高千穂6人惨殺事件は「これだけ真面目に仕事しているのに、許せん」という見返りを求める気持ちが引き起こした。

例の高千穂の事件だけど、本当に浮気が原因だったのかね。

いい年した中年夫婦でも、相手の浮気で激情に駆られるなんてことはあり得るのか?

「これだけ真面目に仕事しているのに、許せん」

この言葉に全てが詰め込まれている気がする。

 

自分はこれだけのことをしたのだから、相手にこれだけのものをもらって当然だと、多くの人が見返りの気持ちを持っている。地球上のほぼ全員がね。ここから脱却がなかなかできない。

「与えよ、さらば与えられん」はキリストが最も言いたかった言葉じゃないだろうか。

見返りを求める気持ち、それがこの近年稀に見る凶悪な犯罪を引き起こしたと俺は考えている。

なんにせよ、夫婦喧嘩にしろ、恋人の喧嘩、仕事の諍いにしろ、自分はこれだけのことしてるのに、相手は何もしてくれない! というのが全ての原因になっている。

知らず知らず他人に希望を持ってしまうのが、我々の最大の罪だ。自己完結の世界で愛を履行できない。恥ずかしながら、俺もそう。

しかしそれで家族皆殺しにするのか? さすがにやりすぎだ! 自分も見返りを求めてしまうが、さすがにそんなことはできない、犯人は異常者だ! 我々とは違い種の人間だ! と思うかもしれない。

俺はこの辺りにしても、皆さんと昌大さん(犯人)は紙一重なんだと思っている。

周りの人の証言によると、昌大さんは家族のためによく働いて、奥さんが熱を出した時は子供の運動会を見送って付きっきりで看病したりと、家族想いで優しいと評判だったようだ。

感情的な人間は、その気持ちがプラスの方に働いているときはいいけど、マイナスの方へ働いているときはまずいことになる。

奥さんが別の男と浮気をしており、性的な嫉妬心から怒ったのではなくて、奥さんが楽しい想いに耽っていることに腹を立てたのだと思う。まぁしかし、例え恋愛感情がなくても、自分の奥さんが他の男とそういう関係になっていたら変な気分や、虚無感や気持ち悪さ、不潔感は拭えないだろう。しかし殺したくなることはないと思う。殺したくなるのは、自分は仕事してるのに相手が楽しい思いをしているからだ。

これは本当に誰でもある気持ちだ。自分が働いて帰ってきた時、奥さんがソファーで寝転んで大画面でテレビを見ていたりすると、一瞬、本当に蹴飛ばしたくなる。注意を働かせて何とか諫めるけど、その気持ちが溢れて蹴っ飛ばしてしまうことと、しないことは表出された世界では大きな違いがあるけど、内面的な世界ではほとんど差がない。

 

一度1人を殺してしまえば10人殺すも100人殺すも同じだ。
1人殺したら自分の人生は終わってしまうのだから、1,000人殺したって犯罪の規模は大きくなって凶悪度は遥かに増すけど、自分に降りかかる災難度は変わらない。

犯罪者の家族というレッテルを貼られ続ける人生から救ってあげる気持ちで、家族を皆殺しにしたのではないだろうか。彼なりの気遣いなのだと思っている。

7歳の子供をとてもかわいがってたと言うから、その子を殺すときは忍びなかったかもしれないが。

でも人間は1人人間を殺せば覚悟はできてしまうものだから、感情を切り離して人を殺すことができる。愛する子供でさえも。むしろ殺すことが愛情行為だったのだと伺い知れる。

一人殺した後で、次はやっぱり殺せないなんてことはあるだろうか? スイッチが1つ入ってしまえば、誰でも殺人鬼になり得る。こんな例えを言うのは憚れるが、部屋でパイ投げをして汚してしまったら、二枚も三枚でも、次々と投げてしまいたくなるところがある。パイと家族は違うと怒る人もいるかもしれないが、一人、また一人……と家族を殺す過程の中で、恐らく躊躇はなかったと思われる。台所の棚を整理するような感じで淡々とした気持ちで殺害したと思われる。そしてそれは異常でもなんでもなく、我々人間全員にある気持ちだ。人間はいつだって感情を切り離して行動できるということを忘れてはならない。

俺はこの人はどこにでもいる普通の人だと思う。

ほとんどの人が見返りを求めてしまうが、その中でも少しその気持ちが強かっただけな人だと思っている。