出会い系「90人と出会って20人ほどやった体験談」

出会い系でいちばん大好きだった子 1

たまに21時ごろになると、ポツポツと電話したくなるときがある

たまに夜になると、女と電話をしたくなるときがある。

あの、女のカン高い、人生の深いとも浅いともしれない、あの、ただ部屋に黄色く響く、あの優しくも薄っぺらいような甘いような辛いような旋律──

ただ女というだけでいいかもしれない。

こうして、男の空気がいっぱいに立ち込めた独身マンションで日がな一日過ごしていると、ただ女の声だというだけで、このドクダミのような吹き溜まりの空気が洗い流されるような気がする。

一つ、見方を変えれば、どんな女の声も、天使のラッパ音のように聞こえるものだ。

一人、よく電話していた女の子がいた。

ほとんど毎晩、21時になると、3時間くらいは当たり前のように話した。

別に付き合っていたわけでもない。誰というわけでも彼というわけでもない。

出会い系でたくさんの女と出会ってきたけれども、彼女だけがいい出会いだと思えた。

彼女は、もう二度と私のことは書かないでって言っていたから、本当は書いてはならない。でも同時に、この話を小説にしたら素敵な話になりそうとも言っていた。

書かないでと言った人のことを書くのは、小生だって嫌である。だけど、けっきょく書いてしまったから、載せてしまおうと思う。少しのあいだだったら、たぶん載せても大丈夫だろうと思うから。こういうところに人間性はあらわれる。

今回、同じ過ちを犯さないように、彼女のプライベート的な部分は、ぜんぶぼかして書いた。しかし、自分のことを書かれることを嫌う人は、たとえどんなに気を使って書かれたとしても、書かれること自体が嫌なのである。

 

割とグイグイ系のしまるこさん

もともと変人が出会い系をやるのか、それとも出会い系をやると変人になるのか、彼女は変だったけど真面目だった。俺と彼女をつないだものは、この真面目さにおいてほかならない。

やはり人間というのは、同じ精神構造、同じ思考形体でないと、仲良くなるのは難しいのか、彼女とは不思議とウマがあった。年齢は11個離れているし、趣味も興味も育ちもまったく違っていたが、互いに引き合う性質のようなものを帯びていたように思う。

彼女との出会いは出会い系だった。今日ではマッチングアプリと言った方が適当か。メッセージを交わして、会うまではすんなりだった。仲良くなるときはすんなり仲良くなるという例に漏れなかった。

すでにメッセージの段階から、惹きつけられるものがあった。一つ一つの文章が長文で、丁寧で、好意的で、質問が多く、積極的に会話を楽しいものにしようとしてくれた。長文といっても、相手を圧迫させるものではなくて、こちらの送った言葉ひとつひとつに"反応"するというものだった。これは出会い系テクニックサイトにもよく書かれてあることだが、基本的に長文のメッセージはよくないとされる、しかし"反応"ならいいとされる。一般的にメッセージの分量が多いとストーカー感が生まれてしまうが、"反応"ならいいらしい。

では、"反応"とはどういうものか?

例えば、このメッセージのやり取りにおいて、俺が音声入力を使って書いていると送ったら、

『音声入力。すごい。じゃあこれはしまるこさんの生音声なのか。何か近未来的。しゃべるのと打つのとだと内容変わりそう』

と彼女は返信してきた。これが"反応"である。相手の言葉から誘発された純粋な響き、驚き、感想。そこから変に自分語りを始めるでもなく、ただ応答だけにとどまる。

彼女はそんなふうにメッセージをすることが多かった。彼女の文章は、ぶつ切りで、体言止めが多く、直感的な、一時的な感情を乱立させるという、最初はとても違和感があったが、なにか漫画のキャラを模倣しているのか、作為的に個性をつけくわえようとしているのかと思った。

俺がずっと敬語を使っていたら、

『自営業。いいな。マッサージ師。素敵。好きな音楽とか流しながらできたら、いいな。敬語やめて下さい。ロボットと話してるみたい笑』

と送られてきた。お前の文章の方がロボットっぽいだろうがと思ったが。

もう、10通も往復するころには、彼女は自分の敬語もとっぱらってしまっていた。

年齢差でいうと、11歳。普通、このぐらい年上の相手に、自分から敬語をやめてしまうのは、なかなか変わっているというか、ハズレクジというか、それでも、自分から主導権を握ってやり取りを作っていこうとする気持ちがひしひしと感じられ、この辺りは、とても珍しい類に思われた。

真面目さからくる変わり者、という性質は、この辺りからすでに見えていた。

少なくとも、出会い系において、やりとりを自分で作っていく気持ちがある女性は珍しい。

すれてなく、世の中に対して明るい希望で満ち溢れている。こんな、マッチングアプリという、ヘンテコな出会いでさえ、人間一人ひとりとの新しい出会いに価値を置き、全力を傾けられる。だいたいそれは19歳ぐらいの女に多い。ヒトラーはちょうど19歳ぐらいの女が一番洗脳しやすいと言っていたが、それはこういうところからきているように思う。ちょうど高校を卒業して、大人の門を潜り始めたばかりの、社会登壇に向けた明るい展望に満ちていて、どれだけ社会が汚いと聞かされても、自分の目で見ないことには信じようとしないし、自分だけは当てはまらないと信じている。

