理想的なデートの場所は大自然に限る

デートはつまらない。

 

可愛い子とデートするときは、楽しく感じることもあるが、それでもセックスがないとつまらない。

 

可愛い子で、気が合えば、そこそこ楽しい。だが、親友と話すレベルは期待できない。

 

ブスは例え気が合っても、つまらない。はやく帰りたくなる。

 

積極的に話してくれる子は気が楽だが、楽しくはない。

 

ブスでも、この場をなんとか楽しい場にさせなきゃという気概に、胸を打たれる。

 

だが、楽しくない。






デートのほとんどは、カフェで食事することが大半だ。うまくいけばそこからラブホに行ったりすることもある。あとはドライブするくらいか。

 

映画はずっと無言状態なので、誰かと鑑賞する必要性を感じない。何より見終わった後の感想を言い合う時間が好きじゃない。

 

クリエイターの作品について素人がこうだのああだの言っている姿は見苦しい。天下のクリエイター様の作品の批評や感想を女の前でいうことは、自分はこのクリエイターに負けています。この人に楽しませてもらう立場であり、自分は享受する側の存在です。劣等人種で、男のカースト制の低いところにいますと証言しているようなものだ。

 

人が悪いのか、場所が悪いのか。俺が悪いのか。とにかくデートが億劫である。



デートを楽しむつもりでマンマンの顔をしている男より、しょうがねぇから行くかといっているぐらいの方がモテると恋愛サイトに書いてあったりする。

 

別のサイトでは、楽しいという感情は相手に伝染するから、楽しくて堪らないという態度を出していくべきだという意見もある。完璧なまでに二律背反している。いろんなサイトを見比べてみると、どちらの意見もちょうど半々ぐらいだ。どちらを信用していいのか迷ってしまう。



実体験としては、相手とのオーラとの相互問題で、向こうが乗り気のときは、多少めんどくせぇなぁぐらいの態度の方が良くなることが多いし、向こうが乗り気でないときは、こちらが士気を高めていかなければならないと感じた。



男は多少ブスでもセックスできればいいやと思っているし、落とすことが自信につながるので、がんばろうとするが、女はあまりがんばろうとしない。ひな鳥みたいに、親がエサを運んできてくれるのを馬鹿みたいな顔をして待っている。



女は美容に対しては男よりがんばっているが、直接異性を落としにかかるという行動という面ではほとんど何もしない。当然のように相手が何かしてくれるものだと思っている。自分の子供はあれほど愛するというのに。

 

男は大変だと思う。ひたすら女の機嫌を伺わなければならない。仕事と同じだ。

 

せめて、デートが楽しれけばいいのに。







そこで、今日はデートの場所について考えてみた。

 

昔はどんなだったろう。江戸時代とか。

 

食事処なんかもあったろう。景観がいい場所も今とは比べ物にならないくらいあったろう。お見合いが主流だと思うから、今みたいにたくさんデートを重ねてとか、婚前の肉体関係もなかったかもしれないが。

 

何もない、静かな場所で、ひたすら景色を眺めていたんだろうか。

 

今の時代はうるさすぎる。車の発進だ、駐車だ、コンクリートだ、ビルだのごちゃごちゃしている。

 

例え海や山に行っても、その始まりや終わりは車を使うし、現地でも、近代的な喧騒は避けられない。大体は人工的な、公共的なスポットになってしまっている。

 

俺は精神世界を独行した結果、人間はもともと自然のエネルギーで作られているのだから、自然の中でのんびり景観を楽しむデートが一番いいのではないかと行き着いた。

 

滝や鍾乳洞やらダイビングやら、自然と遊ぶように思えるが、大体が人工的だ。滝やらそれ自体は自然そのものだが、周りが観光市場としか成り立ち過ぎていて、けっこう騒がしいし、金もかかる。疲れる。

 

ハイジのような世界で、アルプスの中で行きも帰りも自然の中にあり、ただ広大な景色だけがあり、深い森があったり湖があったりしたら、素晴らしい。

 

茶店の中で無言が続くのと、大自然の前で無言が続くのとでは、全然違うだろう。後者だと、無言が心地よく感じられるだろう(たぶんw)

 

出会い系の話で恐縮だが、我々が行うデートは、常に何か話さなきゃと使命感に駆られることが多い。妙に落ち着かない。相手は別に悪い人ではないし、付き合ってもいいのかもしれないけど、何かソワソワする。他人に感じる。心が結びついてない気がする。初対面だから当たり前だが、ずっと心が結びついてない気がしてソワソワする。

 

お互いが、恋の成立を望んでいるのに、叶わなかったりする。一人でいるときのような落ち着いた状態で、この人と向かえあえたら、と思う。

 

顔も性格も悪くない。欠点らしい欠点もない。だけど恋が生まれない。そこは、距離が遠く感じるような、ソワソワするものがあるからではないか。

 

いっしょにいても、無言でも平気でいられるようでありたい。一番自分のリラックスした状態で相手といたい。と、二人の根本的な心の問題はそこじゃないだろうか。

 

そこで、先ほどいった、大自然のデートが必要なのだ。

 

人間そのもののマンパワーで、どんな相手もリラックスさせてみせる、相手を最高の落ち着いた状態に導くことができるなら関係ない話だが、やはり人の気持ちは場所によって左右される。

 

今、俺が喫茶店でこの記事を書いているように、場所によって集中力、精神状態は変わるからだ。家では集中できない。

 

セックスしているときは、無言でも許されるし、実はとても二人とも落ち着くので、精神的距離を縮めるには望ましい。

 

デートのとき、一番、深奥にあるのはセックスなので、男と女の行き着く先はセックスなので、いつも二人ともセックスのことを考えている。女も当然考えている。

 

セックスは、一番心の奥深くにあるので、セックスにたどり着くことによって我々はようやく安心する。

 

二人とも、余計なうっとおしいことから解放されて、真実にたどり着いたよう心持ちになる。

 

それまで、ソワソワしてお互いに気持ちを伺っていた時間を返してほしいくらいに、安心する。



人間は、気持ちが落ち着く方向へ向かう習性がある。あれこれと金を使ったり、余計な細工したり、外部的な刺激に頼らず、相手を落ち着く方向に向かわせるのがベストだ。

 

これは、セックスに持ち込めばいいという話ではない。たしかにセックスすると距離が縮まるが、セックスに持ち込むまでには色々な難関がある。実際問題としては少しづつ安心させるという手段を迫られる。

 

そこで最も大事なことは自分自身が成長して、安心させる雰囲気作りができるが重要になってくる。が、今回は場所という面で考えたい。

 

大自然でデートなんて夢物語だし、俺自身もしたことがない、想像上の空論だ。思考実験の範囲を出ず、現実に試せる機会もない。

 

せいぜい海や山へドライブするしかない。そこで妥協するしかないのか。