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怒り心頭になっていないアンチほどタチが悪い件について

逆転裁判の実況動画を見ていたのだが、動画のコメント欄に非常に酷い発言があった。

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この動画はシリーズもので、1本30分くらいで219本あり、見終わるまで大変な労力がいる。なんとなく感じることだが、おそらくこの人は俺と一緒で全て見たんだと思う。2倍速で見ても非常に時間がかかり、楽しくもありつらくもあり、まぁとにかく膨大だ。動画を見ながら自分でも推理していたので、五十歩百歩、自分で買ってプレイしたのと同じ結果を得られたと思う。そして、動画を最後まで見て、この人はこんなコメントを残した。

 

俺はこの人がどういう気持ちでこういう発言をしたか、なんとなく分かる。

確かに漢字間違いはイラッとするところがあった。本当に恐ろしいほどまともに漢字が読めない実況者だった。なぜ我々は漢字を読めない人を見るとイライラするかわからないが、確かにあまりにも簡単な漢字を読めない人を見ると腹が立つ。しかしだ、俺はこの人は、そんなに腹が立ったとは思えなかった。本当に腹が立っていたら動画を最後まで見ないだろう。

 

なぜこの人がこんな発言をしたかというと、人が嫌がることをついしてみたくなったのだと思う。「動画実況やめてください」という言葉は、どれだけ実況者に対して辛辣な言葉かこの人は知っている。がんばって丁寧に頭を使って、投稿者が一番嫌がであろう発言をしたいと思った、そのチャンスがたまたま目の前にあった。

ただ動画実況やめてくださいだけだと弱いので、ちゃんと理由をつけて組み立てて、なるべく相手を不快にさせる。

 

この動画に限らずとも、ネットには残念な言葉を残す人が耐えない。彼等はとても性格が悪く、普段から周りにこんな態度をとっているかというと、そんなことはない。

むしろ周囲からは真面目に思われており、毎日懸命に生きて、誰にでも笑顔を振りまく八方美人で、まぁまぁ人からは好かれ、とりあえずまともだと思われている。

 

では、そんな人間がどうしてネット上でこんな発言をしたかというと、次のとおりである。

たまに友人がいたり、会社で同僚と話したり、真面目な会話でもいいし、ふざけた会話でもいいし、面接や会議をしている時でもいい。そういう時、手元に熱いお茶があったら、突然相手にぶちまけてやりたくなるのが人間である。

(今この熱いお湯を、この人にぶっかけたらどうなってしまうんだろう?)自分は最低最悪の地位に追い込まれる。大変な事態となる……! と、夢遊病的な想念が、よく人には訪れるのだ。もちろん、みんな制止しているけど。

俺もファミレスのドリンクバーでカップに珈琲を入れた後、その辺の女の子にぶっかけたらどうなってしまうんだろう? と考えてしまうことがある。実際にはやらないけど、どうも頭の中で小さくよぎってしまう。理由もなく、完全に通り魔的で、実際に行動には起こさなくても、誰しも人間にはそういう部分があるのだ。

 

このコメントを残した人は、実は動画に対して感謝していて、基本的には楽しく動画を見ていたんだと思う。漢字間違いでイライラしていたけど、やっぱり基本は面白いから見た。別に悪態をついたコメントを残しても残さなくてもどちらでもよかったが、なんか今ならすごい相手を傷つけることができるコメントができそう……! そんな自信がこの人の中に訪れたのだ。

恨みはないけど、すごく辛辣で最低な言葉を吐いてしまいたくなって、その発言が完全体の形となって自分の中に現れた。考えることもなく一瞬で投下できるので、心も身体も労苦がなく楽である。なんとなくワクワクする。

そんな最小限の労働に対して、見返りは甚大である。このコメントを見た投稿者はとても嫌な気分になるだろう。これらすべての一連のイメージを頭に抱き(抱いてしまったという方が的確だが)、そして、今回実際に行動に移してしまった。普段は行動に移さないけど、今回はあまりにも手軽だったから移してしまった。正体もバレないし、何の不都合もない。やはり小さな労力で、相手の心に大きな波紋を起こすことができる。

 

こういう人は多い。どの動画を見てもかなりの頻度で見かける。暇とか悪意があるとか怒りに駆られたとか理由があってとか、そういうわけではないのだ。

目の前に非常ボタンがあったら押したくなるように、自分の小さな労力で世界にカタストロフィーをもたらすことができるそんな準備が目の前に整っていたら、押してしまうのが人間なんだと思う。

ある程度頭が働く人間であれば、今このタイミングでこの言葉を言えば、どれくらい相手が傷つくかということが分かるものだ。頭の良い人間はそういう言葉がどうしても浮かんでしまう。浮かんでいるけど日常生活では我慢している。人間関係に破綻をもたらすからである。

姿形も残らない、始まることすら訪れなかった関係なら、どれだけ暴れても困らない。そんなに暴れたくてしょうがないわけでもないけど、ただちょうど凄い破壊力がありそうな言葉が思いついたから、投下してみたいと思っただけなのだ。ようするに小悪党の愉快犯なのだ。

一番相手が傷つきそうな言葉を丁寧に探して投下する。何も腹なんて立っていないのにも関わらず。ただの遊びなのである。そして相手に実際に会うとニコニコするのである。

 

ネットでギャンギャン騒いでる人達はキャンプファイヤーを楽しみたいのだ。誰が一番いい踊りができるかではなくて、誰が一番相手を傷つけるかという知恵比べが行われる。

人間は相手の中に自分を見る。自分がしたことで相手が喜ぶ時はとても喜ばしくなる。相手を傷つけた時は、その心の変移、心の中にダメージが食い込まれる様がゆっくりと伝わってくる。壁やタンスを殴ってもなんにも楽しくないけど、人間は別だ。生き物を傷付けるということはその中に自分を見出すからだ。誰かを傷つけることは、自分自身をも傷つける。その傷つくことすら快感なのだ。アンチは酷いことを書いて相手を傷つけて自分も傷つける。でもそれが気持ちいいのだ。

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