音声入力はどうやっているのか、どんなアプリを使っているかなど、かなり細かいところまで聞いてきた。

メッセージのやりとりをしていてわかってきたことなのだが、彼女は気になることがあったら、その場ですぐに調べる癖が身についていた。

音声入力の件に限ったことではない。知識欲が強く、情報収集が癖になっている。ちょっとしたテレビ番組のちょっとした雑学なんかでも、自分がわからなかったことはすぐに調べて覚えようとする。およそ自分と正反対なタイプ……。俺はこういうとき、何か知らないことがあっても、全て、うんうんと言ってやり過ごしてしまうが、彼女は会話中、一回いっかい流れを止めてまで、それ、どういうこと? と、タメ口で聞いてくるのであった。

単に、聞き上手とかテクニックとかいうものとは違う。単純に、新しい知識や、自分の知らないものがあると、一度、会話の動きを止めて、自分が納得したところから再スタートを切ろうとするのだ。その姿勢は、仕事ができる人間に共通するものである。俺は31歳、彼女は19歳でいながら、すでにどちらの方が仕事ができるか明白のように思われた。

中田敦彦、ロザンの宇治原、TVタックルに出てくるゲスト、なんとなく、この手の人たちと同じ系統の頭脳に見えた。聞いたり読んだりしたときの知識の吸収率が違う。頭のいい人間はだいたい頭がでかい。いま挙げた人達もそうだし、学業の優秀な人間はみんな頭が大きかった。彼女の頭が大きかったかどうかは忘れたが、彼女はとても頭がよかった。俺はとても頭が小さいから、本や人の話を一発で聞けないのだと思う。

彼女は超有名な国立大学生だった。国立大学は受験科目が多く広範囲の勉強が求められるが、質と量において目覚ましいものがあったから、国立大学生だと聞いて合点がいった。

いつか、親友が、「俺たちみたいなタイプは、高学歴な女と相性がいいと思う」と話してくれたことがある。「自分のことはおいといて」

親友は、出会い系を通してたくさんの女と会った結果、一つのつらぬいている法則として、高学歴な女ほど会話が盛り上がり、精神の交流として手応えのようなものを感じられたということを俺に語った。

それは俺にとって忘れられない一言となり、それからというもの、その理論は、どこか胸に定着していて、「国立大学生」と聞いたとき、彼女との間で果たさなければならないことは、全てやり終えてしまっている感覚があった。

メッセージ初日にも関わらず、俺は、『今度会おうよ』と送ってしまった。

すると、『お、割とグイグイ系のしまるこさん』とだけ返信された。

『お、割とグイグイ系のしまるこさん』

これまで長い文章を送ってきていたが、この時だけは、この一文だけを送ってきた。「お」という感嘆詞をわざわざ入れたり、「割とグイグイ系」というオヤジ臭さといい、これしか送ってこなかったことといい、やっぱり少し変わってるなと思った。

「割と」というのは、割とエロいってことだろうか。

 

初めてのデートは社会科見学

駅のホームは、田舎の小さなそれで、辺りを見渡しても田畑しかなく、塀の高い建物がなく、平坦で、遮られることのない風がそのまま伝わってきた。乗る人もいなければ、降りる人もない、無人駅。しかし、ガラス張りのホームドアに、およそこの風景とは不釣り合いな、やや都会的な格好をした若い女子の姿が一人あった。

女の子はベンチに座って本を読んでいた。読んでいた本は、大きめの活版の、学校教材か何かか、持ち運びには適さなそうなものだった。遠目から見ても、気品があるような、痩せぎすの、長い黒髪で、座っていても、背はまあまあ高く見えた。細い白い足がベンチから投げ出されていた。

「こんにちは」

と俺が言うと、

「初めまして」

と彼女は言って笑った。

彼女は、まず、照れくさそうに笑った。これから仲良くなりましょうという、幸先のいい出会いへの片道切符のような笑顔であり、この笑顔ひとつで、彼女のこれまでの人生が、少なくとも、人にどう接してきたのかが分かるようだった。

こうしてマッチングアプリで出会っていることを若いながら理解できている。ふつう、健全な人生を歩いていなければならないとされる男女が、こうしてマッチングアプリで邂逅することの意味が、この笑顔だというのだ。

確かに、ちょっとくらいは、こういう笑顔の一つくらいはないと困る。中には、ハンガーからジャケットを外してやってきて、ただの出会いとこうした出会いとの区別もついていない笑顔をするものもあるから。

俺たちは、どこへ行こうとすり合わせることなく、歩き出していた。このとき、不思議な、一種の白い光芒に包まれ、どこに行くとかそんなことがどうでもよくなるくらい、この白い光の中を無言で歩いていたくなった。彼女の方でもこの光を感じていたかはわからないが、彼女の方でも喋らなかった。そうやって、始めの始めだというのに、1分弱、無言のまま歩き続けた。

歩いている彼女を横目で見ると、細いと思った。細すぎるくらいだ。足などはチョコレート菓子の小枝のようだった。身長は160㎝くらいで、体重は40kgあるか怪しい。細いと、それだけで凛として見えるものだが、それ以上に神経が研ぎ澄まされているような、知性からくるものを感じた。

道ながら過ぎていく景色は、田んぼ一色だった。道路は広いのに、車の通りがなく、土地は平坦続きで歩きやすかった。たまに、申しわけ程度に、スーパーやコンビニが目に入る。その建物一つひとつがデカかった。駐車場はその三倍広かった。コンビニなどは大きなフードコートが併設されていた。俺はこの景観の中を歩いていて、絶対にマッチングアプリの出会いは、田舎であればあるほどいいと思った。いわゆる離島のようなクラスに数人しかいないような学級、全学年が一つの教室に収められているような、あの超田舎に見られる、人間関係において10人にも20人にも振るわなければならない親密度が一度に集約される、その空気感が、ただ田舎というだけで働いている気がした。

