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ゴミが情報を発信し過ぎて、本当に素晴らしい作品が手にとってもらえない件について

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YouTubeばかりみて1日を過ごしてしまう。

 

基本的に家に帰ったらほとんどYouTubeを見て終わってしまうという人は多いだろう。

 

これはめちゃくちゃカッコ悪い。時間以上に重要なものなんてないというのにも関わらず、ずっとYouTubeを見てしまう。消費豚である。

 

何が面白くて見ているのか? ほとんどの人は惰性で見ている。

 

どうしてもこれが見たいと思っているわけではない。ただ寂しいくて、手持ち無沙汰なんだと思う。そしてそれが習慣化されてしまっている。

 

これはどうにかならないのか。どうしてこんなつまらない動画なのに見てしまうのか。

 

そして、どうしてそれなりに再生数があるのか。

 

誰が見ても得しないエンターテイメント性のかけらもないこれらの動画は本当にクソだ。

 

最近俺はせろリんねという女の子の動画を見ている。せろりんねちゃんは本当に可愛い。

 

顔は別にそこまで可愛いというわけではないが、なんか可愛いのだ。自然というか愛嬌があるというか温室育ちというか清潔感がある。とても健康的で、等身大の女の子といった感じで、純朴な感じだ、YouTuber特有の嫌ったらしさがない。

 

俺は、せろりんねの動画を見て、せろりんねが可愛いとか不細工とかそんなことよりも、ただセロリンネから出る空気に触れたくて観ている気がする。

 

家族に大切にされていそうな感じというか、何か頭を撫でたくなる感じの等身大の女の子が等身大の女の子的な生活をしていることに触れたいのだ。

 

くだらないとわかっていても、観てしまうのは、YouTuberと繋がりたいからだと思う。

 

みんなYouTuberの動画を見るのは、企画とか面白さどうのこうのより、その人との繋がりを感じたいからだろう。

 

こんなどこにでもいる素人の動画を観て時間を消費する。大した内容もないのに馬鹿みたいにずっと観てしまう。

 

芸人のコントなんかも普通にあるのに、そういうのをなぜか観る気がしない。観るのもエネルギーを消費する。

 

ゲーテは、自分の心が驚嘆するものだけを読めばいいといっていたが、本当にその通りだと思う。みんな、どうでもいいものばかりを観ている。キャッチーなタイトルで、眺めやすく、ただ豚のようにぼーっと消費しやすいものに自ら流れていく。自分でもくだらないとわかっていながら。

 

そんなことをしていると死にたくなるのに、消費しきった虚ろな目線とぼんやり開いた半口で、見るに耐えない顔をして視聴している。

 

仕事から帰ってきたら、限られた自分の時間なんて僅かしかないのに、その時間しかチャンスなんてないのに、自分からかなぐり捨ててしまうのだ。

 

世の中にたくさんの情報や娯楽がありふれ過ぎていて、本当に素晴らしい作品は浮上することすら難しくなってきている。情報が増えすぎると、キャッチーなタイトルしか手にとってもらえなくなってしまう。キャッチーなタイトルばかりが増えすぎると、それを順に消化していっても、本当に素晴らしい作品まで追いかける余力もなくなってしまう。

 

今の時代は本当にいいものを追い求める時代ではなくて、触れ合いやすく、繋がりやすいものしか相手にされない。簡単なもの、すぐ触れられるもの、そんな即席で得られる何かにすがるくらいしかないほど元気がなくなっているのかもしれない。

 

 

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