ニヤニヤする人間とニヤニヤしない人間の分厚い壁

ファミレスで、ドリンクバー(特に熱いもの)を容器に注いで、自分の席に戻るまでの間、全然関係ない客にぶっかけたくなるのはなんでだろう。100回中100回やりたくなる。座っている利用客の顔面にバシャーーーーーーンッ!! てぶっかけたくなる。若い女の子に一番やりたくなる。


ドリンクバーだけじゃなく、他にも似たようなことはある。


「駅のホームで後ろからドンッ!って倒したくなる」


「友達と何気ない会話している時、急に顔面を殴りたくなる」


「ちょうどいい高さに人間のケツがあると蹴りたくなる」


「ダイニングテーブルでおいしく食事してる人間の座っているケツにイラッとくる」


「出会い系で本当に可愛い女の子に会うと、いきなりビンタしてみたくなる」


「トントントンと包丁でまな板を叩いて調理していると、自分の心臓に刺したくなる」


「ラーメン屋で、店主がラーメンをカウンターテーブルに置いたら、そのまま厨房にどぉ〜〜〜ん! って跳ね返したくなる」


「絶対に逆らっていけない学校の番長に『ぶっ殺すぞ!!』って言いたくなる」


こういうことはよくある。友達に聞いて見たところ、結構な人数が同じ葛藤を抱えているようだった。バカばっかだ(笑)


どれくらい我慢しているかと聞くと、それほどは我慢してないらしい。胸に小さく去来する程度で、したくしたくて抑えられないということはないとのことだ。


俺もそんな感じだ。そんなにすごく我慢しているわけではない。

 

幼稚園や小学校の頃は、我慢できなかった。バケツ一杯に水を溜めて、女の子の頭にぶちまけて、その子の母親からビンタされたことがある。


小さい頃に、こういう衝動は顕著に表れる。子供はありのまま生きているから、それだけ人間の答えに近い生き物だと思っている。


歳をとったら全部綺麗にさっぱりなくなるというものでもない。衝動が少なくなったというよりは、理性で押さえつけている部分が大きいだろう。つまり、誰の心にもこういう感情はあるんじゃないか。


その証拠に、俺は寝ている時、自分でもびっくりするほど汚くて恐ろしいほど大きな声でうなされて起きてしまう。理性が解き放たれている瞬間だろう。寝ている時ほど、人間の潜在本能が発揮される。ああいうときの俺は、自分でもどうしようもできない。なんかよくわからない気持ち悪いことを、凄まじい声で叫んでいたりする。


しかし、毎回ドリンクバーで熱いコーヒーを注ぐたびに、ぶちかましたくなる衝動は恐ろしいものだ。一生ぶちまけることはないだろうが、注ぐたびに、自分の心を観察して、「ああ、またぶちかましたくなる自分がいるな」と認識してしまう。鬱陶しいけどしょうがない。


こういう気持ちを催さない人もいるのか? 普通にドリンクバーでカップにコーヒーを注いで、席に戻る一連の動作の中で、何も感じないものだろうか? 顔を見てやると、確かに何も感じてなさそうだ。夢にも熱いコーヒーをぶちまけてやろうとは思っていない顔だ。


だが、それは自己の精神探索スキルが低いため、気づいてないだけだ。人間は必ず熱いコーヒーを手に持ったら、ぶっかけたくなる生き物だ(残念だが)。

 

 


少し、話がそれるが、うっすらニヤニヤするということが全くないという人がいる。うっすらニヤニヤするということをしたことない、いつも馬鹿正直にリアクションして、笑うところで笑い、怒るところで怒る。そういう人間がいる。ド・ノーマルな人間だ。こういう人間は、ドリンクバーのコーヒーを客の顔面にぶちまけたいと思ったことは一度もないかもしれない。


だが、心の深部ではマグマがたぎっていて、それを見つけるのが不得意なだけだ。


うっすらニヤニヤしない人というのは、どこまでも直線的で、単純で、思慮が浅い。細かい人間の感情の機微がわからないから、あまり人からも好かれたりしない。わかりやすい人間なので、初めは結構友達ができたりするが、次第に皆んなに飽きられていく。社訓とかに洗脳されやすいので、仕事は割とできたりする。


うっすらニヤニヤしない人間というものが全く理解できない。ニヤニヤしない人間が、ニヤニヤする人間をまるで理解できないように、この辺りは強烈な壁がありそうだ。


ニヤニヤしない人間は、単に精神が狭量で、表面的にしか物事を見つめられないからニヤニヤしないのだが、他にもまだあって、自分で何かのキャラクターを演じようとしている人間は、それを模倣するのに手一杯で、あまりニヤニヤしない。


