると、やはりこちらとの距離が縮まってきているような気がするのだ。

まさか。小生の方に何かあるか? いや何もない。壁があるだけだ。壁に橋本環奈みたいなクモがいるわけでもない。小生が粘着質な性格だと思って同類だと思われているのか? 気のせいか。しかしまた目を逸らして、別の作業をしていて、また天井に目を向けてやると、元にいた場所より、明らかにこちら側との距離が縮まってきている。

小生に近づいているのか? それともたまたまこちら側に用があるのか? 用ってなんだ? ただ一人正体を知っている小生を殺そうとしているのか? 小生を食ってさらにデカくなろうとしているのか? しかし、こちらの方角に一直線に向かってきていることは確かだ。途中で右折するのかもしれないが、今は、間違いなくこちら側に進んできている。

しっかし本当に誰も気づかねーな。天井すべて覆うぐらいデカくなっても気づかねーんじゃねーの? 

じゃあ、こうしてみよう。怖いけど、30分見ないようにしてみよう。どうしても見たくなるけど、がんばって30分見ないようにして、30分泳がせてみて、それでもし小生のすごい近くに来ていたら、「そういうこと」にしよう。

いや、もっと条件を厳しくしてみよう。30分たって、小生の頭の後ろ側にいたら、そういうことにしよう。小生は現在、店内ひだり奥の壁に背をくっつけて執筆をしていて、頭だけが壁から20cmくらい離れている感じだ。

少し頭を後ろに倒せば、簡単に頭と壁がくっつく距離だ。この、頭を倒したら当たる場所、ここだ。もし30分後にここにいたら、認めてやる。他の場所じゃ認めない。完全にピンポイントの指定だ。30分後にちゃんとここにいたら、認めてやると思って、30分見るのを我慢してみることにした。

30分経った。

クモのことが気になって、まったく執筆は進まなかった。一行も書かなかった。

さーーて……、

ドキドキ、ドキドキ、

ドキドキしながら、振り向いてみることにした。後ろを振り返る前に、簡単に辺りだけを見渡してみた。まず天井から確認してみた。30分前にいた場所にはいない。どこにもいなくなっている。左右を見渡してもいない。もういなくなってしまったのか? 

よし、振り返ろう。さーて、どうかな? ちゃんとピンポイントだぞ? ちょうど俺の頭の後ろじゃないと認めんからな、そうして、振り返ってみると、

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

と自分でも信じられない声が出てしまった。今まで生きてきた中で、いちばんでかい声をだしてしまった。そして凄まじい音を立てて、机の上には水がたくさん入ったコップとスマホが置いてあっただけだが、机ごとそれらを全部ひっくり返してしまって、小生はソファから押し出されるように、床に尻もちをついた。全員が小生の方を見ていた。女性客が驚いた顔をしていて、数人が立ち上がっていた。いい忘れていたが、この日は火曜日の朝11時ごろの話で、店内は7、8人くらいしかおらず、閑散としていた。

ワーーーーーじゃなくて、ギャーーーーーーーーー!!! と言ってしまったことにもびっくりした。

「どうしました!?」と、裏からわざわざ店長が出てきた

「ク、クモが! クモがいたんです!!!」

「クモ!?」

店長はクモくらいで……、という顔をしていた。お前はあんなにデカいクモを目と鼻の先の距離で見たことねーだろ! あれは化け物だ! 物の怪や妖怪の類だ! ドラクエ11のアラクラトロだ! ちょうど小生の顔と同じくらいの大きさがあった! なんでドトールにあんなに化け物が? てめーがちゃんと掃除してねーからだろーが!

しかしあり得るか? これだけの広さがあって、これだけの空間があって、これだけの人がいて、本当にピンポイントの場所にいた。あの厳しい条件をクリアした、だと? この可能性は何%だ? しかし今はそんなことはどうでもいい。

(クモ?)(この人はクモがいるだけで腰を抜かしちゃうの?)(かっこわる)(ギャーって)(漫画みたい)(わたしでもあんな声を出さない)(ちんぐり返しした)(まさかこんなに心臓が弱い人だとは思わなかった)(毎日ドトールに来るから変な人だとは思っていたけど)(3年間毎日ドトールにやってきてるけど、こんなにかっこわるい人だったんだ)(こんなに心臓が弱いから無職なんだ)と店員の女の子たちの顔に書いてあった。

小生のイメージが崩れていく、小生の3年間が、すべて崩れていく、明日から、ちんぐり返しマンって言われちゃう。明日から、ちんぐり返ししながら「アイスコーヒーください」って言ってやろうかな?

「違うんです! 僕は、こうした、こういう、すごい理由があって、すごい、高尚な理由だったんです! 深遠で高邁な! ドトールでコーヒー作ってるあなた達にはわからないすごい理由なんです!」

と言いたくなったが、小一時間かけて説明をしないと伝わるものではない。深い事情は聞かれなかった。クモにびっくりしてひっくり返った。それだけの事情だと思われていたから、何も聞かれなかった。

(僕だからこの程度で済ますことができたんです! あなた達だったら死んでいます! 比喩ではなくて、本当の死です! 本当の死……!)

心の準備をして振り返ったのにひっくり返った。心の準備をしていたからひっくり返ったのか? これもカルマか? これも神の計画の内だというのか? なんで? いいことしたのに! 店員に言わないであげたじゃん!

困った。もう恥ずかしくてドトールに行けない(行っているが)、くだらないことをするんじゃなかった。別に「そういうこと」だったとしても、本当にどうでもいい、ただただ恥ずかしい。今まで生きてきた中でいちばん恥ずかしい。

せめてクモがいてくれれば。みんなあのクモを見れば納得するのに。クモは、小生がひっくり返ったと同時に、小生が座っていたソファの下に潜っていったのを、小生はひっくり返りながら見たのを覚えている。

(しょうがないでちゅねぇ)と言うかのように、女性店員が床の水を拭き取っていた。おむつ交換をするかのように、新しいトレーや水の入ったコップを用意してくれた。小生は、そのまますぐに帰ったら、恥ずかしくなって逃げたと思われそうだったので、なにひとつ動じていないという顔でスマホを弄っていた。

あんなことがあった後に調べることってなんだろう? あんなことがあった後にスマホで調べることってなにがあるんだろう? という、店内に張り巡らされたねばっこい視線の糸に、小生は巻き付かれていた。

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