紀元前の大哲学者セネカは、時間を大事にしろ、閑暇を求めろと言った。幾人の友人に、仕事をやめて閑暇を過ごしなさいという手紙を送っている。
時間を大事にしろといいながら閑暇を過ごせとはどういうことだろう?
1日に8時間、ずっと機械に部材を載せ続けていると、いちばん困るのは自分の心がよく動くことである。眠ったままの状態で過ごせないものか? と、ずっと研究していた。たかがレールの上に部材を載せるだけの仕事だ。一切の精神を緊張させる必要がどこにある? 営業だろうが接客だろうが会議だろうと同じだ。上司に怒られようが、嫌なことがあろうが、スイッチを切ってしまえばいい。スイッチを切ったまま一日を終わらせられる精神状態があるはずだ、といつも探していた。
仕事中はこのことばかりを考えていて、帰ってからもこればかりを考えていて、こればかり祈っていたら、確かにそれは実現された。
今ではほとんど何もせず毎日が過ぎていく。好きなだけ止まることができる。ドトールというものは恐ろしくて、コーヒーを飲んだり、ミラノサンドを食べたり、話したり、勉強したり、多くの人が何らかの活動をしているが、小生だけがずっと止まっている。
『止まったところに神は現れる』とパラマハンサ・ヨガナンダが言っていたが、瞑想だってそうじゃないだろうか? 思考も止まり、精神も止まり、すべてが静まりかえって、ほんとうにすべてが停止したとき、それは実現されるような気がする。
仕事しているときにはどうしても止まれなかったこの感覚が、 あの頃に比べてよく止まれるようになってきた。 しかし仕事をやりだしたらまた止まれなくなるだろう。
いつだって人は、動いているときは、この止まった時間の中で得たものから還元しているだけだ。仕事しているとき、人と話しているとき、何らかの行為をしているとき、何かを書くとき、それらはすべて静寂から持ち帰ったものに過ぎない。だから、人はしょっちゅうボーッとしているんだろう。
おそらくセネカが言った閑暇とは、そういうことだと思う。時間を大切にしろと言っておきながら、仕事を辞めて間暇を過ごせといったセネカの意図は、そういうことだと思っている。
ただ静かに、最も自分らしい呼吸の中で過ごす時間の中にしか、自分を成長させる機会はないと思っていた。そしてそれは当然の権利で、そうしなければならない。その時間こそが魂を最も成長させるに違いないと、確信していた。仕事をしていて何らかの達成感を覚えたこともあったが、今振り返ってみれば、取るに足らないことだ。
止まることを覚え、止まったまま動くようになること。止まったまま仕事をするには、まず止まることを覚えなければならない。小生は、人間が止まることは可能だと思っている。
この、流れているものは、いつかどこかで終わらせられる気がするし、終わらせなければならない気がする。悟りとは、心があまりにも静かになって、停止することだと思う。止まれそうな予感だけはあり、いつか静けさの中にすべてが溶け込むことを夢見ている。孔子が、「我、40にして惑わず」と言ったのは、そういうことだと思っている。
止まれそうで止まれない気持ち悪さがある。昔よりは停止に近づいたような気がするが、そんな気がするだけだろうか。やはり止まり切ることは無理なのか、止まる必要はないのか、静かに心を流れさせておけばいいのか。 心は停止させても、気は流れさせるのか。
止まると、人間らしいものもすべて終わってしまうと思われるかもしれないが、きっと、純粋な行為だけがある。笑顔も、愛も、心も、ずっと純粋な形として現れる。どちらにせよ、我々は、今、笑うときですら、何かにいつも邪魔されている気を覚えるではないか。
止まることにより、人間同士の会話や感情もより素晴らしいものになり、朝、同僚にでくわしたときも、いちばん元気な挨拶ができるようになるだろう。むしろ、我々の方がその働きを止めている。
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ラマナマハルシは、確かに止まった顔をしている。
