毎日ダラダラした生活を続けてしまうのが辛い人は、食べるのをやめてみよう

仕事を辞めてから2ヶ月が経った。

ブログを書いてあまり余る時間を過ごそうと考えていた。

初めは一生懸命頑張っていたが続かなくなった。ずっとだらだらだらだら過ごしている。

最近の日常といえば、だらだら起きてだらだら寝てる。

物理的に改善できるものといえば、ご飯を食べないことだろう。
ご飯を食べると眠くなってしまうし、やる気がなくなる。でも空腹に耐えられなくて食べてしまう。

こんな何の生産性もない毎日を送っていても腹が減る。

ものを食べる資格なんてないのにと思いながら、空腹に耐えられず食べてしまう。
とても恥ずかしい行為だとは自覚している。


普通の人より食べてる分量が少ないと思うが、2食食べている。
本当は1日1食を目指している。

一食の時も随分あったが、最近は2食食べている。

もし何か生産的な時間を送りたいと思うのなら、やはり食べないことだ。

何もやりたいことがないから食べてしまう人も多いと思う。
やりたいことがないとその時間を埋めるために食べ始めたくなる。

そこで食べるのを我慢できれば、変われる。
とりあえずは眠くなくなる。
何も食べないでいると気持ちもある程度は張り詰めてくる。

こういうのは、実体験として、自分ができていることでないと、他人に言っても説得力がない。

俺はできたりできていなかったりだ。

だから、つまり自分への戒めとしてこういう文章を連ねているということになる。
何かを食べないという努力ができるのであれば、空腹に耐える力さえあれば何でもできるような気がしている。

これは不思議なものだが。
これからamazonプライムでひたすら動画を見ようとすると、近くのスーパーでお菓子をたくさん買ってしまう。
お菓子を食べながら動画を見続けたり漫画を読み続けるのは本当に楽しい。
逆に何も食べるものがなく視聴し続けることは辛い。

つまり、欲求は連鎖し、重なり合っている。

人が消費的な行動をする時はそれに連なって、何かを食べたり、横になったりダラダラしたり、自慰に耽ったりする。

お腹いっぱいで満足すると、性的欲求も訪れてくる。
これらは全て連関している。

逆に生産的な行為をする時は何も食べたいとは思わないし。あまりダラダラしようと思わなくなる。
だから逆説的だが、何かをしようと思ったら何も食べないということが重要になってくるのではないか。

空腹でお腹がグーグー鳴っている時の緊張感を利用しながら生産的な行為をする。もしもダラダラして時間うまく使えていないのであれば、一番初めにすることは何も食べないということだろうか。

何も食べなければ消費的な行動テレビをずっと見続けたり。ネットずっと検索している行為も少なくなってくると思う。

俺はやり遂げていないので、自分に負けてばかりいるので、説得力がなくて申し訳ないが。
だが間違ってはいないと思う。

 


ヘルマンヘッセが書いたシッタールダという本で。
主人公のシッタールダは山林から降りてきて街の中で商売の手伝いをする話があるのだが。

その中で、私に何ができるかと問われた時に何も食べないことができますと答えた。
断食さえできれば、お金もかからないし。精神的にダラダラすることもなく、その他の欲求に苛まれることもない。集中的に物事に取り組めるという話がなされていた。そして事実、商売を成功させていた。

俺は1日1食を頑張ろうと思って生きてきたが。それでも食べすぎかもしれない。

実際は毎日3食を食べながら生産的な毎日を送っている人もいるので、俺はずれたところで努力しているのだと自覚している。


毎日だらだらだらだら生きて何も生産的な行為を怒られず。もう自分が嫌になって仕方がない人。
ひたすら何も食べないというところに努力してみてはどうだろうか。

人に言う前にまずお前が試してみてお前がそれでどういう体験になったかを示せと思われるだろう。
確かにその通りだ。
今日も結局ついつい本当やることがあるのに。昼ご飯を食べてしまった。
ご飯を食べてしまったことでこんなに反省しているのはまさに狂気だ。