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描いても上手くならない人は漫画家になってはいけません

どうして人間は向いてないことばかりやろうとするのだろう。

仕事で困った顔をしていたり、慌てたりしている人。
さらっと何でもできてしまう人。

このあたりの差は、適正が大きい。

 

宮崎駿はアニメーターの条件として一番必要なのは何かと尋ねられたとき、一言で「適正」と言い放った。

村上春樹も、「小説を書く上で一番重要なのはやはり才能がなければいけません」と言っていた。

才能とか適正とか言う前に、とにかくたくさん書けとか、たくさん頑張れという人がいるが、根本的な部分で適性がなければ何をやっても無駄だ。

 

俺は昔漫画家を目指していたからわかる。ひとつひとつの線に迷うばかりで、コマの流れは見えず、
360° 見渡せないので、単調な構図ばかりが続き、手は描けず足は描けず、リュックサックを背負ってる人間の後ろ姿が描けず、抱きしめあってる二人の絵を描くのは本当に苦労した。

ヘリコプターを描けと言われてもヘリコプターがよくわからないのだ。

普段から精神世界は観察していても、モノや形をよく見ていないからこういうことになってしまう。

絵に関わらず、すべての才能というのは観察力の一言に尽きる。「才能」というあやふやな言葉は「観察力」のことを指す。

どんなにたくさん絵を描いて、自分の背丈を超えるほどA 4用紙を積み重ねても、観察力が磨かれなければ向上はない。

 

ボクシングも結局は観察力で、相手が何か打って来そうな気配を感じ取れる観察力が1番重要だ。

陸上部も、ただ速く走るにしても、自分の体の中の体重や関節の動きを感知できる観察力が重要になってくる。

こうして記事を書くのもそうで、自分が観察した結果を淡々と話すだけだ。

 

この観察力というのは、じゃあ頑張って観察しようと普段から気合を入れて生活していればどうにかなるものではない。

自然と無意識で感知してしまう癖がなければ駄目だ。

漫画家になろうと思って、そのために観察力を身につけようなんて言ってるようじゃモノにならない。

進撃の巨人のように絵が下手なのに売れてるじゃないかという人もいるかもしれないが、あれは売れてはいるけど神が宿っていない。

そんな遠くない将来、原作のみの作家になるだろう。絵を描く人間じゃないことは確かだ。
売れる売れないの問題じゃなく、細部の奥まで神が宿っているかどうかが問題なのだ。

俺がボクシングジムに行った時は、何年もやっている人を二ヶ月で足らずで追い抜いてしまったし、剣道の道場に初めて行ったときと、有段者を見ても下手くそだなーとしか思わなかった。

こういうものは、手をつける前から自信に溢れてるというか、俺は竹刀を握ったこともないの、どんな人間でも勝てる自信があった。

実際やってみると、コテンパンに負かされたり、思い違いを確認させられるハメになるが(笑)、着手する前に、こういうわけのわからん自信が溢れてくる分野は、少し修正していくだけでモノになる。

 

鳥山明がプロになるまで1年間で600枚以上のボツ原稿を重ねたらしいが、おそらくそんなに苦痛ではなかったと思う。
本人も、この時期はいろいろ気づくことができて楽しかったと言っている。

ほとんどの人にとって漫画の原稿600枚描くというのは苦痛でしかないだろう。

しかし、どういう風に線を書けばいいか、普段から生活の中でいろんなものを見て観察して、物や形に対する記憶や観察力が長けていればどうってことないのだ。

それは先天的な癖によるところだと思う。

 

宮崎駿も海外のロケに行っても、ほとんどメモをしたりスケッチすることはないらしい。そして帰ってきて仕事に取り掛かると、写真のように正確に描いてしまうらしい。

こういうものは努力の賜物でどうにかなるものではない。俺は昔、ピカチュウを何百匹も描いたが、もう描き方を忘れた。

とにかく頑張れというのはよくない。
鳥山明は、漫画家は何でも描けなければいけません。
なんでも描けないようなら諦めましょうと言っていた。これは素晴らしい名言だと思う。

 

人間にはできることとできないことが明確にあり、ひとりひとりの役割を敢えて分けることで、それらの力が組み合わさって地球全体が円滑に回るように神の采配がされている。

つまり一番言いたいことは、やりたいことをやるんじゃなくて、できることをやるということだ。

 

簡単にできることをやるのだ。

リカルドロペスも本当に簡単そうにボクシングをする。簡単にパンチを振って、簡単に相手が倒れていく。

キャリア初期の頃の試合を見ていても同じだ。本当に簡単そうに戦っている。

その道に向いてる人間が成す仕事というのは本当に簡単そうに見える。
カラオケのアルバイトでも、俺は本当に慌ただしくバタバタ仕事してミスばかりしていたけど、採用されて数ヶ月の十八歳の女の子が何食わぬ顔して落ち着き払って淡々と仕事をこなしているのを見て、一生この子に敵わないなぁと思った。

 

脳の構造やシナプスを基準に考えなければならない。
みんなそれぞれが本当は天才なのだ。
自分の役割さえ間違えなければ。

うちの母親も毎日5時間はずっと料理しているし、ある女の子は携帯のストラップを1日ずっと作っていたりする。
1日に3本映画を見る奴もいる。
一回の風俗で9万を使う男がいる。
朝起きてから寝るまで彼女とLINEする男もいる。
一日中Wikipediaをリレーする男もいる。

今まで、色んな会社で働いている人間を観察してきて、
仕事ができない人間が、できるようになったのを見た試しがない。

 

3流が2流になったかと思い、少しは任せてやると、3流に戻ってしまったりする。どんなに頑張っても1流になれない。一瞬1流になったかもと思いきや、やっぱり続かない。安定して結果を出せない。どうも一抹の不安が残る。凡人がいくら努力してもこの辺をウロウロするだけだ。完全無欠の安定感に届くことはない。

 

俺は毎日記事を5本更新したり、1万文字以上書くことは簡単にできてしまう。

普段よくいろんなことを調べたり考えたりしているからだろう。
ゲーテも、自分の特性を見極めて、それ以外のことは手をつけない方がいいと言っていた。

自分が簡単にできることを無視して、難しいことばかり人間はやろうとする。

難しいことに挑戦した方が達成感があったり、頑張ってる感じがして張り合いがあるんだろう。
周りで簡単にこなしている人を見ると、自分もできるはずだと思ってしまうんだろう。

自分が簡単にできることは、他人も簡単にできるから価値がないと思うんだろう。

 

昨日図書館で見た宮崎駿の絵コンテは素晴らしかった。
ほとんど修正した後がなく一発書きで、抑えなければいけない一線を簡単に抑えていた。

大体うまい人はネームを完成形で描いてしまう。
見えている映像をただ浮かび上がらせるだけなんだろう。
鳥山明のネームもそういうところがある。
高橋留美子もそうだ。

彼らは長年の経験で養ったわけないのだ。キャリア初期の20代の頃からできてしまっているのだ。

 

しかしまた、この人達は一生かけても簡単なワンツーすら習得できないんだろう。
何十回人生を繰り返しても、左アッパーに体重を乗せて自分の中の体重が拳に乗り移り、相手に振動が伝わる内部感覚を感じ取ることはできないんだろう。

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