「いい街だね」

と俺は言った。

「気に入ってくれてよかった」

今回、落ち合った場所は、お互いが住んでいるちょうど中間にあたる。

彼女は街のことを何でも知っていた。寺院だったり、観光スポット、何の変哲もない道路、畑、街の歴史から、ゆるキャラ。ひとつ歩くたびに飛び込んでくる街の景色を逐一解説してくれた。あそこには昔これがあった、でも、これこれの理由でなくなってしまったなど。どうして彼女は、自分の生まれ育った場所でもないのにこんなにわかるんだろう? と思って俺は聞いていた。

彼女は、国立大学の、地域総合環境コミニケーションメディアなんたらとかいう、何をやっているのかよくわからない学科に所属していた。学校や公民館的な場所、役所、会館に頻繁に行き来しては、自分の住んでいる地域を盛り上げるためのイベントや企画に精を出しているらしい。そういった活動をしているからか、自分の最寄駅から3個ぐらい離れている駅の地域までだったら、なんでも知り得ているらしかった。

メッセージのときはカタコトのような、体言止めの、羅列された言葉を送ってきたものだったが、じっさい話してみるとふつうだった。それどころか、非常に流暢で、非常に声が高く、セキセイインコのように非常に高い声でカタコトの言葉を流暢に非常に速く話す子で、それは男女問わずオタク気質の人間に共通して見られるものかもしれないが、それに加えて滑舌が悪く、やや舌足らずなところがあったので、子供が懸命に話してるみたいだった。オタクは自分の専門分野の話になると興奮して止まらなくなるが、女だと可愛く見えるものである。しゃべることに全体重がかけられているようで、細足の草食動物が跳ねるようで、遮るものがない強い風が吹くこの土地では、彼女の華奢な身体は流されるようだった。

彼女のガイドは完璧だったが、ひとつ足りていなかったことは、目の前の男が、その会話をよそに頭では別のことを考えていることを見抜く眼力だった。俺は、もうほとんど最初の時点で、「うん」とか、「あー」とか「へぇー!」と、ただ相鎚を打つことだけに集中していて、ほとんど会話の内容が頭に入ってきていなかった。今、「あー」と言ったから、今度は「へー」と言おうとか、そのカードをどういうふうに切るかしか考えていなかった。いわゆる、高学歴の人間というのは、目の前の人間の理解が今どこにあるか、どこまで追いついてきているかに気づかないまま話を続けることが多い。情報を写実で受け止めて写実で話す。彼女の話し方はWikipediaチックで、知り得た情報を解像度が高いそのままに伝達するのに長けていた。俺は、彼女の話がなぜこんなにも頭に入ってこないのか、静かに分析していた。勉強が得意な人にみられる、教科書に書いてあることがスラスラと頭に入ってくる人間は、ほとんどの場合、他人に説明するのがへたである。YouTubeで、東大教授とかが話している動画はよくわからないだろう。反対に、やたらと本を読むのに時間がかかったり、読むそばから前のページに戻ってばかりいる読み方をしている人間の方が、理解したときに、人にうまく説明できるものである。それは、わからなかったり、つまずいたポイント、馬鹿がよくとおる過程を同じようにとおってきたから、馬鹿の気持ちがよくわかるためだと思われる。

もう一つ、気になったのは、彼女の口元である。歯が赤かった。なんで赤いんだろうとずっと思っていた。歯磨き後の、磨き残しがないかチェックする赤い薬があるが、デート前にそんなことをやってきたのか、と本気で思った。細すぎる体型もあって、病気で恒常的に血を吐いてしまうのかと思った。そのまま歩き続けていて20分ぐらい経ったころ、やっと、(口紅だ……!)と思った。前歯が下唇とくっついたときに、口紅がついてしまっていたのだ。ふだん化粧慣れをしていないために起こったものか、たしかに、彼女は21歳にして初めて化粧をしたようなところがあった。

本屋に立ち寄ったら、彼女は、『◯◯の景色30選』といったような、いったい誰が買うんだろうというような本を手にとって眺め出した。ああ、こういう子が買うのかと思った。彼女は本を手に取ってパラパラとページをめくっては、ふと何か思案するようで、ページを開いたまま止まったりしていた。

「さすがだね。ふだんからそういうの読んで調べてるんだ」と言ったら、「もう持ってる」と彼女は答えた。じゃあなんで手にとったんだと思ったが。人は誰かと本屋に入ったら、いつも自分が手に取っている本を手に取るものか。

毘沙門天らしい赤い神社のようなものが掲載されているページを開いたまま、彼女は止まっていた。俺は彼女がページを開いたまま止まっている横で、いっしょに止まっていられる時間が楽しかった。

本棚は、この手の本でいっぱいらしかった。あとで聞いた話だが、彼女は漫画を一度も読んだことがなく、読み方がわからないとさえ言っていた。ワンピースも読んだことがないらしい。根っからのアナログ気質であり、ネットやTwitterもほとんどやらないらしい。ネットをやるのは就活の企業研究のときくらいで、そのために使うノートパソコンが10年以上前のモデルで、起動に10分以上かかるらしく、そのため、いつも電源を入れると同時に風呂に入りはじめ、上がってきたところで操作を始めるらしい。調べ物の最中にフリーズしてしまうこともしばしばで、俺は聞いているだけでイライラしそうになった。これだけ物持ちがいいことは、人間相手にも当てはまりそうではあるが、

