家でずーっとぼーっと過ごしていることは悪いことではない

ずっと寝ていることは悪いことだろうか。

まあ見た目はあまりいいものじゃない、他人から見ても自分から見てもずっと寝てばかりいるのはかっこ悪く見える。時間がもったいないような気もする。

寝ると言ってもほとんど寝っ転がってた状態で呆然としているだけだ。

壁の一点を見たり目を閉じたりして無になったり心を激しく動かしてみたり、ずっと物思いにとらわれたり、精神的な格闘があったりなかったりするような感じだ。

多くの人が、仕事から帰ったらこんな風に過ごすんじゃないだろうか。

1日に2、3時間はそんな風に過ごしそうなもんだ。

思えば、俺が自分で精神的に成長したなと思うときは、外界でいろんな煩わしいことや刺激的なことに出会って、その問題と格闘してきたからだと思う。だから人は様々な体験をしろと言うんだろう。

だがそういった様々な体験を自分の中に吸収したり定着させたりするには、座ったり寝たりして無になることが必要だと思う。

自分がしようと思わなくても体が勝手に寝るような形になって、ずっとぼーっとしたくなる。これは人間の潜在意識が、人間を成長させるために、今現在に自分に対して、神が人間へ軌道修正させるために用意された時間なのだと気がしてならない。

何か勝手に止まりたくなる、ボーッとしたくなる。それは、内的感情から自発的に起こるのではなく、もっと背後にある大きなものに強制されている気分だ。そして、あの冷たいぼーっとした空間こそ、人間の精神を積極的に向上させているような気がする。瞑想みたいなものだろうか。

多くの人は自分に対して付加価値を加えようと一生懸命だ。一段一段階段を登るというか、プラスしていく意識というか、優秀な人ほどそういう傾向が強いと思う。

本当に何もなくなって言って、生まれたての赤ちゃんのようになって、自分の中の無に向かっていき、そこでひたすら心の動きを眺めているということは、この上なく重要なことだと思う。

それは無意識にやってしまうことだ。多くの人がよくぼーっとしている。何かあればぼーっとしている。それは自分がぼーっとしたいからしているわけじゃなくて、ぼーっとしてる時こそ人間の一番すごいパフォーマンスが発揮されているんじゃないかと思う。

無意識にぼーっとすることはできても、意識的にぼーっとすることはあんまりないので、このぼーっとする感覚を自分なりに活用して、精神の向上に生かそうとはあんまり人は思わないだろう。

この誰でも感じるぼーっとしてる時の感覚というのは、原始的な感情というか、天井からすべてを見渡せているような、とにかく透明な心で、これ以上の精神状態はないんじゃないかとすら思える。

この精神で全ての物事に対応したら、何でも解決できるような気がしてくる。

天才というのは普段この誰もが感じるぼーっとした感覚を、意識的に転用させることができる人を言うのかもしれない、とそんなふうに思っている。

多くの人はぼーっとできるのに、親しい友達と話してる時はぼーっとしていて、いい具合に言葉が発信できて、センスのいい言葉が出てきたり、うまくパフォーマンスを発揮できてるような感じがするが、ちょっと人前に出たり、時も周りのことを気にしすぎたり、焦ってしまうのですぐに心が崩される。

いつでもボーッとしたような精神で人生のさまざまな問題に対応できたら、解決力はあがると思う。すごい精神というのは階段をひたすら登っていくことではなくて、もう元々みんなが持っているような気がする。

だから寝ている時のぼーっとしている感覚を、しっかり自分に定着させて、その精神的態度のまま人前に出て行ったらいいと思う。

どうせテレビやネットを見て無駄に時間を過ごすぐらいだったら、ベッドに横たわってずっとぼーっとした方がいいんじゃないかと思う。

2時間ぐらいそうやってぼーっと横になっていると、いろんな葛藤や心の動きがざわざわしてきて、そのまま通り過ぎることもあれば、荒ぶることもある。

だがそれをずっと観察していることがでも重要なことだと思う。瞑想なのだと思う。

2時間ぐらいぼーっとした後は、ヘタにいろんなものを見たり聞いたり行動した時よりも、充実したような気分になる。

仕事から帰ってきたらとりあえずリモコンを触ることはやめて、そのまま座るなり寝るなりして、ぼーっとしていたらいいと思う。