人と会っても話さずに、ただ沈黙し続けることがコミュニケーションの奥義


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どうして人は喋らずにいられないんだろう。
出会い系だろうがリアルだろうが、本当に人はよく話す。


会話が止まってしまったら地球の終わりだというぐらいビクビクして慌てて何でもいいから話す。

 

そんなに慌てて話したところで、つまらない言葉が飛び交うだけだし、その言葉をきっかけにいろんなガラクタが導き出されて、くだらないことを喋り続けるはめになる。

 

それは自分じゃなくて相手も一緒で。会話というのは自分の精神状態が相手にも乗り移ってしまう。
だから二人で終始ずっと慌てるはめになるのだ。

いつもセックスが終わった後のピロートークで止まっている時間ほど幸せな時はない。
あの時は何も話さないし、ただ全裸でお高いの顔を見つめ合っているだけだ。

 

これは俺だけじゃなくて、相手も絶対にこの時間の方がいいと思う。一生懸命カフェでこれまでの自分の履歴を交換し合う時間よりも、全て何もないような時間の中で止まっていたいのだ。

 

結局はそこに行き着く為にメッセージを交換したり会話するのであって、随分遠回しなことをやらなければいけないと思う。
これが人間世界の妙というやつである。

ピロートークじゃなくてもいいから、ただ部屋でもカフェでも電話でも、黙って何もしないで無事に過ごすことは、誰もが一番望んでいることだ。

でもみんな勇気がないからそれがなかなかできない。
ただ黙っていることができない。
俺でもなかなか苦しい。

 

大正時代に、阿波さんという弓道の大天才の人がいたが、その人は弓を構えると目を瞑ってただずっと立っているらしい。
そのまま何分も立ち続けて急に矢が放たれるらしい。
目を瞑ったまま弓を射るらしい。それが百発百中でど真ん中に当てるとのことで、
その人に言わせればら朝霧の露が自然に落ちるように無心で待つことが肝要とのことだ。

何もしないで心がしっかり着陸するような。自然な心の動きを邪魔しないということである。

 

これは「弓と禅」という有名な書物で、スティーブジョブスが愛読していた本でもある。

自然に満ちるまで待つということだ。
心の動きを妨げないということだ。
弓を射るのも恋愛も人と話すのも何が違うというのだろう。

しっかり心が満ちて、自分の腸から言葉が自然と導き出されるまで黙っていることを身につけなければならない。 

 

俺はもう5年以上前から続けている。仙人みたいだとよく言われる。結構敬遠されて近づき難いように思われることもあれば、尊敬されることもある。愛されることもある。

相手が話しているときは遮らないとか、営業やキャバクラの接待基礎テクニックで似たようなことがあるが、そんなチャチなことではないのだ。


テクニックは所詮テクニックなのだ。
愛の持つ偉大なエネルギーには敵わないのだ。
口は災いの元なのだ。
マザーテレサの沈黙が大事と言っていた。
大体偉い人というものはあまり喋らないものだ。

 

この前も、動物と通信することができる人間の本を読んだが、動物とコミュニケートするためにはやはり言語では駄目なのだ。
精神的な波動でしか繋がれないとのことだ。

 

本によると、ある村に動物と会話できる族長がいて、作者が族長に「どうしたら動物と会話できるようになるか?」と尋ねたら、30分ぐらい経ってから「どうしてそんなことを知りたい?」と返ってきたとのことだ。

30分返答がなかったのだ。

今の我々の世界で、話しかけられても30分返答しないことができる人間がどれだけいるだろうか。
無視やシカトではなく、だ。

 

この族長は、自分の心の中で、しっかりと何かが流れて無事に着陸するまで、「待つ」ことができるのだと思う。
待って待って自然に満ちる言葉こそが本物で、それ以外は全て嘘なのだろう。

 

我々は何も考えずに反射的に言葉を返してしまう。常に間に合わせようと必死だ。
相手を思いやって即レスをしたくなってしまうかもしれないが、そんなことを繰り返しているから人間が浅はかになる。
スマホ社会になって堕落する。 

言葉が自然に満ち、心の波動を使えるようになれば動物を話せるようになるのだ。

俺は動物と話せないけど。