すぐ謝ってしまうタレントは三流。一流は謝らない。

芸能人は報道されるとすぐ謝ってしまう。マスコミを恐れている。マスコミというか社会、大きな圧力、世界を恐れている。たった1人で世界に向かって抵抗できるような人間はいない。不倫だの、なんだの、そんなものは個人の問題であり、マスコミや社会に謝ることなんて何一つないのに、謝ってしまう。中には大して恐れていなくても、機械的に、結局は謝ってしまう。


謝らないと、さらにバッシングを食らうだろう。仕事もなくなるだろう。自分のせいでグループのメンバーに迷惑がかかってしまうこともある。自分だけの問題ではなかったりする。


沢尻エリカは素晴らしかったが、結局謝ってしまった。彼女には、あのまま謝らないでほしかった。「別に」なんて、素晴らしい。当時、彼女は、思春期特有のいろんな思考や、情感がいっぱいに溜まって、自分にまとわりついている何かに対して嫌悪感がある時期だった。当時は何歳だったか知らないが、20歳かそこらだったと思う。そんな多感の年頃の女の子が、自分の内面や社会と格闘してしまうことは悪いことではない。むしろいいことで、大人たちは温かい目で見守ってあげなければいけない。「別に」か。フフフ。「そうか」ウフ。でいい。


20歳の少女が、ぷんぷん怒って、社会にぶつぶつ言っているのだ。これ以上可愛らしいことなんてあるだろうか?


だが、世間は当たり前のように攻撃した。面白がっておもちゃにした。エリカちゃんは謝るしかなかった。若い女の子だから、社会と戦える力はなかった。成人男性でさえ、しっぽを巻いて逃げる世の中だから当然だろう。


彼女のように平気で不機嫌をテレビに晒した女性タレントというのは見たことがない。本当に素晴らしい逸材だと思う。演技も本当に素晴らしい。グラビア上がりで、舞台出身というわけでもないのに格別の演技をする。若手の女優ではダントツだ。某アイドルグループの卒業生にも見習わせたい。アイドル達は卒業したら女優になりたい、演技をがんばりたい、と口を揃えていうが、熱意も実力も感じられない。まぁ、エリカちゃんとは才能が違うから仕方ないのだが。そう、そして、その才能というは、少しでも社会に対して反抗的な態度をとって、ぶつかっていったという精神力と同じ根源からきている。

 

 

さて、みんな、なぜそんなに謝ってほしいのか。


彼らは、自分一人一人には自信は持てないが、自分達が寄せ集まった力だけは、強力に作用するものだと信じていたい。その力の前では、芸能人だろうが何だろうが、どんな傑物でも、屈服して当然だと思っている。常に、国民全体が一人の傑物に勝るという力関係を保持したがっている。本当の意味では、ほとんど誰も怒ってない。大抵は愉快犯だ。お祭り騒ぎに便乗したいだけの暇人だ。


謝る側も、自分が悪いと思っていない、謝われる側も、悪いことだと思っていない。どこに正義があるかはみんな知っている。それでも、空気に押されて誰もが謝ってしまう。芸能界で、この空気に抗えて絶対に謝らない人間は、俺の知る限り、まっちゃんとデヴィ夫人くらいだ。

 

才能やセンスよりも、こういうところで謝る謝らないというほうが重要だったりする。こういう時に謝らないでいられるのは、本当に強い精神でなければならない。本当に強い精神がある者だけが究極にたどりつける。どんなに才能に秀でていても、謝ってしまう小物はそこまでだ。


たとえグループのみんなに迷惑をかかって、活動中止になろうとも、俺は絶対に謝らない! という態度を取れる人間だけが究極にたどり着ける。謝ってしまうから、自分を突き通すことができないから、所詮は芸も二流なのだ。


これは面白いもので、謝る速度と芸のセンスの関係は反比例する。芸のレベルが低いほど、謝る速度も速い。「男らしさ」こそが、究極を前にして屹立する最後の大門を開く鍵なのだ。すぐに事務所の中に隠れてしまう包茎タレントは、所詮そこまでなのだ。エリカちゃんは、皮もなければちんこもない^_^