人は創作の泉にアクセスすることでしか幸せは得られない。俺も含めてみんな年がら年中YouTubeを3時間も4時間も見て、これじゃいけないと思っている。
他人のために書くわけじゃなくて、自分の為に楽しんで書きたいのだ。途中で物を書くのをやめてしまう人、あるいはプロでそれなりに結果を出しているのにも関わらず辞めてしまう人は、書く喜びを見出せないから辛いんだと思う。
書くことに限らず、創作に喜びを見いだせないと人は絶望してしまう。一生知らない誰かが作った成果物を頂戴する人生となるからだ。
よくYouTubeのコメント欄で汚い長文を残している人がいるけど、そんな瞬間的に燃え上がる火力を大事にすればいいのだ。例え誹謗中傷だとしても書かずにいられなかったんだろう。そういう時は本当に気持ちが良い。その気持ちだけで構成された言葉やメモを断片的に書き留め大量生産していけば、誰でも名作は作れてしまう。それを一つの本にまとめ上げることができたら眺めもいいだろう。
本を完成させようと思って、一番初めから順番通りに目次にそって書こうとすると辛くて辞めてしまう。俺は何度もこの問題に苦しんだ。きちんとした性格が仇になるのだ。
人は24時間恐ろしいほど想念が浮かび、自分でもハッとするようなすごいことを思いつく瞬間がある。それをメモにしている時は非常に気持ちよくスラスラペンが走る。楽しくて何より精神的に楽である。不思議なことにメモをそれぞれ組み合わせると、筋が通った文章が創れてしまうのである。これは別に文章にとどまらず、他のすべての創作において通じる理屈だろう。
物書き志望の多くがそれを知らず、インスピレーションがないのに何か書こうとするから気が重く、なかなか進まないんだろう。そういう状態のままプロの物書きになって大量の仕事を任せられても上手く捌けないだろう。仕事が苦痛になって自分から辞めてしまうに違いない。
創作活動において、自分と他人の能力を比較したり、周りから誹謗中傷を受けた結果によって辞めてしまうことはありえない。自滅だけがある。創作の泉にアクセスできなかっただけなのである。書き方をしらなかっただけだ。
学生時代の部活のように、もうこれ以上は無理! もう指一本足りとも動かせない! そんな状態になって1日の眠りにつきたいとみんな思うだろう。今日一日を精一杯気持ちよく力を出し切って眠りたい。会社の仕事はどれもこれもやらされている気分で気持ちよくない。腐敗物質を溜め込んで寝るような気持ち悪い毎日だ。だからみんな完全燃焼したがっている。
結局、幸せは仕事のやりがいの中にしか訪れない。不動産で不労所得を得ようとYouTubeやブログでアフィリエイトで稼ごうが、一生食うのに困らなくなっても人は幸せになれない。残念なことに、俺はその立ち位置に立ったことがないから詭弁でしかないが、言いたいから言う。
ブログやYouTubeで色々発信してきたけど、何かさっぱりしないような一抹の不満を感じていた。もっと大きなものに向かいたい。もっと大きなエネルギーをぶつけて死んでいきたい。いつも自分の心の奥からそんな声が聞こえた。そんなこと誰かに言っても、「私はあなたと結婚しませんから勝手にしてください」と言われるだけで、そう、その通り、勝手にやればいい。
最近のブログの執筆は、生活の中で感じたことがあれば、その瞬間に音声入力でバーっと喋って15分ぐらいで終わらせてしまう。細かな編集は次の日の朝にドトールでやる。ほとんど考えず、ただ胸に去来したものをそのまま写すといった感じで、特にエネルギーは費やしてはいない。このやり方は気にいっていて、1日に2000文字の記事を5本くらい平気で書けた。今も編集前の記事は20個以上ストックが溜まっている。
だけど、こんなことして何になるのかという不安がずっとあった。こんなの見て誰が楽しいのだろうか? 大量の活字を見るのは罰ゲームじゃない? ま~たクソ野郎が女の悪口書いている。よっぽどモテないんだな。毎日飽きずに同じことばかり書いてやがる。そんな声が聞こえてくるようだった。
それは確かに正しい感想で、自分でもそう思って書いていた。こんな風にただ日記のように思ったことを3000文字書いて、毎日更新を続けて幸せになれるのだろうか? ブロガーだったら誰もがそんなことを考えるだろう。文章屋は機械工じゃない。無理して大したことのない情報を、金銀が発掘されたように喧伝する必要なんてない。
毎日一生懸命必ずメルマガを更新して月に100万も200万も稼ぐ人達がいる。それだけ稼げているのだから彼らは幸せなのかもしれないが、実はそれほど幸せではないと俺は思っている。やりたくもない仕事をさせられているサラリーマンに比べればよっぽど幸せだろうが、彼らにも物書きとしての矜恃があり、自分では生産者のはしくれ、エンターテイナーだと思っている。だから、どうしてもワンピースやハンターハンターと自分の成果物を比べてしまうのだ。
毎日更新を続けられるだけで、果たして才能が秀でていると言えるのか? ただ続けることができる。自分にはそれしかできないのか? そんな風に思っている様子が、俺の方に伝わってくる。
メルマガ。毎日毎日そんなにお得になる情報をお届けられるだろうか。彼らは何よりもただ毎日届けるということだけに終始している。俺も自分のブログはそんな風になってるなと思う。この3ヶ月ずっと休んでいたけどね。
ただ、この前にこの記事を書いた時、何か自分の中で熱いものを感じた、こんな気分になったのは久しぶりだった。書いていて嬉しくなってしまった。普段くだらない記事を書いているときの空虚感がなかった。
いつも俺の記事を読んでくれる人がいて、その人達から見て、この記事に他と何か違いがあるのかわからないだろうけど、俺としては、この記事以外は全て消去していいぐらいだと思っている。まぁ、ひと月もすれば何とも思わなくなっているだろうけどね。あとオチが悪い。
村上春樹が言っていたけど、文章を書けるということは素晴らしいことだと思う。絵を描けることも、音楽を奏でられることも素晴らしい。ディズニーや居酒屋で飲み食いし、YouTubeを見て消費して消費して消費して、金持ちになって信じられないくらい消費しても、人は幸せになれない。やったことないけど。
基本的にお役立ち系の情報を書いてるライターなんて幸せにはなれない。どうせ大体が小説家になれなかった者達で、もっと言えば小説の始めの一文を書こうとして書けなかった人達だろう。
幸せになれるたった一つの方法は、目に見える物質的なものを捨て、利己的動機や個人的抱負までも放棄し、自己のある意識を人類全体と完全に一致させつつ……、大きな爆発を、大爆発を……! こんな凄いものが書けるか? 見せつけてやる、全ての世界を爆発させてやる……! 大爆発を……!! と、自分の生命エネルギーたる赤い閃光が信じられないくらいにガーーーーッと広がることにある。