俺はつい、「ダメだね」と言ってしまった。

「?」という顔で、彼女は俺の顔を見た。

「俺、パソコンだけはダメなんだ。つい、壊したくなるね、そういう話を聞いていると。トドメを刺して、新しいものを使って欲しくなる」と、つい言ってしまうと、彼女は「壊さないで」と言って笑っていた。

※

街を散策したあとは、彼女のお勧めのカフェに入ってランチをした。

「一般的に静岡がお茶が有名なのはとうぜんだけど──、この店は、『◯◯製茶場』って言って、この市で100年以上続いている老舗製茶問屋が営んでいるんだけど、時代の要請を受けて、地域の活性や再復興のために、若い人をもっと集めるためにリニューアルされたの。助成金をうけて、市全体で、この街の最大の名物をつくろうっていう企画かはじまっているんだけど、とくに、この店では、生産家ごとの茶葉を提供していることがいちばんのウリで、一般的なお茶は、いろんな生産家の茶葉が、製茶場ごとにオリジナルでブレンドされて販売されていることがふつうなんだけど、この店では、茶葉ごとに製茶方法を変えることで、生産家の特長をより引き出した、個性豊かな茶葉が味わえるようになってるの」

「なるほど」

このカフェにおいても、カフェの歴史がどうだとか、建物がどうとか、何年に建てられたとか、その前には◯◯が建てられていたとか、ペラペラと話しはじめるので、入るまで2分くらい時間を要した。

建物は、この田園地帯に、六本木か何かの店が飛ばされてきたか、都会的な、開放的なガラス張りの、白を基調としたもので、そこに和洋折衷というか、日本古来の奥ゆかしさを足したような、とにかくこの一帯では浮いていた。まだ作られて間もない生木の匂いがした。横に大きく伸びた平屋が、敷地いっぱいに建てられており、中は十分にキャッチボールできなそうなくらいの広さだった。田舎の土地の広さを目一杯活用しているようである。店も嘘のように広かったが、庭はもっと広く、外のガーデニングを鑑賞しながら、食事を楽しめる設計になっている。19歳にして、この店をセレクトすることは、素晴らしいセンスだと思った。

「すごい……、この街に、こんな店があるなんて……」

「オシャレでしょ」

「田舎だからいいね」と俺は言った。「こうして、広い土地をじゅうぶんに活かして、自然に囲まれて、開放した空気も不可欠で、すべてが成立してないとできない。究極的なところでは、店ってのは、田舎に建てることでしかないかもしれないね」

「すごいでしょ」

と早希ちゃんは言った。

「裏に、庭があるのかな」

「食事を楽しみながら庭を眺めることができるの。店では茶葉の販売もしているし、スタッフに頼めば試飲もできるよ」

「へー、試飲もできるんだ」

「一般的に、お茶は、いくつかの生産家の茶葉が製茶場ごとにオリジナルでブレンドされて販売されているんだけど、どこに差があるのかわからないのがふつうでしょ? だから、グラムサン(この店の名前)では、茶葉ごとに製茶方法を変えて、生産家の特長を引き出した茶葉を味わってもらいたいといった理由から、シングル茶葉をそれぞれ用意しているの」

「なるほど」

「低温で淹れることで、お茶は、旨みや甘みが引き立つと言われているんだけど、地元の茶農家さんが育てた特別な成分の高い茶葉を深蒸しにして、その味の濃い先端部分だけを使用しているの、お茶を淹れるお湯の温度は70〜80度くらいで」

庭にテーブルと椅子が置かれてあって、そこで食事することが可能だった。

俺たちは庭に決めた。

「俺は、いちばんオーソドックスのやつを経験できればいいんだけど」

「じゃあ、ピュアグリーンがいいんじゃない?」

「ピュアグリーン」

「30種類のお茶があるのよ」

「早希ちゃんはどうするの?」

「わたしは、ハマナスの実」

「これがピュアグリーン?」

「かき氷」

「かき氷か、最近のかき氷はオシャレすぎて、食べ物かわからないね」

「いえてる」

かき氷の横に、一風かわった陶磁器。なかに薄い茶色のずいぶん濁ったような、銅製品の研ぎ汁のようなものが入っていた。

「色が、ふつうのお茶と違うね。ドクダミみたいな色しているけど……」

「これは、ハマナスの実とお茶をブレンドしたやつ」

俺はおそるおそる飲んでみた。ドクダミを焙煎したような、淡い茶色の見た目をしている。

「おいしい?」

「うん……おいしい……」

「でしょ?」

早希ちゃんは嬉しそうな顔を見せた。

彼女は、俺が飲むときは、その一口ひとくちを食い入るように見つめてきた。

「あまり嗅いだことのない香り。浜名湖だっけか?」

「ハマナス」

魚みたいな名前だ。

「そう、香り」と早希ちゃんは言った。「ハマナスの香りは珍しいと思うの。このハマナスは、◯◯市に住んでいる夫妻が、山の奥地で農薬を使用しないで育てた、⁠ひとつひとつ手摘みしていて、それに国産甘茶の葉をブレンド⁠しているのよ」

