1枚の絵に営々辛苦しちゃいけない。大きな感動はすぐに移し変えることのできるものだ。それについてよく考え、それを表現する一番単純な形を探したまえ⋯⋯ ゴーギャン
ほとんどこんなのは霊媒と変わらない。ただひたすら浮かんできたものを転写するのである。書いている時に別の事が浮かんでくることが多々あるので、紙を10枚くらい同時に並べて、思いついたことを思いついたままに、そのテーマに沿った内容を書き連ねていく。同時に7つも8つも連載していた手塚治虫はこの手法を取っていた。
うんうんと一つの描写にこだわり、いつまでもそこで立ち止まっているよりかは別のことを書いてしまった方がいい、別のことを書いているうちに、以前は前は思い浮かばなかったことが戻ってきた時に書けるようになっているものだ。
ドトールの小さなテーブルに、5枚も6枚も並べてあちこちペンを動かしていると、まさに天才のそれにしか映らない。それに加えて、いつも同じ時間に同じ格好でやってきて、デカイ黒いトートバッグから、大量のA4用紙とインクで汚れたペンを取り出し、インクで汚れた手で一心不乱に書き殴っている。将来の為にいやいや受験勉強をしに来た学生とは、明らかに出ているオーラが異なるのである。
しかし、小生からすると店員の方がすごい。小生からすると1日に6時間も8時間もコーヒーを作り続けられている方がずっと尊敬に値するが、紙とペンを渡されても1行も書けず、日報を書くのにすら20分かかってしまう彼女達からすると、数時間の内に1万字ほど書けてしまう小生の方がすごいように見えるらしい。
音声入力も確かに素晴らしい。瞬間的にメモを取ったり、その場の発想を手早く捕まえるには、音声入力が一番いい、しかし最初のアイデアを絞り出そうとする段階では紙と鉛筆がいちばんいいことがわかった。
あとで結局スマホに移さなければならないから、手間といえば手間だけれども、そこは音声入力を使えば割と早く可能ではある。
どういうわけか、キーボードよりも紙とペンの方がよく書ける。林真理子も鉛筆で原稿を書いているらしい。自分の中から生み出されるものに、一切の仲介物は必要ない、と言っていた。質といい量といい、昔の作品のほうが優れているのは、とくに古典になるほど優れているのは、こういった理由からだと思う。紙とペンだからだと思う。スマホは確かに誘惑が多く作業を停滞させられるが、それだけではない、確かに感覚が研ぎ澄まされるのだ。
これをやっていると、天才っぽさが半端ない。スマホで記事を書いていると遊んでいるように見えないらしく、いい歳した男がドトールにきていったい何やってるんだという、白い目で見続けられてた。
うーん、と頭を抱えて見せたり、なかなかいいアイデアが浮かばないなぁなどと苦悶の表情を浮かべて見せたり、遊んでるわけじゃないよというポーズを頻回にやってきたけれども、やはりスマホというだけで、どうしても孤高の芸術家感がでないのである。
ノートパソコンだと、まぁまぁ頑張っているじゃんということなり、紙とペンとなると、お! この人熱心じゃん! ということになる。
難しそうな理系の専門書や、プログラミング本、参考書等を併用すると、効果は増すだろう。しかし、まったくの白紙を5、6枚並べて、それに一心不乱に凄まじい速度で書き上げていると、天才感が半端ないのである。みんなコーヒーを手に持ったまま、口に含まずにそのまま止まって見ている。看護学生の女の子たちも、ポカーンと口を開けてこちらを見ている。
とくに彼女たちは勉強に集中できないようで、また、市販で売られている参考書や学校の教材をノートに書き写しているだけなので、何もないところから大量の活字を生み出している小生が、化け物じみて見えるらしい。
そして、彼女たちは安そうな、150円程度のボールペンを使うが、小生は2万5000円するパイロットのカスタム823という高級万年筆を使っている。
(すごい……)
(万年筆だ……)
彼女たちは万年筆というだけで畏怖してしまう。彼女たちだって、それくらいは買えるだけのお小遣いは貰っているし、貯金もあるのだが、決して買おうとはしない。