一九四〇年代にラマナアシュラマムにいた頃、私はシュリー・ラマナの目だけを見つめつづけて何時間も過ごしたものだった。彼の目は開いたまま見つめていたが、まったく何にも焦点を合わせていなかった。人の心の姿は目の中にはっきりと表れる。だが、その目の中にはまったく何もなかった。そこには一瞬の欲望の揺らぎも、かすかな想念がよぎることもなかった。このように完全に無欲な目を私は見たことがない。生涯で数多くの偉大な聖賢に出会ってきたが、シュリー・ラマナほど私に感銘を与えた聖者はいない。ハリヴァンシュ・ラル・プンジャ(パパジ)
ラマナマハルシは、人間が肉体として生まれた以上、肉体は肉体としての果たす役割はすべて決まっていると言っている。つまり、すべての行為は予めすべて決まっているらしい。それは宇宙の星々が凄まじいスピードが飛び交いながらも、決して互いがぶつかることのない、厳正たる神の秩序が働いているように、我々の行動の全ても決まっているらしい。
こうして今日ドトールで座っていることも、すべて決まっていたということか。今日一日を振り返ってみても、それがすべて決まっていたかどうかはわからない。だがしかし、決まったものの上に、ただ無意味に、無必要に、余分なものを浮かべて過ごしていたというなら、そう思う。
完全に止まりきることができるのかできないか知らんが、止まれば止まるほど良くなるという感覚だけは確かにある。
何事も止まらなければ見えないではないか。文章も、止まった文章のほうが、静まった水面が正確にものを映し出すのと同じ働きをする。止まりながら動く事は可能なはず。止まりながら気を爆発させることは可能なはず。止まるために動き、動くために止まる。
まぁ、止まれないなら止まれないで仕方ない。一生止まれそうで止まれない感覚と付き合っていくだけだ。
と、こんなふうに考えていたら、素晴らしい文献に出会った。前置きが長くなったが、今回は以下の文章を紹介したかっただけである。仕事していると、止まりながら仕事できないものか? と考えている人はいるかもしれない。そういう人にとって参考になるかもしれない。あるいは大失敗してしまうかもしれないが。
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パパジ あなたは常に心に依存せずに行為している。だが、想念がそうではないとあなたに思わせるのだ。心があなたのすることを決定すると考えるのは一つの古い習慣なのだ。あなたが考えようと考えなかろうと行為は続いていく。仕事や行為をするために心は必要ない。あなたはただあなたがすると考えているだけだ。心が存在しなければ、仕事はとても効果的に為される。これに関して私自身の例をあげることができる。これについて語る人は稀だから、私が語らなければならない。これは聞き伝えではなく私自身の話だ。
それは一九五四年のことだった。私はアムステルダム行きの船にマンガンの鉱石を荷積みしていた。それ港で行なわれる鉱石の移送ではなく、「沖合い荷積み」と呼ばれるものだった。私は船から出たボートに乗り、船長とともに一日を過ごした。船は荷積みを終え、ハッチが閉じられた。私は船長から証明書と購入者からの銀行為替手形を受け取った。私自身の手で為替手形を渡したかったため、バンガロールの本社に帰ろうとしたのだが、すでに夜の十一時だったうえ、マンガロールの港からバンガロールの町までは四百五十キロ以上あった。それは楽な運転ではなかった。はじめに危険なカーブがたくさんある緩やかな山道を越えなければならなかったからだ。
だが、会社が至急この金を必要としていたため、私は一晩かけて運転し、それから山を越えたところでひと眠りすることに決めた。その日は重労働だったので、もしマンガロール側の山で眠ってしまったら時間どおりに起きられず、バンガロールに到着するのが遅れてしまうことはわかっていた。この山道には十一のヘアピン・カーブがあり、海抜千五百メートルまで登って、それから反対側の平地まで降りていくのだ。山の反対側にはよく知られたカフェがあって、トラックの運転手が集まっていた。他に途中止まれる場所はなかった。地滑りがひんぱんに起こり、そのうえ象が迷いこんで交通を妨げることもしばしばだった。それは細い道路で、しかも片側は切り立った崖になっていた。もし象が目の前に現れたら、距離を置いて彼らが森に戻るまで待たなければならなかった。仮に象たちの一頭でもいら立たせて、それが向かってきたら逃げ場はなかった。