これは性欲だなと思った。

ある種の性的欲求のあらわれとして、地域や、PR、お茶について、知識を希求して止まないのだと思った。

※

「YUIは、疾走感がいいと思う」

「そう、そうなの! そう思う?」

「あの疾走感は、川本真琴を思い出させるね」

地域については十分に話し尽くしたこともあって、好きなアーティストの話をしていた。

彼女は音楽はほとんどYUIしか聴かないと言った。なんとなく彼女らしいと思った。硬派というか、無骨なアーティスト風を好むというか。

「YUIは自分で作詞作曲しているところがいいね。そして、特有のリズムや歌い回しのこだわりが見れるね、リズムが、急に、変調して、じゃじゃ馬ならしのように、ホースが絡まったような、グネグネした、グネグネしながらも、曲がりクネった道を勢いよく駆け抜けていく感じの、疾走感がある。YUIならではというか」

「嬉しい」

と早希ちゃんは言った。

「わたしも、ニワカかもしれないんだけど、疾走感がいちばん強いとされる『again』という曲がいちばん好きで。わたしもそこは世間の趣味と共通するところなんだけど」

「俺も、『again』がいちばん好きかもしれない。YUIは……、腹から声を出しているんだろうけど、腹より喉から出ている感じがする。それが、小さい身体に、身体の方が耐えられなさそうな、ね、今にも壊れてしまいそうな儚さがあるね。あの感じはMy Little Loverのボーカルと似ている気がする。少し、自分の歌を苦しそうに歌うね、この辺はちょっとミスチルと似てるかもしれない。自分の歌を苦しそうに歌うってのは、なんだろうね。現実をそのままぶつけているからかな? あと、声を作らないのがいい。モーツァルトが言ってたけど、人は、自然な声だけで、それだけでビブラードが含まれているのに、歌手という職業にあずかる人は、自分でソプラノ調の擬声を作り出そうとしていっちゃうらしい、職業病というかね、モーツァルトは、それを強く戒めていたけど」

「へぇ……」と早希ちゃんは興味深そうに聞いていた。

「YUIは、都会の雑踏にしゃがみこんで、ビルを背にして歌っているイメージが強いかもしれないけど、どこか、森の中でギターを持って歌っているような、歌声につられて、クマやカンガルーやウサギがやってきて、みんなで大合唱しているような、そんな絵も浮かびあがる気がする」

「嬉しい」

と、また早希ちゃんは言った。

しかし、なぜだろう。こうして話を聞いていると、その人が、その人が好きなアーティストに似ている(似てくる?)気がしてくるのは。

「早希ちゃんも、YUIに似てるね」

と俺は言うと、

「本当……? 嬉しい……」

このとき、早希ちゃんはパアァ……と輝いたような気がした。このときは一際嬉しそうな声を出し、全身に光が駆け巡ったようだった。その光が体内を駆け巡る体感覚が、そのまま俺にも実感として伝わってきた気がした。

以前、ラプンツェルのことが大好きな女性と食事をしたことがあるが、その人も、本当にラプンツェルと似た見た目になってきているように俺には感じられ、そのときも、彼女に、「ラプンツェルに似ているね」と言ったら、今の早希ちゃんとまったく同じ反応を見せていた。

早希ちゃんは、急に、「私お父さんと二人で外食するの。二人で飛行機に乗って、日帰りで九州まで行って帰ってくることもあるよ」と言った。

「それは珍しい」

「なかなかこんな娘いないと思うの」

「早希ちゃんは」俺は言った。「早希ちゃんなんかだと、わりと、そういう、付き合ってあげている感なしに、ただ純粋にお父さんが好きで一緒にご飯食べに行ってるように思えなくもないけど」

「お金は向こうが出してくれるし。お父さんも、私ぐらいの年の娘と二人でご飯食べにいくのって嬉しいと思うんだ」

「お父さんがマッチングアプリをやっていることを知ったら、びっくりして、飛行機から落っこちちゃうね」

「さすがに、飛行機のなかではわたしも言わない(笑)」

彼女は、18時からバイトが入っていた。何度か、時間を気にするような仕草を見せたので、俺は、「そろそろお開きにする?」と言った。

「ちょっと寂しいかも」

と彼女は言った。

「え?」

と、思わず俺は声に出してしまった。

(今、寂しいって言った?)

(普通、こういうとき、寂しいって言えるだろうか?)

「うん」

この時なぜか、彼女は、「うん」と言った。俺の「え?」に対してだろうか。

そして、すこし間をおいて、「もう少し話していたいかも」と言った。

俺は思わず黙ってしまった。「俺も」という言葉を絞り出そうとしたが、どうしても出てこなかった。

「大丈夫。ここからなら職場まで30分で着けるから。17時30分までなら」

時間ギリギリまで粘って遊ぼうとするのは、子供由来というか、なんだか懐かしい。

「ケーキ屋のバイトなんて、かわいいね」

「かわいいでしょ〜」

たとえもっと話したいと思っていても、「お開きにする?」と言われたら、99%の女が「そうしましょう」と言う。こんなことは、長らく出会い系をやってきてはじめてだった。

普通言えるだろうか? 

