仕事はやりたいことよりもできることをやること

人はいつも自分の理想な仕事を求めている。

 

食べていくために、しぶしぶ今の仕事を受け入れているが、本当にこれでいいのか、と思わずにはいられない。

 

もう、10年も20年も、妥協した仕事を受け入れていたら、何も考えなくなっていくのだろうか。俺はそんなに働いたことがないからわからない。



理想的な仕事を探す上で、ある2つの意見が、今、俺の中で、熱く煮えたぎっている。




1つは林修先生の話。



林先生は、人間はやりたいことじゃなくて、できることをしろといっている。

 

他人が困難であっても、自分には簡単にできてしまうことがある。

 

林先生の場合は、それが塾講師だった。

 

みんながみんな、できてしまうことでは意味がない。地球上に人が存在する理由は、その人でないとできないことがあるからだと思う。

 

どうしても、人はできることよりもやりたいことを夢みてしまう。そして挫折する。

 

この「やりたいこと」とは、他人がやっていることを羨望するような心持ちだ。憧れであり、必ずしも自分の特性に合っているとは限らない。

 

林先生は、他人がいくら背伸びしてもできないが、自分にとっては簡単で、淡々とできてしまうことを選べという。

 

それにはやはり、色々挑戦してみたいことには見つからないだろう。林先生はアルバイトはするなといっている。あんなのは確かに小遣いは稼げるが、時間を引き渡さなければならない。そんな時間があったら借金してでも、いろんなことに挑戦してみろという。

 

これは別の人が言ってた言葉だが、人間は自分にしかできないことが見つかると、それを愛さずにはいられなくなる。

 

少し拡大解釈してしまったきらいがあるが、大体こんな趣旨のものだ。



2つ目はマザーテレサの話。

 

マザーテレサは祈りの習慣があった。祈ることで、心が静かになり、無色透明となって澄んでくる。この澄んだ状態になると、自分の中に神の意思が感じられるという。

 

この神の意思は、他の人の言葉でいうと、直感とか、潜在意識とか、イドとかそういった類のものだろう。多くの天才達は、この神の領域の意識を利用して仕事を成したことが様々な資料から推察される。



自分の心を極めて静かに観察すれば、自分が今何をすべきかというのはなんとなくわかると思う。

 

人はやりたいことはあるけど、自分でブレーキをかけている。



この「やりたい」という気持ちは、残念なことに、美味いものを食ったり、デートしたり、家でゴロゴロしたり、様々な欲求より下に位置してしまう。

 

自分のすべきことややりたいことをやっているときは、光芒に包まれたような素晴らしい精神状態になることがあるが、それでも、いつも、常に、これをしていたいという気持ちにはならない。

 

食うか寝るかしている方が気持ちがいい、楽しい。

 

だが、これらの楽しさは、後味が悪く、後悔を呼び、不毛な時間となって後で帰ってくる。



常に1日、素晴らしい仕事をして光芒の中で生きていたい。そして世界が終わったようにその日の眠りにつきたい。



しっかり、目を閉じて瞑想して、神に祈り、自分の心を常に澄み渡るようにすることで、やるべきことに専心できる自分を造ることができるのではないかと思っている。

 

とあるシスターになりたての女の子が「私は、食べることや寝ること、ダンスが好きです。そんな私が貧しい人に尽くせるようになるにはどうしたらいいでしょうか」といった。

 

マザーテレサはそれに対して、微笑みながら「毎日、神に祈りなさい」といった。

 

これは、心が澄んでいけば、自分の中の私利私欲がなくなっていき、神の大きな意識がそのスペースに割り込んでいくといった旨から出た言葉だ。

 

祈るというと、現代人にとっては無意味で宗教くさくて、アレルギーを起こす人が多いと思われるが、我々に一番必要なことではないだろうか。

 

自分の心をひたすら静かにして、澄ますことで、神の声が聞こえてくるとマザーテレサはいう。直接言葉で語りかけてくれるわけではないが、心で静かに感じ取れるようになってくる。

 

常に自分の心を静かにして、神からのお告げだけを頼りにして生きるということ。

 

イケダハヤト氏は、やりたいことを見つけるには環境が必要だという。

 

その環境とは、貯金を100〜200万貯めて、田舎や実家に引っ越して、節約しながら仕事をせずに暮らすというものだ。

 

そんな暮らしをしていれば、ずっと引きこもっているのも苦痛だから、必ず何かしたくなるという。

 

そして自分がやりたいことをやりたいだけ過ごすことが可能になるので、その過程で好きなことが見つかるといっていた。

 

余計な外界のできごとに惑わされたり、自分の時間を奪われず、好きなことを好きなだけやって、瞑想して心を白紙にして、神の声をしっかり聞くということだ一番いいように思う。