アインシュタインは赤ちゃんの視線で、この世界を観ていた。

アインシュタインは幼少時代にずっと無言だったらしい。

初めて話したのが中学生くらいのころで、それまではずっとほとんど話さなかったので、親も心配していたらしい。


なぜ話さなかったというと、目に見えない何か、このよくわからない空気にいつもぼんやりしている無というか有というか、ぼやぼやしたものを静かに受信していたらしい。相対性理論もそういう研究の賜物だと思われるが、目に見えないこの真実らしきものを小さい頃から、誰にも頼まれずに、独学していたらしい。


生まれつきの赤ちゃんが初めてこの地球をみたときの感覚のままずっと過ごしてきたんだろうか。赤ちゃんは目の前に彩る、自然、椅子、机、茶色、緑、空間全ての中に潜むなにかを、受信している。赤ちゃんの目は透き通っていて、そこらのサラリーマンよりよっぽど賢そうにみえる、そんな赤ちゃんのまま、人間が作った常識なるものに流されずに中学生くらいまで大きくなったんだろう。だから言葉というものがよくわからなかったんじゃないかという話を友達にした(確か大学2年生くらいのころ)。


すると友達はひどくびっくりして「なにそれ!? それって目に見えてないそのほんとうの世界をずっと見ていたってことじゃん? すげぇ! アインシュタインすげぇ、さすがだわ!」とすごい反応が返ってきて、こっちがびっくりしてしまった。


だが、人はそんなことをよくやっている。誰でも受け止めている。ふとした会話の合間や、電車から窓の外を見つめる時や、仕事終わって飯食って風呂貼って部屋でころがっているときも、なんか、呆然と自然界のメッセージを受信している。ふとした合間に感じていることは確かだ。だが、自分から向かって挑んでいく人は稀だろう。


だが、俺は進んでやってきた。大学2年生の頃はすでにやっていたから「俺もやってる。俺も何かあったり、何もなかったりしても、一回立ち止まって整理している。心の目でそのなにかを見つめて、自分の心に浸透して消化するように、立ち止まって観察している」と友達にいったら「ふうん」と言われた。


何も成せていないと、いくら口でやっているといっても「ふうん」と一蹴されて終わってしまうし、自己顕示欲の強い醜い下品な豚、自分をアインシュタインと同格と思ってる痛いヤツと思われて終わってしまう。だから親友にしか話さなかった。


だが、俺はみんなも少なからずやっていると思っていたから「お前やってないの?」といったら「やってない」と言われて、俺も「ふうん」と返した。

 

みんながやってないならこれは武器になるなと思ったが、やっぱり一番役に立っている気がする。