ドトールで作業していたら、急に背中をポンポンと叩かれたのでビックリした。
いつもこっそり看護学生たちを眺めていたから、とうとう逮捕される日がきたかと覚悟した。
すると、黄色のつなぎを着た南国系の外国人の女性が「お兄さん、コーヒーいる?」と言ってきた。40歳くらいだろうか。ノースフェイスのキャップ帽を被って、長い自前の金髪、よく焼けた肌、虹色に輝くサングラスをしている。
外国人だから許されるところがある。小生がこんな格好をしていたら入店拒否されるだろう。
「今日は私の誕生日なの。コーヒー奢ってあげる」
「それはそれは、おめでとうございます」
「何飲みたい? コーヒーでいい?」
「ああ、いや、お気持ちだけでとても有り難いです」
日本人のそういうつまらない美徳にはわたしはいっさい取り合わないという態度で、「じゃあ何飲む? コーヒーでいい?」と言ってきた。
この人と会うのは二度目だ。以前も、いま座っている席で作業していたら、離れた席だというのも関わらず、たまたま目が合って、こちらに向かって微笑んできたことがある。
その笑みがなんとも無垢で、まったく警戒心がなかった。
なぜ自分の誕生日なのに、小生にコーヒーをくれるのか。小生が買うならともかく。
小生はあまりコーヒーは好きではない。コーヒーを飲み干したあとはいつも、その空きグラスに水を何度もお代わりして飲んでいる。店内の紙コップでは器が小さ過ぎて、一度にたくさん水を入れられないから、空きグラスが欲しくてコーヒーを頼むのである。
そういうこともあって断ってしまった。マザーテレサは、相手の好意を無下にすることは絶対にせず、どんな人からの施しものを必ず受け取っていたというが。
2杯もコーヒー飲みたくねーわと思って、断ってしまった。3回断った。が、3回却下された。
「ねぇ、お嬢さんたち! わたし、彼にコーヒーをあげたいんだけど、おいしく作ってくれる!?」
「え?」
「わたしの誕生日なの! お願い! 彼にとってもおいしいコーヒーを作ってあげて!」
女性店員は小生の方を見た。
(あの人、この外国人の女性と仲がいいんだ。)
と、もう3年くらい毎日通ってる見慣れた顔の小生と、外国人女性を見比べて、そんな顔をした。
「かしこまりました」といって、女性店員は、空きグラスをコーヒーマシンの定位置に置いて、ピッとスイッチを押した。
外国人女性が大きな声を出すので、店内の客たちが、なんだろうと様子をうかがっていた。店内には10人ほどの客がいた。外国人女性は、これだけ客がいるのに、小生にだけコーヒーを買ってくれた。どうしてだろう? なぜ小生なんだろう? 不思議だった。
店員A「知り合い?」
店員B 「さあ」
店員A「カップル?」
店員B「夫婦かも?」
と店員たちは厨房でボソボソ話していた。
小生はどうも店員たちに変人だと思われている節があるらしく、外国人女性と付き合っていても、あまり違和感がないように見えるらしい。
外国人女性はコーヒーを持ってきてくれた。
「どうぞ! お兄さん!」
「ありがとうございます」
コーヒーはLサイズだった。当然か。これでSだったら、何をしたかったのかわからない。
隣に座り込んで話し込んでくるかと思ったら、外国人女性は自席に戻り、静かにコーヒーを飲みだした。
外国人女性の、一人でコーヒーを飲んでいる姿は静かだった。もう一寸たりとも話しかけてはこない。彼女にもちゃんと距離感というものがあるようだ。
外国人というのは、静かな時は日本人より静かな気がする。あれだけ騒がしかったから、反動で静かに見えるだけだろうか。
この世界はこの距離感ばかりだから嬉しい。そして彼女は、この距離感の中で最大の愛情を示してくれた。案外、こういう距離感の感覚は、彼女たちの方が優れているかもしれない。
日本人女性は、ふだんは牡蠣のように心を閉ざしているが、いちど蓋を開けられると、今度は熱した牡蠣のように、閉じ方がわからなくなってしまう。外国人女性の、その見事な閉じ方には、感嘆するしかなかった。
こういうことがあるから、ドトールで執筆をするのは好きだ。いつかどこかで、もっとはっきりと太陽を感じられる場所で書きたいという気持ちはあるが、そこにはこの外国人の女性はいないだろう。
しかし凄いものだね。この国に来て、冷たい顔に晒されて、それでもその陽気さを失わないのだから。幼少時から南国の風を浴びて育ったからか。幼少時からこの国にいたらそうはならなかったのか。難しいところだ。日本語はとても流暢だったから、日本の滞在期間はとても長いだろう。
たまに、こういう何気ない人の優しさが、20年来の親友や、親や、おばあちゃんや上司より、さわやかに、春風のように駆け抜けるものだ。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 太宰治『葉』
小生も、別に死のうとは思ってはいないが、もう少し生きていようと思った。
一口飲んでみた。
うん。
「おーい! 店員! いつもと変わんねー味だぞ! ぜんぜんおいしく作ってくれてねーじゃねーか! なーにが『かしこまりました』だ。口先だけで返事しやがって」
と注意してやろうかと思ったが、やめた。
しかし、孤独によく効く味だった。