最も困難な道路は十五キロほどの距離で、安全に走りきるにはよほど注意深く運転する必要があった。特に真夜中には。では、何が起こったか? 私は運転中に眠ってしまったのだ。しかもこの危険な道路に入る前に。そして目が覚めたら、私は山を降りてバンガロールへの道を走っていたのだ。後になって計算してみたのだが、多くの険しいカーブをこなしながら、私は五十キロもの距離を眠ったまま運転したことになる。バンガロールへの道の途中で目を覚ましたとき、私は生まれ変わったように爽やかな気分だった。とてもよく眠ったに違いない。ひとたび目覚めると、もはや休息も睡眠も必要なかった。私は爽快な気持ちで、そのままパンガロールまで休むことなく走ったのだった。身体が眠っていた間、いったい誰が運転していたのだろうか? 今となっても、この謎は解けていない。無意識だった身体が正しいときに正しいことをするように何かが私の面倒を見たのだ。心も身体もそれに関わっていなかった。「このカーブは注意して曲がらなければいけない」と考える人はそこにはいなかったのだ。
これほど極端な話ではないが、やはり興味深いもう一つの話をしよう。一九四七年に、私はパンジャブからラクナウに来た。私は働いていた。なぜなら、私とともに現パキスタン領から来た親戚全員の生活を支えなければならなかったからだ。ときおり、私は外的世界で起こっていることに気づかないような没入状態に陥ることがあった。私は身体が何をしているのか、実際に気づくことのないまま歩きまわり、仕事をこなすことがよくあった。周りで起こっていることに気づいてさえいなかった。それはどうでもいいことだったのだ。何かが身体を安全に保ち、すべきことをするように私の面倒を見ていたのだ。
私がマドラス(現チェンナイ)で働いていた頃、同じようなことがよく起こったものだ。マイラボールからマウント・ロードまで歩いていこうとするとき、車の往来に注意を払おうとするのだが、外的な気づきが消え去ってしまうのだ。目的地に着いても、いくつかの道を渡ったという記憶さえないことに後で気づくのだった。
だが、一度事故に遭遇したことがあった。それは一九四八年、ラクナウで起こった。ラルバーグからハズラトガンジの郵便局に向かって歩いていたとき、スピード違反の車にはねられたのだ。当時はまだ踏み台をつけた戦前の車が走っていた。その車には外側に人が立って乗れるような鉄の平板がついていた。私は後ろから来たその古いフォード車にはねられた。衝撃で踏み台がはずれてしまったほど強烈に。何が起こったのか気がついたとき、その踏み台は私の隣に道をふさぐように落ちていた。事故が起こる前、私は今話していたような没入状態にあった。そのため、事故については私自身何も覚えていなかった。詳しいことは、後になって道路に倒れている私の周りに群がっていた人たちから聞いたのだ。ひき逃げだと彼らは言った。私が深刻な傷を負っているに違いないと誰もが思っていた。スピードを出して走っている車に追突されたからだ。だが、立ち上がってみると、まったく怪我はなかった。ズボンは破れていたが、めくってみると足にかすり傷があるだけだった。人々は私を警察まで連れていって報告したがったが、怪我をしていなかったので、私は彼らの提案を無視したのだった。
これが私の体験だ。心なしに生き、働くことができるだけではなく、外的世界に気づくことなしに生き、働くこともできるのだ。誰が面倒を見るのだろう? あなたが没入するその力があなたの面倒を見る。それが指示を与え、身体はその指示に従うのだ。これはあなた自身で体験しなければならない生き方だ。訓練できるようなものではない。
以前に私たちは蛇が突然現れたときにどう反応するかという討論をしていた。あなたがこの状態にあるとき、何をすべきか、あるいは他の人の助言を受けるべきかといった考えは起こらない。正しい反応が自発的に、自動的に起こるのだ。そこには疑いも想念もまったくないだろう。
質問者 あなたが鉱山で働いていたとき、考えなければならないことがたくさんあったはずです。設備のこと、得意先のこと、書類のことなど。どうやって計画することも考えることもなしにこれらの仕事を処理したのですか?
パパジ (笑いながら)それは夜、車を運転しているようなものだ。なぜあなたがそれをしているのか、何をしているのかに気づかずとも、何かがあなたに正しいことを正しいときにさせるのだ。私はこのような体験を数知れずしてきた。