ドトールはその性格上、低所得者層の温床になっている。飲食店カーストの下位に位置し、朝は新聞紙を広げる年金生活のジジイ、昼もジジイ、夕方は看護学生、夜は夜遊びが好きな学生、バイト上がりの店員、深夜はホームレスや家出少女が机に突っ伏して寝ている。サラリーマンやOLなんて一匹もいやしない。トキワの森のピカチュウ並の出現率である。
そんな中で、どのカテゴリーも組みしない異質な男が、こうしてペンを走らせていると、その相乗効果も相まって、凄まじい天才感となる。
すごい、さっきからずっとペンが止まってない。考えてるの? 考えてないの? きっとこんなにアイデアが止まらない人だったら、仕事の成果も凄いに違いない。お金持ちなんだろう。みすぼらしい格好だけど、お金持ちは服装に頓着ないっていうし。結婚したら玉の輿かもしれない。テレビとかで顔を見ないのは裏方に徹してる人だからだろう。わざわざこのドトールに執筆に来るのはちょっとした息抜きのためなんだろう。店員に至っては、これを朝4時からやっていることを知っている。
私たちは低所得者層。一介のコーヒー人。こんな天才を生で見れるのはすごいことだ。
そんな顔で俺の方を見ているくせに、まったく声をかけてこない。ここで俺の方から声をかけてしまったら、天才感がなくなってしまうので、俺からは声はかけられない。
俺から声をかけたら、何だこの人チャラいじゃん。もっと硬派で孤高の芸術家気質かと思ったら、ただのナンパ野郎かよ、ということになってしまう。だから女性店員や女性客の方から声をかけてくるのを待っているのだが、ぜんぜん声をかけてくる気配がない。
玉の輿にのりたかったらそっちから声をかけろよ。まぁ、本当はお前の半分の年収も稼いでないけどな。別に付き合うのも結婚するのもいいんだけど、俺から声をかけたらキャラが崩れちまうだろうが! そういう思いもあって、こうしてペンを走らせるしか婚活の方法が思いつかない。
いつも注文はアイスコーヒーのSで、LサイズでもなければMサイズでもない、三年間ずっとSだ。しかもブラック。ミルクも砂糖も使わない、ストローも使わない。そして席に着くなり、コーヒーに目をくれず、凄まじい速度でペンを走らせるのである。スランプ? そんなもんはコーヒーと一緒に飲んじまったよといわんばかりである。英語の筆記体だったらもっとかっこいいかもしれない。
一体何を書いているのか、みんな気になって仕方のなさそう顔をしているが、まさか女の悪口とか、乃木坂とか、ワンピースや、このドトールのことばかり書いているとは思わないだろう。
このキャラは確かにかっこいいのだが、硬派で純潔ぶらないといけないから、なかなか恋愛には向かないかもしれない。
これはひどい。まるで机の面積が足りなくて仕事が捗らないとでも言いたげな、嫌味ったらしい紙の置き方である。家でやれよ、と思う人もいるかもしれない。そばに置いてあるコップも「水」というのが最高の嫌味だ。水以上にストイックな併用アイテムはない。
そして、それだけじゃないんだぜというかのように、気味の悪いノートを取り出す。7mm方眼罫ノートだ。7mm方眼罫ノート? そんなの小学生が学校で字を初めて覚えるときに使うノートでしょう。なぜ大人がそんなものを。そしてあなたはアイデア系の人間でしょ? アイデア系の人なら白紙に殴り書きした方が書きやすいはず、マス目は天才性を抑える役割しか持たない。
しかし、この7mm方眼罫ノートを開いた途端、女性店員と女性客は固まる・
「なに……これ……」
一体どんな修練を重ねたらこんな字を書けるようになるの? 賞状書く人の息子なの? あなたはアイデア系の人間でしょ? アイデア系の人間は字が汚いはず。約半数が東大に行くような灘高校の生徒は、みんな字が汚いことで有名だ。ほとばしる頭脳の勢いにペンが追いつかないからだという。物質的に目に見える字を綺麗にすることは苦手なはず。どうしてアイデア系の人間なのにこんなにすごい字を書けるんだろう。二刀流……。
女性店員は、小生の7mm方眼罫ノートを見ると、客に届けるコーヒーを持ったまま固まる。
グラスが床に落ちる音が聞こえる。