【書くために書いた】チャンドラー執筆法を試してみた感想【くっそくだらねぇ記事】

チャンドラー執筆法というものがある。ただひたすら机に向かってボーッとしているものというものだ。2時間机にただ向かう。その間は何もしない。書こうという気を起こさなくてもいい。その代わり、ネットやゲームはもちろん、何か他の雑務もしてはいけない。そうしていると、自然と書けるようになるとのことだ。※写真のように別に脱がなくていい。

 

これはもう瞑想だ。やってみたところ、瞑想だと思った。


何もしないということは新鮮だった。おそらく、瞑想をすることは、いつも新鮮な気分になると思う。慣れるってことはあるのだろうか? それだけ、俺たち人間はいつも何かをしている。いつも何かをしているから、急に何もしないでじっとしているということができない。


とある話では、何もない部屋で何もしないだけの1日を送ったら10万の報酬がもらえる仕事があったが、1日もつ人がほとんどいなかったらしい。最高でも3日だったとのことだ。


俺は今2時間机の前でボーッとしていたが、確かにつらいと思った。2時間で十分という感じだった。これをあと8時間やれといわれたら死んでしまう。


だが、このたった2時間の瞑想だけで、魂が洗われたような気分になった。

 

どこの本を読んでも瞑想を悪く言っている本はない。偉人やら経営者やら、偉い人はみんな瞑想を勧めたり実践している。山岡鉄舟も、瞑想に励むことで剣の奥義を悟った。

 

何もしないことと瞑想が同じことではないかもしれないが、一切何もしないという誓約を守り抜くことに意味があるし、自分と向き合える感覚がある。


いつも何かしていないと落ち着かないのはなんなのか。くだらないとわかっているのにスマホをいじりYouTubeを観る。

 

じっと何もしないでいるとき、心がそわそわして、いろんなところに彷徨う。いつしかここだというポイントが見つかって、とりあえずそこに心を置いてボーッとしてみる。

 

そのときは、自分の中心地に降りたったような気分になって、なんとなく大事な部分に自分がいるような、これは大事だなと思える。

 

これを習慣にして何度もやっていたら、なかなかの傑物になれるかもしれない。

 

世の中にはいろんな人がいて、信頼できる人や、何かいいなぁと漠然と思える人がいる。

そういう人達の人間性や空気感は、この何もしてない時間の中から自分というものを感じて、それを大事にしてきたことによって育まれてきたと思われる。

 

常に自分から離れている人というのは、なんとなく信用ならないし、いい印象をうけない。

 

何もしないところから、人間の良さは勉強できるのだ。

 

瞑想を習慣にしようと張り切っている人でなくても、生活の中で、合間に合間に、ぼんやりと自然を感じたりして、ちょっとした瞬間に瞑想みたいなことをして、何もしていないところから学んでいる。自然児のような人は、なんらかの才能を持っているようにみえる。

 

俺たちは本当に色んなことをしすぎている。

 

昔の人達は何もなかったので、瞑想に近い時間を送ることが多かったし、坐禅の重要性や習慣が蔓延っていただろうから、昔の人の方が真実に近い場所にいた。

 

俺は、本当に毎日だらだらだらだら生きてばっかいるので、なんとかしないとと思っている。

 

だが、なんとかしようといくら心を燃やしても、何も解決しなかった。

 

やる気より環境なのだ。環境をしっかり変えなきゃいつまでも同じ習慣が続くだけだ。

 

いろいろ試してみたが、やはり何もせずにただ机に向かうというのは有効だ。仕事道具以外に何も持たずカフェに向かうのも、とても捗る。

 

いくらやるぞやるぞと自分に言い聞かせても、同じやり方で挑んでいても何も変わらない。

 

スタンディングデスクもなかなか効果がある。ずっと座っているとケツや腰も痛くなってくるし、なんか横になりたくなってくる。立っているとなかなか集中できる。だがずっと立っていると休みたくなる。立ったり座ったりできるように、机のそばにダンボールを置いておくといいかもしれない。立ってキーボードを打ちたくなったら、机の上にダンボールを乗せるだけだ。

 

ただずっと座って、何もしていないと、自然と書くことが浮かんでくることがあるが、何も浮かばないこともある。今も色んなことが浮かんで消えて言ったが、書くべきだと値するものはなかった。

 

何もしていないと、だんだんと心が一筋の一番落ち着くところに向かっていくので、そこのたどり着いたら、その境地に相応しいテーマが浮かんできて、それを書けるんじゃないかと思ったが、そうもいかなかった。

 

心は定まったような気分になったが、なかなかそれに合ったテーマが出てこなかった。

 

やはり、一行でもいいから、なんでも書いてしまった方がいいのかもしれない。

 

一行書くと、何かが生まれてくる。後続して前に書いたものの不備を埋めるための言葉が浮かんでくる。

 

ネジを閉めるともう一本キュッキュッっとまた締めなくちゃならないような感じだ。

 

こんな風に、過去も未来も考えず、たらたらとその場その場で一文だけを書いたらいいのか。

 

まとめて一つの塊として書こうとすると難しいのか。

 

一文に全てを賭けるつもりで書いて、また一文。また一文。といった感じで書いていくのがいいのか。

 

なかなかまだ答えがはっきりしない。

 

今日は遅くなってしまって何も書かずに済まそうと思ったが、チャンドラー方式で、ただ座っているだけならいいかと思って書いてみたが、まぁ良かった。

 

ただ座る。なかなかいい。気持ちも楽だ。

 

これからこんな感じで、ただ座って、なんか書いて、いい感じになればいいのだが。

 

まぁ、今日はこんな感じだ。