俺はしばらくの間、"もう少し話していたい"と言った早希ちゃんの言葉が頭から離れず、その意味をずっと考えていた。せっかく彼女が作ってくれた時間はむなしく、その後の会話はまったく頭に入ってこなかった。

※

それから、LINEをする仲になった。

ある日、『今日は美術館に行ってきた』と彼女からLINEが送られてきた。

学業に、バイトに、就活に、地域PR活動に、美術鑑賞。

なかなかどうしてこんなに多忙にある人が美術館なんて行くのかわからなかったが、もしかしたら美術館というものは多忙な人間が行くところなのかもしれない。

彼女はよく一人で美術館に行ったり映画館に行ったりしていた。映画を見終わると、原作の小説と読み比べて、作者の言いたいメッセージはどこにあったのかを調べたりしていた。もはや勉強なのか娯楽なのかわかったものではない。忙しいのに、一人で気が済むまでやっていた。このように、彼女は一人で行動して、一人で考えるところがあったから、かえって周りに人がいたら邪魔になるかもしれなかった。

女が、何か作品や監督について、褒め称えたり、検証らしいことをしていると、俺はすぐにやきもちを焼いて悔しくなってしまうので、俺はこの日、自分の描いた絵を早希ちゃんに送りつけてしまった。

 

   

こういう絵を女に送ったら、どういうことになるかわからない俺でもなかったが、彼女には送っても大丈夫だとされる何かがあった。

彼女は、『なんだこれ。これがしまるこさんの脳内世界だとしたら、しまるこさんの頭の中はどうなっているのか』とメッセージを送ってきた。

0点の答えだと思った。

普通の女子大学生の感想かそれ以下である。

美術館巡りをしているわりには、美術的鑑識眼は特に持っていなさそうである。

『どれがいちばんいいと思う?』と聞いたら、『どれも同じに見える』と返ってきた。

どれも同じに見える、か。

相手の精神のなかに分け入っていって、そのなかの機微を見つけられないというなら、二人の仲はそこでおしまいである。

彼女の方も、自分の描いた絵を送ってくれた。送られてきた絵は、畑で大根を抱きしめて笑っている少女の絵だった。この少女はきっと早希ちゃんだろうと思った。「これは早希ちゃん?」と聞いたら、「そう」と返ってきた。これも、例の地域の活動で、大根を収穫したときのことを絵にしたらしい。なんと、彼女は高校時代、美術部の部長を務めていた。そのくせ絵を描くのはあまり好きではないらしく、この絵も、部活動の公募のためにいやいや描いたものらしい。

俺などは、どこぞの映画監督や美術家の話をして褒めたたえるよりは、自分たちの互いの作品を見せ合って会話に花咲かせる方がずっと適当だと思ってしまうが、どうやらそれを早希ちゃんに強要するのは間違っているらしい。

 

2回目のデートは「紙コップのデッサン」

2回目のデートは、大型施設のフードコートで絵を描いた。

サーティーワンのアイスクリームを食べながら、二人で紙コップのデッサンをした。

とくに描くものがないと言って、彼女は飲んでいた紙コップを書き出したので、俺も一緒になって紙コップを描いていた。

「本当にひさしぶり」と彼女は言った。「部活辞めてから一度も描いたことない」確かに、迷いの多そうな、非常に線が多い絵だった。

シャッシャッシャと、作業のように、紙の上に線を滑らせていた。パースを揃えることにはほとんど関心がないようで、グニャグニャの、魚眼レンズで覗き込まれたような歪な形になっていた。影はやたらと丁寧に書き込んでいた。というより、ほとんど影しか描いてなかった。

彼女は、紙コップの横に、『安定したい……安定、安定、安定』という文字を書きだした。こっくりさんのような自動書記のように感じられた。自分を出すなぁ……と思って俺はそれを見ていた。さらに、彼女は小さなうさぎを一匹書いた。そして、『安定したい……安定、安定、安定』という文字を漫画の吹き出しのように丸で囲んで、うさぎがそれを話しているようにした。

「そのうさぎも就活生なの?」

フッと早希ちゃんは笑った。

「それともライオンに襲われている最中?」と俺は言った。「ライオンに襲われている最中に、安定したい、安定、安定、とは言わないか」

俺たちは、テーブルを挟んで向かいに座っていたのだが、彼女は急に書いている手を止めて、俺の顔をじっと見てくることがあった。俺が目をそらさないでいたら、彼女も目をそらさなかった。15秒くらいそうしていた。15秒といっても、気が遠くなりそうな時間である。ただ、我慢比べの、"意志"だけが見える時間だった。

バカだなと思った。

女はこういうことをするもの、とでもいうかのように、昔からやってみたかったことを、俺で試されている気がした。

ドキッとさせたいのか何かしらないが、やはり変わったことをする子である。彼女は一度も付き合ったことがないと言っていた。一度も付き合ったことがない勉強の虫のような女でも、こういうことをするのかと思った。いや、こういう子だからするんだろうと思った。

このように、出会い系というのは、一人デートのようなところがある。匿名性が高く、学校や会社も知り合いもない、そのような状態で出会うと、失うものがないから、これまでやってみたかった、なりたかった自分を試す絶好の機会にもなり得る。あるいは、俺にだったら嫌われても構わないと腹をくくっていたか。

このデート中に4回ぐらいあった。少し多いはずである。そのすべてを俺は自分から目をそらした。一回だけ、本気で勝とうと思って、その一回に全力で取り組んでみたが、一分ちかくずっと見つめ合って、彼女の絶対に自分からは折れないという子供のようなハガネの意志を感じられて、これに勝とうするのは無理だ、これに勝ってはいけない、と、早々に諦めることにした。