いくら霊的修行がどうだの言っていても、このような人には敵わない。
そして、小生は言い切れるが、彼女のようになることはないだろう。二度会っただけの人間にコーヒーを配ったりはしない。この好意を見習って、自分もどんどんハッピーを届けよう! とは思わない。
せいぜい、いつも上機嫌でいるだけである。不機嫌を出さない。それだけだ。Amazonの宅配便が時間通り届かなかったとしても、嫌な顔一つしない。それだけだ。
みんな、誰しもが、好意を振りまきたいのだ。自分の面倒にならない範囲内であれば、他人を幸せにしたいと思っている。
しかし、それができないことは、この国の風習のせいだと思っている。
もしフィジーやニュージーランドで暮らしていれば、俺だって(わたしだって)、負けないくらい人を幸せにできるのに、でも、それができなくて悔しい。ごめんね、ぜんぶ、この国のせいなの。みんなで一歩一歩歩いてるから、わたしだけ急に方向転換はできないの。ぶつかってしまうから。
この国もむかしはそうだったの。江戸時代の頃は、あなたのような人がたくさんいた。笑顔が絶えなかった。
みんなで、いっせーのせっ! で変わることができたらいいんだけど、それまでは、ごめんなさい。
※
しかし、この快活さの代償として、外国人女性は直火式焙煎すぎるきらいがあるのだ。高い温度で一気に焼いてしまうので、ただの焼けた豆のようになってしまう傾向にある。
対して、日本人女性は、「電気式焙煎」と言える。電気式焙煎は、高温になる電熱線で豆を焼く焙煎方法で、火を使わないので安全に焙煎できることがメリットではあるが、相対的に火力が弱く、生焼けになることが多い。
例えば、もしこのコーヒーに毒が入っていて、小生が死んだとしても、外国人女性は、(自分が買ってあげたばっかりに……)と落ち込むことはないだろう。彼女はきっと、「ねぇどういうこと!? なんでコーヒーに毒が入ってるの!?」と店員に凄むだろう。そして綺麗サッパリ忘れてしまう。このような白黒がはっきりしたケースでさえ、日本人女性は自分のせいだと落ち込んでしまうことがある。
本当は、勉強しにやってきている看護学生たちが、コーヒーを奢ってくれたらいちばん嬉しいんだがなぁ。しかしそんなことは一度もないからなぁ。
彼女たちがコーヒーを買ってくれないから、外国人女性で手を打ってしまいたくなる。
(小生がこの外国人女性と結婚したらどうなるだろう?)
ふと、頭の中に過ぎった。
たぶん告れば結婚できそうな気がする。一言返事でOKしてくれそうな気がする。
うーん。
今回はこの距離感だからうまくいったが、果たしてこれが結婚したら、うまくいくだろうか?
3回断ったのにコーヒーを渡してくる女性だ。一緒に生活していたら、この強靭な抵抗力は、悪い方に発揮されることもあるだろう。
「ねぇ、どうして一人でMacBook弄ってるの! 夫婦なんだから一緒に時間を過ごすのは当たり前でしょう! さぁこっちに来てハグしてちょうだいダーリン!」
「今日はムリ!? 日本人はセックスが少なさすぎる! 夫婦は毎日セックスするのが当たり前でしょう! 牡蠣を食べて精力をつけなさい!」
「いや、いいよ」
「食べなさい!」
「いいって」
コーヒーを3回断られても折れなかった女性だ。当然、折れないだろう。
「下の毛を剃毛していないのは、日本人だけよ。剃りなさい」
「やだよ」
「剃りなさい!」
「やだって」
しかし救いがあるとすれば、これだけ口論になりながらも、数分後に廊下ですれ違えば、抱きついてくる。キスしてくる。日本人同士の夫婦喧嘩とちがって、あとを引かない。
そう思ったら、また今度は泣いたりすがったり、物を平気で投げつけてくるだろう。そうこうしているうちに、小生の方もイライラしてきて、5回に1回くらいはやり返してしまうかもしれない。
「ひどい! お皿を投げつけるなんて!」
「お前は5回だろ! 俺は1回じゃねーか」
おたがいが憎悪しあっていながら、それでも相手なしではいられない – というのは、とかく言われるように最も真実な関係とか、最も刺激的な関係では決してない。あらゆる人間関係のうち、最もみじめな関係である。 ボーヴォワール夫人
小生は、たとえ誰かと付き合ったり、結婚しても、泣きながら皿を投げ合ったり、罵詈雑言をぶつけあって、そして、泣き止んでスッキリして、お互い言いたいこと言えて良かったね、というのをしたくはない。まぁ、誰だってしたくないのかもしれないが。
いいときはいいが、悪いときは悪くなるだろう。しかし、悪くなったとしても、その持ち前の南国のエネルギーで、また救ってもくれるだろう。
とりわけ、いちばんいい波動を出して、あとは静かにじっとしている。それが小生の処世術だが、彼女には通用しない気がする。
「ねー! こっち来てテレビ見ましょう! 何してるの!? 夫婦なんだから一緒にテレビ見るのは当たり前でしょう!」
「うん」
そうやって、「うん」とか「あー」とか言ってる内に、気づいたら一緒に墓に入っていそうだ。
小生は、コーヒーをもう一度口に含んだ。
小生はもう大丈夫だ。この先、この一杯のコーヒーで生きていける。
ありがとう。今まででいちばんおいしいコーヒだったよ。