動画投稿を初めようとしても、後回しにして女のケツを追いかけ回す友達



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友達に面白い人間がいる。
そいつは作業療法士なのだが、小さな病院でおじいちゃんおばあちゃんのリハビリをして終わるような男ではないと思っている。

 

感性が鋭くて、ある学校の帰り道、自転車に乗りながら、身振りを大袈裟にしながら「これ、いいよな! この気持ち! このなんだろう、この感覚! このなんとも言えない地球を見渡してる感じ! 天井から全員を見ているような、なんというか! これがない奴より、あるだけですごいことだよな!」と言ってはしゃいでいた。

 

何かよくわからない全能感というか、人間にとって1番重要なセンサーを持っている自信があったようだ。

乾電池を見ては笑いだして、「乾電池を見て、乾電池を面白いと思うか思わないかで、俺はそいつが笑いを分かるかどうか判別している」と言っていた。

 

病院内に蔓延る有象無象の烏合の衆の中で、「ヒルナンデス」を見て、「世界の果てにイッテ Q」 を見て、それを一周回って面白いと思うのならまだしも、ダイレクトに心を響かせている人間たちと一緒に揉まれて生きて死んでいくのは残念な気がする。

まだそれなりに野心があるようで動画を出したいと言っていた。
どいつもこいつも考えることは、YouTube で一発逆転とか、本業をやりながら何か別枠で収入を増やす方法だ。


友達が企画しているのは最近認知症になったお母さんの言動が面白いらしく、それを動画にしてYouTube に投稿してみたいということだった。

認知症の母親の成すことや言うことは本当に面白いらしく、なかなかそんな動画は流行っていないし、新しいジャンルなんじゃないかと言っていた。ただ母親の奇行をカメラで撮るだけだから手間もいらない。

障害者を見世物にして金を稼ぐというの悪趣味で、炎上するかもしれないとは言っていたが、自分の味付けでハートフルな動画に編集できるとも言っていた。
自信があるようだった。

 

つまり後は実行に移すだけなのだが、これがなかなか実行に移さない。
俺らの前で滔々と話すが、家に帰ったらペアーズの女のつまらないケツを追いかけ回すのである。

この友達よりもつまらない人間がつまらないありきたりな動画で十分に稼いでいるんだから、発信し続ければ俺は必ず成功すると思っている。

だがこの発信し続けるということがなかなかできない。


作業療法士になるという安定が約束された努力はできるのに、あんなつまらない、大腿筋膜長筋とか、前額面から見て、右の肩関節が屈曲して代償動作が出ているので、骨盤のアライメントを調整しなければいけないとか真顔で言っている。

国家試験の勉強は1年続けられたというのに、ただお母さんの奇行をスマホに収めるということができない。

 

別に良心の問題ではない。俺はこの友達がどれだけお母さんを大切に思っているか知っているから。

今も毎日8時間から10時間ぐらいずっとつまんないリハビリを続けているというのに、動画投稿だけはできない。

何故できないかというと、単に習慣化されていないだけである。やる気が足りないわけではない。
みんなやる気が足りないのだと自分を責めてしまう。俺はスマホで母親のキチガイ行為をただ撮ることもできないのかと、病んで腐ってしまうが、そんな必要はない。

あんな嫌で仕方ない仕事が、とりあえずやれてしまうのは習慣化できているからだ。

 

俺がこの友達をかっさらって、山奥の小屋に連れ込んで、5時に起こして7時まで無理やり動画を作らせれば簡単に解決する。

朝5時に起床させて会社に行くまでの間はひたすら動画を作らせる。
別にあれこれ命令したり指図はしない。俺はただ見張って、一緒の部屋にいるだけだ。俺も俺で別の作業をする。ババアが変な行為をしたら一緒に笑う。

それを1年間毎日続けたら立派な人生になる。小さいながらも夢を叶えるができる。

 

社会から外れたところで、自発的に、意識的に努力し続けるということは確かに難しい。

みんな、「決意を新たにする」ことでなんとかしようとするが、どうにもならず、自分の怠惰心と格闘するハメになる。

 

時間と環境だけが、救済措置になる。

誰かに見張られているだけで、やる気になるのが人間だ。
決まった場所で決まった時間に、何も考えず手を動かせばいいのだ。
今、会社でしているように。

 

多くの人が行動できない自分と悶々として戦っている。

どうでもいいやつがどうでもいい発信をしているのに、本当に発信してほしい人間が燻っているのは残念でならない。