こうして、4回くらい、変なにらめっこをして。紙コップの落書きをして。デートが終わるころ、「何考えてるかわかんない」と彼女は俺に言った。

こちらのセリフである。が。こうした子にまで、何を考えているのかわからないと言われたのはショックだった。

そんなふうにして、2回目のデートは終わった。

外に出ると、夕方になっていた。彼女がバイト先のケーキをくれると言うので、俺は彼女のバイト先まで歩いていった。店の外で待機していると、紙バッグに包んだ、ショートケーキとチョコレートケーキを一切れづつくれた。

 

やれやれ見てらんねーぜ

さて、ここまで話すと、恋バナ好きのみなさんは、小生が彼女に恋愛感情があったかどうか気になってやまないだろう。そんな、童貞の横好きのみなさんの気持ちもわからないでもないが、結論からいってしまうと、そんなにはなかった。

見かけもそれなりに可愛いし、おそらく一度も染めたことがないと思われる長い黒髪は、とても綺麗で見入ってしまうところはあったけれども、そこまでは性的欲求は覚えなかった。

それは、彼女がそれほど性腺に訴えてくるような個体ではなかったということ。そういう意味で言えば、MGS動画などにこぞっと並んでいる女の方が、よほど訴えてくる。たいていは、仲良くなる異性となると、このようにあまり性としては訴えてこないタイプの方が多い。関係ないかもしれないが、男の友達においても、イケメンよりもブサイクの方が仲良くなることが多い。

それに昂じて、芸術、宗教、政治、人生について、どうも、卓を叩いて論じ合うような、同じような視座をもって語れば語るほど、恋の精妙な部分も剥がれおちていってしまうようで、語るにおちるとはこのことか。だとするなら、恋におちるとはなにか。マザーテレサが若い美女だったとしても性の対象にならないように、精神界の巨人や、高尚な芸術的な才能をもつ人、葉っぱのようなものを食べているミニマリスト、あまり頭のいい女は抱きたくならない。

それは、女から見た男にも同じことが言えるだろう。タワマンから都会の景色を一望し、外車を乗りまわしている男の方が、抱かれる上ではしっくりくるのではないか。六畳一間で玄米を食べて過ごしている男が、たとえイケメンだったとしても色気という面では絶望的なように。つまり肉体関係というのは、派手な消費活動の一環といえる。

早希ちゃんの方では、もっと、俺にそういう気持ちを覚えていないようだった。俺がミニマニストで、普段から納豆パスタばかり食べているとか、家賃、月の生活費を8万以内に抑えているだとか、そういう話をするたびに、幻滅を覚えていっているようだった。人というのは、そういうふうに相手に幻滅されると、こちらの方でも幻滅していってしまうもので、そうやって、もう割と早い時期に、俺たちの間から恋のエキスはなくなってしまっていたように思う。出会い系で出会った男女は、互いの色気を守るというのが約束事、それも最大の約束なのかもしれないけれど、この場合、俺はどうあっても幻滅される運命にあったように思う。

しかし、その一方で、それとは反対に加速していく力があり、友達としては、どんどん仲良くなっていって、何でも深い話をするようになった。彼女は、寝っ転がりながら、下着でも指でくるくる回すように、あっけらかんとして何でも話してくれるようになった。俺の方でも、何を食ってるとか食ってないとか、そのとき思いついた言葉をそのまま音に出した。

こういうとき、いつもあの時の記憶が思い起こされた。彼女が、あの初回のデートの日、あのシャレオツの田舎のくせに都会ぶったお茶屋の庭のガーデニングを見ながら、"もう少し話していたい"と言った、あの時の、あの、乙女の部分。あの時の、まだ、こちらに気があるような、少し頬を染めた、あの、乙女のような顔。あの早希ちゃんの態度は、もう2回目のデートを終えて、毎日のように電話をする頃には、ほとんど見られなくなってしまっていた。

それは悲しいといえば悲しいし、男として甲斐性がないと思えたことも事実である。だが、あまり、俺に、色気ってのもな。結局はそういう生命体なのかもしれない、俺は。確かに、最初の頃は、まだ男女の機微のようなものがあったように記憶しているが、日が経つごとに、俺の元々持っているキャラが確立していって、葉っぱ一枚口に加えた便所コオロギのような、そういったキャラが勝手に確立されていって、俺の方でも、まあ、この位置のキャラも悪くないかぁ?というふうに収まっていき、なんにせよ、人は相手のフィルターを通した人間に自分の方でもなろうと努めることでしかコミュニケーションなんてとれないものだ。いわゆる一般の夫婦がたどる道というか、それも急速にたどっていったように思われなくもない。多少、何か、後ろ髪が引かれるような、あのとき、"もう少し話していたい"と言った、あの、乙女の部分の早希ちゃん。あの早希ちゃんと早々に別れてしまったのはつらいが、そういうものだと割り切ることにしていた。

結婚するのだったら、こういう相手の方がいいかもしれないと思った。だが、不思議と、俺の将来において、彼女が隣にいる姿も浮かばなかった。彼女は国立大学生で、これから公務員だの観光庁だかに就職して、汚れた日本を綺麗にしていくのを生き甲斐にしている人間だ。それに比べて俺は、道路にタバコをポイ捨てしたことは数しれず、台所のシンクにおしっこをする人間だ。だから、正直、あまり関わらないほうがいいのかなとすら思っていた。人は自分より霊性が高い人間には近づけなくなってしまうものだ。そして、その場合、低い側が去っていくことが多い。黙って。