思っているより、みんなキャラクターを演じていて、ありのままの自分で生きようと思っていなかったりする(特に若い学生)。俺はスポーツキャラ、私はメガネっ娘キャラとか。グループの中で自分はこういう位置付けのキャラだと定めた場合、ただそれを守ることに専念して、その狭量さからニヤニヤしない。まぁ、結局はこれも自分の精神を限定しているところからくるから、結局、狭量さから来ていて、一緒だった。


全体の空間を認識して、動物みたいにふわふわした顔で、目に見えない何かをじっと感じている人間は、よくニヤニヤする。


突然、明日地球が崩壊しますとか、急に目の前に全裸の男が現れても、才能ある人間は、まずニヤニヤする。


そこで、悲鳴をあげてじたばたする人間はただの小物で、ニヤニヤとは縁が遠い。


俺の友達で、彼女をDVする奴がいるが、彼は本当に一枚岩の性格で、ニヤニヤするところがない。リアクションが大きくてうざったらしく、なんでも「おい!」ってツッコミをする。ツッコミといっても、的確に例えたりするわけではなく、ただ感嘆詞でツッコむだけだ。DVするような人間は、外面が良かったり、変に常識人だったりする。一面でわかりやすく、ボケよりツッコミ型のタイプだったりする。


不条理な殺人事件、介護ヘルパーが施設のおじいちゃんを殺したりすると、俺はこんなのは絶対許さない! とわかりきったことに熱くなったりする。くだらない映画でよく泣く。だが、非常にハードなアダルトビデオを好んだりする(他人には隠すが)。普通、同性にハードなAVを鑑賞していることがバレても恥ずかしくもないだろうに、この手の人間は異様に気にする。


自分であまりものを考えなかったり、心の中を感知して回らなかったり、世間の勧善懲悪を鵜呑みにしていたりすると、こんな風になってしまう。あとは変にキャラ付けをすると。


ふとした瞬間瞬間に、自分の心を内省したりコントロールする癖がついている人間は、多面的な様々な感情を見出すことができる。


猫を電子レンジで温めてみたらどうなるのかな、と少し試したくなる気持ちも、この多面性の一つなのだ。


大好きな女の子に言い寄られても、あえて振ってみたくなる。


結婚式で神父に誓いますか? と言われても、誓いませんといってしまいたくなる。


この多面的な感情、危険な方にかけてみたくなるような気持ち、やってはいけないことをやってみたくなる気持ちとは、一生ついて回るものだ。


俺は30越えても、普通にあるので、一生ついて回るものだと思っている。


だから、犯罪者も自分達もそう変わらないと思っている。


友人は、犯罪を実行するという一線を越えられるという点で、人種が違う。やはり犯罪者はもともとが異常にできていると言っていた。


俺はどっちなんだろう、となかなか判別できずにいた。


もともと俺もレイプしてやりたいし殺してやりたいこともある。別に動機もなく、無差別に誰かに犯罪行為をしてやりたいこともある。


だが、たしかに、最後の一線を越えられるのはすごい。


やはり、どれだけ性の懊悩に侵されても俺は実行に移さなかった。ドリンクバーをぶちまけたくなるが、誰にもしたことないし、これからもやらないと思う。


たまに、ワーーーッ!! と何も考えずやってしまったら、と思うこともある。やってしまいそうになる自分を深く見つめていると、やらずに済むが、ふと、意識が薄くなってわけがわからなくなっているときは、なんだかやってしまいそうな気配はある。


実際、夢の中での自分は、そんなことをしている。朝起きると夢で助かった、と本当に感謝するばかりだ。


ただ、自分の中に存在する悪魔に気づかない人間の方が、かえって何をしでかすかわからない怖さがある。そういう人は、自分ではなく、なろうとしている自分、キャラクターで会話しようとする人が多い。


周りの目をしてリア充ぶっている人間によくいる。クラブのDJ風なシャレオツキャラを目指している人間は、やはりDVする人が多い。真正面の自分でそのまま人に相対すると、おかしいと言われてしまうのが怖いのだ。そのままの自分で、そのまま向かってしまったら無言ばかりになってしまう。変だと思われてしまう。


本当の自分で生きていけない歪みが爆発して、DVしているんじゃないかと思う。


ありのままの自分で生きて、ありのままの感情を見つめ、自分の中に存在する悪魔とも目を逸らさずに生きなければ、どこかで大きな歪みが生じる。


それがDV男や、犯罪者だというつもりはないが、いつかどこかで犯罪者のようにガーーっと爆発しそうな感じがする。


以上の理由から、ドリンクバーを客にぶっかけたくなる感じを、ちゃんと感知できている人間の方が正常だと思っている。


そして、うっすらニヤニヤすることがない人間は、信用できない人間とみていいだろう。