俺は、彼女が電話を求めてきたときには応じるが、自分の方から電話をするのはよそうと思っていた。それならば、この関係を続けることは許される気がした。なんとなく、これをずっと続けていけば、何かしらの依存が生まれてきそうではある。好きになってしまいそうである。好き? これが、例の好きっていうやつか? だとしたら、好きっていうのは、性的魅力をこえたもの? さっき、俺は、彼女に対してそれほど性的魅力を覚えないと言った。が、それ以上の関係が築けそうな予感がなくもなかった。だとしたら、それは何を意味するのか? みんなが恋と呼んでいるものは、これを指しているかもしれない。そんなふうに考えていると、やはり近づかない方がいいような気がしてきて、自分からはあまり電話する気にはなれなかった。

また、早希ちゃんには好きな男がいた(理由としては、これがいちばん大きかったかもしれなかった)

同じ大学のゼミの一つ上の先輩であり、かなりの美少年らしい(一つ上の先輩とか言われると、11個も年上の身としてはどうしていいかわからなくなる)。王子様タイプだと言っていた(どうしてこういう、恋愛経験が少ない女はきまっていつも、このようなちん毛がそよ風になびいていそうな男を好きになるかねぇ?)茶髪で前髪を垂らしていて、肌が白く、いつもパーカーを着ていて、Appleのイヤホンをしている男らしかった。

その男とは、すでにかなり仲の良い関係とのことだった。

ある日、早希ちゃんは彼に、「ねぇ、わたしが好きって言ったらどうする?」と聞いてみたところ、「告白するならちゃんと言いなよ。試すのはよくないよ」と一蹴されてしまったらしい。

そのことで、俺は、何度も、彼女から電話相談を受けていた。

「まるで他人事だね」と俺は言った。「当人がそれを言うってのは、数段高いところから早希ちゃんを見ている印だと思う。主導権は男のほうにあるし、その余裕から、今、正直な言葉を言える状態にあって、独り言をつぶやくように言ってる」

「でもね、わたしもそれを聞いて、よくないと思ったの。やっぱり好きなら好きってちゃんと言わなきゃダメだなって」

「んー」

男は、早希ちゃんの悪い部分をはっきりと指摘したために余計に株を上げた。早希ちゃんはそのせいで彼のことを余計に好きになった。もはや男は何をしても好感度は上がり続けるだけで、恋のおとし穴にはおちている早希ちゃんにとって、もがけばもがくほど、どんどん深みにおちていくだけだったように思われた。

「ただ、ちょっと、ずるいね。ほとんど告白みたいな同然のようなことをしてきた女の子に対して、そこまで平常心でいられるってのは」

「うん?」

「その男だって、早希ちゃんを試そうとしてるんじゃん。もっとガンガン攻めてきたら考えてもいいよ? と言ってるんじゃんね」

早希ちゃんは黙って聞いていた。

「試しているんなら、お互い様なのに」

俺は続けて言った。

「そんなことを言われたあとでも追いかけるなんて、よっぽど好きなんだね」

「そういうことになるのかな?」

どうしてこんなに弱い立場に立たされているというのに、好きで居続けていられてしまうんだろう? もしかしたら、と俺は思った。もしかしたら、こういう状況に追い込まれているからこそ、好きになってしまうのではないだろうか? 依存してしまうのではないだろうか。高みとされる存在に自分の価値を認めさせたくなるのではないか。一度このような屈辱的な目に遭うと、失った自己を取り戻すまでは正気には戻れない、彼を通して自分を取り戻すまでは彼を離れられない。それが恋といわれるものの正体の一つではないか。

「いくら、王子様だとか、少女漫画のような男でも、20歳かそこらの男はエロいことしか考えていないもんだよ。20歳や21歳の男だったら、やれるチャンスがあったらかならずやる。なのに、やらないってことは、早希ちゃんは、そのラインに引っかかってないんだと思う」

俺は言おうかどうか迷ったが、言ってしまった。それは単に口が軽いからである。電話相談を受ける身としては、これくらい言わなければ意味がないということはなく。

「それは決めつけないでほしい。あなたや、あなたのまわりはそういう人ばかりかもしれないけど、彼がそうとは決めつけないでほしい」

このとき、初めて早希ちゃんを怒らせてしまった。

やっぱり言わない方が良かった。

だが、すぐに、早希ちゃんは謝ってきた。

「ごめんね。相談にのってもらってるのに……」

「いや、それはいいけど……」

「たまに話したり、LINEできることが嬉しい」

「もう自分の気持ちがバレちゃってる相手に、何を話すことがあるの?」

「わからない、なんでも話すよ」

「もう一度告白しないの?」

「うーん」

早希ちゃんは、電話の向こうで、猫の耳を引っ張っているようだった。たまに猫の鳴き声が返ってくることがあった。アメリカンショートヘアーのメス猫だ。

聞いているところ、大した男でもなさそうじゃねーか。

女が、女のほうから、告白まがいなことをしてダメだったんなら、もう次に行ってしまえばいいのに。

処女が処女ホイホイに引っかかってるだけじゃねーか。

まぁ、二度目は難しいだろう。告白未遂のまま続く関係だってある、しばらくはそうやっていくのだろう。しかし、ここまで力関係がはっきりしていたら、付き合えたとしてもろくなことにはならなそうである。早希ちゃんは彼に好かれるためにこれからも自分を殺し続けるだろう。恋は人を弱くする。

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